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第十五話 栄光の音

〜前回のあらすじ〜


貴子たちの演奏は終盤に差し掛かる。


凛とした表情の裏には、やはりまだ清算しきれない過去の影。


その表情は忘れもしないあの日の表情に似ていた。


~~~~


合宿最終日は最悪の空気。

珍しく、貴子と菫が調子を崩す。


隆志の弦が切れる。


不貞腐れ続ける啓一に、菫はとうとう怒りを露わにしてしまう。徐々にヒートアップし、昨夜のことを口を滑らせてしまう。



貴子は菫を中庭へと連れ、二人きりで話をすることに。

地下室では貴子の過去を知る南が、真実を語り始める。


貴子自身がずっと隠し続けてきた過去と、その理由が今明かされる。



 あれは、中二の秋頃だっただろうか。


 文化祭で、クラスメイトから突然ステージで歌ってほしいと頼まれた。


 もともと歌う予定だった子が、部活動の練習中に骨折してしまい、人前に立てなくなったらしい。


 私が音楽を好きなことを、南から聞きつけたのだろう。


 断る暇もないほどの勢いで頭を下げられた。



 ——人生の意味は、人助けにある。

 ——どんなに小さな頼まれごとでも、笑って引き受けなさい。


 幼い頃から、そう教えられてきた。


 頼まれごとの数は、財産の数。


 祖父母も、両親も。

 そうやって信頼を積み重ね、事業を大きくしてきた。


 その背中を見て育った私にとって、

 断る、という選択肢は最初から存在しなかったのだと思う。


 もちろん曲は知らなかった。

 けれど、引き受けたからにはやるしかない。


 幸い、その曲は流行りのものだったようで、

 啓一と南がとても詳しかった。


 二人は放課後になるたび、付きっきりで練習に付き合ってくれた。


 啓一は、私の声に合うようにキーを調整してくれて。


 南は、何度も何度もピアノで音を鳴らしながら、

 音程を丁寧に確かめてくれた。


 そのおかげで、文化祭のステージは無事に成功した。



 拍手が聞こえた瞬間は、今でもよく覚えている。


 眩しい照明。

 笑顔のクラスメイトたち。


 歓声の中に混じる、誰かの小さな「すごい」という声。


 それだけで、胸がいっぱいになった。



 思えば——


 あれが、私が初めて人前で歌を披露した瞬間だったのかもしれない。


 子どもの頃、父とその関係者に連れられて行ったコンサートを思い出した。


 舞台の上で光を浴びながら、歌で誰かの心を揺らしていた人たち。


 遠い世界の存在だと思っていた。


 ——私は、あの人たちに少しでも近づけているだろうか。


 そんなことを考えた瞬間、胸の奥に、小さな熱が灯った。


 それからだった。


 “歌い手”という存在を知ったのは。


 顔を出さずとも、声だけで誰かに想いを届けられる世界。


 それは、まだ何者でもなかった私にとって、

 とても自由で、眩しく見えた。


 私も、やってみたい。

 そう思った時、不思議と不安はなかった。


 元々、売れることにはそれほど興味がなかった。


 有名になりたいわけでも、

 誰かに認められたいわけでもない。


 ただ——


 目の前の誰かが、喜んでくれること。


 笑ってくれること。

 泣いてくれること。


 それだけで、私の心は少しだけ救われていた。

 歌は人を幸せにするもの、だと思っていた。


 少なくとも、あの頃の私は。



♫♫♫




 中二の冬。


 初めて投稿した動画は、思うように伸びなかった。


 けれど——


 誰もが最初から上手くいくわけではない。


 父も。


 幼い頃、屋敷で挨拶を交わした大人たちも。


 規模は違えど、皆それぞれに挫折を経験してきたのだと聞かされていた。


 だから、わかっていた。

 これくらいで落ち込むのは、甘えなのだと。



 ……それでも。

 やはり、少しだけ悔しかった。


 動画を開いては、再生回数を確認する。


 また少し経ってから開いて、

 もう一度確認する。


 数字は、ほとんど変わらない。


 耐えきれず、自分で再生を繰り返した。


 今思えば、あの頃の再生回数の大半は私だったのかもしれない。



 残りは、家族と、南と、啓一と。


