カミの戯れ
「──おーい、そろそろ起きないと殺しちゃうよー?」
間延びした、どこか緊張感を削がれる声が声に似合わない物騒なセリフを発していた。
それが誰のものかを考えるよりも早くに、とっとと起きろと言うように体が揺すられる。
「…………誰?」
やけに重たい瞼をこじ開けて見えたのはいっそ不気味なほどに整った容姿の女性の顔だった。
虹色の瞳が目があったことを認識して優しく弧を描き、それと同じく艶のある光沢が見て取れる唇が小さく歪められた。
目の前の光景に数秒見惚れて、それからほんの少し考えて、どう考えたってこんな美人とは知り合いじゃないと回らない頭がなんとか結論を出した。
「おやおや、いいのかい? 命の恩神にそんな態度でさ」
「……? ……あぁ。俺……あれ……?」
命の恩人。
その言葉に自身の状況が思い出された。
それと同時に自身の今の状況の不自然さに気がついた。
俺は、終わったはずだ。
あの時、トアに勝つために後先のことをまるで考えずにとんでもない無茶をしてその代償を払ったはずだ。
事実、記憶にあるのはとても人の腕だったとは思えない何かが泥のように地面に落ちる様だった。
あれ以外にあの状況を乗り切る手段があったとは思えないし、後悔こそしていないとはいえ目的と手段が入れ替わった行いだったとは理解している。
そうすんなりと受け入れられる程度にはあの様は自業自得で自分が人として終わったのだと如実に告げていた。
「……腕、ある」
にもかかわらず、終わりを自覚してなお現実はあまりにも差異があった。
あるはずのない腕があり、開けるはずのない口が開ける。
そしてなにより──
「何が起きて…………エール……っ」
──見えるはずのない景色が見えた。
鉛のように重たい体を腕の力だけで無理やりに起こして、状況把握のために見渡した周囲のなかに彼女はいた。
鉄格子の奥で、それでも変わらず神秘的な雰囲気を纏いながら、ほんの少しの怒気を孕んだ目をしてエールはこちらを見ていた。
「君……本当にボクの話を聞かないよね」
「そりゃお互い様だ。諦めてくれ」
拗ねたような声で開口一番に説教じみた言葉を天使様は口にする。
あいにく、その手の小言は想定通りだった。
だから、用意していた軽口でなるべくテキトーそうにヘラヘラと応えて見せる。
「…………帰るぞ、エール」
そうして、一瞬弛緩した空気の中で立ち上がり鉄格子の前まで歩を進めて手を伸ばした。
「……っ。…………」
目を見開いて、それから苦々し気に口元を歪めて、力なく地面に落ちる視線。
歪められた口元が開いて言葉を発するその寸前、固く圧を含んだ声がそれを遮った。
「それを、ワタシが許すと思うか?」
まぁ、そりゃそうだ。
そんな簡単に済む話なら俺はわざわざ死んでまでこんなところに来ちゃいない。
「……レイスト様、でしたよね? そう言わず、見逃していただけたりしませんか?」
はりぼての維持と虚勢を張り付けて震えそうになる声を必死に抑えながら、通るはずもない言葉を吐き出す。
おそらくは全て見抜かれているであろう俺の愚行にレイストは表情一つ変えることなくシンプルな答え一つを返した。
「……規則は絶対だ。それが揺らぐことはない」
分かっていたことだ。改めて聞くまでもなく。
となれば残るのは強硬手段のみとなる。
微塵も勝てる気がしないが、まぁ仕方がない。
「ない、が。……今回は少し例外だ」
「……?」
先ほどまでの機会を思わせるほどに冷静な様子は鳴りを潜め、苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべて心底嫌そうにレイストは言葉を口にした。
が、残念ながら俺にはその意図がさっぱり分からない。
だから、ただ不理解を顔に張り付けて言葉の続きを待つしかなかった。
「規則は絶対だ。ワタシがそれを曲げることはない。……だが、彼女の、ティアの発言を無碍にはできない」
そう言ってレイストが視線を向ける先。
そこには俺を起こした正体不明の美人がいた。
そして、そこでなんとなくの事情を察した。
「……もしかして、貴女がレイスト様の上司か何かで俺の肩を持ってくれているってことですか?」
「おー、鋭いね。勘のいい子は嫌いじゃないよ。ま、厳密にはワタシが一番強くて一番偉いってだけで上司というわけではないけど」
語った憶測は大筋を外してはいなかったようでニコニコと笑みを浮かべながらティアと呼ばれた女性は言葉を紡ぐ。
言いぶりから察するに、どうやらこの場で今最も発言力があるのは彼女らしい。
何が彼女に肩を持たせたのかは知らないが、余計なことは言うべきでない。
神の戯れだろうがなんだろうがエールを連れて帰れそうなのだから。
「まぁ、そういうわけだから。もしレイストに勝てたらエールを連れて帰ってくれていいよー」




