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保護者が保護者じゃない件について

80年代から90年代のソノラマ文庫が好きでした。

TRPGも好きでした。

自分専用のスペオペワールドを作っていました。

某オカルトアクションで鼻っ柱をへし折られ、星界シリーズで絶望してお蔵入りになっていました。

尊敬する作家さんが亡くなった後、やっぱり書きたいと思って書き始めました。

数年越しの文章ですので、途中で変わったりとか設定がおかしかったりとかあるかもしれません。

いわゆるラノベだと数巻にわたるお話になるんじゃないかと思われます。

設定マニアですので、うざい説明が続いたら飛ばしてください(笑)。

1コロニーの少年



 こつん、と二の腕をつつかれたのに気づいたのは、何度目だったろうか。

 隣の席の女生徒が気を遣ってくれたのは、教師がまさにページをめくったところだった。少年の頭が急速に覚醒する。苦手な古文の授業中だ!

「どうした? ハザマ君、早く読みなさい」(ジロー君、192ページよっ)

 古文教師のちょっといらついた声。あわててページをめくり、なんとか読み上げはじめる。大丈夫。協力な援軍がついてくれているのだ。なんとか……なるかもしれない。

「と、遠くを……送る……(ジロー君、トホよ、トホ!)……ええと、杜甫……」

 ちらりと横目で見ると、隣席の少女がご丁寧に予習ノートを拡大して指で指してくれている。艶のある黒髪は細く柔らかそうで、ナチュラルなウエーブが華やかさと可憐さを絶妙な割合でブレンドしている。緑の瞳がなければ、日本民族といっても疑う人はいないかもしれない。

(次の単語はタイコウ、次の文は何するぞ、君。それからぁ……)

 いささか童顔だけれど、十二分に整った顔立ち。そんな女生徒が真剣な顔で助け船を出してくれているのだから、こちらも応えるべき。うん。このちょっと力みすぎくらいに頑張っているのをむげにはしづらい。

「そのまま続けて」(大丈夫。ジロー君ならできるからっ!)

 額に汗しながら端末をこちらに向けてくれる健気さには、男として応えるべきだろう。苦手な漢文ではあるが、必死に解読していく。何より、圧倒的な真摯さをたたえる翡翠のような瞳には逆らえる気がしない。彼女の前でなら、クラスのほとんどが男女を問わず、頑張ってしまう。そんな雰囲気のある女の子だ。

「タイコウ、天地に満つる。ナ、ナンスルゾ君、遠きへ行く。シンホウ、イチコクを尽くし……」

「もういい。やっぱり漢文は難しいだろう。ちゃんと予習してきなさい」

 やれやれ、といった感じの古文教師だが、責めている表情ではないのが救いだ。彼が特に古文を苦手としているのは、ほぼ全員が知っている。

「……すいません」

 ぺこりと頭を下げると、教師が後を引き取って、実に滑らかに暗号を解読し始める。何千年も昔の文学を習うことが本当に必要なのかとは思うが、日本文学というものには、古代中華帝国の文学知識がないとわからないものが多いらしい。

「帯甲、天地に満ちる。何するぞ君、遠くへ行く。親朋一哭を尽くし鞍馬孤城を去る」

 時代が下れば下るほどに参照しなければならない資料が増えすぎて、しまいには娯楽小説を読むのにも辞書が必要になるのではないだろうか。

 こんなことを思うのも、自分が日本民族ではないからだろうか。宇宙時代にあっても独自の文化統一性を比較的良好に保った彼らは「ニッケイ(日系)」なる言葉を全銀河に知らしめる存在である。

「この詩は帯甲、つまり鎧を着けた兵士が天下に満ちた戦乱の時代に、遠くに旅立つ友を送るものだ。なぜ君が遠くへ行かなねばならないのか。友人や親類達がしばし泣き……」

 なんと、ここまでわずか二十文字。なんという情報の圧縮か。恐るべし、漢字と漢文! 肩をすくめながら助け船を出してくれた女生徒に目線でお礼をする。

(サンキュ)

(いえいえー。お互い様ですからー)

 いや、女生徒というのは彼女に失礼というべきだろう。幼馴染みというかお隣さんというべきか。級友達から「フラグ立杉」とまで言われる少女はエレナ・ヒュージといい、純度の高い北半球西ユーラシア系である。そんな彼女と同時期にこのアシタカ市にやってきて日本文化を学び始めたのだが、特に文系では圧倒的な差をつけられてしまっていた。

 横目でチラチラと少女の様子を窺うジローだが、真剣に前を向いて教師の言葉を書き留めている様子に圧倒されるものを感じる。エレナという娘は生真面目だ。全体として勤勉で真面目という評判のある日系民族平均と比べてもかなりのものだだ。

(エレナって、マジメだよな。ホント。頭下がるなあ)

 いろいろ忘れっぽいとかドジであるとかの欠点はあるが、この真剣に勉強に向かう姿勢は評価されるべきだろう。彼女には父親と同じように医療に取り組むという目標が存在し、現在の成績ではいささか難しいだろうということは自覚しつつも、それでも諦めずに頑張っているのに対し、自分はというとただ生きているだけだ。

(特に目標とかないからなあ)

 一応、家族に言われて学校の授業などで取れる資格などは優先して取ってはいる。順調にいけば通信制の大学で勉強しながらアルバイトをし、この町で必要とされる技術者とかになって生きていくのだろう。

 アシタカ市は、惑星エッチュウ開発の最前線コロニーだ。ジロー達が大学を卒業するころには、軌道エレベーターが本格稼働して、文字通りの新天地を求める多くの人々が押し寄せてくるだろう。治安は一時的に悪化するらしいが、仕事も十分にあるし人手不足で、給料は悪くない。生きていくには問題ない、そんな未来が見えている。

(ま、いつまでもよそ見をしているわけにもいかないし、真面目にやるか)

 前を向き直ったジロー・ハザマという少年は、スペックは悪くはない。身長、骨格などはまあ人並み。持病はあるけれど、薬を飲んでいるかぎりは問題ないし、別に運動をしていけないほど病弱でもない。運動能力だって人並みだ。学力もまあ平均だろう。いつもマジメに勉強するエレナには申し訳ないけれど、彼女とそんなには変わらない。 顔つきも険があるかもしれないが、女の子に怖がられるというほどでもない。髪の色は黒。肌の色は日系と言われても不思議がないレベル。瞳の色は焦げ茶色。日系人の中にならふつーに埋没できる容姿だ。

(まあ、こうしてふつーに生きてるのも、別に悪くは……ないかな? うん)

