第29話 勝利の対価、ダンジョン・クリア報酬
押し寄せるゴブリンたち。
俺は先頭を駆けてくる小型のゴブリンの首を横なぎの一撃で刎ね飛ばす。
ズシャッ。
鮮血をまき散らしながら首が天井へと跳ね上がるが、そんなものを気にしている暇はない。続いて大柄のゴブリンが棍棒を振り上げて迫ってくる。
俺は『疾風の剣』をそいつの心臓へ突き刺した。
シュバッ。
斬撃付与の魔法を帯びた剣は、頑丈で肉厚な敵の身体をいともたやすく貫いてくれる。ほっとする暇などない。前方は大柄のゴブリンで塞がれているが、左右からすばしっこい小柄のゴブリンがナイフを持って迫ってくる。
俺は剣を持つ右側の敵を一撃で倒し、左側からくる敵の攻撃を盾で受け止める。
そこから後退しつつ、敵の攻撃を盾でさばき、追撃してきた新手の腕を剣で飛ばす。厄介な遠距離攻撃を潰している分、戦闘に余裕が出てきていた。代償にかなり攻撃をくらっていたが、運よく致命傷は受けていない。
――まだ戦える。
攻防を繰り返すうちに壁際へと追い込まれたが、敵の数もかなり減らした。
(それに、背後からの敵の攻撃を気にしなくても良い)
背水の陣を敷いたようなもの。
俺は押し寄せる敵の攻撃を受けつつ、『疾風の剣』でその数を減らしていった。
* *
振り下ろした『疾風の剣』が、最後に残ったゴブリンの頭蓋を兜ごと真っ二つに叩き割った。
ぐしゃり、という湿った破砕音と共に、醜悪な緑色の肉塊が石畳の上へと崩れ落ちる。
十分以上に及んだ凄惨な殺し合いの果てに――
戦いの終わりは唐突に訪れた。
部屋を支配していた狂騒と怒号は嘘のように消え去り、あとには巨大な篝火が爆ぜるパチパチという音だけが残されている。
静寂を取り戻した閉鎖空間に響き渡るのは、ひゅーっ、ひゅーっという俺自身のひどく掠れた呼吸音と、絶え間なく床を叩く血の滴る音だけだった。
全身の毛穴から噴き出した冷たい脂汗が、返り血と混ざり合って顎を伝い落ちていく。
俺が打ち漏らした敵がいないかと顔を上げ、部屋を見渡したその時――
背後で再びズズンッという重厚な地響きが鳴った。
俺を密室に閉じ込めていたあの金属の扉が、敵の全滅というクリア条件を満たしたことで自動的に開かれたのだ。
まるでシステムが俺の勝利を承認し、外への道を指し示しているかのようだった。
* * *
俺は剣を杖代わりに床へ突き立て、どうにか立っているという限界の体勢のまま、自身の肉体の状態を極めて冷徹に確認し始めた。
アドレナリンの分泌が治まり始めると同時に、全身から脳髄を焼き切らんばかりの激痛が一斉に悲鳴を上げ始める。
左肩は投石の直撃によって肉が潰れ、まともに腕を上げることもできないほどの鈍痛を放っていた。
戦士クラスの耐久補正や丸盾の防御をすり抜けた無数の切り傷や打撲傷は、数えることすら馬鹿らしくなるほどだ。
だが、何よりも致命的なのは、右下腹部に深々と突き刺さったままになっている粗末な矢だった。
傷口からはドクドクと脈打つように温かい血が流れ出し、急速に体温と意識を奪い去ろうとしている。
指先や足先から次第に感覚が抜け落ち、視界の端が暗く明滅を始めていた。
間違いなく、瀕死の重傷だ。
このまま数分も放置すれば、俺は失血性ショックか低体温症で確実に命を落とすだろう。
だが、俺の心に絶望感はない。
意識は痛みの中でも氷のように澄み切っていた。
震える血塗れの右手を虚空へとかざし、固有スキル【アイテムボックス】を展開する。
半透明のウィンドウから迷いなく選択したのは、バドの店で大枚を叩いて購入しておいた貴重な『下級ヒールポーション』だ。
* * *
虚空から現れたガラスの小瓶を乱暴に掴み取り、親指でコルク栓を弾き飛ばす。
薬を飲む前に、やらなければならないことが一つだけあった。
俺は左下腹部に刺さった矢のシャフトを右手で固く握りしめ、奥歯が砕けるほど噛み締めてから、一気にそれを引き抜いた。
「ガッ……、あ、ぐうぅっ!」
新鮮な血がごぼりと溢れ出し、目の前が真っ白になるほどの激痛が走る。
膝から崩れ落ちそうになるのを気力だけで堪え、俺は小瓶の中の青白い液体を一滴残らず喉の奥へと流し込んだ。
血の味が支配する口腔内に、ハッカに似た強烈な清涼感と、魔力を帯びた薬液特有の甘ったるい香りが広がる。
直後、胃袋に到達したポーションが、まるで灼熱の炎のように強烈な熱を帯びて全身の血管を駆け巡り始めた。
それは、今まで経験したことのないほど暴力的で、圧倒的な治癒の感覚だった。
