第44話 予期せぬ再会と悲惨な末路
「……なるほど、左様でございましたか。自らの手で忠実な駒を育て上げる……強者ならではの贅沢な嗜好ですな」
俺の苦し紛れのハッタリを、ドノヴァンは商人特有の計算高い笑みで受け止めた。
(感づかれたか? まあいい……何かしら商品を買って帰れば、面目は保てるだろう)
彼は分厚い手を動かし、傍らに控えていたミレイユの腰へと無造作に伸ばした。
タイトな事務服の上から、その豊満な尻をいやらしく撫で回す。
それは単なる性欲の発露ではなく、この空間における己の絶対的な優位性と、他者を所有物として扱う商会の『裏の顔』を誇示するような、生々しくグロテスクな動作だった。
「ミレイユ、彼らを戻しなさい。そして……もう少しランクの低い、未調教の奴隷たちをお見せしなさい」
「かしこまりました、オーナー」
尻を撫でられながらも、ミレイユの表情には微塵の動揺も嫌悪も浮かばなかった。ただ冷徹な案内役としての仮面を貼り付けたまま、静かに一礼して部屋を退出していく。
扉が閉ざされた後の室内には、高価な香木の甘い匂いに混じって、先ほどの戦闘奴隷たちが残していった血と汗の獣臭さが微かに漂っていた。
* * *
俺は表情を一切変えることなく長椅子に深く腰掛けたまま、静かに呼吸を整えた。
首の皮一枚で繋がったという安堵よりも、次に提示される『商品』が己の財布の範囲内に収まるかどうかという現実的な懸念が、脳内で冷たく計算を続けている。
数分後、再び重厚な扉が開かれた。
先ほどのような重々しい金属の足音ではない。
擦り切れた布がこすれる音と、何かに怯えるような細く不安定な足音が、静寂の部屋に足を踏み入れてくる。
「こちらが、現在お見せできる『育成用』の未調教奴隷たちでございます」
ミレイユの無機質な声と共に引き入れられた者たちを見て、俺は思わず眉をひそめそうになるのを、寸前のところで自制した。
部屋に入ってきたのは、屈強な戦士たちとは対極に位置する、ひどく貧相で怯えきった数名の男女だった。
彼らの首には鉄の枷ではなく、安物の麻縄や粗末な革の首輪が巻かれている。
漂ってくるのは、風呂に何日も入っていない不潔な匂いと、底知れない絶望から来る、酸っぱい恐怖の体臭だった。
俺は値踏みするような冷ややかな視線を装いながら、一人一人の状態を確認していく。
だが、その視線が列の端に並んでいた『二人の少女』を捉えた瞬間、俺の思考は物理的な衝撃を受けたかのように完全に停止した。
(……あれは、間違いない)
見知った顔。
異世界の安っぽい麻布や革の衣服を身にまとっているが、俺と一緒にこの世界に転移してきたクラスメイトに間違いない。
一人は、明るいブラウンのショートボブの少女。
かつては垢抜けたおしゃれを楽しんでいたであろうその髪は、今は手入れもされずパサつき、ひどく傷んでいる。
大きく丸い琥珀色の瞳には、過酷な疲弊を示すようなくっきりとしたクマが浮いていたが、それでもどこか周囲を観察するような芯の強さが残っていた。
もう一人は、黒に近いダークネイビーのセミロングの少女。
色白で繊細な顔立ちは、今や不健康な蒼白さに変わり、華奢な身体は衣服の上からでも骨っぽさがわかるほどに痩せ細っている。
伏し目がちな切れ長の瞳は完全に光を失っており、周囲の大人たちに怯え、常に縮こまっていた。
渡辺 明楽と、高橋 瑠美。
クラスの中心で社交的に振る舞っていたムードメーカーと、渡辺の親友の大人しい少女。
まさか、こんな場所でクラスメイトに再会することになるとは、想定の範囲外にも程がある。
* * *
「と、常盤……君……?」
彼女たちの方も、俺の存在に気が付いたようだ。
渡辺が、信じられないものを見るような目で俺を見つめ返し、ひび割れた唇から掠れた声を漏らした。
隣の高橋も、その声に弾かれたように顔を上げ、俺の姿を認めて微かに肩を震わせる。
「……お知り合いですか?」
ドノヴァンが、獲物を見つけた蜘蛛のように目を細め、ねっとりとした声で尋ねてきた。
ここで動揺を見せれば、足元をすくわれる。
俺は即座に感情の波を理性で凍らせ、平坦な声で答えた。
「ああ、同郷の者だ。少し、事情を聴いてもいいか?」
「もちろんですとも。ごゆっくり、品定めをなさってください」