 少年にとっては意味不明な漢文定型詩。韻文の続く独特な雰囲気が眠気に誘うのを、太腿にペンを突き刺すようにしてなんとか意識を保つ昼下がりだった。


「ふうーっ。やっと終わった。」

 机に上半身を投げ出したままのジローを見ながら、エレナがクスクス笑う。二人とも持病で毎日の診察をすることになっているので部活動はしていない。

「ジロー君、今日はまっすぐ帰る?」

「うん。そのつもりだけどエレナは何かある?」

 小柄なエレナが上目遣いで見上げてくると、時々心臓が跳ね上がる。見慣れているはずのお隣の女の子が、妙に新鮮に、色鮮やかなポートレートのように迫ってくる。

(くそっ、可愛いんだよなあ……毎日見ているはずなのに)

 小柄な美少女の上目遣いの破壊力はかなりのもので、見慣れているはずの少年ですらドキドキする。童顔といっても、美少女は美少女だ。

 西欧系にしてはかなり小柄なエレナは、このクラスの女の子の平均よりも背が低い。さらに緑色の瞳がちょっと神秘的で童顔気味なところもポイントが高い。この娘にお兄ちゃんと呼ばれたい男子生徒が多いというのもうなずけるところだ。

「今日は診療所が混んでいる日だし、公園を回ってから帰ろうよ」

 ああ、そういえば今日は週初めだし、確かに混んでいるだろう。どこかで時間をつぶすというのは賛成だったが、場所は微妙だった。

「公園?」

 聞き返したのは、遠回しの拒否。できれば彼女が別の場所を提案してくれると嬉しいのだけれど。

「うん。公園。イヤだった?」

 卑怯なことに、ちょっと困ったような表情が実に似合う。眉が、八の字になる感じで黒目がちの緑の瞳が潤んで見える。これは反則だ。なんだかこちらが悪いような気分になる。

「そんなことないよ。それじゃあ、公園、行こうか」

「うんっ♪」

 満面の笑顔を浮かべるエレナと、ニヤニヤしている級友。

「なんだよ。なんか文句あるのか、高志?」

「あるわけないだろう。うらやましいだけさ」

「そんなのじゃないさ。家が隣だもん」

 そんなに都合よくモテるわけがない。特に女生徒に嫌われているというほどではないが、それほど好意的に見られているわけでもない。時にはエロ談義に加わることもあるし、孤高のキャラというわけでもない。普通の男子高校生のつもりだった。

「そんなのじゃないって? このフラグマスター」

「フラグマスターはやめろ。頼むから」

 ニヤリ、とほくそ笑む級友が大げさに指を折り数え始める。

「幼馴染みの女の子が同じクラス。上の学年には同居で血のつながってない姉……」

 それを言われると弱い。これについてはまったく否定できない。確かに、エレナは幼馴染みで同じクラスだし、確かに、血のつながりのない若い女性と同居している。

「本人は病弱で、両親もいない。しかも同居の女性プラス幼馴染みだぞっ」

 いかにも純日本民族といった風情のメガネに短髪という波川少年は、ぐっと拳を握りしめながら大げさにポーズをとった。教室のバカ担当の一人だけのことはある。

「いや、ちゃんと保護者が同居してるしっ。二人きりみたいにいうなっ」

 そう。二人をこのコロニーに連れてきた主治医が一緒に住んでくれている。確かに両親はいないが、ジローには家族がちゃんといるのだ。いろいろ問題はあるが。

「それにな、マリカはそんな甘いもんじゃないっ。すっげー怖いんだぞっ」

「マリカさんなら、その怖い顔だって綺麗なんだろう? うらやましいよ、やっぱ」

 波川高志がちょっと遠い目をした。彼のまぶたには、ジローの義理の姉であるマリカ・カーマインの姿が浮かんでいるのだろう。虚弱体質のくせに文武両道という変人だ。呼吸器、循環器系が弱いが、短距離走など瞬発力が重要な競技ではすごく強い。勉強もできて、金髪碧眼の年上の義姉は問題児かつ優等生だった。

「だよねー。あたしもマリカさんの妹になりたいもの」

 うんうんと高志に同調するエレナ。身長や凹凸に欠ける彼女の憧れ、ある意味崇拝の対象といってもいいのがマリカだ。彼女らに近い距離にいるジローとしては、二人は足して二で割って欲しいと思う時があるほどに対照的だ。

「おっと、オレはそろそろ部活行かないと。気をつけていけよ、二人とも」

「ああ。そっちもがんばれよ」

「波川君、またね」

 二人は級友達に手を振って教室を出て、いつもの通りに門に向かう。少し歩けば広大な公園につきあたる。ジローは先ほどの高志の言葉を思い出し、小さなため息をついた。

 別に嫌いなわけじゃない。彼女と二人で行く、というのが問題なだけだ。ただでさえ公園というのは恋人達の定番の場所で、そんなところに彼女と行くのはいささか気まずいものがある。

 二人の関係は幼馴染みといっていいだろう。初めて会ったのは、宇宙船の中。医務室で定期的に検診を受けていたのを記憶している。当時の彼女は今よりも沈みがちだったけれど、子供だけあってすぐに仲良くなったようだ。

 お互いに主治医が身近にいて、医務室には設備を借りているような感じだった。何回か話している内に、沈みがちだった女の子が、はじけるように笑い、転がるように駆け出すのを、目を見張るような思いで見ていた。

(あの頃は、エレナの髪、短かったのになあ)

 いつの間にか、長く伸びたエレナの髪。初めて会った金髪のお姉さん、マリカのようになると宣言して以来切っていないらしい。そんな艶のある黒髪が、今では制服の肩にまで流れている。

 セーラー服という学校の制服は日系文化の独特の制服だ。ちなみに、これは女生徒のためのもので、男子生徒にはガクセイ服というものがある。

 ニッケイ社会にはほかにもブレザーの制服もあるらしいが、アシタカには今のところ高校は一つしかないので、制服もこの一種類だけだ。

「ほら、ジロー君。もう、桜がおしまいなんだよ」

「ああ。少し前の花見ラッシュがウソみたいだなー」

 何種類もある桜の花は開花の時期がずらされていて、一ヶ月ほども楽しめる。たとえ惑星開発のスペースコロニーの中でも花見をするのを忘れない。それが日本民族だ。

 実利のないところに異常な執着をしてよくわからない需要を生み出すのが特徴らしい。

 惑星開発の初期のレジャー需要を吸収する目的もあり、アシタカの公園はかなり大規模だ。今は草原が多く広がっているが、人口が増えれば都市部とのバランスを取るために木々や建物が増やされていくだろう。

「……にしても、こんな風景があたりまえになっちゃったなあ」

 巨大なコロニーの中心を貫く軸を中心とした、円筒状の内側の大地。見上げれば、円周の反対側にあたる部分が見えてしまう。小さい頃はお空が落ちてきそうだと泣いた記憶もある。

