第74話 スライムにビビってる
そもそもスライムって水じゃないと思う。そりゃ、水の割合は多いだろう。だけど水は生きてない。
半透明の小山のようなスライムの側面に回り込みながら、投げナイフを突き立てて走る。正面にいたらパックリ食べられるか、ペッタリ潰される。
「っと!」
大きくバックステップする。今、俺がナイフで切り裂いた部分に巨大な肉の塊が落ちて来た。肉って言うのもおかしいか?何て呼べばいいだろう。とにかく体がブヨブヨと蠢く。
そして刺激に対して反射的に攻撃してくる。具体的には刺激のあった方に瞬間的に体の一部を叩きつけて来る。これがコイツの戦い方って事だな。カウンター型か。十分脅威だ、骨じゃ済まない。ヒットアンドアウェイを繰り返すしかないか。
普通のナイフは持っていない。まあこの巨体には果物ナイフでも日本刀でも大した違いは無いだろう。ただ確認しただけだ。今、ナイフはちゃんとスライムの体に傷を付けた。人間で言ったらひっかき傷ですらないが。
投げナイフをホルダーに戻す。武器が効かないとこっちの奴らが言う意味が分かった。効いてないはずは無いが、血も出ないし悲鳴も上げない。効いてないと思うだろう。それに正直これが致命傷まで届くとは思えない。
こんな生物は地球にはいない。俺はこっちで何かと戦う時は、人族であれ狼であれ、何かの動物を参考にしながら戦ってきた。実戦で培った対人戦の経験と、好きで色々調べていた動物の知識を利用していた。
だが、コイツにはそれが通用しない。単細胞生物と戦った奴なんて知らない。だからこうやって分析していくしかない。それも時間がない。スライムはまだ馬車の方にゆっくりと移動している。俺は気も引けていない。ないないないだ。
だが、今の接触だけでもカウンターの情報が分かった。そしてもう一つ、固い。見た目に反してこいつは固い。ゴムみたいな感触だ。弾力のある固さだ。
表面だけじゃないな、中までこの固さなんだろう。考えてみれば当たり前だ。
巨大なアリやカブトムシが存在しないのと同じだ。仮に虫が人間程度まで巨大化すればどうなるか?答えは自分の重さに耐えられずに潰れる、だ。
本来、地球でも単細胞生物は小さい。虫よりもだ。それがそのまま大きくなっても自分の重さを支えきれないだろう。だけどこのスライムはそれを克服している。その為のこの体の固さだ。こいつは全身が強力な筋肉だ。
その進化のついでに、攻撃力と防御力も獲得してしまっている。俺は改造されたパワーとスピードで無理矢理引き裂いたが、普通の奴が剣を振るった所ではね返されるかもしれない。そして反射的に落ちて来る体の一部に潰される。
こいつは、強い。
倒す事じゃなく、馬車の列から向きを変えさせる事を考えた方が良い。倒せる気がしない。いや、倒す必要は無いんだ。
方針は決まった。まず他のギルド員達が集まって来るまでに出来る事をやる。俺に出来る事はこれだ。
肩の力を抜いて数度軽くジャンプする。そこから一気に接近する。
目の前にそびえる半透明の壁に向かって拳を突き込む。左右1発ずつ、そこで横にステップ。更に2発、そしてステップ。
今の俺の全力で放つワンツーは多分、普通の人の目には見えないぐらい速い。それでも反撃を躱せるギリギリだ。1発で命に関わる反撃を避けながらこのサイクルを続ける。
拳を突き込む度にゴムのような肉が飛び散る。僅かずつだが削れてはいる。俺の拳は石より固いぞマジで。
草原側のやや後ろ寄りから拳を突き込み続ける俺には、コイツの向きが変わっているかは分からない。少し離れて見ていないと分からない。
ついでに余裕もない。雨で濡れた地面で軽く滑れば反撃でやられる状況だ。削れているのはスライムだけじゃない。俺の集中力もだ。
「何で来ない!」思わず声が出る、誰も来ない。くそっ。
急に景色が変わった。
今まで見ていた濁った半透明の肉の中に、目玉みたいな物が見えた。
いや、目玉なんかあるはずがない。こいつは単細胞生物だ。じゃあこれは何だ?
