第二十一話 知るか
エメラルドのような少女が、弓を片手に家屋の屋根からふわりと飛び降りる。
地面から屋根上まで7、8メートルはあろうか。少女はその高度からは考えられないほど軽やかに着地し、少し息を切らしながらも、無表情で怜使たちを見やる。
「あやや、なんでここに!?」
隣から、伊奈の驚く声が上がる。魔力も体力も使い果たし、前屈みになって肩で息をする彼女は、エメラルドの少女__彩とは対照的に、見るからに疲弊し切っている。
伊奈の驚きも無理はない。彩は、瑠華と共に街中に大量発生した魔獣の対処にあたっていたはずだ。瑠華との電話から1時間弱。もしや、魔獣たちは掃討されたのか。
そんな希望を抱いた怜使に、彩は小さく首を横に振る。
「まだ、全部は倒せてない。でも、知らない魔法少女が来て___」
言いかけて、彩が不意に怜使たちの背後に視線を移す。
つられて後ろを見ると、魔獣の群れがこちらに向かって駆けてきていた。
「えっ」
ぎょっとする怜使に向かって、先頭の一体、狼のような姿の魔獣が飛び込んでくる。
文字通り、瞬きの間に距離が詰まる。怜使が逃げの姿勢を取る間も与えず、魔獣は大きな口を開き、その鋭利な牙で頭を噛み潰さんと___
「____」
ドォンッ、と轟音が響き、上空から飛来した何かに魔獣の体が潰される。地面に叩きつけられ、衝撃で上がった砂煙に混じって、魔獣の体が霧へと変じ、立ち上ってきた。
目まぐるしい状況に理解の追いつかない怜使を前に、煙と霧の入り混じる中に人影が浮かび上がる。やがて視界を遮る煙が晴れ、中から現れたのは白髪の少女。
「__怜使ちゃん!伊奈ちゃん!無事でよかった!」
「る、瑠華ちゃん!?」
身の丈ほどもある大剣を片手に持ち、僅かに呼吸を乱しながらも、凛とした佇まいでこちらに振り向く少女__彩とともに魔獣の掃討に向かっていた瑠華であった。
「ふたりとも、動けそう?理由はわからないけど、魔獣たちが一斉に怜使ちゃんと伊奈ちゃんを追ってるみたいなの」
「なっ!?」
「そーだったんだ……どーりで多いと思ったよ」
思いもよらぬ報告に、怜使と伊奈がそれぞれの反応を示す。
いきなりそんなことを言われても、俄かには信じられない。怜使には当然思い当たる節がないし、伊奈も心当たりはない様子だ。本人が自覚していないだけで、彼女が魔獣を惹きつける才能を持つ、千年に一人の魅惑の魔法少女である可能性もなくはないが。
「新しい魔獣はもう発生してないみたいだけど、流石に数が多い。魔獣たちの狙いがふたりのどっちかなら、一刻も早く櫻さんと合流して安全圏に逃がしてもらいたい」
「うん、そうだね。……れーちゃん、いけそう?」
「う、うん」
そう言って、伊奈は小さな手を差し出す。
脂汗を浮かべ、肩で息をする様子からは、疲弊の色が拭えない。岩塊に吹き飛ばされても気丈に振る舞って見せていた彼女が、今は余裕のなさを隠せずにいる。その小さな体にどれだけの負担を負っているのか、計り知れない。
けれど伊奈の表情は、数分前と比べて幾分も明るく、それでいて覇気を取り戻したものになっていた。そしてそれは、きっと怜使も同じなのだろう。
伊奈の手を取る。彼女と目を合わせ、頷いてから、一斉に駆け出した。
「櫻さんとは、近くの公園で合流することになってる!追ってくる魔獣は、私と彩ちゃんで対処するから、ふたりは逃げることだけ考えてて!」
追い縋る魔獣たちを斬り払いながら、瑠華が呼びかける。
素人目から見ても、その動きには一切の無駄がない。大きな鉄塊を豪快に振り回しながら、それでいて流麗で、華麗でさえある。まるで舞のように、ひと繋ぎの動きで流れるように大量の魔獣達を霧へと変えていく。
瑠華の動きに見惚れていた最中、重い衝撃音が二度、三度と怜使の心臓に響く。
剣を手に舞う瑠華の少し手前で、彩が黒い拳銃を二丁、構えていた。瑠華の撃ち漏らした魔獣、瑠華の死角から迫り来る魔獣の頭部を正確無比に撃ち抜き、一撃のもとに沈めていく。
大剣と拳銃。おおよそ魔法少女の戦い方ではないが、怜使はすでに見慣れているし、今更突っ込むことでもない。何より、そんないつも通りのふたりが後ろにいてくれていることが、何よりも頼もしかった。