「うん。お空に街があるの、最初はすごくびっくりだったけど」

 二人とも、初めてこのコロニーに降り立った時は、頭上の街の豆粒のような工場や、砂粒のような自動車、家などに目を丸くしていた。それはまさしくミニチュアの世界が広がっているようで、幼い子供達の心に強烈な印象を残していた。

「そして、田舎だよなあ」

「田舎だよね、惑星開発コロニーだもの。しょうがないよ」

 アシタカ市は、田舎である。しかも、超ド田舎だ。惑星開発などしているのは田舎に決まっているが、アシタカの属するキタザト星系は、ジャンクションのある星系まで二つも恒星系を経由しなくてはいけない。言ってみればどん詰まりの星域なのだ。救いは、生活には不自由しないこと。惑星開発の初期は大量にオカネが注ぎ込まれるし、再開発と違って土地や権利の問題もない。いろいろ気楽なのである。

「でも、あたしは好きだよ。なんか落ち着くし」

「まあ、ぼくも嫌いじゃないよ。この雰囲気はさ」

 人口の風景とはいえ、丘陵や小川、林のそれぞれまでもがそこはかとない田舎感をかもし出している。なんというか、垢抜けないという感じがするのだ。

 ジローの肩ほどまでしかない、子供じみた背丈のエレナが、てけてけと小走りになって公園の遊歩道を進んでいく。肩までの髪が揺れて、白いうなじが除く。細くて、小さい。そんな印象に、由緒正しいセーラー服がよく似合っている。

「きゃっ」

 少年の予想通り、わずかな敷石の起伏につまづいた女子高生。彼女は運動神経が壊滅的な人種であって、凹凸のないはずの自宅でもよく転ぶ特技の持ち主だった。

「気をつけろよって、いつも言ってるじゃないか。頼むよ、エレナ」

「う、うん。ごめん」

 手を引いて彼女のバランスを取ろうとしたのだが、小さく軽量な女の子は重さなどないかのようで、そのまま腕の中におさまってしまいそうだった。

「だ、大丈夫だよ、そんな……」

 白い肌にぱっと朱を散らすのが鮮やかで、恥ずかしそうに目を伏せるのは、可憐というべきなのか。清楚とかローには難しいのだが、きっとこんな様子を表現するものなのだろう。

「あ、ああっ。ごめん」

 距離が小さすぎて、引き寄せた手をびっくりした様子で離す。普段から距離感はかなり近い二人だが、公園という公の場所でこんなに接近したのは久しぶりだった。

「ありがと。ジロー君、やっぱり優しいね」

「優しいというのとは違うかもしれないけど」

 昔からの習慣というか、もはや当たり前になりつつある。ジローの特技の一つにエレナの転ぶタイミングを予想するというのがあるほどだった。

「あっ、いたいた。マリカさーんっ」

 元気な声で手を振る。岡の上の東屋に見覚えのある金髪が流れ、ふりむいた人物は文字通り花のような笑顔をエレナに向けた。金髪碧眼。明らかな北半球西側人種の血を引いている。ちょっと気の強そうな印象だが、年下の少女を見やる微笑みは優しい。

「こんにちは、エレナ。半日ぶり。よくわかったわね?」

 金の糸が清流となって流れるような髪。深山幽谷の水のように神秘的な青い瞳。美しい白さを通りすぎてしまいそうな、青白さすら感じさせる肌。

 透き通るような肌がかすかに血管を透かしていなければ、現実のものでないかのような感すらある。

 マリカは子供っぽい印象のエレナに対して、対照的なほどに大人びている。一歳年上のはずだが、セーラー服から伸びやかに伸びる手足はほっそりと、しかも瑞々しく、ただ普通に着ているだけなのに、田舎の女子高生とは思えないほどに垢抜けている。

「はいっ。マリカさんが今日は日に当たってみるって行ってたから、こちらかなって」

「いいカンしてるわ。それじゃあ、ここにお菓子があるんだけど」

 マリカはジローになど声はかけない。この場ではあくまてもエレナだけを相手にするつもりだ。これがいつもの彼女のやりくちだ。

「もちろん、飲み物持参です。お茶にしましょう」

 いそいそと学生鞄からボトルを取り出したエレナと、膝の上に焼き菓子を広げていたマリカは並んで座ると、楽しそうに持参した飲食物を交換し始めた。春の公園の東屋は、内側にまで柔らかな光がさし込んでいて、焼き菓子の上に花びらが落ちたといっては娘たちが笑いながら焼き菓子を口に運んでいく。

(やっぱり、仲いいなあ。なんというか、絵になるよ。うん)

 三人とも、病気療養のためにこの辺境のコロニーにやってきていて、通う診療所も一緒だ。同じ船に乗ってやってきたこともあり、そのときから仲良くしている。

(ええと。もう何年だ? 六年か、七年か……)

 二人が並んでいると、五つか、六つ違いくらいに見えてしまう。それほどに身長も、身体つきも違っている。

 エレナはまだ少女体型というか、二次性徴があっただろうことはわかるが、女性としての発達は明らかにこれからだ。いわゆるツルペタ系である。年齢を知らなければ、確実にロリ認定されてしまうレベル。

 それに対して、マリカは大人の階段をもう少しで登り切ってしまいそうな大人びた雰囲気を持っていて、伸びやかな肢体は十分に成長し、胸元、腰から下半身へのラインも見事な曲線美を形づくっている。

(うーん。エレナがコンプレックスを持つのも無理ないよなあ)

 これで、エレナの憧れがマリカでなくて、二人の仲が悪かったらかなりヤバイ状況ではないだろうか。二人の関係が良好でよかったと、心から思うジローだった。

 手持ち無沙汰なまま東屋の入り口に突っ立っている男子に金髪の少女が軽蔑のまなざしを向けた。冷たい、無意味なものに向ける視線。整った顔立ちだけにどんな表情も魅力的ではあるが、侮蔑の視線は心に痛い。