 それから——啓一の妹が、

 義理で押してくれた分くらいだろうか。


 そんな私を見かねたのか。


 その年の暮れ、両親に連れられて館山の別荘を訪れた。


「見せたいものがあるの」


 そう言って、

 母はどこか楽しそうに微笑んでいた。


 案内された部屋の扉を開けた瞬間——

 私は、思わず息を呑んだ。


 そこには、たくさんの機材が並んでいた。


 中央に置かれた、電子ピアノ。

 机の上に整然と並ぶ録音機材。

 高性能のコンデンサーマイク。

 静かに光を灯す、

 オーディオインターフェース。


 壁には防音材が施され、

 床には吸音マットが敷かれている。


 一目でわかった。


 ここはもう、ただの部屋ではない。


 “音楽を作るための場所”だった。


 防音室として改良されたその空間は、

 音楽を愛する人間にとって、

 これ以上ないほど贅沢な贈り物だった。


 部屋の隅には、小さな空気清浄機も置かれていた。

 喉のケアのために、と用意してくれたらしい。


「どうせなら屋敷に作ってほしかったのだけれど」


 思わず漏らすと、

 父と母は顔を見合わせて笑った。


「人の出入りが多いからね。さすがにあちらでは難しかったんだ」


 父はそう言って、満足そうに部屋を見渡した。


「どうせなら、思いきりやった方がいいだろう」


 その声は、いつもより少しだけ優しかった。



 母は、


「もう一つ、渡したいものがあるの」


 と、小室を呼び寄せた。



 運ばれてきたのは——

 一つの、大きなケース。


 ゆっくり開かれると、


 そこに収められていたのは、

 一本のアコースティックギターだった。



「今年もお疲れさま」


 母が柔らかく笑う。


「それと——お誕生日、おめでとう」



 そう。


 十二月は、私の誕生月だった。



 屋敷でも十分すぎるほど祝ってもらったというのに。


 どうやら、プレゼントはまだ終わっていなかったらしい。


 私はそっと、そのギターに触れた。


 まだ新しい木の香り。

 指先に伝わる、なめらかな感触。


 胸の奥が、じんわりと熱くなる。


 啓一が遊びで持ってきたギターを、何度か触らせてもらったことがあったため、Fコードはあっさりと鳴った。


 ——頑張ろう。


 もっと、もっと歌いたい。


 この人たちのために。

 そう強く思ったことを、今でも覚えている。



 それからは学校が休みになるたび、必ず館山の別荘へ通うようになった。


 歌を録って、

 ピアノを弾いて、

 また歌って。


 気づけば、一日中音楽のことばかり考えていた。



 録音した音源は、啓一が編集を手伝ってくれた。


 機材の扱いは私よりずっと器用で、

 ノイズを取ったり、映像の切り替えを整えたり。


 私は隣で画面を覗き込みながら、

 その手元を眺めているだけでよかった。


 学校では、南がいつも音程を確認してくれた。



「ここ、ほんの少しだけ低いよ」


 そう言って、ピアノで正しい音を鳴らしてくれる。



 昼休みの音楽室で。

 放課後の空き教室で。


 私は何度も歌い直した。




 あるとき啓一が言った。


 せっかくだから、景色に声を乗せよう。

 そんな話になり、別荘のあちこちを写真に残した。



 バルコニーから見える海。

 長い廊下。

 高い天井。

 部屋のシャンデリア。

 エントランスに置かれた、大きなグランドピアノ。



 どこを切り取っても美しくて、その景色の中に自分の歌が重なっていくのが、たまらなく嬉しかった。



 冬の海は、夏に見たときと変わらず、眩しく光を跳ね返していた。


 ギラギラと揺れているのに、どこか穏やかで。



 何があっても動じない。

 自然の力は、きっと人間よりも強いのだろう。



 行き詰まったときは、景色を見る。

 それは、子どもの頃からの習慣だった。


 これも、両親の影響なのかもしれない。



 歌い終わると、バルコニーに出て海を眺める。


 隣には、いつも啓一がいた。

 言葉はなくてもよかった。


 ただ、同じ景色を見て。同じ風を感じて。


 たまに肩が触れる。

 それだけで不思議と安心できた。


 家族ぐるみの付き合いだった。


