011-5「ニンジン、食べたい……」
そう思って小さな声で彩月に声をかける。
「聖女様……?」
「ひぇっ」
緑弥に見つかってしまった。すっごく笑顔なのだけれど、それが逆に怖い。
「さっき、野菜だけじゃダメだって言ったよな? 俺の話を聞いていなかったのか?」
「……でも」
有無を言わせない緑弥が怖い。私の体を思って言ってくれているのだと分かってはいる。けれども、「好きなものを好きなだけ食べる」それを一体あと何回できるのだろうか。美味しいと思って食事をする機会があと何回あるのだろうか。そう思えば思うほど、目の前の食事に貪欲になってしまう。ただでさえ今日は、食事が美味しいというのに。
「ニンジン、食べたい……」
笑顔の緑弥が怖かったけれど、頑張ってそういうと、緑弥さんは大きなため息をついた。そのため息にびくりと肩を震わす。怒らせたか。自分でも、少し我儘を言い過ぎたかと後悔する。油断して調子に乗りすぎてしまったのだろうか。
「ニンジンのおかわりはデザートまで食べてからだ」
「……」
「可愛くむくれてもだめだ」
緑弥の妥協に喜びつつも、今皿にある全てを食べないとニンジンのお代わりが食べられないということ事に思わず頬を膨らませる。
「普通これって、逆だよな?」
「ね。普通は『デザートは野菜を食べてから』だもんね」
「!」
霙と白鴎の言葉にヒントを得た私はまた調子に乗って緑弥に言葉を返す。
「デザートは、お野菜食べてからね!」
「……はぁ、残念だ。デザートはニンジンゼリーだったんだがな」
「!!!???」
予想はるかに声を返答に私は頭の中で何度もその言葉を繰り返す。
ニンジンとニンジンゼリー。やわらかくてホクホクのニンジンとまだ正体もよく分からないけれど絶対に美味しいに違いないニンジンゼリー。でも、ニンジンゼリーを食べないとニンジンを食べられない。でも、他のも全部食べないとニンジンも食べられない。ニンジンを食べるにはニンジンゼリーを食べないといけない。ニンジンゼリーを食べたいけれど他のも食べないといけない。でも、レタスも好きだしハンバーグも好きだけど、それまでにおなかがいっぱいになったらニンジンゼリーも食べられない。だけど、ニンジンもたべたい。
「う~ん?」
なんだか、目が回ってお腹いっぱいになりそうだ。
「とりあえず、ほら。ハンバーグ食え」
「あーむ」
「次はおにぎりな」
「あーん」
ハンバーグとお米の組み合わせは最高だ。美味しすぎて顔が溶けそう。
次はパスタ。これもハンバーグとの相性は良い。
今度はハンバーグが口の中に入ってきた。頬が落ちてなくなった気がする。
ペタペタと頬を触ってみる。大丈夫。いつもと一緒だ。
「どうした?」
「ほっぺた、なくなっちゃった? ちゃんとある?」
「ふっ、心配するな。ちゃんとついている」
それは良かった。
だが、非常に遺憾ながら、良くないことが起ころうとしている。さわさわとおなかを触ってみる。あとはおにぎり半分とパスタが一口。レタスが沢山。
「……はむ」
やはりおにぎりは美味しい。味わうようにゆっくりと噛む。今日はおにぎりの中になにも入っていない。
パスタも美味しい。
あとはレタスだけ。でも、フォークがレタスを刺そうとしない。
「どうした、食べないのか?」
「ううん、レタス食べる」
レタスは美味しい。フォークを刺したときのシャキッという音が好き。
「おいし」
これならば食べられそうだ。ドレッシングがかかっていないから、思ったよりも食べられそう。野菜本来の美味しさとでも言うのだろうか。
それも長くは続かなかった。
「もう、おなかいっぱい……」
頑張ろうと思ったけれど、どうしても無理だった。私の腹にも限界はある。最近はよく食べているとはいえ、もともと小食の私だ。今日はむしろよく食べた方だろう。あとでお腹が痛くならなければよいが。
私の目の前で、ニンジンゼリーとニンジンが笑顔で手を振って、離れていくのが見える。それらは皿の上のすべてを食べ終わってからという「約束」だったのだから。
「全部食べろ」そう言われない限りはどうやったって全部食べられない。レタスをもう1、2枚ならば食べられるとは思うが完食はさすがに難しいと思う。
「……まぁ、レタス以外はちゃんと全部食べたしな」
そう言って緑弥は私の前にオレンジ色のきらきらを置いてくれた。
