Before a doctor dies ‐六年前‐
僕は死ぬ。
冷たい光を宿す紅いそうぼう双眸に、ただそれだけを感じた。
「言い残したいことはありませんか? 博士」
命乞い以外なら、聞いて差し上げますよ。
眉間に銃口を突きつけたまま、白い髪の少女は淡々とした口調で言う。
白い髪、紅い瞳。白い肌、紅い服。
左手にだけはめられた黒い手袋、手袋をはめた左手が握る黒い拳銃。
同じ色ばかり重なって、白と紅と黒の三色だけが少女を構成しているように思える。
唯一孤立した色といえば、紅い服の腹部に在る銀色の十字架くらいだ。
なんらかの宗教を信仰しているのか。
十字架が少女のアイデンティティーなのか。
さっぱりわからない。
聞けば、少女は答えてくれるだろうか。それとも、嘲笑して引き金を引くのだろうか。なんとなく、彼女は答えてくれると思った。だが、それを問う気にはなれなかった。
「気まぐれかい?」
先刻の少女の言葉に対して、返事を返す。
少女は眉一つ動かさず、声音すらも変えずに、
「ええ、まあ」
と、答えた。
「貴方を撃ち殺した後、そこのクローゼットで震えている貴方の子供を撃ち殺す。それで私の仕事は終わりですから」
「……クローゼット?」
思わずまぬけな声で聞いてしまった。
クローゼット?
なんでそんなけったいな場所にいるんだ、僕の息子は。
「……気づいてなかったんですか?」
気づかなかったとも。
「てっきり貴方が隠れさせたと思っていたのですが」
「きっと僕を驚かせようとしたんだね。あの子は悪戯好きだから」
「普通は、相手が部屋に入った直後に出てくると思います」
「タイミングが掴めなかったんだろう、きっと」
飛びだすタイミングを掴みあぐね、泣きそうになっている姿が容易く脳裏に浮かぶ。
親である僕が言うのもなんだが、あの子は聡明だ。でも、たまに笑いたくなるほどドジなところがあって、ここ一番というところで失敗することがある。
今回もきっとそんな感じ。僕を驚かそうとクローゼットに入ったのはいいけど、いつ飛び出すかを悩んでしまい、悩んでいる間に僕が部屋に入ってしまったのだろう。
どこかに身を潜める類いの悪戯は、少女がいうようにターゲットが部屋に入った直後じゃないと意味がない。だからあの子は飛び出せず、今もクローゼットの中にいる。
今そこから飛び出せない理由は、ついさっきまでとは違うけど。
「言い残したいことはあるかと、君は聞いたね」
紅い双眸から目を逸らさず聞けば、少女は首を縦に振って肯定を示した。
「二つあるんだけど、いいかな?」
「構いません。――――ただし」
冷たい銃口が、僕の額に触れた。
少女の目は、相変わらず僕を冷静に見据えている。だから僕も見据え返した。
「時間稼ぎはしないでください。明後日まで人はきませんが、私は早く帰りたいので」
私事的な理由に、僕は頬の筋肉が緩むのを感じた。
こんなにも美しいのに。こんなにも世界に馴染んでいないのに。それでもこの少女は、僕と同じ人間の遺伝子を持っている。そんな実感が湧いて、それがたまらなく嬉しい。
きっと少女は否定する。自分は人間ではないと。
それでも、僕を殺す少女は人間。死神のように見えるけど、紛れもなく人間なのだ。
人の命を奪う道具をいくつも生みだしてきた僕は、神に背き神を冒涜する研究を続けてきた僕は、僕の咎によって生を得た人間に裁かれる。クローゼットで震えているあの子には悪いけど、こんなに素敵な死に方はない。
「僕の妻は、サラ=クラルテは、どんな顔で逝った?」
質問の意図がわからなかったのか、少女は一瞬だけ不思議そうな顔をした。