 物心つく頃から、ずっと一緒にいて。

 気づけば、それが当たり前になっていた。


 大人になっても、こうして隣にいるのだろうか。


 いつか家族を持って。

 一緒に歌を作って。


 また同じ景色を眺めるのだろうか。



 そんな未来を、子どもながらに本気で信じていた。




♫♫♫



 二月。

 屋敷の中は、相変わらずたくさんの人の声が飛び交っていた。



 役員通しの打ち合わせ。

 両親の温かいお見送りの声。

 使用人たちの挨拶。



 年度末の総括のためだろうか。

 大人たちには、かなり緊張感が走っていた。


 位の高い者たちばかりの環境に、退屈してる自分もいた。



 だけれど今日は違う。

 久しぶりに、ちゃんと話をする人がいる。


 小室のノックの音が鳴り響く。


「お嬢様。失礼致します」


 扉が開く。


「好恵様がお見えです」

「そう。部屋に通してくれるかしら。あとコーヒーも二人分お願い」

「かしこまりました」



 好恵は中等部の吹奏楽部に所属しており、ドラムを担当している。かなりの強豪校で、同級生からも入部当初からスパルタだと話は聞いていた。


 登下校の際、何度か顔を合わせたことはあったが、ここのところは朝も放課後も練習続きで、しっかりと話はできていなかった。


 動画のお礼ついでに好恵の近況も聞きたいと言ったら、練習の合間に顔を見せてくれた。



 廊下から足音が響く。


 小室のノックの音でドアが開かれると、好恵の姿がそこにあった。


 まだぎこちない制服。


 扉を開けるなり、一度だけ室内を見回してから、小さく頭を下げる。


 すらりとした目元や黒髪のショートカットは、やはり昔と変わらない。


「好恵。お疲れ様」

「…貴子さんも元気そうで、何よりです」

「来てくれてありがとう。さぁ、座って」

「…失礼します」


 もう一人の使用人が、二人分のコーヒーとカステラを置いた。


 砂糖とミルクの入った魔法瓶を添えられると、ゆっくりとドアが閉まる。


 好恵は砂糖を一杯入れた。

 少し考えてから、もう半分だけ足す。


 この子は、昔から苦味は得意ではない。


 コーヒーを啜りながら、思い出話に花が咲いた。


「あなたも大変ね。一年相手に容赦ないわね」

「……いえいえ。それぐらいやらないと、いい演奏はできないので」


 恥ずかしそうに笑いながら、カステラを口に運ぶ。


「相変わらず固いわね。信頼されているのだから、もっと自信持てばいいのに」

「……兄からも、よく言われます」

「なんて言うの?」

「もっと堂々としろって」

「正解ね」

「……でも、あの人に言われると少し腹が立ちます」


 思わず吹き出した。


「ふふっ。確かに説得力はないかもしれないわね」



 妹の好恵は、兄の啓一とは対照的で、内気で人見知り。だが関わってみると、意外と肝は座っていて、誰よりも努力家だった。


 子どもの頃は、啓一の後ろに隠れていることが多かった。挨拶をしても、小さく頭を下げるだけで、すぐに兄の背中へ戻ってしまっていたのが懐かしい。


 それでも——音楽の話になると、ほんの少しだけ目が輝いた。


 言葉で距離を縮めるタイプではないが、静かに同じ時間を共有できる子だった。


 中等部に入ってからは、お互い忙しくなり、顔を合わせる機会も減っていたけれど。


 それでも彼女は、私が送った音源に、必ず丁寧に耳を傾けてくれた。


 春の全国大会まで進み、来月には本番を控えている。そんな合間に、こうしてわざわざお茶をしている理由は——


「クリック音、とても助かったわ」


 そう言うと、好恵は少しだけ目を丸くした。


「やっぱりあなたは、

 リズムの捉え方が上手いのね」


「……そんなこと、ないです」


「あるわよ。啓一くんは感覚で弾くけれど、あなたはちゃんと“支える音”を知っている」


 最近の流行りの曲は、どうにも複雑だった。


 拍の取り方も、息を置く場所も。

 気を抜けば、すぐに言葉が転んでしまう。


 正直、あまり好きではない。

 もっと素直に、音程をなぞってほしいと思ってしまう。


 けれど——流行っている以上、避けては通れないのだろう。


 そんなことを好恵に何気なく話したら、何故かその日の夜に、リズムのデータファイルが送られてきた。


