神の本性
神はどういう性格なのか。私から見ればクソ野郎である。ただ最終的にそれを決めるのはその人次第である。なぜなら幸せな人から見れば良く、不幸な人から見れば悪く見えるからである。それは捉え方次第とかいう精神論ではない。精神論で片づける人は真実を理解していない。
恐らく大半の人は、神は強く優しく善良な尊い存在だと思っているだろう。しかしそれは神の洗脳教育でしかない。一部でも書いたとおり全問題は神が意図して作っているのである。戦争、貧困、格差、病気、事件、事故、災害も全て。これらの不幸が神の意図した事だと理解したとき、見方は真逆になる。少なくとも当事者にとっては。
神の性格を知るために最適な物は聖書である。真実を知らずに読めば洗脳されるだけだが、真実を知ったうえで聖書を読めば神の性格が良くわかる。私から見れば聖書は、聖なる書ではない。穢書である
聖書の内容を簡単に説明すると、神は全能でこの世界を創造した。しかし人の悪はどうにもできず神にもどうしようもない。しょうがないから人の罪を自分の子供のイエスが代わりに償います。というのが聖書である。よく考えたら全く意味不明である。
これが仮想世界という真実を理解していれば、とんでもない茶番であることは言うまでもない。
誰もが健康で善良で幸せに生きられる世界にすればよいだけである。
神の最も重要な働きは、神などいないし、いても無力だと思い込ませていることである。つまり洗脳である。この洗脳の役割を最も果たしているのが聖書である。人を最大限に悪く、神を最大限に美化するのに最も使われたのが聖書である。




