75.王城の七不思議
「ふう……」
ミルキーは最後の書類にサインを終えて、ペンを置いて息をついた。
「終わったのか?お疲れさま。温かい紅茶を淹れるから、少し休もうか」
優しい兄の言葉に、ミルキーは「ありがとうございます」とお礼を伝えて微笑んだ。
ここは王城の中で、白戦士の執務室として当てられている部屋だ。
騎士団の総長としてミルキーは、この部屋で執務をこなし、騎士団に指示を出している。
今は兄のアッシュも共に同じ部屋で仕事をこなしている。
エクリュ国にいる時は、別部屋で過ごす事がほとんどだが、優しい兄との時間は心地よいものだった。
神からの新たな神託はまだない。
集められた戦士達は今なお王城にとどまっているが、次の神託の討伐はほとんど終えているという話なので、もしかしたら当分神託は下らないのかもしれない。
もうしばらく様子を見てから、戦士達は一旦解散としようという話になっている。
王城でのハルの護衛の仕事は、英雄達が訓練指導をしている間の朝のうちだけなので、後りの時間はミルキー自身の時間として過ごしていた。
王城での日々はとても平和だ。
コンコンコン。
――部屋の扉がノックされた。
そろそろミルキー騎士団の者が、書類を受け取りに来る時間だ。
ミルキーは、「どうぞ。お入りください」と扉に向かって声をかける。
「はーい。失礼しまーす。ミルキーさん、お仕事終わった?ちょっと話があるんだけどいいかな?」
扉を開けて元気に返事を返してきたのは、ぬいぐるみを抱えたハルだった。
双子とケルベロスも一緒だ。
「あ……ハル様でしたか。座ったままで失礼しました。仕事が終わって、ちょうどお茶でも飲もうとしていたところだったのですよ。どうぞこちらに」
「こちらに」とソファーセットに手を向けながら、ミルキーは顔を引き締めた。
ハルが「話がある」とわざわざ自分のところに来るのは珍しい。珍しいどころか初めてだった。
兄のアッシュを慕って、「アッシュさん、聞いてよ」と何でもない話をしに来る事はあっても、自分に話があると会いに来た事はなかった。
『おそらくとても重要な話のはず』とミルキーは緊張を走らせた。
「私は席を外しましょうか?」と兄のアッシュが気遣いの言葉をかけた。
「アッシュさんも聞いてよ。すごい話だから。ミルキーさんの側にいてあげて」と、ハルが真剣な顔で兄に言葉を返している。
ハルはみんながソファーに腰をかけるのを見届けてから、声をひそめて話し出した。
「ミルキーさん、知ってる?ドンちゃんの執務室に行く時、歴代の王様の肖像画が飾られてる廊下を通るでしょう?」
「え?あ……はい。ありますね」
ハルが何を話したいのか分からなかったが、ミルキーは頷く。
「……あれ、夜中に喋り出すみたいだよ」
「え……?」
戸惑うミルキーに、ハルは話を続ける。
「ねえ。王立騎士団の訓練場に向かう途中に、たくさんの鎧が並べてあるでしょう?」
「あ、はい」
「……あれ、真夜中に動き出すんだよ。夜中に歩き回る鎧を見つけた騎士さんが、「こんな夜中にどうしたんだ?」って話しかけながらその鎧の肩を叩くと、ポロッと頭が落ちたんだって!」
「…………」
ミルキーはどう言葉を返すべきか悩んだ。
どうやらハルは、ミルキーに怖い話をしたかったらしい。
戸惑いを深めたミルキーに、ハルが低い声でさらに怖い話を重ねていく。
「知ってる?これ最新の話なんだけどさ……。祭壇にお供えしたお菓子が、いつの間にか食べられているんだって。今さっきも無くなってたって噂なんだよ……」
「え!」
「あの、許可がないと誰も近づいちゃいけない祭壇にだよ。少し目を離しただけの間に消えたんだって。お皿いっぱいのクッキーが、だよ……!」
「……………」
ミルキーは何も言わず、ハルの横に置かれたぬいぐるみの口元にそっと視線を送った。
口の部分に微かに付いているあの茶色いものは、クッキーのクズでは無いだろうか。
そんなミルキーの考えを読んだかのように、ぬいぐるみのつぶらな瞳がキラリと光る。
暗く光る目が『何も言うな』と告げていた。『分かっているだろうな……』と語りかけてくるようだ。
その厳しい視線にミルキーは震えた。
胃がキリキリキリキリと痛み出して、ぐっと胸をおさえる。
「そ、そ、そうですか……。そ、それはどうしてでしょうね……」
絞り出すように答えると、ハルが気の毒そうに声をかけてきた。
「……ミルキーさんは祭壇もよく行くでしょう?昼だからって油断しないで気をつけな。もし怖かったら、誰かについて来てもらいな」
「あ、あありがとうご、ございます……ヒクッ」
ぬいぐるみの暗い目が、『祭壇にはお前一人で来い。誰にも言うな』と告げてくる。
怖すぎてシャックリまで出てきてしまう。
震えるミルキーを見て、ハルはミルキーを可哀想に思った。
オバケが出ると言われる場所に行かなくちゃいけないなんて怖すぎるだろう。
自分だってそんな場所に行きたくない。
だけど教えてあげずにはいられなかった。
オバケが出る事実を事前に掴んでいたら、用心する事ができる。
祭壇にオバケが出ると言うなら、一人で行かずに誰かに付いてきてもらえばいい。
自分が付いて行くことは出来ないが。
「ミルキーさん、オバケが怖くない人に付いてきてもらいなね。オバケが怖い人と一緒だと、ますます怖くなる時があるからね」
「さ、祭壇には、わ、私一人で行かなくてはいけないので……!か、必ず、必ずひ一人で向かいます……」
「ミルキーさん……」
さすがミルキー騎士団の総長だ。
どれだけ怖くても、彼はその責任を一人で全うしようとしていた。
王城の七不思議だって避ける道を選ぶ事はないのだろう。
気の毒そうにミルキーを見るハルの隣では、ぬいぐるみの光る目がミルキーに向けられていた。