 テンポだけでなく、入りやすい呼吸の位置や注意点まで細かく書かれたメモ付きで。


 その分析の精密さに感銘を受けた私は、リズムの壁にぶち当たると、必ず彼女を頼るようになった。


 好恵はいつも「大したことではありません」と言う。けれど送られてくるデータは、いつだって驚くほど正確だった。


 ここ数ヶ月は全国大会を控えた忙しい時期だったはずなのに、返信は驚くほど早かった。


 彼女の作るクリック音は、驚くほど身体に馴染む。


 ただテンポを刻むだけではない。


 呼吸の場所。

 言葉を置く位置。

 感情を乗せる間。


 そのすべてを、静かに導いてくれる。


 私はその音に合わせて、何度も歌った。


 何度も、何度も。


 やがて、自分の中にあった曖昧なリズムが、少しずつ輪郭を持ちはじめた。


 好恵はきっと、自分では気づいていない。


 けれど彼女は、確かに私の歌を支えてくれていた。



 好恵は中学でドラムを始めると、毎日夜遅くまで練習に打ち込んだ。


 その甲斐あってか、基礎を身につけてからは、力強い音でその場の空気を一瞬で支配してしまうほどに成長した。

 そんな部分を気に入られたのか、一年ながら演奏チームに推薦された。


 我が校の吹奏楽部には、四十名を超える部員がいる。その中でコンクールで演奏できるのは、半数にも満たない。

 特に一年から選抜入りするのは、類を見ない逸材らしい。



「そういえば、来月の全国大会、日にちはいつだったかしら?」


 キリのいいところで話題を変えた頃には、

 好恵のカステラの皿の上は、すっかり綺麗になっていた。


 スティックを寝かせるように、フォークも優しく置かれている。


「三月の二十日です。ちょうど来月の来週ですね」

「聴きに行きたいわ」


 そう言うと、好恵は少し恥ずかしそうに笑った。


「……私も、貴子さんの動画、楽しみにしています」

「……そう?」


「行き詰まったとき、よく聴いてるので」


 言い終える頃には、少しだけ耳が赤くなっていた。


 珍しく、彼女の方からそんな言葉が返ってきた。その小さな約束が、なぜだか嬉しかった。



 支えてくれる人がいる。

 待っていてくれる人がいる。


 それだけで、もっと歌いたいと思えた。



 まだ、何者でもない私の声が。

 いつか、もっと遠くまで届くのだと。


 あの頃は、本気で信じていた。




♫♫♫



 好恵とのお茶が終わり、玄関まで見送った。


 重厚な扉を開けた、そのときだった。


「おお! 久しぶりじゃないか、好恵くん。

 啓一くんの入学式以来だったかな」


 明るい声に顔を上げる。


 そこに立っていたのは——叔父。


 金村栄治郎だった。



「……お久しぶりです」


 好恵は背筋を伸ばして頭を下げた。

 そのまま自然に半歩だけ私の後ろへ下がる。


 人見知りな彼女らしい反応だった。


「貴子くんも、また背が伸びたんじゃないか?」

「いえ。叔父様には敵いませんわ」

「ははは。謙遜する癖は、妹に似てきたな」


 叔父は、我が澤森財閥の傘下のひとつ、金村コーポレーションで取締役を務めている。


 建設会社や人材派遣会社。

 映像制作会社など、我が財閥にも引け劣らない幅広い分野で、事業を拡大している。


 啓一と好恵の父も、その内一社の役員だ。


 人当たりがよく、誰とでもすぐ打ち解ける話術を持っていた。自然と場の空気を明るくしてしまうような人。


 そういうところは、どこか啓一にも似ている。


 ご両親同士も仲がよく、家族ぐるみの付き合いは、もう何年になるのだろう。


 幼い頃から、叔父はいつも私たちを気にかけてくれていた。


 会うたびに声をかけてくれて、時にはお菓子を持たせてくれて。


 啓一が大人になったら、きっとこんなふうに商談をまとめる人になるのだろうか——


 そんなことを、密かに想像したこともある。


 人見知りな好恵は少し苦手そうにしているけれど、それでも家族としての信頼は、皆同じだった。




 疑う理由など、ひとつもなかった。





 ひとつも、




 なかった。







「二人で女子会かい?相変わらず仲良しだね」


 叔父が柔らかく笑う。


「そういえば、好恵くんは来月コンクールなんだって?