「で、あんたはそこで何をしているワケ? ジロー?」

 ふう、とため息をつきながら、心底呆れたと言わんばかりの表情。

「え? ぼくは……交換するものがないから」

 肩をすくめて見せる少年を、マリカは鼻で笑う。そんな高慢なしぐさがよく似合うほどに、優雅で高貴そうな仕草が身についていた。

「そんなことだろうと思ったわ。エレナに感謝なさいな。座りなさい」

 トントン、と二人の間の椅子を指でつついてみせる二人。

「あたしが、ちゃーんとジロー君の分のお茶を用意してあるし」

「お菓子も、あんたに恵んであげるくらいは余分があるわ」

 目をきらきらさせているエレナと、かわいそうなモノを見るようなマリカ。この二人はいつだって対照的なのだった。

「あ、ああ……ありがとう?」

「お礼の言葉を述べる程度の知能はあるみたいね」

 マリカのツンとした態度はいつものことだが、今日は普段に輪をかけてキビシイ。

「き、きついよ、マリカ……」

「うふふっ。ジロー君が食べたいって言いさえすれば、すぐに用意してくれるのにね」

「余計なことは言わなくてもいいのよ、エレナは」

 ふんっ、と顔をそむけながらも、トレーをこちらに手渡してくれる。

「バカね。一緒に住んでる家族なんだから、用意しないわけがないじゃないの」

「いいなー。あたしもマリカさんの家族になりたいー」

 ジローを真ん中に、マリカとエレナが会話する。これもいつも通りのこと。フラグ立杉などと言われるのもしかたがない気もするが、実際に体験してみればわかるが実は意外と居心地が悪い。

 自分が経験すべきでないこと。そんな気がしてしまう。これはあくまでも、一緒に暮らしている家族として、またお隣に住んでいおこぼれにすぎないのだと。

「このウドンの大木となら、いつでも交換してあげるわ」

「せめてウドといってくれ。ウドンの大木はないわー」

「マジレスしてどうすんのよ。まったくアンタは救いようがないわね」

 どうボケればよかったんだろうかと思いながら、小麦粉とミルクや砂糖に熱化学変化させて生じた繊細な物体を口に運ぶ。マリカは家でも学校でも大抵のことは鮮やかにこなしてみせるスーパーウーマンだ。彼女がその気になりさえすればだが。

(あ、これ美味しい)

 砂糖はもちろん入っているが、それ以上にバターの甘みと香気がいい。口の中でホロホロと溶け、舌の上で崩れながら甘みが広がっていく。

「あ、おいしい。マリカさん、これすごくおいしいっ」

「あたりまえでしょ。この私が作ってるんだから」

「お、おう。さすがだよな、マリカは。何やってもできるもんな」

「あんたは努力しないだけでしょ」

 言外にジローは努力していない、と言っていることはさすがにわかる。そして、それに反論できないのも確かだった。少年自身、内心忸怩とするものはあるのだが、何をどうすれば自分がその気になったり、努力できるのかがわからないのだった。

(マリカもエレナもすごいんだよなあ。どうしてぼくは……)

 目の前では、完璧超人、女王様などとも呼ばれるマリカが、学校では普段みせない柔らかい笑顔でエレナにレシピを教えている。彼女はあえて努力しているなどというアピールはしないけれど、自宅では本を読んだり、必要ならお菓子の試作をしたりとやるべきことはやっている。

 エレナはエレナで、学校での成績は今イチだけれど、とにかくマジメだ。宿題も基本的に一人でやっている。たまにマリカに泣きつくこともあるが、ジローのように未提出で呼び出されるなどということはない。

 二人とも、ジローなどという馬鹿者と違って、努力のできる人間だった。

(それにしても、この二人、対照的だよなあ。いろんな意味で)

 金髪碧眼、何でもこなすお嬢様気質でプロポーションもいいが、呼吸器、循環器系に問題があり虚弱体質気味のマリカ。お子様体型で黒髪に翡翠の瞳のエレナはまじめで優しいがドジっ娘属性つきである。彼女は内に繊細なものを持つらしく、不眠になりやすい。

 そして、少年は頭痛持ちで、頭痛があまりひどくなるとヤバい、と。人工でもいいからのどかで、環境のいいところとしてこんな田舎のコロニーにやってきた三人は、しばし午後のお茶の時間を楽しんでいた。


「ははっ。努力してないかー。そりゃー言われるわ。しょうがないわー」

 時間をつぶしてから、エレナの父親の経営する診療所によって、毎日の診察を受ける。当然ながら彼女の担当は父親でもあるヒュージ氏、ジローの担当は雇われ医師のリックだ。マリカはヒュージ医師の診察を受けている。

「くうっ。リックまでそんなことを。宿題だって、鍛錬だってやってるじゃないか」

「そんなの努力じゃない。自分の意思でやることだからな、努力は」

 すっぱりと斬って捨てたリックはジローの手首の端末からログを取り、簡単な問診をする。血液中の薬剤濃度や血圧、心拍といった基礎データはログから取っているので、診察はどちらかというと精神的なケアや確認の意味が強いらしい。

「そう言われると弱いけどさ。宿題とかだって、楽じゃないんだよ」

「うそつけ。おまえ、手ぇ抜いてるじゃん。もっとできるくせにさ」

 ばっさりとさらに両断。そんな言葉が似合うほどのマジレス。医者だからかもと軍人だからか、リックはずけずけとものを言う。

 リックは医者というには逞しすきる筋骨隆々の肉体と、ワイルドな顔立ちをしている。眉や顎もがっしりとして、元軍人というのも納得だ。栗色の髪と、浅黒い肌。そして、瞳は黄褐色。金色といっても不思議ではないほどに強い光を放っている。ラフな格好が好きなくせに、意外と白衣が似合っているのが不思議だった。

「しょうがないじゃん。やる気が出ないんだもの」

「まあ、ジローは薬を使ってるから、後ろ向きになりやすいのはあるけどなあ」

 ジローは放置しておくと脳神経が過敏になりすぎるとかで日常的にカウンセリングと投薬を必要としている。今日の診察もその一つだった。

「ぼくだって好きでやる気ないんじゃないさ。何か見つけてみたいんだけど……」

 これは本音だ。リック、マリカ、エレナ。そしてエレナの両親も、この町のほとんどの人も。みな活気に溢れ、自信とやる気に満ちている。ジローのような倦怠感や無力感を持っているのはごく少数しかいない。それも当然の開拓最前線の街だった。

