第十六夜
「何で俺っちの邪魔をした!」
薄暗い森の中に怒声が響き渡る。
言葉だけは抑えきれず、モールは自分の影に杭を突き刺す。
『…アレはお前の敗北だ。大人しく認めろ』
突き刺された影は、気にした様子もなく答えた。
「関係ねえよ! 勝つとか負けるとか! 勝負に負けようが、死なねえ限りは戦える! 俺っちから戦いを取り上げるんじゃねえよ!」
怒りが収まらないのか、モールは何度も影を串刺しにする。
しかし、相手は実体のない人格に過ぎない為、傷付けることは出来ない。
癇癪を起して喚くモールにクロは深いため息をついた。
『落ち着け。どのみちアレ以上続けることは出来なかった』
聞き分けの悪い子供を宥めるようにクロは言う。
『…コカドリーユ派の者が近づいていた。ルヴナン派のお前が鉢合わせになるのは危険だ』
「コカドリーユ派?」
ヒステリックに地面を突き刺していた手を止め、モールは首を傾げる。
吸血鬼を二分する二つの勢力。
モールが所属する純血ルヴナンの派閥と敵対しているのが、純血コカドリーユの派閥だった。
モール自身もルヴナンの命令で既に多くのコカドリーユ派を殺している。
『コカドリーユ派とルーセット。二人を同時に相手にすれば流石のお前も死ぬ。そんなつまらない死ぬ方で戦えなくなるのは、お前とて不服だろう?』
「…………」
モールは答えず、近くの岩に荒っぽく座り込む。
未だ顔には不満が浮かび上がっているが、一先ずは冷静になったらしい。
「…それで、今後の方針は?」
『そうだな。人間上がりを見下しているルヴナンのことだ、しくじったお前に帰る席はないだろう』
「あー確かに。旦那って無自覚に相手を見下しているからさ。ご高齢の爺様は価値観が固まっちゃっていけねえな」
手に持った杭をバトンのように回しながら、モールは呟く。
純血主義のルヴナン派では、元々立場も良くなかったモールだ。
そこを離れることに何も不満は持っていない。
「折角だし、今度は旦那を串刺しにしちゃう?」
『…以前、霧相手に完敗したのを忘れたのか? それでも戦う気なら、後ろ盾がいる』
「だったら新しい職場を探しに行こうか」
立ち上がり、笑みを浮かべるモール。
満身創痍の身体のことなど忘れ、元気よく歩き出す。
「どうせならお前の敵対組織だとイイな。ルーセット」
「それで、アンタは何の用で俺の前に現れたんだ?」
破壊されたレストランから路地裏へ場所を変えて、ルーセットはガラス細工と向き合う。
顔馴染みのルーセットとは異なり、ヴェガは不審そうに相手を見つめていた。
人ではない、だが吸血鬼にも見えない。
どう見ても単なるガラス製のフクロウにしか見えない物体が、生物のように動いている。
「単刀直入に言います。フロドゥール、コカドリーユの下に帰ってきて下さい」
ガラス人形、プーペは静かに言った。
「フロドゥール?」
「昔、コカドリーユの所にいた時に使っていた名前だ」
知らない名前に首を傾げるヴェガにルーセットが説明する。
その説明にヴェガは納得し、改めて目の前のプーペに目を向けた。
「もしかして、あなたはコカドリーユの…」
「はい。僕はコカドリーユ唯一の眷属。プーペと申します」
プーペはガラス製の羽根を動かし、礼儀正しく頭を下げた。
眷属。
純血を分け与えられた腹心。
忠誠を誓う人間上がりの吸血鬼とは位が違う存在。
コカドリーユの派閥に於いて、コカドリーユに次ぐ地位の持ち主。
「…相変わらずの忠犬だな。眷属ってやつは本来独立するものだろうに」
「そうですか? 案外楽しい物ですよ、誰かの為に働くのって」
「五十年以上独立しない吸血鬼は、アンタ以外見たことないよ」
自由を愛するルーセットからすれば、信じられない感情だった。
誰かに仕え、誰かの為だけに生きる。
主を立て、主の力となることだけを望む。
「俺が誰かに忠誠を誓うと思うか?」
「思いませんね。何せ、一度裏切られてますし」
プーペはガラス玉のような赤い目でルーセットを見つめた。
表情のないプーペだが、その声色は機嫌が良さそうに聞こえる。
「君にそんな物は期待してませんよ。ただ、ちょっとこちらも困っているので、一時的に手を貸してほしいだけです」
「困っている? またコカドリーユが暴走したのか?」
「いえいえ、それはいつものこと。そうではなく、最近は派閥の方が…」
人間臭く困った仕草をしながら、プーペは言う。
「君も戦ったモールって奴が、こっちの派閥をドンドン殺してしまってね。ルヴナンも遂に吸血鬼界の独占支配に乗り切ろうとしているのですよ」
「俺がいた頃と何も変わらないじゃないか。本当に歳食った吸血鬼は派閥争いが好きだな」
呆れたようにルーセットは言う。
吸血鬼とは本来、不老不死と言う完成を目指す存在だ。
自分が完成さえすれば、外敵など何も怖くない。
故に、常に意識を他者ではなく自分に向けるべきだと言うのに。
「それで? ルヴナンを何とかしてやるから協力しろと言っているのか?」
「それだけでは君は釣れないでしょう。報酬に君の求めている物を見せてあげますよ」
「何?」
ルーセットの求めている物、それは十年前から何も変わらない。
コカドリーユの下にいた頃からずっと願っていた悲願。
それは、完全なる不老不死。
「陽光を浴びても灰にならない。心臓を銀に貫かれても死なない。正しく伝説上の吸血鬼を、君に見せてあげますよ」
「…本気で言っているのか?」
「はい。コカドリーユはその『怪物』を所有している。既に完成された吸血鬼を見るだけでも君の研究に大きく役立つでしょう」
プーペの言葉は大きな誘惑だった。
様々な派閥を裏切り、人間社会へ紛れ込み、あらゆる文献を用いても手掛かり一つ得られなかった。
ルーセットの夢の完成形。
それをコカドリーユは所有していると言う。
無論、それを手放しで信じる程にルーセットは幼くない。
だが、何かの手掛かりを得られるかもしれない。
その為なら…
「よし。そう言うことなら、協力する」
「そう言って貰えると思ってました」
プーペは嬉しそうな声で呟き、ルーセットの隣の少女を見る。
話について行けず、困惑していたヴェガと目が合った。
「ところで、そのお嬢さんはどうするつもりですか?」
「え? あー、この子も連れて行っていいか?」
「別に構いませんが、コカドリーユが彼女を始末する為に刺客を放ったこと、忘れてませんよね?」
ルーセットの脳裏に銀の吸血鬼が過ぎった。
それを振り払うように軽く手を振る。
「大丈夫だろう。どうせ、いつもの思い付きで行動したんだろう?」
言いながら、ルーセットはヴェガの頭に手を置いた。
人形か何かのようにそのまま引き寄せる。
「この子のことは俺が責任を持ってコカドリーユを説得するから」
「ちょっと、ペット扱いしないで下さい!」
抵抗するヴェガの頭を無理やり撫でるルーセットを見て、プーペは不思議そうに首を傾げた。
「はあ、君が誰かに拘るなんて………少し変わりましたね」




