2、大使 3
ちゃんと謝れたんだな、と。
先刻会ったときよりは落ち着いた様子のギオを見て、クリスマスは頬杖をついた。
と同時に、誰にも聞こえないていどの溜息を小さく吐く。マリオ=R=ノエルとはこれで大丈夫だと思うが、代わりにミシェルとの間に亀裂が生じている。まあ、これは放置しても大丈夫だろう。
ぎこちないのは長くて一週間。それ以上はミシェルが耐えられまい。
他人と喧嘩すると、自己嫌悪に陥るきらいが彼女にはある。唯一クリスマスだけには当てはまらないものだが、ギオ相手だと異様に顕著だ。一晩で終わる苦悩が二日続く。その間、目を合わすどころか同じ部屋にいるのでさえ苦痛らしい。
今だって、離れた席に座ってデータカードを見ているギオから、必死に意識を逸らそうとしている。本人は隠しているつもりだろうが、残念ながらバレバレだ。
ギオの行動、ミシェルの性格。そして、ギオの左頬に残る赤。
なにがあったかは一目瞭然。気づかない方がおかしい。
(それにしても)
見かけによらず、ギオも結構いい性格をしている。
パイロットスーツから軍服に着替えているということは、自室に戻ったということ。それなのに、湿布が貼られているのは右頬だけ。左頬にはなんの処置も施されていない。
どういう意図なのかは知らないが、故意なのは明白。露わになっている左頬を見たときのミシェルの動揺を思い出し、つい場を忘れて笑いだしそうになった。
「どうやらあの新機体、数日前に地球軍が強奪されたものらしい」
話がいきなり、退屈な戦闘報告から興味深い方向に傾いた。
思考を打ち切って、頬杖をついたまま意識を向ける。いつもならミシェルが視線で咎めてくるのだが、そのミシェルは自分のことで精一杯。なので、クリスマスに向けられたのは、窘めるようなエディの眼差しだけだった。
「豪州の研究所が襲われた事件は、みんな知っているな」
問うような言葉に、ほとんどの者が頷く。
それを見届けてから、エディはミシェルに説明の補足を促した。
立ち上がり、配布されたデータカードを片手に説明を始める姿は普段と変わらないように見える。だが、他人の変化に人一倍敏感なクリスマスは腹がよじれそうだった。
視線をできるだけ俯かせ、ギオを見ないようにしているのがよくわかる。対するギオが、データカードを見るのもそこそこに、その意識をミシェルの隣に座る大使に向けているのが余計に笑いを誘った。
あっちはあっちで、自分のことで手一杯らしい。
「豪州の東にある無名の研究所が、謎の集団に襲撃され壊滅したのは五日前。外出中だった研究所の代表・シュバルツ=キタラ氏が唯一の生存者です。数十名いた他の研究員は全員死亡。爆死なので詳しい確認は取れなかったようですが、死体の数は研究員の人数と一致しています。
強奪されたのは、キタラ氏が極秘に開発していたリビングデッドが十機。基地を襲った新機体の大半は、それをベースに造られたレプリカの可能性が高いですね。というより、いきなり逃げたあの機体だけがオリジナルでしょう。ノエル大使が回収した機体をⅥ隊に回しましたので、数日後には詳細が判明するかと思います。
――――では大使、詳しいお話を聞かせてもらってよろしいですか?」
「はい」
動揺しているわりには澱みない話が終わると、今度は白髪の大使が立ち上がった。目の隈は色濃いままだが、疲れているというわけではなさそうに見えた。
彼女曰く、ベッドで横になったらすっきりしたとのこと。クリスマスにはそれが、文字通りの意味――――本当にベッドの上で横たわっただけ――――に取れた。
睡眠が足りていないのは明白なのに、今にも倒れそうな様子は全くない。
一体どういう体の作りをしているのだと。
失礼だとはわかりつつ、話し始めた少女にそう思った。
「少し独自に調べてみたのですが、逃走機体以外は全て遠隔操作型の無人機でした。逃走機体のアンテナは拡散電波を発生させるものだったので、恐らくは近くに遠隔操作用の電波と妨害電波を放出する装置があったものと思われます」
そこで一旦言葉が切られる。
彼女にしてみれば、ただ言葉に間を置きたかっただけなのだろう。しかし、間の取り方は色んな意味で絶妙すぎて、数名が居た堪れなさそうに俯いた。
先刻の戦闘で違和感を覚えたのはごく少数。残りは全ていつもの戦闘と同じだと思い、それが結果として苦戦を招いたのだ。あからさまではないにしろ、指摘されれば居た堪れなくなるし、情けない気持ちにだってなる。だがそれは、向上には必要な感情。
無意識に良い方向でのダメージを与えていることに気づかず、少女は言葉を続けた。
「気にかかる点がいくつかありますので、このことを団の方に伝えてもいいですか?」
「それは構いませんけど」
「後、少しお聞きしたいことが……」
「ちょっといい?」
挙手し、話を遮る。
ようやく落ち着き始めてきたミシェルの眼光に射抜かれるが、大使は微笑んで先を促したので、気づかなかったことにして言葉を続けた。
「なんで逃げたんだ、ギオ」
責める響きは極力感じさせないように言ったつもりだった。
しかし、問われたギオの肩は、一瞬だが可哀相なほど高く跳ね上がった。
「……」
他人を見下すのも大切なことだ。少なくともクリスマスはそう思う。
