59.アッシュさんの言葉
ハルが突然顔色を失くして立ちすくむ様子を見て、只事ではないと感じた双子は、ドンチャ王子の元へ走ったようだった。
「黒戦士、大丈夫か?どうしたんだ?」
ドンチャ王子に腕を掴まれて呼びかけられたハルは、自分の思考の中から意識を戻した。
視線を上げてドンチャ王子を見る。
ハルは確信に近い予想を持ちながらも、ドンチャ王子に慎重に尋ねた。
「……ねえ。もしかして、だけど。神様からの討伐任務は終わったの?神託あった討伐って、あの森で会った魔物の封印が最終目的だったのかな…?」
ハルの言葉を聞いたドンチャ王子が息を飲むのが分かった。
――やっぱりそうなんだ。
王子が答える前に、ハルは答えを知る。
「……そうだよ。神託を受けた討伐は終わったんだ。黒戦士があの魔物を封印してくれたと、ミルキーが神から新たな神託を受けたんだ」
ドンチャ王子はそこで言葉を切って、ハルの目を覗き込んで尋ねた。
「黒戦士は神に会ったのか?」
神に会う。
ハルは王子の言葉に、目覚める前に見た神の夢を思い出した。
『夢――?』
神様と会った夢は、夢だったのか。
あの食堂の扉を開けるまでの夢も、本当に夢だったのだろうか。
「会ったかもしれない。……夢かもしれないけど」
ハルがひとりごとのように呟く。
「神様は『元の世界に戻してくれる』って言ってくれて、元の世界に繋がる扉まで連れてってくれたのに。
……私が立ち止まっちゃったんだ。
あの扉を開けた先が、多分元の世界だったんだと思う」
ハルはそう言って、左手のアッシュの腕輪を眺めた。
「お守りのこの腕輪も、魔法のステッキ剣も返してなかったし、ケルベロちゃんにも会ってなかった。それに誰かが『その扉を開けてはいけない』って止めたんだ。……あのまま帰れなかったんだよ」
ハルは小さくため息をつく。
帰れなかった事が悲しい気もする。
だけど立ち止まったのは自分だ。
あのまま帰っても、腕輪と魔法のステッキ剣とケルベロスの事は、元の世界で心を残し続けていたと思う。
帰れなかった事を悔やむべきではないのかもしれない。
ボンヤリと考え込む様子を見せるハルを見て、ドンチャ王子が優しい声で、ハルを落ち着かせるように話しかけた。
「その腕輪と剣は、ミルキーの兄のアッシュ戦士の物だろう?エクリュ国で世話になったみたいだな。
今、この王城にアッシュ戦士を呼んでるんだ。すぐに彼をこの部屋に呼ぼう。
それからケルベロスにも会えるようにするから、これからの事はそこから考えよう。
――大丈夫だ。きっと黒戦士が納得できる道が見つかるよ」
ドンチャ王子の声に、ハルは眉を下げて笑った。
「そうだね。ケルベロちゃんにも、アッシュさんにも早く会いたいな。アッシュさんに会ったら、腕輪の魔力の補充を頼まなきゃ」
それからアッシュはすぐにハルの部屋に来てくれた。
ハルが王城に運ばれた時に、ドンチャ王子から通達が入り、エクリュ国のアッシュもすぐに呼び出された。
アッシュは、ハルが眠りから目覚めるのを英雄達と一緒に待っていてくれたらしい。
ドンチャ王子は、ハルとアッシュがゆっくり話せるようにと席を外してくれた。
「アッシュさん、私が起きるのを待っていてくれたんだね。ごめんね、私のせいで呼び出されちゃって。
……だけど来てくれてありがとう。この前お別れしたばかりだけど、なんだかだいぶん前みたいに感じるよ」
ハルが申し訳なさそうに謝ると、アッシュさんは明るく笑ってくれた。
「黒戦士様が無事目覚めて本当に良かったです。
ドンチャヴィンチェスラオ王子が私を呼んでくれたおかげで、黒戦士様の無事をこの目で見ることが出来たんですよ。感謝しているくらいです」
