57.この世界の神様
「ハル、そろそろ目覚めなさい」
ハルは自分を呼ぶ優しい声に目を覚ます。
眠りから意識が戻る時はいつも、ハルはなかなか目が開かないし、頭もボンヤリしている。
だけど今は、目覚めたばかりとは思えないほど頭がスッキリしていて気分がいい。
ハルは閉じていた目をパチリと開くと、目の前にどこか輪郭がハッキリしない人が立っていた。
男性とも女性とも、若いとも老いてるとも言えないその人物が誰なのか、ハルには分かる。
彼は神だ。
「神様ですね」
「そうです。やっとお話しできますね」
ハルの問いかけに神が応える。
「話……?」
――神と会えるのは任務完了後ではなかったのか。
神が口を開く。
「ハルのお陰で世界は無事救われました。あの厄介な魔物を一千年の眠りにつかせてくれたのは、全てハルのお力によるものです。よく私の真意に気づいてくれましたね。
……そう、ハルは記録の為だけに呼ばれた者ではないのです。遺跡から必要な情報を引き出し、世界の滅亡から救うという役割を全うしてくれた事に、深く感謝します」
「え………?」
驚きすぎて一瞬思考が止まる。
――いやいやいや。待って、待って。情報が多すぎる。
いきなりエンドロールが流れ出す勢いだ。
え?何?任務って完了したの?
待って。いつの間にかラスボス封印した事になってる?
え?ラスボスって世界の滅亡レベルのヤバいヤツだったの?
待って。タブレットって撮影目的じゃなくて、ラスボス倒す情報を引き出す為に渡されてたの?
え?何?マジでなんか良い感じに終わっちゃったの?
混乱するハルに、神が慈愛の微笑みを浮かべる。
「ハル、あなたの希望は分かっています。今すぐ元の世界に戻してあげましょう」
「え?……あ、はい……?」
戸惑いすぎて何を言ったらいいのか分からないハルに、神は優しい声で語りかける。
「ハルの心配している事は分かっていますよ。突然長い間元の世界を離れてしまった事で、どれだけ元の世界の人を心配させ、騒がせてしまっているか心配しているのでしょう?」
「あ、はい」
――確かにその点はとても不安がある。
突然行方不明になった女が、また突然戻ってくれば、テレビで特集を組まれてしまうくらいの案件だ。
そんな有名人にはなりたくない。
「大丈夫ですよ。ハルは少し長い旅行に出たことになっています。私がハルの周囲にいた者達に、上手い感じでお伝えしたところ、ご両親もご友人も納得してくださいました。『お土産よろしく』との事です。
それに家賃や光熱費の滞納を心配しているのでしょう?」
「あ。はい」
――なんかサラッと流されたが、これだけの期間を「長い旅行」で納得された事に、少し納得はいかない。しかし今は置いておこう。
家賃滞納はマジヤバい。
帰って住む場所がないなんて、悲劇以外の何ものでもない。
「ハルの引き落とし口座に、まとまったお金を振り込んでいます。振り込み相手の名前は『バリアスカラー国の神』としていますから、また元の世界で確認してくださいね」
「あ。ありがとうございます」
――神からお金を振り込まれた。口座への振り込みというのが、妙に現実的だ。
それにしても。
この世界と元の世界はお金が違う。
「神様、どうやって元の世界のお金に換金されたのですか?」
「お金を換金する事は、神といえど超えてはならぬ領域ですからね。私があの世界で働いて稼いだお給料なのですよ。ハルも私があの世界で仕事をしていた事を知っていたでしょう?」
「え!!!」
――いやもう何?情報多すぎる。
神様、リアルに仕事して、召喚者の生活の為の金を稼いでたの?
いやそれよりも。
「私、神様とお会いするの、今が初めてなんですけど」
――流石にこんな存在は、すれ違っただけでも覚えていられる。
神は『おや?』というように片眉をあげた。
「ハルは私の正体に気づいていなかったのですか?回転焼きを焼いていると、必ず私を見ていたというのに。私の正体に気づく稀有な存在として、ハルを召喚者に選んだのですよ」
「回転焼きのおじさん……」
ハルは愕然とする。
確かに元の世界では、バイト先隣にあった回転焼きの作業に、いつでも目が釘付けになっていた。
だけど焼いているおじさんに注目していたわけではない。
ハルは回転焼きが焼き上がる様子を見守っていたいだけだったのだ。
ハルの様子を見て、神は少し寂しそうに笑い、言葉を続けた。
「ハル、あなたは名前を無くしてしまいましたが、元々あなたは『クロイハル』ではなく、『ハル』が名前です。『クロイ』の姓の後、一呼吸おいて『ハル』を名乗れば、これからも名前を使う事が可能でしょう」
「黒井」「波留」
確かに続けて言おうとすると口が動かないが、少し名前を話すと言葉に出来る。これなら元の世界でも何とかなるだろう。
神は語る。
「今まで英雄戦士達の名前をハルが覚えられなかったのは、討伐の最終目的の魔物封印には欠かせない事だったからです。
ハルならばきっと『魔物に名前を渡すこと』という解決法に気づいてくれると思っていました。
帰還の時になってしまいましたが、今なら自然と英雄戦士達の名前を口にする事が出来ますよ」
―― 戦士の名前。
「シアン」「フレイム」「フォレスト」「メイズ」「マゼンタ」
五人の戦士を思い浮かべて名前を呟く。
「……あ。覚えた」
あれだけ興味が無かった戦士達の名前が、急に頭に浮かんだ。
あの国宝級美貌の戦士達の名前に興味すらもてなかったのは、神からの強制力みたいなものがあったのかもしれない。
「神様、私をこの世界に呼んだのは、回転焼きを見学する者だったからですか?」
――そうであれば世界中の回転焼き愛好者に危険がある。
「いいえ、それは違いますよ。確かにハルに素質を見たのは回転焼きの仕事中ですが、もちろんそれだけで選んだ訳ではありません。あの魔物の元へ導かれるには、ハルでなければ成されない流れがありました。
この世界でハルが体験した事全てに、大なり小なり意味があります。ハルだからこそ選んだのですよ」
神の慈愛に満ちた言葉は、ハルの心に素直に響いた。
ここに来たのがハルである事に意味があるなら、この世界に来たことを悔やむ事はない。
「分かりました。ありがとうございます」
ハルは安心してやっと笑う事が出来た。
情報量多すぎて、ハルはもう何もかもを納得する事にした。
「ではそろそろ出発しましょう」
神様は優しくハルに声をかけた。