ドノヴァンの許可を得て、俺は長椅子から立ち上がり、鎖に繋がれた彼女たちの前へと歩み寄った。
至近距離で見下ろす二人の姿は、あまりにも惨めで、異世界の過酷さを体現していた。
「……何で、こんなところに売られてるんだ?」
俺の静かな問いかけに、渡辺は一瞬ためらった後、縋るような視線を向けて口を開いた。
「借金の……かたに、連れてこられたのよ」
* *
「順を追って説明しろ。お前たちはこの町に来てから、どうしていた」
感情を交えず、ただの事実確認として促す。
渡辺は震える両手を強く握り締めながら、途切れ途切れに、だが必死に言葉を紡ぎ始めた。
「えっと……この町に着いた後、私たち、クラスメイト十六人で集まって冒険者として活動することになったの。それで……佐藤君と木村君が、冒険者ギルドからお金を借りてきてくれて……でもそれは、ギルドからじゃなくて、仲良くなった知り合いの“親切な冒険者”から借りたお金だったみたいで……」
その言葉を聞いた瞬間、俺の頭の中に冷たい警鐘が響いた。
(親切な冒険者、だと? この見知らぬ異世界で、身元も不確かなガキどもに無担保で金を貸す馬鹿がどこにいる)
それは十中八九、裏の人間が高利で貸し付けた罠だ。
だが、佐藤はそんな基本的な疑いすら持たず、安易に金を借りてしまったのだろう。
(他のクラスメイトは“冒険者ギルド”という組織から金を借りてきたと思い込んでいたようだ。だから誰一人疑問を持たなかったのか……)
「そのお金で装備を買って、みんなで魔物の討伐に出たんだけど……町の外で、大きな犬みたいな魔物二匹に襲われて……」
渡辺の顔が苦痛に歪み、隣の高橋が小さく悲鳴のような嗚咽を漏らした。
「松井君が首を噛みちぎられて……佐藤君の号令でみんな街を目指して逃げたんだけど……たどり着いた時に、亮子たち、女子四人がいなくって……」
(十六人という大所帯で、たった二匹の犬に五人も殺されたのか)
俺はオルト村の森で遭遇した魔物たちの動きを思い出しながら、彼らの絶望的なまでの連携のなさと、実力不足を冷静に分析した。
数の暴力で勝てると思い込み、適切な索敵も指揮系統も構築せずに町の外に出た結果の、当然の帰結だ。
* * *
「生き残った私たちは無事に逃げ帰れたけど……もう怖くて、女子のほとんどは町の外に出られなくなって……。でも、宿代も食事代もかかるから……男子四人が冒険者や日雇い労働で少しだけど稼いでて、私たち女子も街の中でできる仕事を探して、それでなんとか安宿で過ごしていたんだけど……」
渡辺の声が、次第に弱々しく、絶望的な響きを帯びていく。
「一週間くらい前に、借金の取り立てだっていう怖い人たちが来て……」
そこから先の展開は、聞くまでもなく容易に想像がついた。
「……それで、生き残りの女子七人が、奴隷として売り飛ばされたというわけか」
俺の言葉に、渡辺は無惨に汚れた顔を歪ませて頷いた。
「……うん。借金の返済のためにって……」
その事実を聞かされた瞬間、俺の脳裏に、今朝ギルドで勝ち誇ったように俺を嘲笑していた佐藤翔太や木村たちの顔がフラッシュバックした。
『お前がどんなに良い条件で募集を出そうが、誰も応募なんてしてこねえよ』
彼らはそう言って俺を嘲笑っていた。
自分たちは仲間の女子を奴隷として売り払い、安全な街の安宿に引きこもって生活しているというのに……。
俺の悪評を流すことでしか自尊心を保てない、底なしのクズどもだ。
(俺がオルト村で地道に魔物を狩り、命のやり取りをしていた裏で、こいつらは人買いに騙されて自滅していたのか)
* *
俺は言葉を失い震え続ける二人の少女から視線を外し、ソファーに座るドノヴァンへと向き直った。
「それで、彼らはいくら金を借りていたんだ?」
「貸し付けたのは銀貨百枚です。ただ、利息に関してはお答えできません。企業秘密ですので、ふひひっ」
奴隷商は楽しそうに笑う。
この男は、渡辺と高橋が俺に対して有効なカードだと思っているようだ。彼女たちを必死で買い戻そうとすると踏んでいる。
だが、ドノヴァンは見誤っている。
俺には、目の前の渡辺や高橋に対して「可哀そうだ」という感情はあったとしても、「絶対に助けてあげたい」というほどの親切心はなかった。
この二人は俺に対する交渉の“切り札”にはなりえない。
――この時はまだ、確かにそう思っていた。




