67.悪魔のような男
『シアン。剣以外、ほぼ身一つで地獄に向かったんだろう?何食べてたんだ?』
痛いほどの沈黙の後。
メイズがシアンに話しかける声が、ケルベロ毛布の中にこもっているハルにも聞こえてくる。
ハルの初めての告白体験話から、みんなの意識が他に移ったことにホッとした。
『ああ、肉を焼くくらいしか出来ませんでしたよ。筋ばった硬い肉で、どれだけ叩いても硬くて美味しくなかったですね』
『叩く?落ちてる石で叩いたのか?』
『いいえ。ちょうど相手がトゲのついた棍棒を持っていたんでね、それで叩きましたね』
――トゲのついた棍棒。
それは鬼の象徴だ。
『はは。なんだそれ。料理してくれって言ってるもんじゃねえか』
『ええ。せっかくですから相手の好意に応えてあげましたよ。味が良くなったわけじゃないですけどね』
――聞こえてくる言葉が怖い。
『フルーツを潰して肉を漬け込んだらマシだったんじゃないか?』
『フルーツもない地だったんですよ。あの地では、いくらメイズでも料理の腕を振るうことは難しいんじゃないですか?』
『そう言われると行ってみたくなるもんだな。いつ行ってもいいように、スパイスを常備しておくか。そんな肉は薄切りしてスパイシーに揚げてもいいんじゃないか?よく煮込んだら良いダシが取れるかもしれないし』
『あら?良いんじゃない?気になるわね』
『確かにちょっと気になる地ですね』
楽しそうに話す戦士達の機嫌が治ったのは良いことだと思うが、話題が物騒だ。
地獄の鬼の姿がなんとなく想像できるだけに、戦士達の話はホラーでしかない。
『怖い!!』
ハルが身を震わせたのを感じたのか、ケルベロ毛布にキュッと厚みが出た。
分厚い毛布に外の声が聞こえにくくなって、ますます温かくてハルは眠たくなってきた。
今朝は四時半起きなのだ。
こんなに温かい毛布に包まれたら眠たくなるのは当然だろう。
ハルは王城に向かうケルベロ毛布の中で、深い眠りに落ちていった。
『え!!!』
こもりながらも聞こえてきた大きな声に、ハルはハッと目を覚ます。
そういう驚かせるような声を突然にあげるのは止めてほしい。
まだ薄暗い外を見て、『すっごい嫌な起こされ方された』とハルは眉根を寄せながら起き上がった。
パッと目の前が急に明るくなって、ハルは目をぎゅっと閉じる。
「ハル!目が覚めたか!……本当にそこにいたんだな。また会えて嬉しいよ」
「あれ?ドンちゃん?」
目を瞑ったまま聞こえてくる声は、ドンチャ王子の声だった。
そっと薄目を開けると、ドンチャ王子が目の前に立っている。
「絶対開けないで」とケルベロスにお願いしたせいで、ケルベロスの中にいるままこの場所に運ばれていたらしい。
ここは応接室かどこかだろうか。
少しぼんやりした頭で、ハルはドンチャ王子を見つめた。
すると目を開けた瞬間は笑顔だったドンチャ王子は、すぐに心配そうな顔に変わった。
「ハル、話は聞いた。私でも声をあげてしまうほどの出来事だ。色々あったようだが、ハルも言いたい事があるだろう?ハル一人が全てを受け止める必要はない。
嫌だと思った事は、正直に話してほしい。私が力になろう」
どうやら大きな声はドンチャ王子の声だったようだ。
いつも穏やかな彼にしては珍しい。
きっとハルに起きた酷い話を聞いて驚いたのだろう。
「ありがとう、ドンちゃん。でも嫌だった事なんて、話してもどうにもならないし」
ドンチャ王子の気遣いは嬉しいが、どれもどうにかなる話ではない。
ハルはお礼だけを伝える。
「そんな事はない!私もこの国を代表する王子だ。出来ない事などないはずだ。たとえ神に伝えたい言葉があっても、尽力を尽くして伝えると誓おう」