ご両親から聞いたよ。全国大会だったかな?」

「……はい。ありがとうございます」


「緊張は?」

「あ、あります。

 でも、演奏が始まれば忘れます」

「ははっ。頼もしいな」


 好恵は少し照れくさそうに頭を下げた。



「そうだ、貴子くん」


 叔父がふと思い出したように言う。


「またピアノを弾いてくれないか?

 来月、うちでちょっとしたパーティがあってね」

「貴子くんがいると場が華やぐんだよ。

 いつもの感じでお願いしてもいいかな?」


「ギャラはあるのかしら?」


 ふざけて返すと、叔父は肩をすくめて笑った。


「やれやれ。それは妹に相談してみるよ」


 思わず、ふっと笑いがこぼれる。


 こんなやり取りも、もう何度目だろう。


 叔父はそのまま玄関を上がり、

 妹である母へ、いつもの調子で元気よく声をかけた。


 廊下の向こうから、

 両親の笑い声が返ってくる。


 その光景は、どこまでも穏やかで。

 どこまでも、“当たり前”だった。


 ——このときは、まだ。




♫♫♫



 それから、一週間後。


 どういうわけか——

 私の動画の再生数が、急激に跳ね上がった。


 最初は、目を疑った。


 何度も画面を閉じて、もう一度開く。


 数字は減らない。夢ではない。

 ちゃんと、現実だった。


 昨日まで三桁だった数字が、今日は四桁を越えている。


 通知欄は見たこともないほど埋まり、コメント欄には知らない名前が次々と言葉を残していく。


 嬉しかった。

 ただ、それだけだった。



 南も、啓一も、

「お前、なんかした?」

 と笑いながら、何度も画面を覗き込んでいた。


 学校でも、少しずつその動画の話題が広がっていた。


 好恵の吹奏楽部でも、話に出ているらしい。



 もちろん——


 それが私だということは、三人と両親以外、誰も知らないままだったけれど。



 SNSにも、たくさんのメッセージが届いた。


 パッと見れば、誰にでも送れるような短い言葉ばかりだった。


 それでも。

 当時の私には、ひとつひとつが宝物だった。


 画面越しでも、誰かに届いている。

 それだけで、胸がいっぱいになった。




♫♫♫



 叔父の会社のパーティーは、

 館山の別荘で行われた。


 叔父自身も函館と淡路に別荘を持っているのだが、その二つは貸別荘として運営して、この日は予約が埋まっていたらしい。



 館山の別荘は、

 社員たちのお気に入りでもあるらしく、

 昔と変わらず、たくさんの人が行き交っていた。



 この日、啓一は来なかった。


 翌週にコンクールを控えた好恵の練習が長引くため、家を空ける両親に代わって留守番を頼まれていたらしい。




 成績の表彰。

 叔父と役員たちのスピーチ。


 余興として頼まれた私の演奏も、無事に終わった。


 拍手が響く。


 知らない誰かの前で弾くことにも、少しずつ慣れ始めていた。



 やがて、会はお開きとなった。


 社員たちが次々と車へ乗り込んでいく。

 私と両親は、エントランスでそれを見送っていた。



「貴子くん。素晴らしい演奏だったよ」



 叔父が、満足そうに笑う。


「お褒めいただき、光栄ですわ」


「私の我儘に付き合わせてしまって、悪かったね」


「そんな!

