60.青い彼の話
「それ本当に地獄じゃん。もじゃもじゃ頭にツノが生えてる、赤い皮膚と青い皮膚の魔物っていったら鬼だよ、それ。鬼退治しちゃうなんて……」
「シアンさんって、桃太郎とか一寸法師みたいだね」と言おうとして、ハルは口を閉じた。
青い男に桃はないし、一寸法師の65倍くらいの背の高さのある彼に一寸法師の話をしてもしょうがないだろう。
それに彼はどちらかといえば鬼側寄りの人間だ。
メリーゴーランドまで二人並んで歩きながら、ハルはシアンが辿った、ここまでの道のりの話を聞いていた。
あの夜、ハルがユニコーンと共にログハウスを出る姿を目撃したシアンは、急いでユニコーンを追ったようだ。
ユニコーンが空を飛んでいたらお終いだったが、あの夜のユニコーンは翼を使う事なく、走るように歩いていたから追うことが出来たらしい。
神の道に入り込んで姿が消えかけた瞬間、シアンはユニコーンの尻尾を掴んで、共に神の道に入ったようだった。
「ユニコーンに手を振り払われた場所が漆黒の闇の中だったんですよ。胸元に入れていたハルにもらったユニコボールが、ぼんやりと光って辺りを照らしてくれたので助かりました。
それにちょうど拾って取っておいたユニコーンの羽が、細い光の道筋を作ってくれたんです。
光が指し示す場所が、おそらくユニコーンのいる場所だろうと見当がついたんで、闇の中に潜む魔物のような者をついでに討伐しながら進んでみたんですよ」
地獄の鬼が、シアンの進む道の「ついで」で討伐されていた。
肩をすくめて「まあ大した事ない魔物でしたけどね」と話す英雄を、ハルは信じられない者を見る目で見つめる。
信仰心のカケラもない自分でさえも恐れる、架空の存在だと思っていた地獄の鬼。
その鬼を軽く討伐する男―――シアン。
「シアンさんは地獄でも暮らしていけそうだね」
「いや、あんな何もない場所は無理でしょう。岩ばかりで木の一本も生えてないし、そのツノのある魔物しかいないんですよ。火を起こすのも苦労するし、食べる物も美味しくないし、三日が限度ですね。ちょうど飽き飽きしてるところに、この世界に出る事ができて本当に良かったです」
「え………」
ハルはシアンの話に、どこからつっこむべきか言葉を失くした。
鬼しかいない、木の一本も生えてない場所で、何を燃やして何を食べて生き延びたというのか。
――これは聞いてはいけないやつだ。
きっと怖くて眠れなくなる。いやもう想像しかけて、すでに怖い。
「地獄で三日も過ごしたなんて英雄超えだよね、シアンさん。………あれ?三日?三日も経ったっけ?私の感覚では、ログハウスを出てから数時間なんだけど」
地獄で生き延びる方法に気を取られて、うっかり聞き流してしまったが―――三日?
いつもと変わらず涼しげな顔をした国宝級美貌のシアンを見ると、三日も地獄を彷徨ったような人間には見えなかった。
だけど話を大袈裟に語るような彼ではない。
「時間の進み方が、いる場所によって違うのかな?前の討伐後に神様に会った時も、五日も寝てたって聞いたけど、私の中ではほんのしばらくって感覚だったし」
「そうかもしれませんね。案外元の世界に戻ったら、もっと時間が流れているかもしれませんよ」
「不思議な事ばかりだし、それもあり得るね」
だいたいこうしてシアンと、この世界を一緒に歩いている事からしてあり得ない事なのだ。
前の討伐後の話をした事で、ハルはふと思い出す。
「あ。そうだ。ログハウスから出る時に、私の事呼んだ?」
「そうですね、呼びましたよ。一瞬でログハウスから離れてしまいましたし、聞こえていないと思ってました」
シアンに意外そうに言われて、ハルは「寝かけてたけどね」と話す。
「ウトウトしてたけど、シアンさんの声が聞こえた気がしたんだ。前の時と一緒だね」
「前の時ですか?」
「うん。前の討伐の後に、この世界に戻りかけた時。
……なんて言ってたっけ?「扉を開けてはいけません」だったかな?シアンさんが止める声が聞こえて、この世界に続く扉を開ける手が止まったんだよ。
――あ、ごめん。あれたまたまの偶然だったよね」
ヤバい。
もうずいぶん前の話だったから、ついうっかり話してしまった。あの件は確かシアンに、「それは勘違いだ」と激しく否定されたやつだ。
このままでは「この勘違いヤロウ」の烙印を押されてしまうし、この男に気があると思われては危険もある。
急いで話題を変えなくては。
「あ。これだよ、タピオカドリンク。最初に会った時に飲んでたやつ。懐かしくてさ、二個買ってもらってたんだ。シアンさん、三日も美味しくないもの食べてたんだから、美味しいもの飲んでよ。はい」
「ありがとうございます。……それであの時聞こえたって言う声は、アッシュさんじゃなかったのですか?」
――さすが英雄だ。
簡単に誤魔化されたりはしないのだろう。
タピオカドリンクを受け取りながらも、しっかり元の話に戻されてしまった。
「アッシュさんの声だったら、アッシュさんに話してる時に直接「アッシュさんの声が聞こえたよ」って伝えるでしょう?あれはシアンさんの声だったんだよ。
それよりユニコちゃんの羽、拾ってたんだ。すごく綺麗な羽だもんね、落ちてたら取っておきたくなる気持ち分かるよ」
「……あの時聞こえた声は、ハルの事を一番想っている人の声だって、アッシュさんは言ってたでしょう?」
――さすがだ。
英雄レベルにもなると、怖いくらいに自然に流したつもりの話に誤魔化されたりはしないのだろう。
また元の話に戻ってしまった。
『やれやれ英雄って奴は』とハルは首を振る。
だけどそんな話だっただろうか。
あれはずいぶん前の話だ。
そう言われればそんな言葉だったように思うけど、正確な言葉までは覚えていない。
だけど英雄の彼なら、凡人にはない記憶力を持っているのだろう。『シアンさんが言うなら、そうだったかも』と、ハルは適当に頷いた。
「そうだね。そんな感じの話だったよね」
「そうですか。そこで聞こえたのが私の声だったなら、確かにアッシュさんの言葉の方が正しかったですね。きっと誰よりも私がハルの事を想ってますから」
「え?」
「ああ。ハルにはちゃんと伝えないと分かってもらえないですね。――好きですよ」
「え!」
「私が誰よりもハルを愛してますから」
「え!!!」
「想ってるっていうのは、うちのお母さんみたいに「全くこの子は困った子ね」って心配してるって事?」と聞き返そうと思ったら、まさかの告白だった。
しかも念押しされている。
絶対にそんな事を言わない人だろうと思っていた青い彼からの言葉に、ハルは驚いてシアンの顔を呆然と眺めた。