「うん……。そうだね、ドンちゃんはこの国の王子様だったね。」
「そうだ。だからなんでも話してほしい」
力強いドンチャ王子の声にハルは頷く。
スッと目を細めて声をひそめた。
「ドンちゃん、聞いてよ。戦士さん達が、みんなでモテ自慢をしてきたんだよ。すっごい嫌な感じでしょう?ちょっとたくさんの女の子に告白されてきたからって酷くない?」
「え……?あ、そう……なのか?」
「そうだよ!」
「まあ!それは酷いですね」
「本当に。そんな事を自慢するなんて、真のイケメンとは言えませんよね」
ハルの不満の声に、双子が立ち上がって言葉を挟んだ。
「あ!パールちゃんとピュアちゃんも来てたんだ!アッシュさんとミルキーさんもいるじゃん!二日ぶりだね!」
嬉しそうに白戦士達に笑いかけるハルに、アッシュが静かに微笑み、穏やかな声で話しかけてくれた。
「ハル様、また会えて本当に嬉しいです。そこに嫌な思いをされたんですね」
思いがけない場所で双子とアッシュに声をかけられて、ハルは嬉しくなる。
双子もアッシュも、いつだってハルの気持ちを受け止めてくれるのだ。
「そうだよ!他にも嫌な事言われたんだ。聞いてくれる?家族のみんなが私の寝癖をバカにしてくるんだよ。
すっぴんで寝癖つけて遊んでるのは私くらいだって。
私がどこででも寝ちゃう子みたいに言ってくるし。ちゃんとした仕事もしないし、引きこもりだし、料理もダメだし、冷めてるし、今まで彼氏一人作れない子だって……」
話しながら悲しくなってきた。
思わず俯いて床を睨みつける。
「ハル様はすっぴんでも、とても可愛いですよ」
「寝癖がついていても、可愛い髪型です」
「ハル様はいつも頑張っておられるではないですか」
双子とアッシュの慰めの言葉に、ハルが目を潤ませて顔を上げると、ドンチャ王子が優しく微笑んだ。
「ケルベロスの中で髪が乱れたのだろう。確かに今日は寝癖がたくさんついてるな」
――バシッ!
ハルの寝癖を撫でつけようと、伸ばしたドンチャ王子の手を、素早くハルの側に移動したシアンが払い落とした。
「ドンチャヴィンチェスラオ王子、無礼をお許しください。申し訳ありませんが、妻に触れないでいただけませんか?」
冷たい目でドンチャ王子を見つめるシアンの暴挙に、『アイツは何をやってんだ!』と英雄達は慄く。
「――いや、いい。大丈夫だ」
シアンの無礼に騎士を呼ぼうと動きかけた側近を、ドンチャ王子が手で制した。
誰を呼んだとしても、目の前の英雄に敵う者などいない。
『それにしても』とドンチャ王子は、目の前に立つ男を見つめる。
以前の英雄シアンは、少なくとも王子である自分には敬意を払っていた。
二度も地獄に落とされた男は、先程までの報告で地獄での出来事を何でもない事のように話していたが、実は相当の経験をしてきたのだろうか。
それとも地獄で食してしたという、魔物の影響なのか。
以前ハルが、「あの子は悪魔みたいな子だからね」と話していた事があるが、確かに神に厄介がられるほどの存在となった今の英雄シアンは、そういう側面を持っているように見えた。
「シアンさん、ドンちゃんはこの国の王子様なんだよ」
「知ってますよ。でも私はお父さんとお母さんに、ハルを一生守ると誓いましたからね」
「今なんか危ない事あったっけ?」
自分を王子扱いしていないハルが、英雄シアンに注意をしている。
報告を聞く限り、ハルは神に面倒を押し付けられたようにしか見えなかった。神に危険視されている英雄からハルを守らねばと決意したが、なぜか自分の方が危険人物扱いされている。
ため息をつくドンチャ王子と、信じられない者を見る目でシアンを見つめる戦士達がそこにいた。