第九夜
銀の吸血鬼との戦いを終えた、翌日の夜。
ルーセットは鼻歌交じりに部屋の荷物を纏めていた。
怪しげな品々を分けながら、背後でぼんやりと眺めているヴェガを一瞥する。
「それじゃ、本当に純血の住処は知らないのか?」
「しつこいですね。命令も全て眷属越しで直接会ったことすらないんですよ。まあ、仮に知っていてもあなたには教えませんが」
不機嫌そうに鼻を鳴らしながら、ヴェガは吐き捨てるように言う。
純血に迎えられながらも、直接会ったことさえない。
顔を合わせる程に信用されていない。
あくまで保護対象として見下されていた。
その事実を再確認するようで、ヴェガの機嫌が悪くなる。
「それでも、あのジジイにくらいは会ったんじゃない?」
「…ジジイ?」
「純血の中でも特にプライドが高い、霧ジジイだよ」
少し苛立ちながら言うルーセットの言葉に、ヴェガは思い当たる点があった。
辺境の里にいたヴェガの下へ現れ、強引に純血に迎え入れた吸血鬼。
その吸血鬼が、常に霧のような姿をしていた。
「確か名前は………ルヴナン、だったかしら?」
「そう、そのジジイだ。やっぱりまだ生きてんのか」
珍しく不機嫌そうにルーセットは呟く。
嫌っている、と言うよりは恐れているように苦々しい顔をする。
出来れば自分の知らない所でくたばっていて欲しかった、と残念そうに言った。
「…あなたでも誰かを嫌ったり、怒ったりするんですね」
「君は俺を何だと思っているのかな?」
「変人吸血鬼」
断言するように言われた言葉に、流石のルーセットもイラッときた。
荷物の整理を止め、ゆっくりと立ち上がる。
「ほほう、そんなこと言っちゃうのか。コレは教育が必要かもな」
「…な、何で近寄ってくるんですか」
「何、俺は変人吸血鬼だからね。その名に相応しい所業を行おうかと…」
「いや! それ以上、近づかないで変態! 手を広げるな!」
「父娘の愛を深めようじゃないか、まずはハグから行こうか?」
高級ホテルの一室に、少女の悲鳴が響いた。
「全くよぉ。ルヴナンの旦那にも困ったもんだぜ!」
月明かりの差し込まない、暗い森の中。
死神のような容姿の男は苛立ちながら、近くの樹木を蹴り付けた。
身に纏う黒いローブには大量の血が付着しているが、男自身に外傷はない。
「絶好の獲物を用意してくれると思えば、その前に雑用を押し付けやがって!」
叫ぶモールの背後には木々に交じるように杭が生えていた。
樹木と見間違う程に巨大な杭、その数は二十。
その一本一本が、瀕死の吸血鬼を串刺しにしていた。
息も絶え絶えな吸血鬼では、その杭から逃れることは出来ず呻いている。
頑丈な肉体を持つ吸血鬼は死ぬことも出来ず、太陽が昇る時まで地獄の苦しみを味わい続けるのだ。
「不審な動きをしている派閥がいるから先に殺せって………俺っちはアンタの下僕になった覚えはないってのぉ!」
モールがルヴナンに従っているのは、あくまで利害が一致しているからだ。
戦場を求めるモールにルヴナンは戦場と餌を提供する。
そして、モールの戦いに口を出さない。
それが二人の契約だった筈だ。
なのに、彼ら純血同士の派閥争いに巻き込まれるのは割に合わない。
おまけに戦わされるのが、数だけが取り柄の雑魚では不満も出る。
「旦那の態度が偉そうなのは元からだけど、最近は特に人遣いが荒いと思わない?」
今まで独り言を叫んでいたモールは語り掛けるように言う。
一人で騒がしいモールが本当に狂ったように自分の影を見つめた。
影に語り掛けるなど、正気の沙汰ではないが生憎とそれを指摘する者はどこにもいない。
「なあなあ、どう思う? クロちゃん!」
『…騒々しい。叫ばずとも聞こえている』
その影から、男の声が響いた。
それはモールにしか聞こえない、影の声。
狂人の妄想のように、モールの頭の中に存在する影。
常人には何も聞こえないが、モールにはその姿すら見ることが出来た。
『ルヴナンと敵対しているのは………コカドリーユの派閥だ。恐らく、こいつらも銀の吸血鬼同様にコカドリーユの息がかかった連中だろう』
躁病のようにハイテンションなモールとは対照的に、鬱病のように物静かで暗い声で話す『クロ』
「つまり?」
『…つまり、放っておけば町へ進攻してお前の獲物を奪っていただろう。ここで殺しておいた方が後々邪魔が入らずに済む』
「おおー! 相変わらずクロちゃんは頭が良いぜ! ってことは、後はもう俺っちの好きにしてイイってことだよな?」
興奮するように叫びなら、モールは影から取り出した細長い杭を握る。
それをバトンのようにグルグルと回し、先端を町へ向けた。
「ならばいざ行かん! 俺っちの戦場へ! 俺っちの獲物の下へ!」