天使様、ピンチに陥る
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星明かりだけが頼りの夜道を、巨大な白い獣が風のように駆け抜けていく。背にしがみつくレオンは、冷たい夜風に目を細めながら、しっかりと前を見据えていた。
王都セレフィアを抜け出し、母エレナとルチアの匂いを追って走り始めてから、すでに一週間が経過していた。アデルが用意してくれたハンカチを頼りに、使い魔のモリィは驚異的な嗅覚と無尽蔵の体力を駆使して、休む間も惜しんで追跡を続けていた。
「もう少しだからね、モリィ。疲れてない?」
『うん!僕は大丈夫!絶対見つけるからね!レオン様は大丈夫……?』
モリィの力強い念話に、レオンは少しだけ勇気づけられる。
「大丈夫!絶対に助けよう!」
道中は決して平坦ではなかった。王都周辺の街道を抜け、見渡す限りの麦畑が広がる「王国の穀倉」テラリア侯爵領を横断する間、彼らは人目を避けて夜通し走り、昼間は森の木陰で短い野宿を重ねた。野宿の夜、底冷えする空気の中で、レオンはモリィのモフモフとした温かい毛並みに包まりながら、何度も不安に押し潰されそうになった。
(母様……ルチア……どうか無事でいて)
魔道士ギルドで突如として連れ去られた二人。相手が禁術すら厭わないヘイムダール侯爵領の者だとすれば、どんな危険な実験の対象にされているか分からない。その想像が頭をよぎるたび、レオンは小さな拳を白くなるまで握りしめ、嫌な想像を振り払う。
(アデル兄様もユリ兄様も、きっと別のルートで全力で動いてくれている。でも、匂いを直接辿れる僕たちが一番早いはずだ。僕が二人を助け出すんだ!)
『カッコいい男』になるための誓いが、彼の心を強く奮い立たせていた。
やがて、豊かだったテラリア領の景色が途切れ、徐々に険しい岩肌が続く山岳地帯へと入り込んでいく。空気は乾燥し、植物の数もまばらになり、代わりに空を覆う雲がどんよりと重く垂れ込めている。ヘイムダール侯爵領。魔導の探求に人生を捧げた偏屈な大魔導師が治める、閉鎖的で異様な空気が漂う領域だ。
「……見えた」
切り立った崖の間を抜けた先。山間部の盆地のような場所に、周囲の自然を拒絶するようにそびえ立つ、巨大で無骨な黒い塔が姿を現した。窓は少なく、頂上からは何かの実験なのか、不気味な紫色の煙が立ち上っている。塔の周囲には、微かに空気が歪むほどの強力な魔力防壁が張られているのが、レオンの目にもはっきりと見えた。
『レオン様、あの黒い塔の中から、エレナ様とルチアの匂いがするよ。すっごく強くなってきた!』
「ありがとう、モリィ。ここからは見つからないように、慎重に行こう」
レオンの指示で、モリィはシュルシュルと体を縮ませ、可愛らしい子犬サイズになると、レオンの足元の影へと溶け込んだ。レオンは深く息を吸い込み、自身に『サイレンス』と『ハイド』の魔法を重ね掛けし、息の音も、足音も、気配すらも周囲の空気に溶け込ませる。
レオンは、岩陰に身を潜めながら、塔の入り口を監視する見張りの魔道士たちの死角を突き、音もなく敷地内へと足を踏み入れた。
◇
塔の内部は、外観以上に無機質で冷たい空間だった。むき出しの石壁には魔導ランプが等間隔で並び、青白い光を落としている。通路のあちこちから、薬草を煮詰めるような異臭や、何かの金属が軋むような不快な音が響いていた。
モリィの鼻が示す方向は、上ではなく、地下だった。レオンは、螺旋状に続く冷たい石の階段を、気配を殺して一段ずつ下りていく。
(地下……牢獄か、地下の研究室だね。お願いだから、無事でいて……!)
地下の最下層にたどり着くと、空気はさらに冷え切り、じめじめとした湿気が肌にまとわりついてきた。長い通路の奥に、厳重な鉄格子で塞がれた部屋がある。その前には、ヘイムダールの紋章が刺繍されたローブを着た見張りの魔道士が二人、退屈そうに立っていた。
「それにしても、あのクリムゾン級の女、魔力を抑制する手錠をかけているとはいえ、手こずるぜ。隙あらば反撃しようと鋭い目で睨んでくる」
「全くだ。だが、平民の小娘の方からは、『マギ・コア』のデータがかなり取れたらしい。ヴィクトル様もご満足の様子だったぞ」
「第一子息であられるヴィクトル様に目をつけられるとはな。あの小娘、生きて帰れないだろうなー」
その下劣な会話を聞いた瞬間、レオンの頭の中で何かがブツンと切れる音がした。
(ルチアを……母様を、実験道具みたいに……!)
