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梅を咲かすもの  作者: .a.w
第二章 賀茂編
18/31

【 二 】



「ほう、これが安倍晴明か」

 大中臣能宣とともに現れた青年は、そういって物珍しそうに晴明を眺めやる。

 床にあぐらを掻き、賀茂保胤から杯を受けていた晴明は彼を睨み上げた。

「誰だ、お前」

 誰何する厳しい声音をものともせず、見知らぬ青年は晴明の側にかがみ込み、指先でつんと彼の頬をつついた。

 ぎょっとする晴明や保胤、保憲の前で、彼は己の手を眺め、ぽつりとつまらなそうに漏らす。

「なんだ、やはり人ではないか」

仲文(なかふみ)

 能宣がようやっと青年を諫める。

 仲文と呼ばれた青年は立ち上がり、優雅に一礼した。

「どうも初めまして、晴明さま。わたしは藤原仲文(ふじわらのなかふみ)といいます」

 修行帰りの青年は仲文を睨み、その横に佇む大中臣の青年に目を向けた。

「能宣、お前の友人か」

「口が裂けても肯定したくはありませんが、連れてきておいて否定はできないのでそうだといっておきましょう。仲文、失礼なことは止せ」

「だがあの安倍晴明だぞ? 物の怪と有名ではないか。けど、その噂は嘘だったってことだな。つまらん」

 何ものも恐れず仲文はあっさりという。

 能宣が整った顔をしかめつつ額を押さえた。

 保胤が堪えきれず、けらけらと大声で笑い出す。

「頬を触って確かめるなんて、あはは、仲文さまらしいや!」

「保胤!」

 晴明がきっとなって保胤を睨むが、陰陽家の次男は腹を抱えて身を揺らすばかり。苛立った晴明が思い切り肩を引っぱたくと、賀茂の次男はころりと転がったが、まだ笑い続けていた。

 思わず顔を赤くした晴明が怒声を張り上げる。

「お前、いい加減にしろ!」

「笑いが止まらないんだよ!」

 不毛としか思えぬ弟と弟弟子のやり取りを眺めやって、保憲が立ったままの客人を招いた。

「能宣どの、仲文どの。こちらへ」

 二人は保憲の側に腰を下ろした。

 室の主に持ってきた瓶子を渡しつつ、能宣がその場の面々を見、首を傾げる。

「忠行さまはどうなさいました」

「陰陽寮での仕事が終わらず、まだなのです。能宣どのも仲文どのも、変わらずにお元気そうで」

「わたしは御覧の通り、元気ですよ。えぇと……、保憲さまとは能宣の室で会って以来ですね。またわたしの和歌を聞いて下さい。あなたの感想はとてもよろしい」

「仲文」

 いつも保憲が晴明を諫めるように、頭の痛そうな声で能宣が一つだけ年下の青年の名を呼ぶ。だ

 が仲文は平然と、思ったことをいっただけ、という態度を崩さなかった。

 笑って、保憲は二人に酒を勧めた。




 酒宴の時は風のように過ぎ去っていく。

 柔らかな月光を落とす月が昇って、風がひんやりと冷たくなり、闇が満ちる中、賀茂家では弟子の帰京を祝う祝宴が続いていた。

 気の荒い晴明に飄然とした保胤、恐れ知らずの仲文は驚くほど気が合うらしい。

 三人はそれぞれ好みの肴を持って、場所を眺めのよい濡れ縁に移し、晴明が修行中に遭遇した奇人の話や、京に流れている噂などについて楽しげに話を交わしていた。

 その騒がしい声を聞きつつ、穏やかに酒を飲んでいた能宣がふと、隣に座る保憲に目を向けた。

 二人は三人より奥まった場に座り、流れが向かうがままに話をしていたのだった。

 能宣は誰にも聞かれぬよう声を低くめる。

「……あの話、間違いはないようです」

忠平(ただひら)さまの……ですか。やはり」

 言葉の意味するところに思い当たって、保憲の顔が曇る。

 能宣は少し酒を口に含み、味わうように呑み込んでから、星々の瞬く空に視線を放った。

(ふじ)(わらの)(ただ)(ひら)さまは、沼に没した(みなもとの)(ひかる)さまの跡目を継ぎ、右大臣になり、のちに左大臣に転じて、さらには摂政(せっしょう)となり今では関白(かんぱく)となられた……。

