70.母の言葉
「ねえ。みんなはさ、神託の討伐依頼がこのまま入らなくて解散になったら、何をするの?」
ハルが午後のお茶の時間に英雄達に尋ねた。
もう王城に来てから、すでに数日が経っている。
神託が下るかもしれないが、下らないかもしれないというこの状況の中では、「下らなかった場合」の道も考えておくべきだろう。
ハルはこの世界に残る事を決めたが、この先に何をするのかを具体的に決めたわけではない。
みんなの意見を聞けば、何か参考になるかもしれないと思っての質問だった。
シアンがすかさず答える。
「私はハルと結婚式を挙げて二人で暮らす予定ですよ」
「え?あ、うん。そう……?じゃあその後は何するの?」
「え……。それはまた二人の時に……」
口元を押さえて照れたように視線を逸らす彼をどうにかしてほしい。
ドンチャ王子も英雄達も、白戦士達もみんな集まるこの場で、自分もどうしたらいいのだ。
この場にいる皆の、シアンに向ける冷たい視線に、ハルもいたたまれない思いになる。
ハルはもう考える事を放棄して、目の前のショートケーキの上に乗った苺のつぶつぶの数を数え始めた。
コホンと小さく咳をしたドンチャ王子が、ハルに尋ねた。
「ハルは何か仕事がしたいのか?」
「あ、うん。前に家族と会った時にね、ちゃんとした仕事をする予定だって話したんだ。もしこの先討伐をする必要がないなら、何をしようかなって思って」
ハルの質問の意図を読んでくれたドンチャ王子にホッとしながらハルが答えた。
助かった。部屋に広がる沈黙に、変な汗が出てきたところだった。
「ちゃんとした仕事?今までだって、神託の討伐撮影という立派な仕事をしていただろう?」
「立派……なのかな?うーん……。でも……。ベルソファーでおやつ食べたり寝てたりしてただけだし……。
あ!でも起きてた時もあったよ!起きてる時はちゃんとケロやスーを応援してたし!本当にいつもじゃないんだよ!」
ドンチャ王子に思った事をそのまま伝えながら、「おやつ食べたり寝てたりしただけ」というハルの言葉で英雄達が「まあ確かに」と頷くのを見て、急いでいつもの事ではない事を強調した。
「もちろん分かってますよ。ハル様はいつも頑張っていますから」
「ハル様は立派にお仕事をされてますよ」
双子が力強く頷くのを見て、ハルは嬉しくてへへへと笑う。
「パールちゃんとピュアちゃんが言うならそうだよね!良かった。家族に「ちゃんと仕事してるよ」って言えるよね。
あ!お城なら電波届くかも。充電切れる前にもう一回電話してみよっと!」
気を良くしたハルは、カバンから携帯を取り出した。
今なら自信を持って家族に伝える事が出来る。
王城はハルがこの世界に来た時に、元の世界から繋がっていた場所だ。
もしかしたらここでならハルの声は届くかもしれない。
念のためにスピーカーモードはやめておく。ちゃんとハルの声が届くか確認してからにするべき事だ。同じ間違いを繰り返したりはしない。
「あ、もしもーしお母さん?波留だよ。声聞こえてる?今大丈夫?」
「あら波留。こんなにしょっちゅう電話してくるなんて……あんたこそ大丈夫なの?
――いいのよ、もう。お仕事の面接が落ちたくらいで、そんなに落ち込まなくて」
どうやら声は届くようだ。
すでにちゃんと仕事をしていた事を伝えなくては。
ハルは携帯をスピーカーモードにして、母に堂々と「仕事してます」宣言をするところを、みんなに披露する事にした。
「お母さ―」
「波留、今日は寝癖つけてないでしょうね」
母の言葉にギクリとして、ハルは髪に手をやる。
ハルの一瞬の沈黙で、母は状況を察したようだ。はあとため息が聞こえた。
「もう……寝癖を軽く見てると痛い目に合うわよ」
「えっ!」
ハルは、シアンに手を叩き落とされたドンチャ王子の手を見る。
母はそんな事もお見通しなのか。
「シアンさんに呆れられたのね。だから寝癖はダメなのよ」
母はハルの『お見通しなのか』という思いを読んだようだ。
だけど寝癖でシアンに呆れられて、ハルが痛い目に合ったわけではない。
母親の「恋もダメになったのね」というように、残念そうに声をかけられて、むうっとハルは口を尖らせる。
「違うよ!呆れられてなんかないし!ちゃんと結婚の話もしてるし」
「あら、そうなの?本当に良い人と出会えたのね。良かったわ、これでお母さんもやっと安心できるわ。
お母さん、波留の部屋の引っ越し業者さんの話を聞いて、波留の事本当に心配してたのよ」
「引っ越し業者さん?」
「そうよ。波留が頼んだんでしょう?担当者のカミさんが、引っ越し作業が終わったからって、わざわざ挨拶に来てくれたのよ。手土産に回転焼きまでいただいちゃったわ」
ハルの部屋を引き払ってくれたらしい、引っ越し業者のカミを名乗る人。そして手土産の回転焼き。
――それは神様だろう。
「え、神様がお母さんに会いに来たの?」
「カミ「様」?あら、会社の偉い人だったの?まあとにかくカミさんから、作業前にも連絡あったのよ。部屋にある服とか家具とかどうしますかって。波留はほとんど置いていったのね。処分を頼んだわよ」
「あ、うん。もう使わない物ばかりかな」
「もう波留。引っ越しする時は、恥ずかしい物は処分していきなさい。あんた料理がダメだからって、冷蔵庫の中におもちゃを入れてたでしょう?処分リストに雪だるまって書いてあって、お母さんびっくりしたわよ。それに「拾ったらしい小石」なんてもリストにあって、もうお母さん心配で―」
「ミニ雪だるまはおもちゃじゃないよ。雪が珍しく降った時の記念だし。拾ったのもただの石じゃなくて、ツヤピカの宝石みたいな石だったんだよ」
「いい?ちゃんとした社会人は雪だるまを冷凍庫に入れたりしないし、その辺で石を拾ったりしないの」
はあとまた母のため息が聞こえる。
「も〜私の周りではみんな当たり前にしてる事だよ。宝石は買う物じゃなくて作る物だし、今日の寝癖だって、友達は褒めてくれたし」
「あら。波留の周りにいる子は、波留みたいな子ばっかりなのね」
「そうだよ。普通なんだよ」
「そう……」
母はやっと納得してくれたようだ。声が柔らかくなった。
「本当に安心したわ。波留みたいな子が他にもいるのね。今周りにいる子を大事にしなさいね。
あ、そうだわ。カミさん、ハッキリした輪郭が感じられなくて、消えちゃいそうな人ね。お母さん心配で、家にあった栄養ドリンク一箱とお煎餅渡しておいたわよ」
「お煎餅?」
「ちょうどお取り寄せしたやつがまた届いたのよ。いつもの大豆入りのお煎餅よ。今回アソートセットにしたから、限定のゆず七味味も入ってるのよ」
「そっか。ありがとう、お母さん。神様にはお世話になってるんだ。栄養ドリンクも効くといい―」
「波留?あら?電波悪いわね。聞こえてる?……切れちゃったのかしら?」
「あ、待って、お母さん。こっちの世界の私の友達を紹介するよ。……もしもし?……もしもーし、お母さん?
……あーあ。切れちゃったみたいだね」
携帯は充電切れのようだ。
画面が真っ暗になっていた。
すみません。
少しだけ。多分数日戦士のお話をお休みします。
いつも戦士のお話を読んでいただいてありがとうございます。