「……いいの?」
完食する事が出来なかったのに、なぜか目の前にはニンジンゼリーと呼ばれるものが置かれている。
「……まあ、聖女様に食ってほしくて作ったからな」
最初から、食べさせてくれる気はあったということか。私は彼にいいように流されたという訳だ。
「結局、緑弥も甘いんだから」
「うるせ」
皆の皿の方を見てみると、先程まで大皿に乗っていた料理たちはもう残りわずかとなっていた。私がおかわりをしない事を見越して食べきっているのだろうとは思うが、ニンジンだけは残しておいてくれると嬉しい。正直、デザートの後のニンジンまでたどり着けるかは分からないけれど。
改めて目の前に置かれたニンジンゼリーに目を向ける。けれどもそれがあまりにも輝いていて、本当に食べ物であっているのか分からなくなった。
「これなぁに?」
「ん、ニンジンゼリーだ」
ゼリーとは、こんなにも輝いているものなのか。それとも、ニンジンだから輝いているのか。緑弥が作ったからこそ輝いているのか。
わからないが、緑弥は、私がまだレタスを食べ終わっていないのに、ニンジンゼリーをくれた。こんな事ならば、もっと早めに言っていれば、早く食べれたのではないかと考えたけれど、おそらく口に出してはいけないと思う。そうなってくると、おそらくゼリーの後に食べるニンジンも食べられないだろう。
それでもせっかく用意してくれたのだから食べないのは悪いと思った。
「いただきます」
小さなスプーンを手に取り上から差し込むと、簡単にそれは一口サイズへと刻まれた。とてもプルプルとしていて、まるで水でもすくっているようだ。口へ運ぶ前に匂いを嗅いでみると、間違いなく、ニンジンの匂いがした事から、決してオレンジ色の他の果物や野菜のゼリーでない事はわかった。一口食べてみると、それは間違いなく、ニンジンで風味が漂ってきた。まるで水のように柔らかく溶けていく感覚は、不思議だ。この不思議な食べ物がゼリーというのか。まるで水を固めたようだ。
美味しいか、美味しくないかと聞かれると、とてつもなく、美味しい。きっと私の頬は今なくなっているだろう。それほどまでに美味しく、先程までの満腹を忘れてしまった。よく聞く「デザートは別腹」とは、これの事を言うのだろう。
「おいしぃ! 頬っぺたないない!」
これならもうひとつでも食べられそうだ。
「ごちそぉさまでした!」
もう満腹だ。
「聖女様、ニンジンは」
「……もう、無理です」
諦めて首を横に振る。せっかく最後まで食べきって、ホクホクの柔らかいニンジンを食べる権利を得たというのに、それを行使するような腹の隙間が残っていない。悔しい事この上なく、なぜ、あとたった一つのニンジンすら、腹に入らないのだろうかという絶望が私を襲う。
けれど、「もしニンジンを食べたければレタスを食べてから」と言われなかった事にほっとする。
「本当にいいのか?」
「え?」
「ニンジン食べなくていいのか?」
「でも、お腹いっぱいで……」
食べたい気持ちは山盛りだ。けれど、現実問題、入らないものは仕方ない。
「緑弥、無理に勧めたらだめ」
「腹が痛くなったらどうする?」
「多分大丈夫だ。前回はハンバーグが原因だな。急に油っこいものを食ったから胃がもたれたんだろう。」
「いがもたれる?」
「お腹痛くなったり、気持ち悪くなったりする事だ」
腹が痛くなったりしないのならば食べてもいいのではないだろうかとささやく私がいる。
「それにたくさん食わねえと大きくならないぞ」
「?!」
食べないと、大きくなれない。だから、私の身長はこんなに小さいのだろうか。
「食べます」
「無理は……」
「食べます」
たとえ、満腹だろうと何が何でも絶対に食べる。食べ続ければ、きっと身長も伸びる。
「ほら」
「あむ」
お腹いっぱいだけど、やはり野菜だからか、すんなりと入ってしまった。ニンジンは大好きだから、もう一個ぐらい食べれるかと思ったけれど、さすがにもうやめておこう。私が、ニンジンを食べ終えるタイミングで、大皿に残っていた料理たちは、全て綺麗になっていた。
「緑弥さん、ごちそうさまでした!」
「おう、おそまつさん」
皆が片付けに入っているのを、私は椅子に座って、足を上下させながら見守る。
チラリと窓の外を見てみると優しい風が葉っぱを運んでいた。
今日の空は勿忘草色をしていた。




