020-3「は、はしっ……、はしった、から!」
両手で弁当箱を抱えて、前を歩く神楽を追いかける。彼は行き道よりも急いでいるのか足が早く、私は小走りどころが本走りをしながら必死になって彼を追いかける。走るという経験は私にとって慣れない事である為、なかなか足がうまく動かない。早歩きと走るのとでは全く足の運び方が違う。ただでさえ走る生活をしていなかったのだからいつ転んでもおかしくはない。
彼は一体どこに行こうとしてるのだろうか。私の寿命がそんなに重大なのだろうか。たとえ私が数十年しか生きられなかったとしても、それは日本では普通の事であり、特別気を使う必要はない。先ほど神楽の発言からすると、少なくともこの国の住民は数百年を生きる人種なのだろう。天使族という聞き覚えのない人種の国である為、そういうものだろうと理解する。
転びそうになりながらも何とか神楽を追いかけていると、目的地に辿り着いたのか、神楽が足を止めた。何処に辿り着いたのだろうと視線を前に向ける前に神楽が大きな音を立ててドアを開く。
椅子に座った績が驚きに目を見開いてこちらの方を向いているのが分かった。驚かせて申し訳ない気持ちを残しつつ、績に挨拶をしようとするが神楽の大きな声に遮られた。
「績さん! こいつ見てやって!」
それだけ言って神楽は部屋から出て行ってしまった。
「はぁ、……っはぁ!」
挨拶をしようとした私だが正直なところ挨拶どころではなかった。
「聖女様はどうしてそんなに疲れているのですか?」
「は、はしっ……、はしった、から!」
先ほどの中庭からここまで、長い距離をずっと全力に近い形で走っていたのだ。今までよりも全力で走った為、私の体力が限界を迎えていた。
「ゆっくり息を整えてくださいね」
「は、はいっ」
績の言葉に従い、少しずつ息を吐き出していくと楽になったようで先ほどよりも呼吸が楽になった。優しく背中を擦ってくれる績の手と、用意してくれた冷水が良い仕事をしていたのだと思う。
「……急に来ちゃってごめんなさい」
「いいえ、私は大歓迎ですよ。それに今回は急に連れてきたのはどうやら神楽のようですしね」
績は呆れを隠そうともせず、私にもう1杯の水を差し出した。
「それで今日はどうしたのですか?」
「……分かんない」
「え?」
「だって、お兄ちゃんが急に私をここまで連れてきたんだもん」
私のせいではないという事を遠回しに伝えるが、正直伝わったのか分からない。私自身、きちんとここまで来た理由を聞いておくべきだと反省するが、同時に神楽も私をここまで連れてきた理由を知らせておくべきだと思う。
「……なるほど、そうでしたか。私は彼に聖女様を見るように言われたのですが、どこか怪我をしたから来たのではないのですか?」
「ううん、怪我なんてしてないよ。お弁当を食べようと思ったら兄ちゃんに連れて来られたの」
つまり現在の私は限りなく空腹である。この国の人が当然のように空を飛ぶように私も当然のように腹は減るのだ。
「績さん、ご飯食べてもいい?」
「どこも痛かったりしんどかったりする訳ではないのですよね?」
「うん、元気」
私の言葉を聞いて紬は私の上から下まで見た後に少し首をかしげ、もう一度上から下まで眺めた後に1つうなずいた。
「ではご飯を食べてさらに元気を取り戻しましょうね」
「うん!」
今日の弁当は特別だ。まず一つ目の特別は弁当箱だ。普段お皿で食べている身としては弁当というものに憧れがあった為、より一層早く食べたいと思うのだ。そして2つ目の特別は中身だ。
「ハンバーガーですか。緑弥も珍しいものを作りましたね」
これはかつて私がおままごとのおもちゃで作った弁当箱だ。緑弥に食べたいと渡したおもちゃの弁当箱が、まさか本物の中身と入れ替わって手元に来るとなどとは夢にも思わなかった。確かに食べたいと言って渡したけれども、こんなに正確に叶うと思わなかったのだ。