 栄治郎様、我儘だなんてとんでもない。

 娘も喜んでおりますよ」

「片付けはこちらでやっておきます」


 父も母も、丁寧に言葉を重ねる。


「ギャラは、ちゃんといただきますわよ」



 そう言うと、叔父は声を上げて笑った。


「やっぱり君は面白いな」


 その笑顔につられて、皆が笑う。

 自然と、その場の空気が和らいでいく。


 それが叔父のすごいところだった。


「しかし貴子くんも春からは三年生か。早いねぇ」


「この間まで、こんなに小さかったのにねぇ」

「パパ、やめて」



 また笑いが起きる。

 こんな時間が、ずっと続くのだと思っていた。



「そうそう!歌もやっているって聞いたよ」


 叔父が、興味深そうに目を細めた。


「将来は歌手になるのかな?」


 叔父が笑う。


「それなら、うちがばっちり映像を撮るからね」

「やめてくださいよ。叔父様まで」


「いや、本気だよ。

 君は人前に立つ才能がある」


 機嫌がいいからなのか、いつも以上に褒めてくる。


 今思えば、きっとこれも——



「それでは、私はこれで。

 二人とも、今日はありがとう」


 叔父は深く頭を下げ、踵を返した。


 その直前。

 ふと、母に顔を寄せる。



「——例の件。考えてみてくれ」


 小さな声だった。


 けれど、その言葉だけは耳に残った。

 母の表情が、ほんの僅かに曇る。


 それが、妙に気になった。


 叔父を乗せた車は、ゆっくりと丘を下っていった。



 さっきまでの賑わいが消えると、

 一気に冷えた空気が押し寄せてくる。


 母は静かに扉を閉め、片付けのために残った使用人たちの元へ歩いていく。


「ねぇ、ママ。

 例の件って、何のこと?」



 母は少しだけ足を止めた。


 気まずそうに息を吸い、


「……お風呂。冷え込む前に入りなさいね」



 それだけ言って、奥へ消えてしまった。

 背中がどこか硬かった。


 何か、変なことを聞いただろうか。


 私は隣にいた父の顔を覗く。


 父は少しだけ迷ったあと、

 そっと笑った。


「ママからは内緒にしろって言われているんだが——」


 そう前置きして、静かに声を潜める。


「貴子には、とっても嬉しい話だぞ」



 動画サイトで人気の歌番組。


 放送十周年を記念して、夏に生放送スペシャルをやるらしい。


 その番組に、叔父の映像会社がタイアップすることになった。



 そして——


 挑戦者のひとりとして、出てみないか。

 そう叔父から相談を受けているのだと。




 ちょうど動画も伸び始めている。

 今ならきっといい機会になるだろう。


 母がなぜ、あんな顔をしていたのか。

 そのときの私にはわからなかった。


 きっと、まだ再生回数のことを知らないのだろう。

 ちゃんと伝えれば、母も喜んでくれるはずだ。


 私は、迷わずその話に頷いた。


 全国へ届くかもしれない。


 もっとたくさんの人に、

 私の歌を聴いてもらえるかもしれない。


 夢への扉が、

 ようやく開いたのだと思った。




 ——もし、過去に戻れるなら。


 この日の私に、伝えてやりたい。


 その手を取るな、と。


 あの人に差し出された道は、

 光ではなく——


 地獄への入り口だったのだと。


 けれど。

 このときの私はまだ、何も知らなかった。



 すべてが、もう始まっていたことさえも。



♫♫♫



 その番組の収録は、中三の七月に行われた。


 三月に話を聞いてから二つ返事で承諾したのに、正式な出演決定を告げられたのは、放送のわすが一ヶ月前だった。



 もちろん予定は空けていたため、問題なく出演できる状態ではあったが、業界のことは何も知らなかった私は、こういうものなのだと納得することにした。



 恥ずかしながら流行り物に疎かったため、その番組の存在も、出演の話をきっかけに知ったぐらいだ。