「なぜ、藤原時平さまの弟である忠平さまが、時平さまをあれだけ憎んだ菅公の怒りを買わぬのか。確かに忠平さまと菅公には親しいつながりがあったと聞いております。けれど、あれほど仕えた宇多(うだ)(てい)の皇子にまで祟りを向けたのに、なぜ忠平さまを祟らぬのか。このこと、かなり噂となっておりましたが……」

「菅公は時平さまだけを怨んでいる、といわれておりましたね」

「はい。だから帝の外戚となるのを阻むため、妹の子であった親王や皇太子に祟ったのだ、と。ですが、その話の出所は他ならぬ忠平さまのようなのです。……あくまでも、経過を鑑みての話なのですが」

 目を伏せて、保憲は話を嫌うように酒杯の中身を見つめる。

 彼にも野心はなくはないのだが、あまりにも露骨すぎて、ため息すら漏れなかった。

「前にも話した通り、忠平さまの長男、実頼(さねより)さまとは和歌を通じて交遊があります。それで、それとなく聞いてみたのですよ」

「ありましたか」

 能宣は白い頬を硬くする。

「はい。誰がいつ植えたかも知れぬ梅の木が(やしき)にあるのだそうです。すでに老木ですが、鮮やかな花をつけているのだそうです」

「……花を」

「京中の梅が咲かぬ中、なぜあの木だけが咲くのかと不思議がっておりました。父上が権力(ちから)で咲かせているのではないか、ともいっておりましたが」

「あながち、間違いではないのかも知れませんね」

「えぇ」

 二人は押し黙り、酒を飲み肴を口にする。

 保憲がふいと己の懐へと手を伸ばし、布に包んだ符を取り出し、広げた。そこには黒々とした墨で鮮やかに梅紋が描かれている。裏返せば、五星を五行とし、その相剋を形とした印――五芒星があった。