だが、ここで怒りに任せて飛び出せば、二人を危険に晒すことになる。レオンは冷たい怒りを腹の底に押し込め、冷静に魔法を練り上げた。
彼は通路の影から、見張りの二人に向けて、高濃度に圧縮した風の魔力を放った。
「風よ、微睡みを運べ……『ディープ・スリープ』」
不可視の風が、見張りの魔道士たちの顔を撫でる。
「ん……?なんだか急に……眠気が……」
「お、おい……持ち場……で……」
バタッ、バタッ。
強力な睡眠魔法を吸い込んだ二人は、抗う間もなくその場に崩れ落ち、深い眠りに落ちた。レオンは素早く駆け寄り、倒れた見張りの腰から鉄格子の鍵の束を奪いとり、ガチャリ、と重い音を立てて鉄格子の扉を開けた。
「誰……?」
薄暗い牢の中。冷たい石の壁に繋がれた鎖の先に、母エレナとルチアの姿があった。二人の手首には、どす黒い金属で作られた『魔法抑制』の魔道具――手錠がはめられている。魔力を無理やり封じ込められているせいで、クリムゾン級の魔道士であるエレナでさえ、顔色が悪く酷く疲弊していた。その隣で、ルチアは気を失っているのか、ぐったりと倒れ伏している。
「母様!ルチア!」
レオンは、堪えきれずに駆け寄った。
「……レオン!?どうして、あなたが……!」
エレナは、虚ろだった翠の瞳を大きく見開き、信じられないものを見るように息子を見つめた。
「どうしてここに……一人で来たの!?こんな危険な場所に!」
「一人じゃありません、モリィも一緒です!それに、アデル兄様やユリ兄様も、別のルートで必ず助けに向かっています。僕たちが、匂いを辿って一番に駆けつけたんです」
影からモリィが飛び出し、『お迎えにきたよー!』とエレナの頬を舐める。
「レオン様……っ……」
レオンの声に気づいたルチアが、重い瞼を開け、涙をこぼした。
「あぁ……幻じゃないんですね……。レオン様、ごめんなさい、私が弱いばかりに……」「喋らなくていいよ、ルチア。すぐ助けるから!」
レオンは、奪った鍵束の中から合うものを探し出し、震える手で二人の手錠を外した。カキン、と重い魔道具が床に落ちる。
「はぁっ……」
拘束が解け、封じられていた魔力がゆっくりと体内に戻り始め、エレナの顔に少しだけ赤みが戻った。
「ありがとう、レオン。まさかあなたに助けられるなんてね。……さすがは私の息子だわ」
エレナはよろめきながらも立ち上がり、レオンを強く抱きしめた。
「でも、ここは敵の本拠地よ。奴らの目的は、ルチアの『マギ・コア』のメカニズムのようだわ。油断はできない、早くここを出ましょう」
「うん、行こう。ルチア、歩ける?僕が肩を貸すよ」
「だ、大丈夫です、レオン様。私、頑張ります……!」
ルチアは壁伝いに立ち上がった。レオンは彼女を支えながら、エレナと共に牢獄を後にする。
(よし、あとはここを抜け出して、兄様たちと合流するだけだ……!)