 たまにタレントが「出演が決まるまで見たことなかった」と語っているのを目にするが、当時の私には、その感覚が非常によく理解できた。



 私が出演する回は、スペシャルで生放送。

 普段は収録で行われているらしい。


 参考までにと、南から送ってもらったリンクをいくつか拝見した。



 誰もが目を見張るほどの実力者だった。


 きっと、画面の向こうにいる過去の優勝者たちとも、闘うことになるのだろうか。



 けれど、不思議と不安はなかった。




 私の出演が決まると、その知らせも即座に世に出回った。


 その後の動画も、破竹の勢いで再生数を重ね、コメント欄には数えきれないほどの応援の言葉が並んだ。


 外国語でのコメントの方が多かったかもしれない。



 海の向こうにも、

 私の歌を待ってくれる人がいる。


 それだけで、胸がいっぱいになった。




♫♫♫




 収録当日。


 忙しなくスタッフが行き交い、何度もすれ違う。



 けれど——

 他の出演者の姿は、ほとんど見えなかった。




 受付を済ませると、控え室に案内された。

 部屋の中には、財閥から送られた、たくさんのお花が飾られていた。


 やけに華やかで、

 既に優勝した雰囲気ようなその色合いに、思わず笑みが溢れる。


 

 挑戦者は何人もいるはずなのに、

 案内された控え室には、私ひとり。


 誰とも顔を合わせないように、時間をずらしているのだろうか。


 それとも、私の到着が早すぎたのか。



 そんなことを考えながら椅子に腰を下ろすと、スマホが震えた。



「思いっきりぶちかませ〜」

「ただし、ピッチは外さないように」


 の二文と共に、愉快なスタンプが三つ送られてきた。


 南らしい。


 きっと私の緊張を気遣ってのことだろう。

 彼女らしい伝え方に、安堵の息が漏れた。



 ——そのとき。


 扉がノックされた。


「失礼するよ」


 入ってきたのは、叔父だった。


 その後ろに——


「……啓一くん?」


 思わず立ち上がった。


「よっ!」


 見慣れた笑顔だった。


 その瞬間、

 張り詰めていた何かが一気にほどけた。



「どうしてここに?」

「私が呼んだんだ」


 叔父が、どこか得意げに笑う。


「ここまでの大舞台だ。

 さすがの貴子くんも、緊張していると思ってね」


「啓一くんは、君の緊張を解すのに適任だろ」

「やめてくださいよ」



 二人の優しさに、胸の奥が熱くなった。



「お花も気に入ってくれたかな?」

「ええ。嬉しいです!

 とても華やかで、もう優勝したような気分ですわ」

「おいおい。まだ始まってないだろ」


 啓一が茶化すと、全員釣られて笑う。


「まぁ、せっかくの機会なんだ。

大袈裟なくらいが、ちょうどいいのかもしれないね」

「……ありがとうございます」

「お礼ならあとでいいよ。まずは楽しんでおいで」



 叔父はそう言って、

 優しく肩に手を置いた。


 昔から変わらない励まし方だった。


 けれどそれを気にすることもなく、そのまま部屋を出ていく。


 どうやら本番直前まで会食が入っている両親に代わり、駆けつけてくれたらしい。



 扉が閉まると、私は啓一に抱きついた。


「貴子。どうしたんだ?」

「…初めての出来事だから少し緊張していたけれど、あなたがいてくれてよかったわ」


「俺もびっくりしたよ。

 栄治郎さんに急に楽屋に入れるって言われたから、居ても立っても居られなくて」

「…ありがとう」



 両腕に力を込める。

 お互いの鼓動が、僅かに跳ねるのがわかる。




「そうだ。これ、母さんと好恵から」


 私のお気に入りのお店のシュークリームと、小さなお手紙。



 今日は練習がないので、楽しみにしてます。

 優勝したら、お祝いしましょう!

 私も予選頑張ります!!