 晴明が那智に旅立つ前、保憲に渡した護符だった。

 三年という時を経たためか、丁寧に扱っているにもかかわらず少し汚れている。

 ちらりと保憲の手許を視線を向け、能宣が杯を持った手を膝の上に落とした。

 鮮やかな柄の扇を手中で遊ばせる。

「梅を見に参りますか?」

「……行けるのですか」

「決して無理な話ではありません。少し、叶うまでに時は掛かるかも知れませんが」

「頼みます」

「しかし……、これで納得がいきました。忠平さまの栄達にはその梅が関与しているのですね」

 陰陽家の息子は護符を懐に戻した。

「……忠平さまは、梅紋のことをご存じなのでしょうか?」

「それはわかりません。しかし、問題なのはその梅がなぜ咲くのか、ということですね。すべての梅が咲かぬ京の中で……」

「はい。何となく理由はわかっているのですが」

「……わたしもです」

 二人はふたたび黙った。

 その心気くささに気付いたのか、晴明が急に立ち上がって足音も高く近づいてきて、杯を持たぬ方の保憲の腕をとった。

「こんなところにいないで来いよ」

「お前に付き合って飲み続けると必ず二日酔いになるんだ。保胤もお前も強すぎるぞ」

「もう勧めないから、ほら、来いよ」

 意地でも連れて行く口ぶりに、ため息をついた保憲が渋々と腰を上げた。

 二人が合流し、四人となった彼らは楽しげに会話を交わす。言葉巧みな仲文が京のうわさ話を脚色して話し始めた。

 ただ独り離れた場所に座って、能宣は己の友人と、陰陽家の弟子と息子たちを眺めやり、黒目がちの瞳を悲しげに伏せた。

 秀麗な顔に悔しさと悲哀、誇りの入り交じった複雑な感情を様々に浮かべ、最後にゆるりと目を閉じる。

「……わたしは大中臣だ」

 口中でつぶやき、白い頬に冷ややかな冷笑を張り付けると、彼は四人に交わろうと優雅に立ち上がった。




 牛車の揺れは酔いの回った身体に心地よい。

 仲文は目を閉じて揺れに身を任せていたが、友人がずっと外に目を向けていることに気付き、閉じそうになる目蓋をこじ開けた。

 あぐらを崩し、大中臣の嫡男は頬杖をついている。

 そこに酔いの気配は微塵も感じられなかった。

「どうした、能宣。酒宴はつまらなかったか」

「いや、楽しかったさ」

 日頃の丁寧さはどこへやら、ぶっきらぼうな声で応じ、大中臣の青年は顎に当てる手の位置を変えた。

「とてもいい酒だった」

「ならそうくさくさするな。楽しかったのだ、と顔にでも書いておけ」

「そうもいかぬ」

 同じようにあぐらを崩し、仲文がつまらなそうにつぶやいた。

「なんだ……。またあれなのか。お前はちっとも変わらんなぁ」

「呆れるな」

「それは無理だ。呆れたくもなる。仮の話など放っておけばいい」

「そうもいかぬ」

 同様の調子で否定して、能宣は目を閉じる。

 仲文はしばらく複雑な顔で彼を眺めやっていたが、扇でゆるりと己の顔を扇ぎ、大きなため息をついた。

「明日になればまた変わるかも知れんぞ」

「そう、願うがな」

「それじゃ駄目だ。願うだけではなく、もうちょっとこう……」

「こう、なんだ?」

 答えにはさして期待していない様子で能宣が問う。

 それに気付いてはいたが、仲文は彼らしさを崩さなかった。

「明るくしていればなんとかなるさ」

「お前は気軽すぎる」

「ちょうどいい、お前が気重だからな。わたしの(やしき)に来るか? もう一度、飲み直そう」

「いや。誘いは有り難いが、今宵は止めておく。またの機会にしてくれ」

 仲文が大きなため息をついた。

「本当に人を殺めたわけでもあるまいし、もう少し明るくなれ」

「……そうもいかぬ」

 低い声で応じ、能宣は気鬱な目を外に向けた。

 空にぼやりと浮かぶ月に縋るような視線を放つ。

 仲文の言葉は有り難かったが、彼の目には闇ばかりではなく、見たくもないものがゆらりゆらりと映っていた。


    ◇


 頭が痛かった。

 堅い板の上、晴明は頭痛に呻きながら身を起こした。

 いつの間に眠ってしまったのかわからない。

 能宣と仲文が帰ったことは朧気ながら覚えているが、保胤はどうしたのだろうか。

 目をこすりながら周囲を見回せば、積み上げられた書や文台から、保憲の私室と知れる。

 誰が蔀戸(しとみど)を上げたのか、御簾越しにうっすらと白んだ空が見える。隙間から潜り込む風はまだ冷たかった。

 あれから仕事が終わった忠行も加わって、さらには保憲に呼ばれた千夏――今はやんごとなき筋の女君に仕え、子もいるのだが――や若菜、それに保憲の子までも現れて、実に楽しげな宴となった。

 平生はあまり酒を飲まぬ忠行も少し酔っぱらって、愛らしい猫の式神を作り、芸をさせて皆を思い切り笑わせた。

 保憲の子はとても猫を気に入って、抱いたまま寝入ってしまい、両親に笑われながら室に運ばれていった。

 とくに好評だったのは仲文の笛で、人に聞かせるものじゃないが好きだから吹くのだ、という口上の割りには(たえ)に思えた。

 晴明は身に掛けられていた(ふすま)を剥いで起きあがった。

「……保憲?」

 名を呼び、兄弟子の寝所を覗き込んだ。

 保憲は深酒が過ぎたのか、いささかぐったりした様子で眠っていた。胸がゆるりと上下している。

 人の寝息を聞くのは実に久しぶりで、晴明はふと穏やかな気持ちになり、畳の縁に腰かけた。

 己の手を、何とはなしに見つめる。

 三年前の手が嘘のように傷だらけだった。長い間、山地で過ごせば皮も厚くなる。岩をよじ登れば傷もつく。

 その手を絡ませきつく握りしめ、晴明は額に当てた。

 ――まだ、足りぬ。

 何もかもが足りない……。呪力を磨き上げ、生来に与えられた見極める目をさらに研ぎ澄ましても、己が成長したとはどう考えても思えなかった。

 呪力も目も、三年前とは比べものにはならないだろう。だが、もっとも定まるべき心が相も変わらずに浮いている。あの時の決意は三年にも及ぶ辛い修行に耐えさせた。だが、決定的な何かが未だに欠けたままになっている。