「何をやったらいいのかわからないんだよ。本当に……」

「そう言ってられるのは学生のうちだけだ。いろいろやっておくことことさ」

 そんなことはわかっている。でも、自分が興味を持てることが、本気になれることが見つからないのも事実で、ジローが内心焦っていることをリックはわかってくれている。

「まあ、まだ学生時代は少なくとも一年はある。焦ることはないさ。ジロー」

 肩がこったといいたげに腕を振り回しながら、若い医師の口調が変わった。

「ただ、覚えておけよ。ジローが成人になったら今の生活は終わりだ。オレも、マリカも多分いなくなる。このままならな」

「オトナって何かすらわからないのに、そんなの困るよ」

 こっちが困った顔をしても、オトナはニヤニヤしているだけだ。ズルイとは思うが、少年自身が何も見つけられていない以上、強い言葉は出てこない。

「何か、必死になってやってみればいいさ」

「そりゃあ、やりたいことが見つかれば、するけどさ」

 頬を膨らませて見せると、主治医は首の骨をコキコキと慣らしながら背を伸ばしてみせる。今日の診察は終わりだという合図だった。

「焦るな。そんなにすぐ見つかるもんじゃないんだから」

 ニヤリと笑うリックの、いつも通りの表情に少しホッとする。

「それじゃあ、一緒に帰るかい? 少年?」

「いらないよ。どうせ隣じゃん」

 このまだ若い医師がジローの主治医だ。同時にもう一人の家族でもある。

「はははっ。そりゃそうだ。それじゃあ、あとでドージョーでな」

 体育会系の先輩が後輩にするように背中を叩きながらリックが笑う。


「さて、準備運動はこれくらいで本格的に動くぞ」

 リハビリテーション室の機材を移動してスペースを空けたのを、リックはドージョーと呼んでいた。鍛錬をする場所のことらしい。

「いや……ぼくはもうヘトヘトなんだけど」

 リックは元軍人で、肉体派というか、体育会系だ。道着もいかにもという感じでビシリと決まっている。一方ジローは無気力系の帰宅部であって、身体を動かしたがるタイプではない。何年もやっているのに、道着も今ひとつなじんでいなかった。

「何言ってる。身体は暖まってきただろう? こいよ」

「そんなこといって、ボッコボコにするつもりだろう。やだよ」

 率直な話、リックの強さはヤバイと思う。アシタカ市内のジュードーやカラテの大会でも、彼ほど鮮やかに素早く動く選手は見たことがない。 

 彼は毎晩、道場で修練を欠かさない。そのくせ、大会に出たりすることも一切ない。謎の男だ。

「それなら、こっちからいくぞ。せいぜい、避けろよ」

「……っ!」

 ふっとリックの存在感が薄くなった。いや、少年の認識速度を上回ったらしい。

「うっ、うわわっ」

 ヤバイと思ったときはもう遅い。脚を打たれて体勢を崩され、気がついたときはマットに引き倒されてマウントをとられていた。学校での格闘技の授業で講師に来てくれる、警察の偉い人よりも明らかに動きが早い。

「ちょ、いきなり反則だろっ」

「護身術なんだから、まじめにやれっての。」

「護身術っつーより殺人術だろっ。一瞬でマウント決める護身術があるかよっ」

「元兵隊に難しいこというなよ。防御だけじゃジリ貧なんだぜ?」

 主治医かつ保護者の元兵士は立ち上がるように促しながら続ける。

「俺たちは難民みたいなもんだ。自分を守れるのは自分だけなんだからな」

 ジローを含めマリカもリックも、アシタカの市民ではあるが国民ではない。扱いは在住外国人だ。スペースコロニーアシタカを含むキタザト星系は、星系国家であるフジシロが開発中の星系で、住人の多くはフジシロの国籍を持っている。実際、ジローに与えられている市民カードには、国籍欄は記入されず、秘匿、もしくは無国籍のマークが入っている。このマークのほとんどは国籍を得られない難民を意味していた。

「それはわかるけど、絶対使うな、でしょ? 矛盾してるよ、それ」

 目立つな。ひたすら逃げて、耐えろ。それがリックの教えだった。

「心得だよ。本当に必要な時だって来るんだから、しっかりやれよ。まったく」

「絶対に使わない技術を磨いてもしょうがないでしょ、リック」

 そう。使ってはないけない技術だ。まだ忘れられない。何でかとっくみあいのケンカになった時のこと。相手の男の子の口がバカみたいに大きく開き、目がまん丸になって、次の瞬間盛大な悲鳴が鼓膜を震わせた。

 相手の少年の肩を脱臼させてしまったジローは、そのとき初めて土下座を見た。少年にとって絶対強者であり、尊敬する兄貴分であるリックが地面に額をこすりつけ、ひたすらに謝罪を続けていた。彼にとっては価値観すら大きく揺らいだ事件だった。

「バカ。財団で働く時にも有利だし、ちゃんと身につけておけ」

「ぼくは財団では絶対に働かない。前にも言ったじゃないか」

 財団で働くことを約束すれば大学の費用も面倒を見てくれるらしいがジローにはその気はまったくない。リックやマリカ、それに自分を援助してくれていることには感謝しているが、だからとって財団に恩返しとかは考えていない。

「まだそんなことを言っているのか。いろいろ不利になるぞ、ジロー」

 会話を挟みながら、一定の動きをくりかえす。カタという動作だ。二人で幾度か同じ動きを繰り返したあと、いったん離れた二人は一気に距離をつめていく。

「不利でもいい。ぼくはあの人の下では働くつもりはないから」

 次の一撃では不意を打たれなかった。それでも技量差は圧倒的で、何もできないまま壁まで後退させられてしまった。

「それに、ぼくは……もう病気じゃないでしょ? こんなに動けてはいるし」

 手加減されているのはわかるが、ジローが受けられるギリギリを狙っての攻撃なのでまったく楽じゃない。さばくだけで精一杯だ。

「まったく。おめーのはココロのビョーキだ。ココロのな」

 小さい頃は熱を出したりいろいろあったけれど、中学生以上になってからは風邪もろくに引かない健康体だ。あえていえば問題の頭痛があるくらいだった。

「あー、ジロー君、怠けてる。リックさんも、もう休憩ですか?」

 ヒュージ診療所のリハビリ室を片付けて作った道場に、パッと光が広がったようだ。ジローは壁際まで追い詰められたいたのがウソのように鮮やかな身ごなしで緑の瞳の少女に駆け寄った。

「お、差し入れか、サンキュー、エレナ。喉が乾いてたんだ」

「エレナちゃん。ありがとう。助かるよ。ついでにジローを説得してくれ」

「くすくすっ。とりあえず、二人とも飲み物をどうぞ」

 エレナが持ってきてくれたトレーには、ピッチャーとコップが三つ。手慣れた仕草でよい香りのする液体を注いでから手渡してくれる。小柄な彼女はどうしても上目遣いになってしまうのだけれど、童顔気味なこともあって動作のひとつひとつが妙に可愛く見える。

(いや、実際可愛いんだけどさ。なんつーか、犯罪的?)

