1、ギオ=クラルテ 1
Cosmos History――――CH.892からCH.1092までの二百年間。
地球と開拓された木星に分かれて暮らしていた人類は、熾烈な戦争を繰り広げていた。
地球軍がⅠからⅩまでの十隊式を作れば、木星軍はαからθまでの八団式を作り。木星軍が人型兵器リビングデッドの初期型を開発すれば、地球軍はそれを真似た第二型を開発する。
競い合うようにして発展していった戦争。
それが、和平条約締結という形で終戦した一年後のCH.1093。
いくつかの組織を通じて和睦を深めていく一方、タカ派による暴動や武力行使も絶えない現在。地球と木星は、戦乱とも平和ともいえない微妙な現状をなんとか平和に傾けようと、弛まぬ努力を行っていた。
そして、終戦により役目を失いつつある軍人達は、それでもタカ派やレジスタンス撲滅のため、戦時中と似て非なる奇妙な状況下で生活をしていた。
「負けた方が昼飯を奢るってことでオーケー?」
勝つ自信があるなら受けるよな、と。
青いフルフェイスのヘルメットを右脇に抱えた、地球軍Ⅴ隊所属にするクリスマス=ライアン中尉(先輩)に挑発的な笑顔と口調で言われ、
「当然」
同じフルフェイスを頭に被るギオ=クラルテ大尉(後輩。所属は同じく地球軍Ⅴ隊)は、ヘルメット越しに好戦的な視線を向けた。
それがちょうど、一時間ほど前のことである。
「あら、また負けたの?」
大盛りカレーライスとポテトグラタンとサラダにアップルパイとタルトとコーヒーが載ったトレイを右手、ピラフとココアが載ったトレイを左手に持つギオ(オプション・眉間の皺が三割り増し。物凄く近寄りがたい)に、けれど焼き魚定食と緑茶が載るトレイを両手で持ったミシェル=ジングウ中尉は物怖じせず、至って普通に話しかけた。
「そりゃあもう完膚なきまでに負けましたよ」
棒読みで投げやりに返し、大股でミシェルの横を通り過ぎる。それを何気なく目で追いかければ、自分の青みがかった黒と似た闇色の髪をした後輩の進行方向に、良い意味でも悪い意味でも目立つ同僚・クリスマス=ライアンの姿があることに気づいた。
金髪にネイビーのメッシュと、髪の間から覗く両耳のシルバーリング。着ている深めの青い軍服は周囲と同じで、それが余計に違和感じみたものを抱かせる。
人目を引く派手な外見。実のところあまり好きではない(むしろ嫌いな部類に入る)のだが、訓練学校時代からの腐れ縁はミシェルの意思に反して進行中なので、こちらに向かってぶんぶん振られている手を彼女は無視できない。
なにより、稀有な紅い目が向けてくる、「二人きりにしないでくれ」という懇願の眼差しを突き放せるほど、ミシェル=ジングウは冷たくない。
クリスマスがギオに構う理由を知っているが、それとこれとは話が別である。
「連敗ぎみね、ギオ君」
「ええ」
テーブルの上にトレイを置き、ギオの正面に当たる席に座りながら言う。
右手に持つトレイを金髪の前に乱暴に、左手のトレイを自分の前に普通に置いてからイスに座ったギオは、素っ気なくも丁寧に答えた。
リアルバトルバーチャルリアリティー、略称RBV。
操縦士専用のトレーニングシステムで、リビングデッドのコックピットが設けられた特殊ルームに入り、本当の戦闘に酷似した擬似戦闘をすることができる。
対戦相手は主にCPUだが、パイロット同士で戦うことも可能。そのため、一部の間ではこれを賭け事に使うことがあった。
金銭や大きな財産を対象にした賭博行為は、共通軍法によって全面的に禁止されている。しかし、それ以外のものを賭けることは特に禁じられておらず、ギオやクリスマスは昼食や夕食を賭けて勝負をすることが多かった。
そしてミシェルの言葉通り、ギオはここ最近、かつてないほどの連敗を更新している。
続けて負けること自体が珍しいのに、これで計十五回。
当然、ギオの機嫌は大変よろしくなかった。
「おかげで俺は安いメニューしか食べられません」
「なんで? 食べりゃあいいじゃん」
「食費が給料から差っ引かれるのを忘れたか、底なしヒヨコ」