 それが何か、晴明にはまだわからない。

 不安ばかりが胸を塞ぎ、顔を歪ませた。

「……どうすればいいのか」

 保憲は今でも、呪詛を続けていた――。

 手を降ろし、立ち上がった晴明は御簾をくぐって外に出た。

 懐から小さな袋を取り出す。

 中に入っていた木片を手のひらに落とし、しばしその体勢のまま、花々が堅い蕾をゆるめ始めている庭を見つめていた。

 やがて、彼の前でゆらりと空気が歪んだ。その歪みから扇を持った手がぬっと飛び出す。晴明は木片を握りしめたまま素早く印を結んだ。

「……久しぶりだな、土師(はじの)道敏(みちとし)

 晴明の前に、高貴な束帯をまとった鬼魅が浮かんでいた。

 影を落とす生身の鬼を見つめて、晴明は不敵な笑みを口許に刻んだ。前に見た時より、さらに陰気が強まっている。

 鬼がゆるりゆるりと顔を隠していた手を下ろした。

 額に生えた角が、またも血に濡れている。

 目を見据え、鬼は憎しみに満ちた目で晴明を見下ろす。平然と受けて立ち、陰陽家の弟子は両手に結んだ印を少し掲げた。

「安心しろ、この印はお前の気配を誰にも感じ取らせないためのものだ。この(やしき)には陰陽家が多いからな」

 鬼魅は晴明の印を見ていたのではなく、その手中にある木片を睨んでいるようだった。青年は手をわずかに動かして木片の匂いを確かめる。

 春の風に満ちる濃厚な香り。

 山中で手に入れた、紅梅の木片だった。


 ――何故呼んだ……


「呼んでないさ。お前が勝手に来ただけだ」

 印を少しゆるめて木片を落とす。

 鬼が少し身構えた。

 晴明は足許の木片を見下ろし、急に顔を歪めて悲しげに目を細めると、印を組んだ手を強く握りしめた。

「お前は……、何が欲しいんだ? 何をやりたくて京に怪異をもたらすんだ? 菅公が亡くなってすでに四十年あまり。藤原時平も源光も死んだ。何がやりたいんだ」

 土師道敏が少しばかり牙を剥いた。

 その鬼を見、晴明は低い声で問いを重ねる。

「菅公は本当に……、お前に復讐を望んだのか? 思い出せ。お前はこのままでは本当に鬼になるぞ。鬼となって人の肉を喰らい、生血をすすって生き続けるつもりか。今ならば、まだ人に戻れるだろう」


 ――望みならば貴様を喰らってくれるぞ……


「止せ」

 鋭く制し、晴明は逆に一歩前に出た。

「霊山に籠もっていたんだ。俺の肉はお前の身を焼くぞ」

 木片をじっと見つめ、鬼はのどの奥で笑った。耳に障る声でけたけたと笑って、赤い唇から真っ白な牙を見せる。鋭いそれが、がちりと噛み合わされた。

 いきなり鬼魅が手を振り上げ、声なき叫び声を上げる。

「……!」

 凄まじい雷光が降り注いで晴明は反射的に顔を庇った。

 印が解けて気配に気付いたのか、背後で忙しない衣擦れの音が響く。

 御簾を跳ね上げて保憲が飛び出してきた。

「晴明、今の気配は……!」

「少し遊んだだけだ。雷を落としたら、どうなるかなって」

 保憲は訝って眉を寄せ、晴明の横顔を後ろから見つめる。

 彼の感覚には陰の気が引っかかっていた。

「……本当なのか?」

 しばし庭を見つめて、晴明は身の前後を入れ替えた。

 にやりと笑いかけて顎をしゃくる。

「もう少し寝てろよ。真秋(まあき)が起こしに来るまでまだ時間がある。……珍しいな、二日酔いはないのか?」

「……側でしゃべるな。頭に響く」

 急に頭痛を思い出したのか、保憲は低い声で呻くと、頼りない足つきで背を向けた。

 酒を貶すつぶやきがぽつり。

 晴明は声を上げて笑い、彼の後ろに続いた。




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