彼は自分にとって、庇護の対象であると同時にコンプレックスを作る元凶。だからこうやって時折見下し、彼がまだ子供であることを確かめる。庇護の対象であることを確認する。思えば、なるべく彼の傍にいるようにしているのも、そんな理由が根底にあるからだ。
自分という庇護が消えれば、その分だけ彼は傷を負う。破裂しそうな劣等感を抱え込み、虎視眈々と発散のときを狙う者達に狙われる。だが、クリスマスが傍にいれば、彼らはその手を引かざるをえない。隊長補佐という立場はそういうものであり、階級の乱用を嫌うミシェルでさえ、それを使ってこの子供を守る。
矛盾した我が侭は、時にそれだけで人を苛立たせてしまう。
一種の爆弾のようなそれを持ち、なおかつ年齢に似合わぬ地位を持つくせに処世術を習得しない子供は、努力を諦め才能を羨むだけに堕ちた者の負を刺激してやまない。
守ってやらねばいけない。
才能溢れる子供に、理不尽な苛立ちを抱かない大人が。
けれどクリスマスは、たまにその理不尽な苛立ちに襲われそうになる。
だから、見下す。彼を守れるように。
「わざわざ逃げなくても、お前なら攻撃をかわして反撃するくらいわけないだろ」
「……無人機だという確信が持てなかった。それ以外の理由はない」
「ふぅん」
もっと穿った理由もあるだろう。けれど、これも嘘ではない。
だが、素直に肯定するのは腹立たしく、つい神経を逆撫でするような言い方で返す。危惧していた問いではないと知った瞬間、怯えた子供が生意気なエースに戻ったのも癪に障った。身勝手だとはわかっているし、勘違いを誘うような言葉の選び方をした自分に、明らかな非があることは百も承知だ。
それでも腹が立った。
なにか言ってやろうかと思ったが、エディに先手を打たれ黙るしかなかった。
「ノエル大使、ここにはどれほど滞在の予定で?」
「四,五日ほど。明後日は少し用がありますが、それ以外はここにいるつもりです」
「多くの隊員に貴方の存在が知られていますけど、その辺はどうしましょうか」
「お気遣いなく。私はあまり気にしない方なので」
「そうですか、ならよかった」
にこりと笑い、漂う微妙な雰囲気を壊すよう、わざとらしく手を叩く。
「以上で会議終了。各自好きにしてよし。解散!」
中途半端な終わり方だが、仕草と同じくわざとらしい笑みが有無を言わせない。各々が席を立ち、薄い静寂に包まれていた中会議室をざわめきが満たし始めた。
(……お見事)
半ば呆れたように思いつつ、データカードを胸ポケットに入れて立ち上がる。何気なく周囲を見渡すと、視界の端にさっさと退出しようとするギオが映った。その姿を見て、組み手に付き合ってやる約束があったのを思い出した。
恐らくギオは覚えていまい。覚えていたら掴みかかってくるはずだ。
忘れているなら、放っておけばいい。
ちょうどもうすぐ昼食の時間だし、腹も空いている。
そう思った矢先、今度は数秒前までギオに腹が立っていたことを思い出した。
「……」
暫し考えて、
「ぎーおー」
強制的に約束を実行させてやることにした。
「…………なんだ。なんのようだ、派手ヒヨコ」
「男同士らしく拳で語らおうと思ってな、黒ウサギ」
「はぁっ?」
物凄く素っ頓狂な声を出された。
顔が「なにいってんだ馬鹿じゃねえのかお前」と言っている。
「黒ウサギ」
新しい悪口がスルーされたのがむかつき、二度目は強調してみる。
「……………………殺すっ!」
意味を理解したギオが、殺意を露わに殴りかかってきた。
良い反応だ、面白い。
「ギオ黒ウサギはウサギなのに人参が食べられない。でもウサギだから寂しがり、寂しいと荒れる」
「表出ろぉっ!!」
調子に乗って言葉を続ければ、ギオが本格的にキレた。
左右のストレートを同時に受け止め、押さえつけるように握る。色々な作用が働き、五分五分になった力では決着せず、無意味な力比べが続く。
こうも容易く手のひらで転がってくれると、つまるつまらない以前に笑いが込み上げる。大声で笑いたい。だが、油断していると痛い目を見そうな気がする。
実力が劣っているとは思わない。むしろ、技術的なところが上な分、一対一で戦えばこちらに軍配が上がるだろう。身体能力だけで勝てるほど、喧嘩も組み手も甘くない。
しかし、技術的に未熟といえど、ギオはあなどれない相手だ。
筋力や腕力は低いが、時折見せる獣のような俊敏さは警戒に値する。稽古場の方に移動しようとしても、辿り着く前に捕まえられるのは必至。注意を他のことに向けでもしない限り、今の彼に捕まらず稽古場まで行くのは不可能に近かった。
(それなら)
注意を他のことに向けさせてやればいい。
そう思うが早く、自分達を呆然とした顔で見ている白髪の大使に声をかけた。
「大使サマ」
「はい?」
凛としたアルトに、受け止めている拳が揃って震えた。
「油断大敵ってね!」
隙だらけになった体に蹴りを入れ、手を放す。
力が抜けた体は、想像以上に遠くに吹っ飛んでいった。
「ライアン!」
巻き込まれたイスが倒れる音に混じって、ミシェルの怒声が響く。
だが、ギオを蹴り飛ばすと同時に逃走を開始したクリスマスはそれを背に受けるだけで、弁解の言葉を返すことも、足を止めることもしなかった。