そんな感慨を他所に、ふたりは魔獣を斬り伏せ、撃ち抜き、魔獣の波を留め続けてくれている。
「はぁ、はぁ……もう、少し……っ」
瑠華、彩と合流して数分。
もう少しで、櫻と落ち合う予定の公園だ。
息を切らし、だらだらと汗を流しながら、正面の広場を見据える。
すでに足は棒のようだ。走り始めた時に比べて、ずいぶんと速度も落ちていることだろう。ここまでよくぞ走り抜いたと、自分を褒めたくなる。
「__っ、ごほっ、ごふっ……」
不意に銃声が止み、代わりに後ろでせき込む彩の声が聞こえた。次いで、金属の塊が地面に落ちる音。
何事かと足を止め、振り返る。薄暗い夜道の先、少し離れたところで、両手の銃を地面に落とし、膝をついて血を吐く彩の姿があった。
次の瞬間、彩がへたり込むその横で、瑠華もバランスを崩して倒れかかる。大剣を杖にして踏みとどまるものの、彩と同様、その口からは大量の血が溢れ出た。
「あ、彩ちゃんっ!?瑠華ちゃん!?」
「__来ちゃだめ!!」
文字通り、血を吐くような叫びを上げて、瑠華が怜使を制止する。
そして、自身と彩に迫り来る魔獣達を片端から斬り伏せ、再び地面に剣を突き立てた。
「空気に毒が混ざってる……!!それ以上、こっちに来ちゃだめ!!」
「毒……!?」
当然かもしれないが、目では確認できない。どこまで毒が広がっているのかはわからないが、怜使の位置から瑠華と彩まではそう遠くない。瑠華の言う通り、これ以上近づくのは危険かもしれない。
瑠華と彩は魔法少女だ。彼女たちは普通の人間とは身体能力において一線を画している。それは、耐久力についても同じことが言えるだろう。現に、アスファルトを砕くほどの威力を誇る岩の魔獣の攻撃が直撃した時も、瑠華や伊奈の身体は大事には至らなかった。
その魔法少女が、血を吐いて倒れかかるほどの毒ともなれば、それを怜使が吸った場合にどうなるか、想像もつかない。
歯痒い思いに足を止め、魔獣の蔓延る夜道で喀血するふたりをただ見つめる。そんな怜使の視界の奥に、不意に鮮烈な紅色の何かが浮かび上がる。
「……あれは……?」
場違いなほど美しい、紅の薔薇の花束。それをまとめ上げる黒い布には、別の花の模様が刻まれている。布の下では、鋭い棘を備えた無数の蔦が、蠢いていた。
蠢く大量の蔦が、弾かれたように一斉に布を押しのけて外側へ飛び出す。20、いや30本に迫ろうか、蔦は一瞬誇示するように宙に留まった後、それぞれ思い思いにしなり、鞭の如く振り回された。
轟音を奏でながら、風を切る蔦が周囲を無造作に破壊する。塀を打ち壊し、木々を薙ぎ倒し、魔獣たちを切り裂き、無差別な破壊の渦は、毒に喘ぐ瑠華と彩をも巻き込み、吹き飛ばした。
一瞬遅れて吹き荒れる突風と煙に怯み、怜使は腕で咄嗟に顔を覆い隠す。両脚で踏ん張り、体勢を崩されないように必死になっていたところに、伊奈の両腕が回され、支えられる。
数秒経って風が止み、目を開ける。街路樹は折れ、街灯は歪み、見知った住宅街の夜道は、まるで嵐でも過ぎ去ったように大きく破壊されていた。
怜使たちを追っていた魔獣たちは、薔薇の花束___のような魔獣の煩雑な攻撃により、殆どが細切れにされ、消滅している。
それを成した薔薇の魔獣は、視界の奥で歪んだ街灯に不気味に照らされている。光に当てられ、紅の花弁の隙間から、紫とピンクの入り混じった、毒々しい色の粉が湧き出ている様がよく見えた。
「もしかして、あれが毒の___」
「__っ、れーちゃんっ!!」
「おわっ!?」
怜使の左腕がぐいっ、と後ろに引かれる。その刹那、怜使の右頬を何かが掠めた。
腕を引かれた勢いで脚がもつれ、バランスを崩す。真横から怜使の腕を引いた伊奈の小さな体も巻き添えにして、ふたりして地面に倒れ込んだ。
何事かと正面を見ると、そこには鋭い刃を両腕に備えた、巨大なカマキリが佇んでいた。
「ひっ……」
ひと目見て、怜使の頬を掠めたのが眼前で鈍く光るカマキリの腕であることを悟る。掠っただけの右頬がじくじくと痛み、その刃の切れ味を如実に伝えていた。
カマキリがふたつの刃を掲げ、体勢を崩したふたりに向けて振り下ろす___その刹那、不意に体が、何かに優しく跳ね除けられた。