だけどそれは一瞬だけ。すぐに質問の意図を察し、元の無表情に戻る。
「笑っていましたよ、最初から最後まで」
「そうかい」
やはり君も僕と同じだね、サラ。
そして君は僕よりも賢いね、サラ。
僕は会話をするまで、この少女が本当に人間かという確信が抱けなかったよ。
「もう一つは?」
やんわりと少女に促され、僕は頬の筋肉を緩めたまま口を開く。
「もう一つは、言い残したいことっていうよりはお願いだね」
「命乞いは受けつけません」
「向こうで最愛の妻が待っているんだよ? そんなことすると思う?」
「いいえ」
即答か。君も随分正直だね。
ここで肯定する意味は確かにないけど。
「君が欲しいのは僕の命だろう?」
「ええ」
「なら」
これは、あの子の気持ちなど微塵も考えない望み。
「息子は殺さないでくれ」
わかっているのに、僕はエゴを口にする。
少女は軽く息を飲んで、それから訝しげに僕を見た。
「……研究所の人間を皆殺しにするのも、仕事に含まれています」
「でもそれは、あくまで邪魔をする者と発言力のありそうな目撃者の始末だろう? 邪魔もできず、発言力もない六歳児には適応されないはずだ」
「……」
沈黙は肯定と取るよ。
「彼らには、息子は見つからなかったとでも言えばいいさ」
「私に、欺けと?」
「端的にはそういうことになるね」
そこで言葉を区切り、僕は平然を装って笑う。
思案しているのか、それともただ黙っているだけなのか。少女はジッと僕を見ている。
僕を見つめる紅い瞳は、僕達にはない色。でも、僕達の息子にはある色。
だけど、あの子の色と彼女の色は違う。あの子の紅が炎なら、この子の紅は血。人の体から流れたばかりの、黒が混じった鮮血。偽りなき紅。――――でも、どちらも禁忌の赫。
瞳の紅は、許されざる僕らの罪。それを持つ少女が僕を殺しにやってきた。
ならば僕は裁かれる。それが当然の摂理。でもあの子は関係ない。
あの子とて、この少女と同じ被害者なのだから。
「自己満足ですね。薄汚い」
自嘲するような冷めた声音が言葉を紡いで、指が再び引き金にかかる。
カチリと。静けさの中にいないと聞こえない、小さな音が響いた。
「まあ、いいでしょう。皆殺しにしろとはいわれましたが、隠れている人間を探せとは一言も言われていませんし。――――それに」
そこで少女はいったん言葉を切り、改めるようにもう一度僕を見た。
人形じみた顔が、無以外の表情を作る。
浮かんだのは、冷たい微笑だった。
「少なくとも、ここに来る前までの私に彼を生かしておく理由はありませんので」
ありがとう。
遠回しな言葉で僕の頼みを受諾する少女に、陳腐な言葉が過ぎった。過ぎった言葉を、僕は少女に気づかれないよう、緩やかにえんか嚥下して押し込めた。
感謝の言葉ほど、今の僕らに似合わない言葉はない。少なくとも、僕はそう思う。
「そろそろお喋りはやめましょう、博士」
「そうだね」
少女は笑みを消し、自らの姿勢をわずかに変える。銃が撃ちやすいように。
僕は頬の筋肉をさらに緩め、視線を一瞬逸らす。クローゼットを見るために。
わずかに開いたクローゼット。その隙間から、僕のよく知る紅い双眸が見えた気がした。見開かれた双眸は、可哀相なほど怯えていた。
(ごめんね)
どうか僕を、赦しておくれ。
「ごきげんよう、カイン=クラルテ。来世でまた会いましょう」
クスリとも笑わず、少女はゆっくりと引き金を引いた。
ぱんっ、
間近で響いた破裂音と共に、僕の意識は瞬く間に遠ざかる。
霞んだ視界が最期に見たのは、紅い双眸だった。
すぐ傍に行くよ、サラ。
さようなら、ギオ。