「今日のご飯はね特別なの」
弁当箱の真ん中にそびえている大きな大きなパテに挟まれたお野菜たち。目玉焼きにレタスにハンバーグ。本当ならばトマトだった気がするが私が大好きなハンバーグに代わっている。大きな大きなハンバーガー弁当。
そして隙間にはブロッコリーやたこさんウインナー、卵焼きやニンジンなど、私の好きなものが所狭しと詰まっている。これだけ量があれば今の私でも間違いなく腹を満たす事が出来るだろう。むしろ言えば多いほどだろう。
弁当にサンドイッチを入れる事はあるが、ハンバーガーを入れる事は珍しいのではないだろうか。贅沢さに身を任せハンバーガーを頬張る。
「ふぉいひい!」
やはり緑弥の作った食事はどんな食べ物にも代えがたいほどの幸福感がある。
「績さんもお腹が空いてないの?」
「ええ私も食べたばかりですから。…………私『も』?」
「うん、お兄ちゃんが、食べたばっかりだから俺はお腹が空いてないって言ってたよ」
ここの人はやはり少食なのだろうか。
「そういえば聖女様は毎日食事をしていますよね」
「うん。だって毎日食べないとお腹空いちゃうしね」
「…………聖女様、もしかして聖女様の世界は――」
績が何かを告げようとしたところでドアが大きく開いた。
「績さん!」
ノックもなしにこの部屋に入り込んだのは先ほど私をここに連れてきた神楽だった。彼はゆっくり扉を開けるという事が出来ないのだろうか。危うく私の口から弁当が飛び出るところだったではないか。
「全くあなたは。ノックというものを……」
「そんな事どうでも良いです。それよりも聖女様を見てくれましたか?」
怒ったら怖そうな績にどうでもいいなどとよく言えたものだ。
「ええ、見ましたよ。今のところ健康状態に異変はありません。何よりあなたが何も言わずにここを出て行くので何を見れば良いのかも分かりませんでしたしね」
「え、あ。すみません……」
どうやら神楽は相当頭に酸素が回っていなかったようだ。自分でも驚くように神楽は息を吐いて見せた。
「一体何なんだ」
「聖女様無事?」
開きっぱなしのドアから顔を覗かせたのは、今朝私と一緒に遊んでくれていた霙と白鴎だ。
「ふたりとも、どぉしたの?」
私に対して無事と聞いてくるのだから神楽から医務室にいるという事のみを聞いてきたのではないだろうか。私はどこも悪くないと言うのに神楽は人騒がせな人だ。
「私にもよく分からん」
「聖女様の一大事って聞いたよ」
神楽は誰にも詳しい説明はせず人を集めたようだ。正直神楽の本意が分からない。
「……正直聖女様が不調かどうか分かりません。分からないからこそ績さんに見ていただこうかと」
神楽のその態度は普段、私には見せない方の態度だ。
「……コイツの話を聞いた所によると、毎日食事をするようで」
「ええ、私も先程それは確認しました。けれども、子どもは普通ですよ」
子どもどころか大人も毎日食事をするが今口を挟めそうな雰囲気ではない。
「……違うんです。大人も同じ様に食べるらしく。それどころか聖女様の世界では大人も子どもも1日3食食べるそうで」
言おうと思った事を神楽が説明してくれていた。
「大人もですか?」
績の視線がこちらに向いたので縦に首を一度動かす。
「……それでその、」
神楽が歯切れ悪く目線をずらしながら言葉を紡ごうとする。
「……聖女様の世界の寿命は100年程度らしく」
それも前の世界ではごく普通の事だった為、取り立てて騒ぐ事ではない。しかしながら、こちらの世界の人達にとって、それはどうやら普通ではなかったようで驚いたようにまじまじと私の方を見てくる。
「今の話は本当ですか?」
今の話というのは私の世界の寿命が100年程度だった事という事だろう。その事に間違いはない為、縦に一つ頷く。
