59.いるはずのない人
彼はこの世界にいるはずのない人だ。
ハルは戸惑いながらシアンに声をかける。
「あれ?シアンさん?……え?何?どうやってここに来たの?……あれ?この世界ってどっちだっけ?みんなもいるの?」
はあっと安心したようにシアンが大きなため息をつく。
「ここにいるのは私だけですよ。夜中、あの馬がハルの部屋に来たでしょう?私の部屋はハルの真上ですから、怪しい気配に窓の外を見て、ハルを連れ出すあの馬に気づいたんですよ。すぐに追って尻尾を掴んだんですけどね、気付いたら闇の中でした。やっと追いつきましたよ」
「え?そんな怖い場所ではぐれちゃったの?闇の中って、真夜中ってこと?」
「あれは真夜中というより、地獄と言われる場所じゃないでしょうか。魔物のような者がいる、漆黒の闇という空間でしたよ」
「え………?」
物騒な事を爽やかな顔でサラリと話しているが、シアンは冗談を言ってる感じでもなさそうだった。
「それってどういう事?」と、ハルが詳しく話を聞こうとした時、みんなが騒ぎ出した。
「波留、このイケメンなお兄さん、もしかして波留の彼氏?」
「え〜お兄さん、戦士ショーのスタッフさん?下積み時代ってやつ?」
「え!マジで?波留ねえ、リアルに彼氏なの?」
「なつねえ、それはないって。波留ねえみたいな彼女なんて、嫌すぎるだろ?」
「――この人達は?」
「あ。父と母と、妹の菜摘と弟の千秋だよ。そして地元の友達」
シアンに尋ねられて、ハルが騒ぎ出したみんなを簡単に紹介すると、「ちょっと波留、友達の紹介が雑じゃない?」と友達につっこまれた。
仕方がないだろう。
この男は悪魔のような一面を持った野郎なのだ。
妹は家族ということで見逃してくれるかもしれないが、友達は分からない。軽く流しておいた方がみんなが安全なのだ。
「旅行先で出会ったシアンさんだよ。ずっと一緒にいた旅仲間なんだ」
みんなにもシアンを紹介すると、ハルの説明に父親が立ち上がる。
「何!結婚前の男女が一緒に旅だなんて!あなたどういうつもりですか!一生の責任を取ってくれるんでしょうね!」
シアンに詰め寄る父親を、誰か止めてほしい。
「ちょっとお父さん、止めてよ。責任とか―」
「はい。もちろんです。一生ハルさんを守ると誓います」
いやいや。シアンのその返事もおかしいだろう。
「あのさ―」
「もう波留ったら!ちゃんと話してくれないと、お父さんもお母さんもビックリするでしょう?
あらあらこんなに立派な人が波留の側にいてくれるなら安心だわ。波留ったらこんな子でしょう?ちゃんとした仕事もしないし、引きこもりだし、料理もダメだし、今まで彼氏一人作らないし、もう本当に心配の種が尽きなくて」
やれやれと首を振る母親を、誰か止めてほしい。
「お母さん、ハルさんは素敵な人ですよ。ちゃんと側に付いてますから、安心してください」
「………」
にこやかに微笑むシアンと両親の安心した顔に、ハルはもう何も言うべきことはなかった。
黙り込むハルに、友達がヒソヒソと耳打ちする。
「俳優目指してる戦隊スタッフショーの彼なんて、波留らしいね。波留なら適当に上手く暮らしていけるよ」
「私は夢追うイケメンより、手堅い公務員とかの方が安心だけど」
「波留と付き合う人は普通の人じゃないと思ってたよ。なんか納得〜」
「………そう?確かにシアンさんは普通の人じゃないけど」
こんな国宝級美貌のイケメンと、いつの間にか親公認、友達公認の仲に認められてしまった。
青い瞳と青い髪、そして戦隊レンジャーのような青い戦隊衣装のシアンは、この世界ではどこか風変わりな人に見える。そこに逆に安心してしまったのだろう。
「波留ねえはマジで冷めてるけど、誰にでも冷めてるだけだから安心してくださいね」
「波留ねえの手料理に気をつけてくださいね」
悪口にしか聞こえないアドバイスを伝えるハルの弟妹を、止める者は誰もいない。
「ナツミさん、チアキくん、料理は私が得意だから大丈夫ですよ。ハルは片付けを手伝ってくれますし」
「え、そうなんですか!……波留ねえ、波留ねえと付き合ってくれるのシアンさんしかいないよ。大事にしなよ」
「本当だよ。波留ねえ、絶対一生おひとり様すると思ってたのに、奇跡だよ。こんな良い人に手料理だけは作らないように気をつけなよ」
にこやかにシアンと弟妹が微笑み合う。
この酷い家族達と気が合うシアンもどうかと思うが、ハルはもう異議を唱える気にもなれなかった。
家族も友達もハルを穏やかな気持ちで見送ってくれるなら、誤解されたままでも構わないだろう。
「分かったよ。もう行くよ。みんな元気でね。行こっか、シアンさん」
「ええ、帰りましょうか」
「待ちなさい、波留。ほらこれみんな持って行きなさい。ホットドッグとかチュロスとか色々あるから。それからこの口を付けてないタピオカドリンクも。あ、そうだ。お母さんお煎餅も持ってきてたわ」
母がカバンをゴソゴソしてお煎餅を取り出して、エコバッグに全てを詰めてくれた。
「ありがとう。じゃあね」とみんなに手を振って、ハルはシアンとメリーゴーランドに向かって歩きはじめた。
「みんな私の事、怠け者みたいに言うんだよ。久しぶりに会ったのに酷くない?お父さんなんて、「仕事がなくても彼氏が出来なくても、波留は一人で生きていける」って断言し出すんだよ。この世界に残ろうかなって思いも、秒で消えたよ」
ブツブツとハルが文句を言うと、シアンが嬉しそうに笑った。
「良いご家族じゃないですか。私は好きですよ。ハルとの仲も認めてくれましたし」
「それなんか流れがおかしくなかった?あ、それよりシアンさん、どうやってこの世界に来たの?地獄みたいな場所って、どうやって抜ける事が出来たの?どこかに道があるの?」
ハルの質問攻めの言葉に、シアンがおかしそうに笑う。
「ハルにそれだけ質問されたのは初めてですね」
「だって状況がおかしすぎるでしょう?どうして寝起きで追いかけたシアンさんが、パジャマじゃなくて戦士服なのかも不思議だし」
「ああ」とシアンは自分の服を見る。
「真夜中の奇襲時には素早く着替える事も必要ですからね」
何でもない事のように、素早い着替えをサラリと話すシアンは、やっぱり着替えにも常人にはない英雄ばりのハイスペックさを見せつけるようだ。