投石で潰れた左肩の細胞が急速に活性化し、千切れた筋繊維が無理やり縫い合わされるようなムズムズとした感覚が全身を覆う。
無数にあった切り傷は、まるで時間が巻き戻るかのように塞がり、血がぴたりと止まった。
最も深く致命的だった腹部の刺し傷でさえ、内側から肉が盛り上がり、新たな皮膚が形成されていくのがはっきりと分かった。
数秒間の熱の奔流が過ぎ去った後、俺は大きく、深く息を吐き出した。
* * *
「……すさまじいな、魔法薬の効能というのは」
大量の血を失ったことによる貧血特有の怠さや、極度の疲労感までは完全には消え去っていない。
(戦闘中に悠長に飲んでいる隙など到底ない代物だが、生き残りさえすればこれほどの傷を強引に塞ぐことができるのか――)
全快と呼ぶには程遠い状態ではあるが、少なくとも致命傷は全て塞がり、命の危機は完全に去った。
命を繋ぎ止めた深い安堵と共に、俺は剣を鞘に納める。
そして、血の海と化した床を踏みしめながら、部屋の中央へと歩みを進めた。
二つの巨大な篝火に挟まれるようにして鎮座している、精緻な装飾が施された重厚な宝箱。
これこそが、俺が自身の命を天秤にかけてまで手に入れたかった、このダンジョンのクリア報酬だ。
周囲に散らばるゴブリンの死骸を蹴り退け、俺は宝箱の前に屈み込んだ。
罠の有無は、すでに【鑑定】を使用し、無いことを確認している。
冷たい金属の留め具に手を掛け、力を込めてその重い蓋を押し開けた。
ギィィ……と、長い間開かれることのなかった蝶番が重苦しい音を立てる。
* *
箱の中には、豪奢な布に包まれた三種類の品が静かに収められていた。
一つ目は、銀色の台座に青い宝石が嵌め込まれた美しい指輪。
二つ目は、見慣れない意匠が刻まれた五枚の金貨。
そして三つ目は、内部で微かに光を瞬かせている紫色の鉱石だった。
俺はそれらを一つずつ手に取り、【鑑定】のスキルを発動させて詳細な情報を読み解いていく。
脳内にポップアップした半透明のウィンドウには、俺の予測を裏付ける価値を持った情報が並んでいた。
まずは指輪。
名称は『精神の指輪』。
装備するだけで、ステータスの魔力に(+3)、MPの最大値に(+10)の強力な補正をもたらす魔法の装身具だ。
現在の俺の魔力は12、MPは35と決して高くないため、この補正は非常にありがたい。
俺の思考を常に曇らせ、使うたびに負担を強い続ける【アイテムボックス】や【鑑定】といったスキル群。
それらの負担を軽減するための魔力の絶対量を、この指輪は間違いなく底上げしてくれるはずだ。
次に紫色の鉱石。
これは『魔導石(アメジストの原石)』と呼ばれる希少な素材だった。
武器や防具に特殊な魔法効果を付与する際に用いられる触媒であり、市場に出回れば相当な高値で取引される代物だ。
将来的に『装備品』を強化する時が来れば、確実に役立つだろう。
今の俺の手に余るため、手元に保管しておくのが最善だ。
最後に五枚の金貨。
これは現在流通しているオルト村や王国の貨幣とは異なり、とうの昔に滅んだ古代王国で鋳造されたアンティークコインらしい。
歴史的な価値を含めれば、ただの金貨以上の価格で換金できるはずだ。
ただし、田舎のバドの店へ持ち込めば最高値で売れない可能性もあるため、アイテムボックスの肥やしにしつつ、最も高値の付く店で現金化していくのが合理的だろう。
「……どれも、悪くない成果だ」
俺はすぐさま『精神の指輪』を左手の人差し指へと嵌め込んだ。
その瞬間、指先から冷たく心地よい水の流れのようなものが体内に侵入し、精神の器が物理的に一回り大きくなったような奇妙な全能感に包まれる。
ステータス画面を呼び出して確認すると、魔力とMPの数値がしっかりと上昇しているのが見て取れた。
確かな成長と報酬を噛み締めながら、魔導石と古代金貨をアイテムボックスの虚空へと丁寧に収納する。
* * *
用は全て済んだ。
これで、ようやく地上へと帰ることができる。
立ち塞がるものは、もはや何もない。
俺は振り返り、三十を超えるゴブリンの死体が折り重なる血みどろの広間を一瞥した。
死と隣り合わせの濃密な暴力の記憶が、この場所に永遠に刻み付けられている。
だが、俺の足取りに未練も恐怖もない。
ただ純粋な達成感を胸に抱き、俺は開かれた扉へと向かった。
むせ返るような血の匂いを薄暗い地下室に残したまま、ただひたすらに光の差す地上を目指して、確かな一歩を踏み出すのだった。




