ep.12
「君、ちょっといいかい?」
突然目の前に1人の警備員が現れた。
血走った全身から急に血の気が引いていく。
「え、あの……」
どうやら不審者が居ると通報があったらしい。
不審者ーー。
俯瞰して見ると明らかだ。
こんな夜に1人、大声を出しながら散策してる奴なんて、相当不気味だろう。
警備員が目を細めて凝視していた。
「すいません。亡くなった友人の事を思い出していて……」
本当の事を言ったまでだ。
なのに、目頭が熱を帯びるのを感じた。
亡くなった……
今の今まで口に出したことなど無かった。
俺のせいだと責め続けている間は、祐希が側に居てくれると、どこかで思っていたから。
「そうか。その若さで友人を失うなんて、辛かったろう。弔い旅の途中に悪かったね。ただ、大声は出さないようにだけ頼むよ」
そう言って警備員はポンと俺の肩に触れた後、去っていった。
弔い旅。
まるでエコーのように鼓膜を揺らす。
目から流れた雫が影へ落ちた。
死んだ祐希、命があるのに生気の無い俺。
一体どちらを弔っているんだろう。
いつの間にか周りにあった観光客の姿は消え、夜だけが静かに更けていった。
また続きは明日にしよう。
俺には持て余すほどの時間だけはある。
影を見つめた後、駅前のネットカフェへ向かって足を踏み出した。
頭上には無数の星とぼんやり浮かぶ月。行き交う車に酒の臭いを放つ酔っぱらい。2人の世界に入り込むカップルに、ただ騒ぎ立てる若い奴ら。
倉敷の街並みと、どこまでも広がる暗い夜空は、俺を1人きりだと告げていた。
学校で寂しかったあの時の、救ってくれた祐希への想い。
ただ毎日が楽しくて、これが永遠に続くものだと思い込んでいた。
あの時の俺はニ度と孤独に戻りたくなかったんだ。
建物の影に入ると、俺のシルエットは飲み込まれた。影は……もうそこには居なかった。
駅前には暗闇を裂くネオンが光る。
たちまちうるさく映る街並みに、大きなため息が落ちた。
そのままビルの中へと足を進める。
ネットカフェの自動ドアが開き、受付を済ませると、鍵付きの個室へと向かった。
施錠をし、リュックを床へ置くと、思ったよりも疲弊している体に気付く。
腰を下ろし、横になると俺はそのまま眠ってしまった。
ポケットに入れたスマホからの通知音など聞こえる事もなく。
その日は久々に夢を見た。
倉敷を祐希と2人、笑いながら散策していると、突然霧の中へと迷い込んだ。その中で離ればなれになった祐希を探すべく、俺は叫びながら走った。どこまでも晴れない霧に焦る内、俺自身が薄れて消えた。でも消えて、霧と同化した事で祐希が見えたんだ。
「霧になって見つけるなんて、律は冴えてるよ。見えてるところしか探せなかった僕とは違うね」
やられたと言わんばかりに、苦笑いを浮かべた祐希が俺へ手を伸ばす。
その手を握り締めた時、目が覚めた。
天井の白い壁に、一瞬どこか分からなかった。寝ぼけた脳が理解するまでのほんのわずか、さっきの言葉が浮かぶ。
見えてるところと、見えないところ……。
俺は何かを見過ごしてる気がしてならなかった。
頭をぼりぼりと掻いた瞬間、汗臭さが鼻を掠める。
シャワーつきの個室にして良かった。
おもむろに立ち上がると、昨日の汗をしっかり流した。
濡れた頭にタオルを被せながらスマホの画面をタップする。画面は黒いままバッテリー切れのマークだけが点いた。
「くそ、ダル」
リュックからモバイルバッテリーを探し出すと、充電を始めた。
その間に持ってきたパソコンでブログを確認しようと開いたが、電源が入らない。表面に付着する砂利や埃を叩くと、リュックを覗いた。普段からの雑さが仇となったのか、充電端子に何かが詰まっている事に気付いた。それに、角が傷付いている。
どこかでぶつけた……?
