番外編「遠き星に捧げる想い」
こちらは七夕の夜のために書いた番外編です。
物語の箸休めとして、お楽しみください。
七夕の夜空には、美しい天の川が流れている。
夜の庭園。
女王は織姫を思わせる薄衣をまとい、彦星の装束に身を包んだ軍師と、星空の下を歩いていた。
ベンチの横には鉢に植えられた笹が置かれ、枝に結ばれた短冊が、夜風に揺れてさらさらと音を立てている。
女王が横を見ると、軍師は空を仰いでいた。
モノクルに、星の光が映っている。
「星を見ているの?」
「はい。天の川の両岸の、ベガとアルタイルを探しておりました」
「ベガとアルタイル?」
「織女星と牽牛星——織姫と彦星でございますよ」
「一年に一度しか、会うことが許されないっていう恋人たちよね」
女王も星空を見上げ、はるか遠くの輝きに想いを馳せた。
「……ねえ、軍師」
「なんでしょう」
「軍師は、恋をしたことがある?」
その問いに、軍師はすぐには答えなかった。
ただ、遠い星を数えるように、しばらく夜空を見つめていた。
しばし、時が止まる。
「……恋、ですか」
「うん。……聞いちゃダメだった?」
「陛下は、今宵ばかりはずいぶん大胆でいらっしゃる」
「七夕の夜だもの、そんな話をしたっていいじゃない?」
女王が笑う。
軍師も、わずかに口元を緩めた。
「そうですね。それを恋と呼ぶかはさておき……
昔、一人だけ、星のようなお方がおりました」
「星?」
女王は大きく瞬きをした。
「高く、遠く、この手では届かない。
だけど、その光だけで私の進む道を変えてしまった……そんなお方でした」
「それは……好きだった、ということ?」
「さあ……。
当時の私には、その想いに名前を与えることすら、許されませんでしたから」
軍師の声は穏やかだった。
けれど、月明かりの届かない水底のように、どこか翳りを帯びていた。
「そのお方の言葉ひとつで、私は自分の醜さも、弱さも、戦う理由さえも受け入れることができた。
もしそれを恋と呼ぶなら……そうだったのかもしれません」
女王は一瞬、言葉を飲み込んだ。
「……その方は、今もいらっしゃるの?」
「いえ」
軍師は星を見上げた。
「もう、地上にはおられません」
「そっか……」
笹の葉が、さらさらと鳴る。
「でもね、私思うのよ」
「はい?」
「その星の方は、きっと幸せだわ」
「……なぜ、そう思われます?」
女王は軍師に振り向いて、微笑んだ。
「だって、今もそんなふうに覚えていてくれる人がいるんだもの」
軍師は一瞬驚いたような顔をして、そして優しい笑みを浮かべた。
「……そうであれば、よいのですが」
「軍師?」
「いえ。少し昔の話をしすぎました。
——おや、ご覧ください。あちらに、ひときわ明るい星が」
「もう。話を逸らしたでしょ!」
「戦略的撤退です」
「恋バナで撤退しないでちょうだい」
「恋ほど、撤退判断の難しい戦場はございません」
女王はくすくすと笑った。
そして、傍の笹にかけられた短冊を手に取った。
「……じゃあさ、軍師の願いごとは?」
女王が尋ねる。
「そうですね……」
軍師は少し考え、やがて優しい声で言った。
「今夜、この星空を見上げている方が、明日も笑っておられることを」
「それ、誰のこと?」
「さあ」
「また隠すのね」
「願いは秘めてこそ、星に届くものです」
「本当?」
「少なくとも、私はそう信じております」
女王は唇を尖らせた。
けれど、その横顔はどこか嬉しそうだった。
二人は並んで、天の川を見上げる。
一年に一度だけ会う恋人たちが、夜空の上で静かに瞬いていた。