そうアッシュが話すと、ハルはやっぱりアッシュの『黒戦士』呼びが気になってしまった。
「黒戦士って呼ばれると、すごく他人行儀に聞こえちゃうね。ねえ、アッシュさん。私の本当の名前は波留っていうんだ。波留って呼んでくれるかな?」
「ハル様。――『ハル様』がお名前だったんですね。とても良いお名前ですね。以前の呼び方より親しみを感じます」
ハルの話す言葉を、そのまま当然のように受け取ってくれるアッシュの相変わらずの優しさに、ハルは安心する事が出来た。
『アッシュさんになら落ち着いて話せそう』
そんな風に思えた。
だからハルは、アッシュと白い国で別れた後の数日間の出来事を、記憶をたどりながらゆっくりと感じたままを話していった。
久しぶりに会った英雄達の話。怖かった少女達の話。
森であの怖い魔物に会った時の話。
夢かもしれないけど神様と出会った話。
夢かもしれない元の世界の扉までの話。
全てを、落ち着いてアッシュに話す事が出来た。
穏やかに相槌をうつアッシュに話すうちに、ハルの気持ちの整理がついてくる。
――あれは夢じゃない。
その事実をハル自身が認める事が出来た。
ハルが話し終えると、アッシュはハルを見つめて遠慮がちに尋ねた。
「腕輪と剣がハル様を引き留めてしまいましたか?」
ハルはゆっくりと首を振る。
「この腕輪と剣は、私のお守りになってくれたの。
このお守りがあったから、私は夜の森にも付いて行けたし、一人でもあの怖い魔物に立ち向かえたんだ。
『アッシュさんに絶対に返さなきゃ』って思えたから、諦めないでいられたんだよ。
だからこれは神託任務を完遂するには必要な物だった。返さないで元の世界に戻っていたら、一生後悔する事になったと思う。
だからこれで良かったんだよ」
ハルの言葉を聞いて、アッシュが静かな声で言葉を返した。
「ハル様、お貸しした腕輪も剣も、ハル様の世界に持って行っても良かったのですよ。これからもハル様のお守りとなるなら、ずっと持っていてください。
そしてもし、また元の世界の扉に辿り着く事が出来た時は、腕輪と剣の事は気にせず、ハル様の思うように進んでください。
その時に腕輪と剣がハル様と一緒に付いて行く事が出来なかったとしても、たとえこの世界のどこかに取り残されたとしても――その腕輪と剣は、そこまで一緒にハル様のお供ができるのです。
私はそれをとても光栄に思いますから、剣と腕輪にハル様が心を残す事はないのですよ」
そうアッシュは話してから、いつものように朗らかにハルに笑いかけた。
「それでも、こうしてまたハル様にお会い出来た事は、とても嬉しく思っています。きっとケルベロス様も、ハル様にお会い出来る時を待っていますよ。
ハル様を引き留めたのは、『ハル様に帰ってほしくない』と願う、この世界の想いなんでしょうね」
――私にこの世界にいてほしいと願う、私を想う気持ち。
アッシュがそう言うなら、きっとそうなんだろう。
あの時私を引き留めたのは、アッシュの腕輪と魔法のステッキ剣と、ケルベロス。それから私を引き留める声だった。
「アッシュさん、あの扉を開けようとした時にね、『その扉を開けてはいけませんよ』って声がしたんだ。
その声で目が覚めたんだよ。それも私を想う気持ちで、私を引き留めたのかな?」
アッシュがハルに笑いかける。
「そうですね、たくさんの人がハル様を想っていますが。その人が一番ハル様を想っているでしょうね」
「……そっか」
アッシュがそう話すなら、きっとそれは真実なんだろうとハルは思えた。