濃厚な昨日を思い出していると、自然と舌打ちが出た。
岡山駅で筋肉男にぶつかって、尻もちをついた時だ。きっとその時にリュックも勢いよく打ち付けたんだろう。
苛立ちが思い返された。
だが、パソコンは無職の俺にはもう要らないのかもな。
怒りに情けなさが混じる。壊れた端子と傷ついたボディを指でなぞった。唯一あった社会人としての装置さえ、ガラクタに成り下がった。パソコンを雑な手つきでリュックへ落とすと、スマホの電源ボタンへと触れる。
早く点け。
黒から白に切り替わる画面を、睨みを効かせながら凝視した。
通知が1件。
頭にかけたタオルをもぎ取り投げる。
昨日寝落ちたせいで気付かなかった自分に腹が立つ。
急いでタップすると、彼女の最新のブログが表示された。
「妹」
たった一文字と、庭先で優雅に咲く花の写真。
3枚の大きな黄色の花びらに、中央には茶色の虎のような模様が目立つ。そこからはアンテナのように伸びる何かがあった。インパクトの強い外観だが、鮮やかな黄色がヘッダーの向日葵のようだった。
そのすぐ側には金持ちの家にあるような立派な池が見えた。大きな木の幹が反射して見える。
分かっている。調べたら、意味なんてすぐに。
でも、この一文字の異質さが手を震わせる。理解してしまうのが途端に怖くなった。
刻み始めた鼓動は体をノックする。早く、お願い……と聞こえるようだった。
落ち着かない心臓はスピードを上げていく。
頼むから、待ってくれ。
悲鳴を上げ始めた。
すっかり空になった胃袋から切りつける痛みを感じる。乱れていく呼吸と同時に、濡れたままの髪にまた湿り気が加わる。
浅く呼吸を繰り返し、心拍を落ち着かせる事にだけ集中した。
大丈夫、大丈夫だ。
何がかは分からないが、とにかく言い聞かせる。
少しずつ、呼吸が深く出来るように整い始めた。
じめっとした指先の緊張感は残ったまま、画面をタップし検索へと移った。
チグリジアの花言葉は「誇らしく思う」「あざやかな場面」「私を愛して」。
まただ。
どれもが違和感でしか無い。
妹に対しての思いもあるのだろうが、これではないと、指先が動く。
スクロールした先で見えた文字に、乾いた唾を飲み込んだ。
怖い花言葉……「私を助けて」
視界に飛び込んできた瞬間、またカーテン越しの祐希が浮かんだ。小刻みに震える手と、涙をぬぐう仕草。助けを求める口の動きが脳にこびり付いている。
その上に重なるように"妹"という一文字と、あの影が交わった。祐希では無いのに、それ以外に思う事すら脳が拒絶する。また内から脈が速度を上げて流れ出す。
だが、そんなまやかしに騙される俺じゃない。祐希はわざとこの言葉を使って、あの頃のように俺を試しているんだ。鋭い牙を隠し続けながらーー。
岡山への誘導、花、色、このなぞなぞの出し方……これは祐希から俺への最後の挑戦状。
是が非でも彼女を助けろ、と言ってるようだった。
スマホの画面には続けて文字が並ぶ。
どうやらチグリジアはたった1日しか咲くことのできない花のようだ。「もっと咲いていたい…だから助けて」といった願いから来ているのか。
『見えてるところしか探せなかった僕とは違うね』
ふとさっきの夢を思い出す。
「祐希、ヒント……なんだろ?」
リュックにつけたお守りを指先で弾くと、笑うように揺れた。
ブログを飾るヘッダーの向日葵。その花束に祐希の顔を重ねた。1、2、3……全部で15本。その一つずつに色んな表情が浮かび上がった。
でも流暢に浸っている時間など、
俺には無かったんだ。
それを知ったのは……
限りなく近い未来だった。
アスファルトに列を成す蟻たちが
ゴミくずへと這う。
それは俺の脳の溝を、黒で埋め尽くす。
ゴミを漁るカラスの鳴き声だけが、
あの瞬間の
たった一つの日常だったんだ。