ルーとライスを掻き混ぜながらいうクリスマスに対し、ミシェルと話すときとは打って変わった冷たい声音でギオが反論した。悪口つきの返事に気分を害したのか、クリスマスはスプーンを持っていない方の手でギオの頭を乱暴に撫ぜた。
毛質の柔らかさと生来のくせが相俟って、短い黒髪は一気にくしゃくしゃになる。まるで鳥の巣だ。寝起きのときでも、さすがにここまで酷くはならない。
周囲の目を憚ることなくテーブルを叩いて爆笑するクリスマスと、黙ってポケットから取り出した手鏡を渡すミシェル。鏡面が黒い鳥の巣を映した瞬間、左ストレートが飛んだ。
バトル開始。
そんな言葉を脳裏に過ぎらせつつ、傍観を決めたミシェルは湯のみに口づけた。
がつっ
ぐぐぐぐぐっ……
互いの手を掴み、まずは腕の力勝負が始まる。
そこからノーマルなパンチやキックが飛び交い始め、関節技や格闘技にどんどんレベルを上げていく。無闇な殴りあいに発展しないだけマシではあるが、付近の席に座る者達はとばっちりを恐れて退避していた。
ギオとクリスマスの喧嘩は、別段珍しくもない。
しかし、片や地球軍Ⅴ隊の隊長補佐、片や地球軍でも数えるほどしかいないトップパイロット。
どちらも気安い存在ではないし、正直関わりたくないというのが周囲の本音だろう。ミシェルとて、あからさまに逃げることはなくとも、わざわざ喧嘩の仲裁をするような真似はしない。
懇願されれば助けるが、それ以外では不干渉が基本。余計な火の粉は願い下げである。
「先輩以上の高給取りが飯代くらいでケチケチ言うなよなー。大体、なんで俺にだけタメ口なんだよ。ミシェルには敬語なのに」
「そういう台詞は俺への借金を全額返済してから言え! ジングウ先輩みたいに分別ある人間になってからほざけ!」
そういいながら髪を整えつつ、アッパーカットを放つ。しかし、寸前でかわされ逆に関節技を決められた。首に回された腕に力が入り、振り解こうと腕を拳で何度も殴る。
関節は誰にも鍛えられない。加えて、首への攻撃は呼吸困難にも繋がる。
長期戦は不利と悟ったギオが、腕を殴る回数をさらに増やした。痛みゆえか、クリスマスの顔がわずかに歪む。
どこの闘技場だ。
下手なやらせ格闘番組よりも迫力ある光景に、安全圏に避難済みの者達は揃って思った。
「……食堂はいつから修羅場になったんだい? ジングウ中尉」
「ついさっきですよ、フォスター隊長」
突然背後から聞こえてきた声に、けれどミシェルは動じることなく平然と返事をする。
一瞥するように後ろを見やれば、見慣れた赤毛のそうく痩躯の男・エディ=フォスター少佐が茸のパスタが載ったトレイを片手に立っているのが、ミシェルの茶色い眼に映った。
「膠着してるな」
クリスマスのヘッドロックから抜けだしたギオを見ながら、さりげなくミシェルの隣の席に腰を下ろすエディがそう言い、
「どちらも加減してますからね、一応」
ギオの蹴りを避けるクリスマスを見るミシェルは、緑茶を啜りながらそう返した。
ヒートアップにつれて被害が広まっているのは、決して気のせいではないだろう。既に、テーブル一つとイス数個が床に倒れている。被害が広まるにつれて「なんとかしてくれ」と訴えかけてくる視線が注がれるのは、決して勘違いではないだろう。現に、表情でこの場の収拾を求めている者が何人かいる。
面倒。
ミシェルにとって、ギオとクリスマスの喧嘩を止めることはその一言に尽きる。
だが生憎と、後輩や部下の視線を無下にして食事を進められるような冷酷な精神構造を、ミシェル=ジングウは持ち合わせていない。
同じ官位や同僚には容赦なく、上司といえど人間的に駄目な者には一切従わない。そんな生き方を貫くミシェルだが、後輩や部下といった立場の存在には滅法甘かった。
「……仕方ないわね」
小さく呟き、湯のみをトレイの上に置いてから席を立つ。
その数十秒後。先刻ギオがヒット仕損ねたアッパーカットを、代わりにミシェルがクリスマスの顎へと叩き込んだ。
地球軍Ⅴ隊所属ミシェル=ジングウ中尉。
腕相撲の実力はⅤ隊一である。