 リックにコップを渡す横顔もあどけなくみえる。女子中学生どころか、間違いなくランドセルが似合ってしまう。このアシタカ市の人口が少ないおかげで実際に間違われることはないが、大都市だったから間違いなく知らない人に小学生扱いされるだろうと思う。

「財団への就職も、三年間だけでいいんでしょ? いい話だと思うけどなあ」

 最後に自分の分のドリンクを注ぎながらエレナはそう言う。

「そうそう。給料もいいとは言えないけど、ちゃんとした職歴になるんだぜ」

 そんなことはわかっている。財団の目的は、一部の軍人の遺児を社会に出るまで援助し、見守ることだ。ジローの知る限り、出身者も財団を悪く言う人はいない。

「ぼくは、ロッツ氏と係わる気はないんだ。だから、財団では働かない」

「ううっ。オレはジローの育て方を誤った。許してください、ミスター……」

「本当に、ジロー君はロッツ氏のこと嫌いだよねえ。一応恩人なんでしょ?」

 リックが芝居っ気たっぷりに目元を覆うのを、肩をすくめながら笑うエレナ。いつも無邪気で、まっすぐな物言いをする彼女は正しい。外形を見れば、恩人以外の何物でもないことはわかっている。

 氏が私財をなげうって作った財団は親を失った部下や同僚達の子供らを養い教育していくためのものであって、その意味ではごくまともなものだ。

「恩人であることは確かだね。でも、その分もいつか財団に返済するつもりさ」

「くそっ。そんなことは誰も望んでないぞ、ジロー」

「ロッツ氏が望んでないなら、それこそ、まさにぼくのやるべきことだと思うよ」

「ちょっと、ジロー君っ……」

 さすがに言い過ぎたと思った時は遅かった。元タロン・ロッツ中佐の部下だったリックが心底つらそうな顔をしていたからだ。たくましく、普段はあれほど精悍な顔が、心底うちのめされたように歯をくいしばっている。

「……ごめん、リック。ぼくが悪かった」

「いや、ジロー。すまん。オレも言い方が強引だったからな。忘れてくれ」

 互いに謝罪する二人の前で少女はふう、とため息をついてから微笑む。緑色の瞳がちょっとだけ潤んでいたのに男達は気づいていたかどうか。

「はい、仲直りの印にこれもあげる。美味しいよ」

 まるで魔法のように、エレナの手に焼き菓子が表れた。見覚えのある形だが、ちょっといびつで、なんだか粒が荒い印象だ。

「マリカさんに教えてもらいながら作ったんだよ。見た目はよくないけどね」

「いや、ホントにサンキュー。助かったよ。うん、おいしくできてる」

 ぽふっ。若者の手が髪に触れた瞬間、エレナの呼吸が瞬間的に止まった。少年は気づかずにそのままなでり、なでりと少女の髪を撫でていた。

「ちょ、ちょっと、こども扱いしないのっ。いきなりなでなでとかっ」

 身体の成長が年齢に追いつかないのは、彼女の最大のコンプレックスだ。そのせいか、必要以上に反応するのが楽しいのは、否定できない。

「あはは、ごめんごめん。マジで感謝の表現だからさ、許してよ」

「うー、そりゃあ、許すけどー」

「うんうん、ありがとう。エレナちゃんはいい子だなー。なでなでー」

 もう一度手を出して、避ける暇もない素早さで髪を撫でる。

「ううっ。何度もなでなでしないでよっ。嫌いっ」

 よほどこども扱いなのがイヤなのか、エレナが顔を真っ赤にして腕を振り上げた。ぽかぽかと少年の腕を叩くのだが、文字通り何も痛くない。

「あたし、戻るからっ……って、ひゃううううっ!?」

 くるりと反転してリハビリ室を出ようとした瞬間、何もないところでも転ぶことができる特殊能力者は、今日も隣の家の少年に支えられていた。平坦、つるぺたなどと呼ばれることすらある控えめなボディは重みなどないようで少年の腕におさまっていた。

「自宅で転ぶなよ。エレナはただでさえドジっ娘体質なんだから」

 言葉だけは意地悪に、手つきは細心に。細く軽い女の子を着地させる。

「はい、気をつけてな、エレナ。もう転ぶなよ。背が縮むぞー」

 最後に忘れていたトレーとコップを手渡されたエレナの目には本当に涙が浮かんでいた。まだ怒っているのか、鼻の頭から耳まで真っ赤になっている。

「ううううっ……ジロー君なんて、リックさんにボコボコにされちゃえっ」

 そう言い捨てながら振り返ったせいで、またもや転びそうになった。幼馴染みの少女は手すりに掴まってこらえると、明らかに軽い足音を立てて駆け去っていく。

「おい、ジロー。背を気にしてるコにあの言葉はないたろう」

「大丈夫。明日の朝にはケロリと忘れて迎えに来てくれるから。平気、平気」

 もげろ。もげてしまえ。爆発しろ。はぜてしまえ。瞬間的に、リックの口元にさまざまな罵声が浮かびかけ、実際には口から出ずに深いため息に変わった。

 主治医であり、師匠でもある元軍人は額に手を当てて、沈痛な表情で語りかける。

「おまえさ……自分が何を言ってるかわかってる? マリカに同じこと言える?」

「ムリ。それ、ぜっったいムリ。そんな恐ろしいことできまっせんっ」

 堂々と言い切った瞬間、背中に限りなく冷たい気配を感じる。

「そんな恐ろしいことを、エレナにはしたわけね。よくわかったわ、ジロー……」

「……ひぃっ。マ、マリカっ!?」

 動けなかった。首筋に冷たい感触。文字通り動けば殺られてしまいそうな、強烈な殺気。動けないでいる弟分の耳元で、長身の少女が、耳元でささやいている。

「エレナが優しくていいコなのにつけこんで、あんなこと言ったのよね?」

「い、いや……そ、そんなこと……ある、かもしれないけど、そのっ」

 悪気じゃなくて、エレナが可愛いからと続けることはできなかった。可愛い妹分を涙目にさせた相手に、マリカの怒気は怖いほどにふくれあがっている。

「ふふふっ。久しぶりに私が相手をしてあげる。本気でいらっしゃいな」

 セーラー服姿のマリカが、普段から強気な瞳を明らかな怒色に変えて立っている。そのほっそりとした女性的な優雅なシルエットの中で、青い瞳がまるで鬼火のようにチラチラと燃えている。

「あ、あの。ぼくはすでにリックと鍛錬してたし」

「あら、私が相手では不満かしら? まだ時間はあるみたいだけど?」

ぶんぶんと頭を振るジローの前で、風もないリハビリ室の中。繊細な、極細の金糸のような柔らかい髪が輝きながら揺れている。風もないはずなのに。

(と、闘気だ。闘気とか出てるよ、これ。明らかに修羅というか……)

「あのコが身長とか気にしているの、あんた一番知ってたわよねえ?」

「う、うぐっ……す、すいましぇん。あ、謝ってきますから……」

 ここは折れるべきだ。生意気ざかりの男子学生があっさり謝罪するほどに、年上の金髪娘の怒りは激しい。口調こそ静かだが、低い声がかすかに震えているのが怖い。

「謝ってすむこととすまないことがあるの、教えてあげるわよ。ジロー」

 すっと身体を離したマリカがにこにこと笑っている。一見優雅な、上品な姿勢のようだが、それは無駄がないからに他ならない。少年にわかる隙などなかった。

「い、いえ、お姉様。そ、その服装ではちょっと……」

「大丈夫。スカートの中見てる余裕なんかないから。さっさと来なさい」

 チラリと逃走経路を確認する少年だったが、出入り口はリックがふさいでいる。腕組みしてさりげなく見守っているだけという体裁だが、どいてくれそうな雰囲気はない。そんな認識が少年の中で絶望に変わる。つまりこの場に逃げ場はない。

