06.シアンの家庭事情
カフェ『ラピニカ』の店内は広い。
シアンの母が共同経営する店は、カフェというより広いレストランのような、大きなお店だった。
「今日は女の子のお客さんもいるけど、普段うちの客は討伐者が多いのよ」とシアンの母のラピスが話してくれていたから、テーブルと椅子がビックサイズなのは、討伐者サイズだからかもしれない。
ラピスが、「ハルちゃんはゆっくりしていてね。ハルちゃんが見ていてくれるから、ほら、あの子達も文句を言わずにちゃんと働いてくれるのよ。本当に助かるわ」と言ってくれたので、ハルはお言葉に甘えてみんなとテーブルでお茶を飲んでいるところだ。
店の片隅のテーブル席で、双子とミルキーとセージが、ハルと一緒に座ってくれている。
オルトロスがハルのために、テーブルに合わせた高さのソファーになってくれたので、ハルの椅子はひんやりオルトロソファーだ。よしよしとオルトロソファーを撫でる。
「オルトロちゃん、ほらあそこ見て?シアンさんも執事スーツに着替えてるね。お揃いの制服着てると、シアンさんとリアンさんは兄弟みたいだね。オルトロちゃんとケルベロちゃんみたいだよ。よしよし、オルトロちゃんもケルベロちゃんに会いたいね〜。
ほらあっちも見て?女の子のお客さん達、みんな大喜びしてるよ。……でも神様にもらった指輪のせいかな?シアンさんには嫉妬の危険がなさそうだね、リアンさんにはありそうだけど」
執事スーツを着て黙々と仕事をするシアンに対して、お店にいる女の子達の黄色い声が聞こえない。
眉間にシワを寄せた険しい顔でも、国宝級の美貌は輝きを見せているのに、嫉妬を抑える指輪が仕事をしていた。
女の子達の熱い視線は、全てリアンに向けられている。
「シアンさんは、すっかり安心安全な子になったねえ。ね、オルトロちゃんもそう思うでしょう?」
なでなでとオルトロスを撫でる。
「シアン様のご実家がカフェを開いている事は知っていましたが、セルリアン様のお家と合同経営されていたんですね」
「このお店は、シアン様とセルリアン様が幼い頃に開いたお店みたいですよ。お二人はご兄弟のようにお育ちになったのかもしれませんね」
双子の話にハルは頷く。
「二人とも似てるもんね。お家の事情も似てるみたいだし」
「お家の事情……ですか?」
「うん。私も今日初めて聞いた話なんだ。あのね、あまり大きな声で言っちゃいけない話なんだけどね」と、ハルはヒソヒソ声に変える。
「シアンさんのお父さんも、リアンさんのお父さんも、二人が小さい時に浮気して、家を出て行っちゃったんだって。お父さん達は、他所の家で暮らしてるって言ってたよ。ひどいお父さんだよね」
「まあ!別の家庭を作ってるんですか?お二人にはそんなお辛い過去があったなんて……」
「ですからカフェを開いて、ラピス様とベロニカ様が女手ひとつで子供達を養ってきたんですね。あんなにお綺麗なのに苦労されたんですね……」
優しい双子がひどい話に顔を曇らせている。
ハルだってひどい話だと思う。
「女の子にだらしのないお父さんだと、奥さんも子供も苦労するよね」
「本当にだらしのない男ですね」
「顔を見てやりたいですね」
「違う!!そうじゃない!俺は妻子を捨てていない!」
「そうだハルちゃん!捨てられたのは、俺たちなんだ!」
ヒソヒソヒソヒソと三人が内緒話に盛り上がっていると、隣の席に座っていた二人組の男がガタン!と音を立てて立ち上がった。
さっきシアンに、「久しぶりだな。立派になったじゃねえか」「帰ってくるなら連絡くらい入れろよ」と声をかけて、バシバシとシアンの背中を叩いていた男だった。
てっきりこの近所に住むおじさんだと思っていたハルは、立ち上がった二人組の男をマジマジと眺める。
彼らはシアンとセルリアンの父親なんだろうか。
体格はシアンとセルリアンにとてもよく似ている。
腰に剣を差しているし、彼らもきっと討伐者だ。
髪の色は確かにそれぞれの二人と似ている。
だけど顔立ちが違う。全く似ているところがない。
立ち上がった男達は、シアンのような国宝級美貌でも、セルリアンのように端正な顔立ちでもなく、厳つい野生味あふれるワイルドな顔立ちだった。
「シアンさんとセルリアンさんのお父さん……?」
信じられなくてセージに『本当?』と目で尋ねると、セージが軽く頷いた。セージは彼らが父親だと知っていたようだ。
ならばひと言言ってやらねばならない。
今なら、双子とセージとオルトロスがハルに付いていてくれる。強気になっても大丈夫だろう。
ハルは、はっきりと二人の父親に告げてやる。
「浮気をしたら捨てられても当然ですよ」
―――そう言い切ってやった。
「違う!浮気なんてしていない!俺はただコイツと―――ああ、コイツはリアンの父親なんだが、コイツと組んで長期討伐に出ていただけだ。帰ったら自宅がカフェに改造されていて、ベロニカさんとサルビアちゃんがウチに住んでたんだ。
シアンがコイツの家でリアンと暮らしてたから、「一緒に帰ろう」って誘ったが、断られたんだよ。そのまま、コイツの家に『野郎チーム』としてまとめられたんだ……!」
「そうだ!俺だって帰ってすぐに、この店にベロニカとサルビアを迎えに来たが、二人とも帰ってきてくれなかったんだよ。リアンにも「二人が帰ってきてくれるように、一緒に頼んでくれ」って頼んだのに聞いてくれなくて……!俺たち父親が捨てたられたんだっ」
必死に訴えてくる二人の男にウソは見られなかった。
念のために、『お父さん達、ウソついてない?』とミルキーを見ると、ミルキーは静かに首を振った。
彼らの話す話は真実のようだ。
ハルがシアンの言葉を間違ってとらえてしまったらしい。
「あの、ごめんなさい。なんか私が勘違いしちゃってたみたいです。………なんで勘違いしちゃったんだろ?シアンさん、あの時なんて言ってたかな?
シアンさんが「幼い頃にお父さんは家を出ていってるし、もう他の家族と暮らしてるから、挨拶に行く必要ないですよ」って言ってたからかな……?他の家族って、リアンさんとリアンさんのお父さんだったんだ」
「シアン………」と、シアンと同じ髪の色をした男が悲しそうにシアンを見ていた。
二人の男が気の毒で見ていられず、セージは目を伏せた。
セージは、隣に座った二人の男が、シアンとセルリアンの父親だと、最初から気づいていた。
気づいてはいたが、シアンが後で自分でハルを紹介するだろうと思っていたのだ。
家族への紹介の機会を邪魔しないように気を遣ったつもりだったが、シアンはそもそも、父親にハルを紹介する事もなくここを立ち去ろうと考えていたようだ。
おそらくシアンは、この店の隣に立つ、セルリアンの家にハルを立ち寄らせたくなかったのだろう。
『万が一にもセルリアンが家にいた時に、ハルを会わせたくなかったからだろうな』とセージは予想している。
『困った奴だな』とシアンを見ると、シアンがとびきり不機嫌そうな顔をしていた。
ハルに褒められようと執事服に着替えただろうに、ハルに褒められる間もなく、店の手伝いをさせられているからだろうか。
禍々しいまでの不穏な魔力が、シアンからあふれ出ていた。