◇
三人と一匹は、見張りが倒れている地下通路を足早に抜け、地上へと続く裏口の階段を目指した。塔の構造は複雑だったが、モリィの嗅覚が外へと通じる微かな外気を感じ取り、迷うことなく先導していく。
「あそこだ、あの階段を登れば、外に出られる……!」
レオンの視線の先、階段の上から微かな月明かりが差し込んでいるのが見えた。
希望の光。しかし、その光を遮るように、ぬらりと一つの影が階段の上に立ち塞がった。
「――おやおや。ネズミが迷い込んだかと思えば、ずいぶんと可愛らしい迷子ですね」
背筋が凍るような、低く冷たい声。そこに立っていたのは、漆黒のローブを纏った、青白い顔の男だった。細められた瞳の奥には、氷のような冷酷さと、知的な狂気が宿っている。その胸元には、ヘイムダール侯爵家の紋章と共に、特別な側近を示す意匠が施されていた。
「あなたは……!」
エレナが息を呑み、レオンとルチアを背後に庇うように前に出る。
「ヘイムダール侯爵の第一子息、ヴィクトル様の側近……魔術師ザイル!」
「ご名答です、エレナ夫人」
ザイルと呼ばれた男は、薄気味悪い笑みを浮かべたまま、階段を一段ずつゆっくりと下りてくる。彼が歩を進めるごとに、周囲の空気が物理的な重さを伴ってのしかかってくるようだった。
「私の可愛い実験動物たちが逃げ出したと聞いて来てみれば……まさか、グレイスフィールド家の三男坊まで自ら飛び込んで来てくれるとは。ヴィクトル様もさぞお喜びになるでしょう」
「誰がお前なんかの思い通りになるか!」
レオンは、ザイルを強く睨みつけ、両手に風の魔力を集中させる。
「風よ、貫け!『エア・バレット』!」
無数の鋭い風の弾丸が、ザイルに向かって一直線に飛んでいく。しかし、ザイルはローブの袖をわずかに振っただけで、目の前に不可視の障壁を展開し、レオンの渾身の魔法をあっさりと掻き消してしまった。
「なっ……!」
「無駄ですよ、お坊ちゃん。ここは我らがヘイムダールの魔導塔。この空間のあらゆる術式は、我々に有利に働くように構築されているのですから」
『レオン様をいじめるなー!』
モリィが激しく吠え、その小さな体を一瞬にして巨大な獣へと変化させようと前に飛び出した。だが、ザイルの目が残酷に細められた。
「野蛮な獣は、地に平伏すがいい」
ザイルが床を杖で叩くと同時に、あらかじめ通路に仕掛けられていた罠の魔法陣がカッと赤黒い光を放った。
「――『グラビティ・プリズン』!」
「ぐあっ……!」
『きゅうぅぅっ……!』
凄まじい重力魔法が、レオンたちの頭上から容赦なくのしかかってくる。見えない巨大な手に押し潰されるように、レオンも、エレナも、ルチアも、そして巨大化しようとしたモリィも、冷たい石の床に這いつくばらされてしまう。
「くっ……体が、動かない……!」
レオンは歯を食いしばり、必死に立ち上がろうと腕に力を込めるが、指先すら満足に動かせない。骨が軋み、息をするのすら苦しいほどの圧倒的な重圧。
「素晴らしい家族愛ですね。ですが、ヴィクトル様の研究の邪魔はさせませんよ」
ザイルは、床でもがくレオンたちの前に悠然と歩み寄り、懐からジャラリと音を立てて、あの忌まわしい『魔法抑制』の魔道具を取り出した。
「さあ、おとなしく部屋に戻ってもらいましょう。今度は、手錠だけでは済みませんよ」
抵抗する間もなく、ザイルの魔法によって空中に持ち上げられたレオンの手首に、冷たく重い手錠がガシャンとはめられた。瞬間、体の中を巡っていた温かい魔力の流れが、完全に遮断される。
「あっ……」
魔法が使えない。今まで当たり前のように感じていた精霊の声も、魔素の輝きも、全てが遠ざかっていく。圧倒的な無力感が、レオンの小さな体を包み込んだ。
「レオン……!やめなさい、この子は関係ないでしょう!」
エレナが悲痛な声を上げるが、ザイルは冷酷に笑うだけだった。
「関係ない?とんでもない。魔力圧縮の秘密を持つメイド、クリムゾン級の魔道士、そして……全属性の適性を持つと噂される侯爵家の三男。これほど極上の『素材』が揃ったのです。ヴィクトル様の偉大なる研究は、これで飛躍的に進むことでしょう」
ザイルの魔法に操られ、レオンたちは再び、あの暗く冷たい地下の奥深くへと引きずり戻されていく。
(ごめんなさい、父様、アデル兄様、ユリ兄様……。僕がもっと強ければ……!)
薄れゆく意識の中で、レオンは悔しさに唇を噛み締めた。あと少しで外の光に手が届きそうだったのに。母とルチアを救い出すことができたはずだったのに。
絶望の闇が再び彼らを飲み込んでいく中、レオンはただ、遠く離れた兄たちが、この最悪の事態に気づいてくれることだけを祈り続けるしかなかったのだった。
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