手を止めてバックステップする。おかしい、雨が止んでいる。あれだけ降っていたのに止むはず……
背筋に冷たい物が走った。これは駄目だ、あの目玉みたいなのは死だ。
頭上から何か落ちて来る。確認している時間は無い、体を反転させながら全力でスライムから離れる。雨粒が顔に当たったのを感じると同時に飛んだ。
ゴボオンンン…
俺のすぐ後ろにビルが倒れたような衝撃が走る。吹き飛ばされるがまま草原を転がりながらも、重心をコントロールして立ち上がる。すぐに動けるように上体は落としたままだ。
こっちを向いてやがる。分からなかった、いつの間に向きを変えた。
さっきの目みたいに見えたのは消化器官の一部だ、知らない内に口の中にいた。今、俺は飲みこまれかけていたのか……なんだよコレ、ヤバイ。怖い。膝が笑う。
でもこれでいい、第一段階達成だ。後は馬車からひき離すんだ。正直、今のでビビッたこの足でも大丈夫だ。巨大スライムの移動スピードは散歩レベルだ。のんびり付いて来い。
このまま完全に草原まで引っ張り出す。道が空いたら馬車をUターンさせて町に戻す。それぐらいの判断は誰でも出来るだろう。それで俺の勝ちだ。
もう近付かないで良い。後は石でも投げて刺激を与え続ければ良い。
少し気持ちが落ち着いて来た。周りを見回して状況を確認する。
馬車の列には変わった所は無い。ただ、俺がギルド員を集めるように指示を出した2人だけが走り回っている。やっぱり誰も応えないか。俺が声かけた時だって駄目だったんだ。全員後で説教してやる。俺だけ死にそうな目に遭ったんだ。銀バッジ舐めんなよ。
ペタは大分離れた所でミーアキャットさんと御者さんの前に立ってこっちを見ている。よしよし、ちゃんと守ってるな。他のモンスターも来るかもしれないし、頼んだぞ。ミーアキャットさんの名前、何だっけな。
50メートルぐらい離れた位置をキープしながら石を投げ続ける。それでも近く感じるほどデカい。
ゆっくりと俺に向かって来る巨大なスライム。冷静に見れば、消化器官や、何か分からない粒みたいなのが体内で首を振るように微妙に向きを変えている。ああやって方向転換したのか。外側を残して内側だけで向きを変えられるとか、気付く訳がない。
こりゃ、ある意味、体全体が口ですって言っても良さそうだ。ヤバかった。
もうこの道通りたくないな。良い思い出がなさすぎる。
急に雨が止んだ。
うっすらとだが明るくなった。マジか、台風の目に入ったのか?真上だけ雲が薄いような気がする。ああ、こんなのあんまり経験できないよな、珍しい。
遠くにいたペタの傍から誰かが走り出した。ミーアキャットさんだ。御者さんも続く。ペタが慌てて後を追っている。
向かう先は馬車だ。その馬車からも人が降りてきて何か騒いでいる。何でだ?
雨が止んだからか?
馬のおっちゃんがさっきチラっと言ってたな。雨が止めばスライムは川に戻る……とか。じゃあ、あいつらは雨が完全に止んだと思ってるのか?太陽の神様に祈りが届いたとでも思っているのか?