「大丈夫。可愛い弟分に、ひどいことはしないわ。大事な家族だものね」

 にっこりと、大輪の花のような微笑。剣呑な瞳の輝きさえなければ最高の絵顔だ。

「ほ、本当に?」

「ええ。DVの証拠とかにならない範囲で、きっちりと身体に教えてア・ゲ・ル♪」

「ひいいっ」

 もう、後ずさりすることしかできない。マリカはリックとやり合えるほどに強い。虚弱体質で日光に長時間あたるとへばる体力のくせに、病弱詐欺である。

「ごめんなさいごめんない。エレナにも謝ってくるからっっ……ぐはぁっ」

 目にもとまらないハイキック。とっさに防御態勢を取ったはずなのに、器用に軌道を変えて脇腹に命中する。異常なほどの身体の柔らかさと、スピード。それが彼女の武器だ。

「回避も、防御も無駄よ。いっそのこと、無抵抗の方が早いかもね」

 ふっ。

 マリカの艶やかな唇が鋭い呼気を吐くとともに、鞭のようにしなりを見せる脚がしなやかに動き、少年のガードを固める腕をはじき飛ばしそうな衝撃を与える。

「むっ、無理。せめて防御くらいさせてっ、い、痛いっ、痛いぃっ」

 右から、左から。まるで複数人がいるかのような激しい連続攻撃なのに、マリカの金髪はさほど揺れない。その早さになびく程度なのは、無駄な動きがないからだろう。

「とーぜんでしょ? 痛くなければ覚えない駄犬だものね、ジローは」 

「い、いやっ。その教育は時代遅れで……ぎゃふううっ……」

 キックの連打に、瞬く間に腕が上がらなくなってしまった。それも、スカートの乱れはきっちり計算して、ジローには中身が見えないように。達人の仕業だった。そして、腕に力が入らないと気づいたときには、ローキックで足もガタガタだった。

(もしかしたら、リックより強いかも……脚だけで、こんなっ)

 文字通りに舞うように優雅に、けれど残酷に。ジローごときに手を使うまでもないのだろう。くるくると舞うように、踊るように。義姉の猛攻は美しく、そして痛い。

(う、うわっ。支えきれないっ。手が、脚がもう伸びない……)

 必死にタイミングを窺ってパンチを繰り出すが、あっさりとはじかれてしまう。技量とスピードがあまりに違う。

 せめて一矢報いるくらいはしてみたかったけれど、ほとんど牽制の動きすらさせてもらえない猛攻だった。

「さあ、あとは寝てていいわよ。身体だけは、ね」

 足払いの瞬間、耳元での囁き。何か柔らかいものが、かすかに触れた気がした。

「ぐほっ……くふうっ──ぎゃおおっ、勘弁、勘弁──っっ!」

 マットに転がされてからは文字通りの地獄だった。つま先で、かかとでのスタンピング。とがった婦人靴が、鋭くさえ思える踵が目にもとまらない早さで道着姿の少年の身体中に吸い込まれていく。

「ぐふっ、ぐっ、痛うううっ、うあっ、ううう──っ」

 立ち上がることすら許されないまま、急所だけを守って耐え続けるしかない。脇腹、背中、太腿。宣言通り、他人から見えやすい部分はきっちり避けて、しかも筋肉の間とか、弱い部分にヒットさせてくる。

「くすくすっ。よく転がるわね、駄犬のくせに可愛いじゃない?」

 目を細めて、にっこりと微笑む義姉の下で不出来な弟は必死で逃げようとあがきながら悶え続ける。

「い、いい笑顔で、け、蹴らないでっ。痛いからっっ。ひぎぃっ、くふっ──っ」

 痛みに呼吸が止まったところで肺の中の空気を蹴り出され、息をする余裕もないほどに全身の筋肉が痙攣する。巧みすぎる連続蹴りだ。

「ひいいっ、お、お許しを、お許しをぉっ」

 気づいたときには綺麗に大の字に伸ばされ、太腿を踏みつけられてもろくに反応できないほどに疲弊していた。さすがに血色がよくなり、若干息も上がったマリカが見下ろしてくるのは、実に数年ぶりの気がする。

(いや、この角度だめだろ、なんか変な風に目覚めたらどうするんだっっ)

 そう。問題は恐怖と同時に賛嘆の思いも抱いてしまうこと。すごい美少女だし、きつめの目つき、絶対的な自信に満ちた態度。

 そして身のこなしまでも鮮やか。かつ優雅で美しい。一部男子生徒から女王とか姫とか呼ばれているのも納得なレベルだ。

 波打つ金髪が乱れて肩にかかっているのも、ちょっとだけ息があがって胸が上下しているところも。はっきりいって綺麗なんだけれど、いささかエッチな眺めだったりする。

 ──はっ。

 気づいたときには、金髪の少女の瞳には怒りではなく軽蔑の色が浮かんでいた。

「この際だから、女の敵になれないようにつぶしておいたほうがいいかしら?」

 ぐりぐりと、踵が巧みに痛覚を刺激しながら太腿を上ってくる。

「ちょ、ちょっと、それはまずいっ」」

 すらりとした足。通学用の靴でここまで動くのが信じられないほどにのびやかに女性としての発達を見せつける。膝から上の太腿の柔らかそうな、白い肌は光の反射によっては文字通り光って見えるほどのキメの細かさだ。

