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終電後、存在しない改札が開く

終電後の駅は、忘れ物の音がする。


 傘の先が床をこする音。

 片方だけの手袋が、空調に揺れる音。

 誰かが取りに戻るかもしれない紙袋が、ベンチの下で小さく沈む音。


 白瀬透は、地下鉄東七番駅の遺失物室で台帳を閉じた。


「本日分、傘十七本、財布二件、イヤホン四件、弁当箱一件」


 駅員の先輩はあくびをしながら言った。


「白瀬、お前ほんと向いてるよな。忘れ物係」


「褒めていますか」


「半分くらい」


 透は笑わず、弁当箱に貼られた付箋を直した。


 忘れ物は、ただの物ではない。


 誰かの一日の最後に、うっかり置いていかれた小さな事情だ。


 午前零時四十二分。


 駅の照明が一つずつ落ちる。


 そのとき、改札機が鳴った。


 ピンポーン。


 終電は終わっている。

 客はもういない。

 改札は閉鎖済み。


 なのに、いちばん端の古い改札だけが、青く光っていた。


「先輩」


 透が呼ぶと、先輩はすでに休憩室へ引っ込んでいた。返事はない。


 改札機の上に、見たことのない表示が出る。


『深夜ダンジョン線 遺失物係員を確認』


「……路線名が増えている」


 透は駅務室の端末を見た。もちろん、そんな路線は登録されていない。


 改札の下から、一枚の紙片が吐き出された。


 切符だった。


 ただし、行き先欄には駅名ではなく、こう印字されている。


『持ち主: 帰れなくなった冒険者』

『忘れ物: 地上行きの勇気』

『保管場所: 地下三十七階ホーム』

『保管期限: 夜明けまで』


 透はしばらく無言で切符を見た。


 それから、遺失物台帳を開く。


「分類は、その他貴重品でいいのか」


 その瞬間、改札の向こう側に階段が現れた。


 地下へ続く階段。


 いつもの駅には存在しない、やけに古い石造りの階段だ。


 青い火が壁に灯り、遠くから電車の接近音が聞こえた。


 電車ではない。


 鎖を引きずるような、巨大な何かの音。


 改札機の横に、小さな少女が立っていた。


 駅員帽をかぶり、銀色の髪を揺らしている。


「遅いです」


 少女は不機嫌そうに言った。


「深夜ダンジョン駅、自動改札精霊ナナセです。遺失物係、白瀬透さんですね」


「人違いでは」


「台帳を閉じる手つきが遺失物係でした」


 判断基準が雑だ。


 透は切符を見せる。


「これは落とし物ですか」


「忘れ物きっぷです。迷宮で落とされた物、感情、契約、帰り道などを印字します」


「感情は遺失物扱いできません」


「できます。深夜ダンジョン線の規則では」


 ナナセは胸を張った。


「そして当駅は赤字です」


「急に現実的な話になった」


「冒険者は迷子になる。魔道具は放置される。宝箱は開けっぱなし。帰宅経路は未精算。改札を通らず壁を壊す客もいます」


 透は眉間を押さえた。


「それは駅ではなく迷宮では」


「駅です。迷宮は、乗り換えが複雑な駅です」


 言い切られると、少し納得しそうになる。


 ナナセは透の手に遺失物台帳を押しつけた。


「あなたには、忘れ物を返しながら当駅を黒字化してもらいます」


「僕はただの地下鉄職員です」


「だから呼びました。剣士は忘れ物を斬ります。魔法使いは燃やします。商人は勝手に売ります。遺失物係だけが、持ち主へ返そうとする」


 透は黙った。


 階段の奥から、かすかな声が聞こえる。


「帰りたい」


 それは助けを求める声だった。


 透は切符の保管期限を見る。


 夜明けまで。


 駅の時計は、午前零時四十八分。


「規則を確認します」


 透は台帳の最初のページを開いた。


「忘れ物は、持ち主確認後に返却。危険物は隔離。所有権不明物は公示。返却不能な場合は、保管期限延長または処分」


 ナナセが目を丸くする。


「行くんですか」


「帰れなくなった人がいるなら、問い合わせ対応です」


 透は古い改札を通った。


 ピッ。


 音が鳴る。


 足元に、薄い青の路線図が広がった。


 地下三十七階ホーム。

 未精算区間多数。

 遺失物保管料、累計赤字三千二百万円。


 透は深く息を吐いた。


「まず、料金体系から直す必要がある」


 ナナセが小さく笑った。


 存在しない終電の向こうで、深夜ダンジョン駅が開業した。

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