駄目だ。雨はすぐにまた降って来る。ただの台風の目だ、長くても30分程度だろう。長くても、だ。その証拠に遠くはまだ雨で霞んでいる。
「お前ら動くな!馬車に戻れ!」
石を投げるペースを上げながら叫ぶ。でも誰もこっちを見ていない。声も届いていない。スライムの内臓たちがグルグル動き出した。
だが、俺の心配は外れたんだろうか、内臓の向きは川の方向を向いた。一時的にでも雨は確かに止んでいる。そしてスライムは川に戻ろうとしている。水がないと活動できないんだ。
いや、それでも無理だ。スライムが遅すぎる。この巨体が道の向こう側に抜けるより、この辺りが台風の目を先に抜ける。どう考えても時間が足りない。俺の死にかけた体験が1つ無駄になるだけだ。
もう一度説得するしかない。同じ事がもう一回出来る気がしない。俺は情けないがスライムにビビってる。同じパフォーマンスは出せない。
完全にぬか喜びをしている集団に向かって走る。
「兄ちゃんの頑張りを太陽神様が見ててくれたんだ!」
「おっちゃん!違う!すぐ逃げろ!」
声を掛けて来た馬のおっちゃんの横をすり抜けて、車列の真ん中まで走る。今なら雨も風も止んでいる。声が届くはずだ。
「ハルキ!」
ペタが飛びついて来たが、そのまま抱えて走る。
「どうしたハルキ?」
「ペタ、まだだ、また来る」
尻尾がビンッと跳ね上がるペタ。だが構ってやってる暇がない。
「全員、聞け!」
今までこんな大声出した事ないぞ、こいつら騒ぎ過ぎだ。神様神様言ってんじゃねえ。腕に抱えたペタの耳がペタンと倒れる。うるさかったか、悪いな。
大騒ぎが止まった。目も俺に集まっている。
「ハルキ様、どうしたんです?もう大丈夫……」
ミーアキャットさんの声を遮って叫ぶ。
「すぐにまた雨が降り出す!それまでに出来るだけ馬車から離れるんだ!」
俺のセリフにザワつく集団。こいつらは知らないんだ。天気予報もない文明だ。台風という概念もないかもしれない。俺だって詳しいメカニズムまでは知らない。
だけど風の渦の中心が穏やかだって事ぐらいは知っている。
「馬鹿を言うな!我らの祈りが太陽神様に届いたんだ!」
そう大声を出した小太りの猫族を皮切りに、俺に罵声が飛び始めた。
「神を信じない愚か者め!」
「なぜ、馬車から離そうとするんだ!」
「盗賊の手先じゃないのか!」
こいつらがこんな事を言うのはただの無知だ。分かってる。我慢だ。
「風の中心に入っただけだ!スライムが川に戻るまではもたないんだ!」
俺の声は罵声に飲み込まれる。駄目だ、もう誰にも届かない。ミーアキャットさんもオロオロしているだけだ。
ペタは俺にしがみついている。ペタと馬のおっちゃんだけ抱えて逃げようか。俺1人でこいつら全員の面倒は見きれない。
こいつらだって、いよいよとなったら逃げるだろう。馬車さえ捨てれば逃げ切れる。馬だって荷台から外して乗ればいいんだ。まあ人数的に全員分は無理だけど、それでも自分の足で台風の中フルマラソン程度走ればいい。
まあ川の氾濫の規模次第では、逃げ時を間違えたら追い詰められるぞ。早く逃げろよ。じゃっ。
「ハルキさん、俺達は信じます!どうしたらいいですか!」
傭兵ギルド員の2人が近寄って来た。おい、逃げられないじゃないか……
「絶対、雨が降る。そしたら弓の使える奴に声を掛けて後ろに来てくれ」
結局こうなるか。
まあ良い。実際に雨が降り出せばすぐに分かる話だ。俺がさっき1人でやった事を出来るだけ多い人数で、離れた位置からやればいい。1度助かったと思ってるこいつらなら間違いに気付いた時、助かる可能性に縋るはずだ。
「ペタ、危ないけど、お前も手伝ってくれるか?」
「おお!さっきはあぶなかったもんな!ペタのばんだ!」
そのまま、ペタを抱えて馬車の最後尾に向かおうとする俺の背中に更に罵声が浴びせられる。
だが、その声は急に降り始めた豪雨にかき消された。想像以上に早かった。
元の位置近くまで戻っていたスライムがこちらを向いた。内臓だけだ。
でも俺には目玉が見えた気がした。
読んでくださってありがとうございます。
スライム戦、継続のようです。