「こんな状況で生殖本能がまさるなんて、ほんと駄犬ね」

 短めのスカートの下に隠されているはずの部分が見えてしまいそうなヤバイ角度で、マリカがちょっとだけ唇をつり上げて微笑んでいる。

 うかつに動けないでいるジローの太腿を踏みにじりながら、少しずつ移動する靴底が男性の急所に近づいてくるのはさすがに怖い。

「ひいいいいいっ。つ、つぶさないでっ」

「お、おい。それはやめておいて差し上げろ」

 さすがに声をかける兄貴分だったが、割って入るまでには至らない。

「エレナを泣かせるような駄犬だもの。タネなんていらないわよね?」

 男達が総毛立つほどに冷たく、そのくせ楽しそうな口調。自分の容姿、能力と口調。それらの影響力をしっかりわかっている。

 恐怖に背筋に冷たい汗を感じる少年は、冷たく固い婦人靴の狙いが狂うことを恐れるあまりに身動きもできない。いくらなんでも、男の存在意義まで破壊されるのは怖すぎる。

「……っっ(冷や汗ダラダラ)」

 靴底の固さがもう少しで男性の急所に達するというところで、金髪の義姉の足がさっと遠ざかった。

「まあ、こんなところかしら? あと、今日の晩ご飯の片付けも譲ってあげるわ♪」

「あ、ありがとうございまふ……」

 虚弱体質の女子高生(絶対フェイク)の怒りが解けたところで、リックが少年を引き起こし、巧みに治療を施していく。いつの間にか薬箱を携えていた。

「それから、覚えておきなさい。財団の仕事にはいろいろあるのよ。」

「そう。後輩達の養育と指導。たとえば、オレがそうだ。医者としてな」

 ずん、と身体が重くなった気がした。体重が数倍にもふくれあがったような息苦しさを感じる。家族だと思っていた、頼れる兄貴分だと思っていた人物が仕事で自分の世話をしてくれていた。その認識は全身の血が冷えていくようなうすら寒さだった。

(家族としてじゃないのか? 毎日、一緒に生活して、こうやってっ!)

 ジローの表情に気づいたリックがにっこりと笑いながら、大きく手を広げて見せた。

「ああ、誤解するなよ。カネは一切もらっていないからな」

「へ? たった今、仕事だって言ってたろ? 仕事でぼくをずっと……!」

 思わず声が大きくなってしまったのを、まあまあと押さえられてしまった。そのまま、真正面から両腕を捕まれた。大きく、暖かい、子供の頃からジローを力づけてくれた手だった。

「バカ、カネでできるか。ただ、頼まれているだけだ。おまえを頼むってな」

 少年の目をまっすぐ見ての力強い言葉。きっと、この言葉に嘘なんてない。少年のために何人もの人に頭を下げまくってくれるリックを信じられないわけがない。

「そう。財団の助けで育った者は、チームで次の子の面倒をみるのが不文律なの」

「マリカなんて、頼まれもしないのにおまえの面倒を見るってきかなかったからなー」

「ちょ、ちょっとリック! 余計なこと言わないの!」

 ぱっと後ずさりしたマリカの目元が赤くなっているのを、ジローは確かに見た。透き通るように白い肌が赤らんでいるのはすごく新鮮な眺めだった。

「ま、何にせよエレナちゃんにはちゃんと謝っておけよ」

「そうよ。あのコ、本当に気にしてるんだからね。……って、こっち見るなっ」

 男達のニヤニヤ笑いに憤然とした金髪美少女はぷいっと向こうを向いたままドージョーと呼ばれるリハビリ室を出て行ってしまった。たぶん、このままエレナを慰めに行くのだろう。

(マリカには頭が上がらないよなあ、ホント……。いつもごめん)

 ほっそりとした後ろ姿に小さく頭を下げた。背後ではリックが立ち上がる気配がした。

「さあ、機材を並べ直すぞ。明日にはまた使うんだからな」

 ドージョーと読んでいるのはリックだけで、ここは本来リハビリ訓練用の空間だ。リックはなれた手つきで機材を動かし、定位置で固定していく。

「そんなにしてまで鍛錬しなくても……」

「バカ。財団で仕事しなくても、護身術くらいは身につけておくもんだぞ」

 マリカやリックの言う護身術は世間でいう殺人術とさして変わらないと思うジローだが、さすがに口に出す勇気はなかった。

 片付けと機材の並べ直しが終わったあと、ようやく家に帰って食事をとることができる。自宅が隣の家でなければげんなりしてしまう作業量だった。


「それにしてもさあ。あんた、もうちょっとなんとかならないの?」

「なんとかって?」

 家に戻る途中、いつの間にか後ろをとられていた。わずか十数メートルの間に、音も立てずに忍び寄るのは金髪娘の特技だった。予想していた少年は驚きもしない。

「クラブ活動とかしないのはしょうがないけど、もっとしっかりしなさいよ」

「マリカだって部活動しないじゃない」

 そう言い返す少年だったけれど、金髪の義姉がいろいろな資格をとっていて、そのための勉強を続けていることも知っている。毎日を何も考えずに生きている少年とはまるで違う、濃厚な時間を生きている。

「ジローだって、早ければ来年にも就職でしょう。何をするつもりなの?」

「まだ決まってない。多分、宇宙港周辺の仕事だと思うけど」

 学校で取れる資格だけは取っている。特に宇宙船関係の資格はなるべく取るようにしていて、今のままでも宇宙港での誘導やコロニー周辺での雑役作業なら一応できる。

 けれど、数年後に迫っている本格的な惑星開発開始後にはそのスキルは完全に陳腐化するだろう。集まってくる移民、開拓者たちは多くがスキルを磨いているからだ。

(上の資格を狙って大学に行けとは先生にも言われてるんだよなあ)

 アシタカ市の人口は数年のうちに倍々計算で増えていき、技術を持った人も当然に増えていく想定だった。

 惑星開発事業は一世代で終わるものではないし、よほどのことがない限り仕事に困ることはないはずだけれど、上を見ることができるかというと、否だろう。

「奨学金とか使って大学に行けばいいと思うのだけれど」

 ジローの成績は特によいとは言えないものだが、開発公団などなら奨学金を出してくれるだろう。それに、財団ならば必ず奨学金に応じてくれることは知らされている。

「やる気がない人間が奨学金とかもらうのは、間違っているから」

 そういうのは自分のような無気力な人間じゃなくて、未来をちゃんと見据えているエレナやマリカのための制度だと思う。自分のような人間に使うのは無駄だし、本当に必要としている人にこそ奨学金はあるべきだと思う。

「まったく頑固ねえ。まあ、勝手になさい。あんたの人生なんだから」

 リックもマリカも強制しようとはしない。彼らが強く言えば、ジローは多分逆らえない。逆らうほどの自分を持っていないから。でも、家族は強制しようとはしなかった。

「そういうことだ。決めるのはおまえだからな。じっくり考えればいいさ」

 追いついてきたリックの手が少年の髪の毛をくしゃくしゃにする。昔は悪さをすると髪の毛が抜けそうなほどにグイグイとやられたけれど、今はもうそんなこともない。二人はそれぞれに少年の成長を認めてくれてはいるのだった。

(人生と言われてもなあ。見当もつかないよ)

 病気を持っているといっても、診察を受けて薬を飲めばすむ程度のものだ。その程度の問題を抱えている人はいくらでもいる。上ばかり見ても、下ばかり見てもしかたがないと思う。自分は自分であって、他のものにはなれないのだから。

現在の進行状況は250kb程度。いわゆる第一巻の見通しがついたかなあ、というくらいです。

時間と気力の許す範囲で書いていきたいと思います。

どうぞよろしくお願いします。

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