72.神が伝えたかった言葉
「朝食の時間になっても戻らなければ、すぐに迎えに行きますからね」とシアンに念押しされて、今夜のハルはいつもより早く眠る事にした。
神様が会いに来てくれる時はいつも、ハルが眠っている時だ。きっと今夜も眠りについた後で迎えに来てくれるのだろう。
『えっと……。引っ越しと家賃のお礼を伝えて、朝食までに帰らなかったらシアンさんが迎えに来る事も伝えて……』
眠る前に、神様に会ったら話す事リストを頭の中で整理しながらハルは眠りについた。
眠りの中、ハルを呼ぶ優しい声がする。
――この声は神だ。
早速会いに来てくれたらしい。
ハルはパチリと目を覚まし、神様に挨拶する。
「こんばんは、神様。忘れないように先に伝えておきますね。私の部屋の引っ越し、ありがとうございます。それから家賃も神様が払っていてくれたんですよね?家賃もありがとうございます」
「こんばんはハル。ハルの部屋の家賃は気にしないでくださいね。こちらの都合でこの世界で頑張ってくれているのですから当然です。
出来ればそのままハルの部屋を残してあげたかったのですが、最近は神の世界が多忙を極めていまして。
残念ですが、ハルの世界でバイトを続ける事が出来なくなってしまったのです。
都会は家賃が高いですからね。神の仕事の片手間のバイトでは家賃代をまかない切れず、申し訳なく思っています」
どうやら神は、ハルの世界での稼ぎが足りず、ハルの部屋を引き払う事にしたようだ。
ハルがこっちの世界に住む事を決めたからではなかったらしい。
「築年数20年のワンルームマンションなのに、都会って家賃が高すぎますよね。置いておくだけの部屋に、家賃を払ってもらう方が申し訳なさすぎるので、引き払ってくれて良かったです。ありがとうございます」
「さすがは救世主ハルですね。そう言ってもらえると助かります」
神様が優しく微笑み、言葉を続けた。
「ハルのお母様にもお世話になりました」
「あ。神様、私の母にも挨拶に行ってくれたんですよね。母から聞きました。丁寧にありがとうございます」
ハルもお礼を返す。
「栄養ドリンクを一箱と、様々な種類のお煎餅をいただきました。栄養ドリンクは美味しくいただきましたが、お煎餅に問題があって……」
「え!異物混入とかですか?!あれって消費者センター?製造元?への連絡でしたっけ?」
「あ、いえいえ。そういう訳ではないのです。ちゃんとした大豆入りのお煎餅ですよ。
ただ、今私は地獄の方にかかりきりになっているのですが、大豆は鬼が怖がるもので……。
鬼は今とてもナーバスになっているのです。とても怖い思いをしましたし、地獄も明るくなってしまいましたからね。
せっかくのハルのお母様のお気持ちですが、大豆入りのお煎餅はハルの方に送りますね」
神の言葉に、ハルは豆まきを思い出す。
そうだ。確かに鬼は大豆を嫌がる。
大豆が入ったお煎餅では、地獄に持っていく事も出来ないだろう。
ハルは母に代わって謝罪をしておく。
「あ、はい。母がすみません。怖がらせてしまった鬼の方にも、お詫びを伝えてもらえませんか?」
「ハルのお母様のお心遣いは、とても嬉しく思っています。こちらこそすみません。鬼への気遣いの言葉で、鬼も慰められる事でしょう。ありがとう、救世主ハル」
「あ、いえいえ……」
神様に感謝されてしまった。
ハルはなんて言ったらいいのか分からず、「いえいえ」と言いながら頭を下げた。
「あともう一つお伝えしたい事があって」
「はい。何ですか?」
神様の、続く言葉にハルが頭を上げた。
「ユニコーンの事ですが。ユニコーンがとてもハルに会いたがっているのです。時折りやるべき仕事を放り出して、泣き喚いて会いたがるほどに」
「えっ!ユニコちゃんが!」
ハルは驚く。
あれだけ毎日遊びに来てくれたユニコーンが、全く来てくれなくなった事は、ハルも気にかけていた。
ユニコーンも神の側に仕えるものだろうから、きっと忙しくしているのだと思っていた。
『私の事忘れていないといいな』と思っていたが、まさか泣き喚くほどに自分に会いたがっているとは。
「私もユニコちゃんに会いたいです。いつでも遊びに来てほしいって伝えてもらえませんか?」
ハルが神様に頼むと、神様は心から安堵したようにホッと息を吐き出してから優しく微笑んだ。
「救世主ハル……。ハルはどこまでもこの世界を救ってくれるのですね。ユニコーンは今、片付けなくてはいけない仕事がたくさんあって、そちらの世界に行かせる事が出来ないのです。かといってハルをこちらに呼ぶ事も出来ませんから……。
たまにユニコーンを遊びに行かせてもらいますね。
それからそちらにユニコーンの代わりになるものを送るので、どうかそれをユニコーンだと思って可愛いがってもらえませんか?きっとユニコーンも落ち着くでしょう」
「ユニコちゃんの代わりですか?それはユニコちゃんじゃないんですか?」
「ユニコーンそのものでは―」
ハルの質問に答えかけた神様が、話しかけた言葉を止めた。
ハッと何かに気づいた顔になる。
その真剣な表情に、ハルの体が強張る。
神様が緊張した様子を見せるなんて、ただ事ではない。
何か良くない事が起きるのかもしれない。
『怖い!』
ハルが怯えた様子を見せると、神様が口早にハルに言葉を告げた。
「ハル、朝の四時半は朝食の時間ではないと伝えてくださいね」
そう言い残すと神様は、スウッと姿を消した。
「神様………?」
戸惑って呟くハルに、声をかける者がいた。
「ハル、迎えに来ましたよ」
「あ。シアンさん」
ハルに声をかけたのは、迎えに来たシアンだった。
気がつくとハルとシアンは、王城にある聖堂に立っていた。
この世界に無事戻ってきたようだ。
窓の外はまだ夜のように真っ暗だった。
ハルは「ハルが無事で良かったです」と自分に微笑むシアンに、神からの言葉を伝える。
「シアンさん、朝の四時半はまだ朝食の時間じゃないって神様が言ってたよ」