アスファルトを砕く音と共に、すぐそばに刃が地面に突き刺さる。つい1秒前まで、伊奈と怜使がいた方向だ。
__否、聞こえたのは、アスファルトを砕く音だけではない。何か硬いものを断ち切るような、例えるなら、魚の頭を落とす時のような、そんな、音が。
ドクン、と心臓が鳴る。乱れた呼吸がさらに不規則になり、手のひらにじっとりと汗が滲み出す。指先が、手が、腕が、震える。
恐る恐る首を回し、音のした方を見る。そこにいたのは地面に伏せる白金瑠華___そしてその手前には、大量の血と、肘のあたりから切り離された、陶磁器のような左右の腕。
瑠華の両腕が切られていた。
「……ぇ……?」
「__るーにゃっ!!」
背を丸め、苦鳴を押し殺す瑠華は、伊奈の呼びかけにも反応を示さない。その代わりに、切られた腕からどくどくと血を流し、体を痙攣させていた。
瑠華の両腕が切られた。
「……ぁ」
その惨劇を前に、怜使の喉から掠れた声が漏れる。
瑠華の両腕が、切られた。
視界に映る情報を処理できず、へたり込んだまま固まる怜使の頭上で、魔獣は無情にも血に濡れた刃を構える。
「___ぅ、ぁぁぁああああッ!!」
咆哮と共に、瑠華が起き上がる。
肘から先をなくした両腕で無理矢理体を起こし、そばに落としていた大剣の柄を口に咥える。と同時に、上空に向けて跳び上がった。
「おぉああ゛あ゛ッ!!!!」
跳躍の勢いのまま首を振り、カマキリの腕を大剣で切断。着地後すぐに再度跳躍し、回し蹴りでカマキリの頭を潰す。
瑠華はその回転を殺さぬまま旋回、両腕から血を撒き散らしながら、遠くの魔獣___血を吐き、地面に蹲う彩の頭を今にも啄まんとする白鳥に向けて、口に咥えた大剣を投げ飛ばした。
高速で回転しながら飛んで行く大剣は白鳥の胴を貫き、その体を霧へと変える。
我が身を顧みぬ、鬼神のごとき戦いぶり。その刹那、間断なく遠方から伸びてきた2本の蔦が、剣を放ったばかりの瑠華へと迫り、その細い首を締め上げた。
「ぐっ………」
呼吸を遮られ、瑠華の喉から苦鳴が漏れる。
蔦の伸びてきた方を見ると、先刻の大きな薔薇のような魔獣が遠目に見えた。魔獣は脚の役割を果たす無数の蔦をうねらせ、じわじわとこちらへ近づいてくる。
「怜使……ちゃん……」
「___」
「逃げ………て………」
血の流れ続ける腕で遠くを指しながら、瑠華が小さく告げる。彼女の示す先には、精一杯の駆け足でこちらに向かう、覚束ない足取りの老婆__櫻が駆け寄ってきていた。
荒波のように押し寄せていた大量の魔獣も、残るは薔薇の魔獣一体のみ。けれども、伊奈は魔力が底をつき、彩は毒に侵され、瑠華は両手を失い剣も握れない。残されたのは、無力で愚かな天音怜使ひとり。
「みんな、と……逃げて………お願い………」
そう懇願し、瑠華は青い顔で弱々しく、微笑んだ。
それを受けて、隣にいた伊奈がゆっくりと、立ち上がる。
膝を両手をつき、弱々しくも立って見せた後、伊奈は未だへたり込む怜使の顔を見て、微笑んだ。
「__れーちゃん。お願い、彩ちゃんを連れて逃げて」
「___」
「るーにゃの……あたしたちの覚悟を、無駄にしないであげて」
伊奈の体が光に包まれる。
キラキラと、光の粒子をこぼしながら、見慣れた魔法少女の装いで微笑む伊奈。しかしその脚は震え、杖を地面につき、顔色も優れない。
伊奈が魔力切れで倒れてから、まだ10分も経っていないのだ。見るからに、とても戦える状態じゃない。
頭の悪い怜使でも分かる。伊奈は、怜使を逃がすために、犠牲になろうとしている。
ゆっくりと、伊奈が魔獣に向かって歩き出す。弱々しく杖をつき、その様子はまるで左足を庇っているようだ。気づかぬ間に捻ってしまっていたのか。先ほど怜使の腕を引いてバランスを崩した時、だろうか。
「怜使!」
背後から、櫻の呼びかけるのが聞こえる。
その声色は焦燥に満ち、普段より幾分か語気が強い。
「早くおいで!彩たちはわしが……」
「……嫌だ」
「…………え?」
ふと、口をついて出た言葉に、櫻が間の抜けた声を漏らす。しかし、この場で最も驚いているのは、他でもない怜使の方だった。