「本当だよ」
私がそう答えた途端、皆が息を飲んだように言葉を噤んだ。
「という事は聖女様も……?」
「……その可能性はあるかと思って」
霙と神楽が目を見合わせながら呟く。彼らの表情は同じなのに、なぜかその表情から受ける感情には違いが見られた。驚愕と諦めと悲しみそして絶望。白鴎も同じような表情を浮かべる中、績だけが一人冷静に私を見下ろしていた。
「聖女様はおそらく大丈夫だと思います」
空気を断ち切るようにそういう績に霙と白鴎が駆け寄る。
「……どういう事だ?」
確信があるようなその表情に、言葉を待つ。
「聖女様、聞いてもよろしいですか」
「うん、なぁに?」
話しかけられるとは思っていなかった為、弁当箱をにぎりしめていた手を体の横に下ろす。
「あなたは以前、15歳と言いましたね」
「うん」
「ではあなたの世界の15歳は、どのようでしたか?」
「どのようって?」
「例えば身長です。あなたの世界の15歳の平均身長はどのあたりでしたか?」
「えっとね今の私の身長に、私の半分を足したくらい」
「……つまりはこの世界の130歳あたりの平均身長と近いですね」
私の15歳の時の身長は、この世界の130歳に該当する。私が伝えた平均身長は実際の私の身長だった為、平均身長となると実際はこの世界の150歳あたりに該当するのかもしれない。
「初めて聖女様とお会いした時、聖女様の身長はこの世界で言うと15歳から20歳あたりの身長と同じでした。つまりこの世界のものとそう対差がなかった訳です。だからこそ私も聖女様の年齢と慎重に違和感を感じませんでした」
という事は私はこの世界でいうと年相応の身長していた訳だ。
「つまりどういう事だ?」
「……聖女様の体はおそらく、作り変わってる最中ではないでしょうか」
作り変わっているという事は私はこの世界で行きていけるのだろうか。
「少しずつこの世界に慣れ、体がなじむように成長しているのかもしれません」
体が突然大きくなったのは、この世界に少しずつ体が馴染んで来ているという事だろうか。けれども、一体私の体はどの辺りまで成長するのだろうか。この世界来た時の私の身長は、この世界の平均に当てはまる数値だった。という事は現在の私の身長はこの世界の15歳とはかけ離れている。本来の私の身長まで成長する可能性はあるし、この世界の断りとは全く関係なく私の望むままの身長で成長していく可能性もある。
「それに太陽の国の聖女様も、数百年前に現れましたが未だにご存命です。他の国の聖女様も数十年で亡くなったという話は聞きません」
体が作り変えるという事は私の寿命も伸びるという事だろうか。私の体は一体どこまでこの世界に馴染む事が出来るのだろうか。
「仮説ではありますが、聖女様がすぐに旅立たれる事はないでしょう」
「……そうか」
どうやら霙たちも績の言い分に納得したようだ。ひとまず私がすぐに死ぬ心配はなくなったという事だろう。けれども人は100年も生きれば十分だと感じる。100年より何倍もの時を与えられたとして、果たして私はその永遠とも取れるような時間に耐えられるだろうか。
「反対に仮説ではありますので、聖女様の命が100年程度の可能性という事も捨て切る事は出来ません。念の為、陛下にもお話ししておいた方が良いでしょう」
「私が伝えてこよう」
「では霙、お願いします」
「ああ」
寿命などというものは神が決めたものだ。たとえ私の寿命が10年でも5年でも1年でもその命を全うするべきだ。だからたとえ私に何千年を生きる寿命がこの身に宿っていたとしても、それは『そういうもの』だ。
「お弁当食べていーい?」
私は今まで通り自分の心に従って生きていればいい。
「ええ、良いですよ」
自分の心に従って、まずは食べかけのお弁当を口に含む事にした。