本当に、無意識のうちに口からこぼれた拒絶の言葉。そんなセリフを吐く資格は怜使にはない。そんなことはついさっき、伊奈を助けようと魔獣に立ち向かい、殆ど何もできずに殺されかけたことで、しっかり再確認したはずだ。怜使は弱い。頭も悪い。戦いからも縁遠く、臆病だ。今だって呆気に取られて、声も出なかったはずなのに。
___天音怜使よ。そんなにみんなに縋っているのか。
15年の人生で初めてできた友人を、そんなに手放したくないのか。
内側から、誰かが問いかけるのを感じる。
それが誰の言葉なのか、怜使にはわからない。だが。
胸を張って言える。それだけは違う、と。
「みんなは、私を助けてくれた。こんな、何もできない私のことを、友達だって言ってくれた!」
なぜ、みんながそう呼んでくれるのかはわからない。
怜使は、みんなと共に戦えない。役にも立たないし、面白くもないし、迷惑ばかりかけるし、自分勝手だ。そもそも、住む世界がみんなとは違うのだと思う。悪いところを挙げたらキリがないくらい、愚かな女が天音怜使だ。
「私には力もないし、頭も悪いし、ドジで臆病だけど」
それでもだ。それでもみんなは怜使を友達と呼ぶ。
昔、漫画で読んだことがある。__『友達』とは、対等な関係のことを言うのだ。
「ここでみんなを見捨てたら、私はもう、みんなの『友達』じゃない……!」
みんなが怜使を友達と呼ぶなら、怜使はみんなと対等でありたい。みんなが怜使と共にあることを望むなら、怜使もみんなと共に生きたい。みんなが怜使を助けるつもりなら、怜使も、みんなを助けたい。
『__いつか、何としてもご友人を助けたいと思った時に、その箱を開けてください。きっとあなたのお力になると思います』
不意に、若芽のような少女の言葉が脳裏をよぎる。
はっと思い当たり、手放さずに持っていた鞄の中をまさぐる。そして目当ての物___あの時、あの少女から受け取った箱を取り出した。
ごくり、と緊張に喉を鳴らす。一瞬、開いた瞬間に爆発する仕組みにでもなっているのでは、という疑念がよぎる。が、その不安を強引に捩じ伏せ、覚悟を決める。
勢いよく開き、中身を確認する。幸い爆発はせず、中にあったのは小指サイズの瓶と、一枚の紙切れ。
___『親愛なるアナタへ。願いを胸に、一気にお飲みください』。
瓶の中には、濃いピンク色の液体が収まっている。夜の淡い光に照らされてか、液体自体もぼんやりと光っているように見えた。
一切の迷いなく、蓋を開ける。同時に瞼を閉じ、己の内にある願いに思いを馳せる。
「っ!?れーちゃん、なにそれ……!?」
その瞬間、魔獣に向かってゆっくりと歩みを進めていた伊奈が、突然怜使の方へ振り向く。目を見張り、信じられないものでも見ているかのような表情で、怜使の手元の瓶を見つめていた。
その反応を示したのは、伊奈だけではない。魔獣に捕まった瑠華も、地面に倒れ伏す彩も、すぐそばまで駆け寄ってきていた櫻も、そして薔薇の魔獣すらもが動きを止め、一様に怜使を見つめていた。
しかし瞠目し、己の願いを反芻する怜使は、それに気づかない。
「私は___私は、みんなの力になりたい。いっぱい、何度も何度も傷ついて、それでも誰かを救おうと必死に戦うみんなを、支えてあげたい!」
生きる世界が違う?生まれ持ったものが違う?生きてきた人生が違う?___そんなこと、知るか。
みんなそうやって、あの子たちを遠ざけて、傷つけてきたんだろう。誰も寄り添ってくれないまま、傷つきながら戦う心優しい彼女たちに、別の世界の住人だからと諦めさせてきたんだろう。
何度だって言ってやる。そんなこと知るか。怜使は瑠華の、彩の、伊奈の、『友達』だ。
「みんなを置いて自分だけ逃げるなんて、絶対に嫌だ!みんなが戦うなら、私も一緒に戦う!誰も助けてくれないなら、私がみんなを助ける!___誰もなってくれないなら、私が一番になってやる!!みんなの、本当の『友達』に!!」
微かに震える声で、されど確と啖呵を切り、手元の瓶を見つめる。
これを飲めば、何が起こるかわからない。ただの水かもしれないし、あるいは猛毒で、瞬く間に死んでしまうかもしれない。それでも、命を落とすかもしれないとしても、賭けてみたいと思った。
瞼を閉じ、覚悟を決める。瓶に口をつけて、勢いよく、呷る。
「___っ!?」
その瞬間、怜使の体を、水色の光が包み込んだ。