 


 几帳面な好恵らしい綺麗な字だった。

 けれど文末の「!!」だけは珍しくて、思わず笑ってしまった。



「あら。高かったんじゃない?」

「大丈夫だよ。終わったら二人で食べよう」

「あなたが食べたかっただけだったりして」

「貴子こそ、摘み食いするなよ〜」



 他愛もないやり取りなのに、

 暖かい優しさに、胸の奥が熱くなる。



「…落ち着いてな。俺たちはずっと味方だ」

「…ええ」


 もう一度身体を寄せ合う。

 成長途中の体温が、じんわりと伝わってくる。



 私たちは、そのまましばらく離れようとしなかった。



♫♫♫




 少しして、再びノックの音が鳴り響いた。


「失礼します」


 スタッフが入ってくると、

 啓一は一礼し、静かに部屋を出る。


 扉が閉まり切ったことを確認すると、

 黒髪をお団子にまとめた女性が、手元の書類を取り出した。


「本日は、まことにありがとうございます。

 場当たりの前に、確認事項を読ませていただきます」


 まだ若く見えるのに、

 その口調は妙に丁寧だった。



 少し前の旅行で乗った飛行機の、

 客室乗務員の話し方を思い出す。



 女性は三枚の書類を机に滑らせた。


 説明は驚くほど淀みがない。

 まるで何度も繰り返してきた台本を読んでいるようだった。



「——時間もありませんので、手短にご説明いたします」


 顔出しはせず、画面にはアバターが映ること。


 場当たりと本番では、同じマイクを使うこと。


 本番終了まで、他の挑戦者と接触しないこと。


 そして——


「本日、このスタジオ内で、

 あなたが見たこと。

 聞いたこと。

 起こった出来事。


 そのすべてを、口外しないでください」


 空調の音だけが、やけに大きく響いた。


「SNSはもちろん、ご両親へ。ご友人へ。


 どなたに対しても、話してはなりません。


 先ほどいらしていた関係者の方にも、

 後ほどご説明いたします」



「ご理解いただけましたら、

 こちらにご署名をお願いいたします」



 ところどころ、引っかかる部分はあった。


 けれど、その滑らかな口調に圧倒され、内容はほとんど頭に残らなかった。


 女性が、静かにペンを差し出す。




 艶のある白い肌が、照明を反射していた。


 私は一度ハンカチで手汗を拭いてから、それを受け取った。



「……あの。これは、どちらで書けば……?」


「本名でお願いします」


 その返答だけ、少し事務的だった。


 先ほどまでの柔らかな口調とは違う気もしたが、気のせいかもしれない。


 私は一度ハンカチで手汗を拭き、ペンを受け取る。


 本番前だからだろうか。

 自分でも驚くほど手のひらが汗ばんでいた。


 書かなければ何も始まらない。


 私は言われた場所へ署名をした。


 ペンを置く。


「ありがとうございます」


 女性は小さく微笑んだ。

 丁寧で、どこか作り物のような笑顔。


 ただ、それまでの柔らかな印象と少し違って見えた。


 緊張していたせいかもしれない。


 ほんの一瞬だった。

 けれど、その笑みだけは、あまりにもはっきりと目に焼きついた。



 女性は書類を回収すると、



「それにしても、綺麗な花束ですね。

 こんなにたくさん送られてくるなんて」


 女性は花束へ視線を向ける。


「私もびっくりです。

 せっかくの晴れ舞台なので、この応援に応えられるように、精一杯頑張ります!」


 力一杯頷き、もう一度決意を固める。


 女性は花束を眺めたまま、


「……期待されているんですね」


 小さくそう呟いた。


 聞き取れないほどではなかった。


 けれど、どこか独り言のようにも聞こえた。


 私が返事を考えている間に、女性はもうこちらへ向き直っている。


「それでは、これよりサウンドチェックとなります」


「どうぞ、こちらへ」


 さっきのあの仕草は、見間違いだろうか。


 戸惑いつつも、私はゆっくりと立ち上がり、一口喉を潤わしてから女性の後に続いた。



♫♫♫



 控え室を出る直前、赤いTシャツを着た男性が目の前を通り過ぎた。


 前には、同じ制服のスタッフがついている。


 やはり、私だけではなかった。



 たまたま控え室が違っただけだ。



 安堵の息が漏れたそのとき——



 彼のポケットから、するりとのど飴が落ちた。


 私は咄嗟に拾い、声をかけてしまった。



 スタッフの女性が、反射的に私の手からそれを奪い、男性に渡す。



「……どうも」


 彼はそれだけ言った。

 少し低くて、意外と落ち着いた声だった。



 受け取った後、彼と目が合った。


 合わせてきた、と言った方がいいかもしれない。


 年齢も私とそう変わらないように見える。


 同世代にも、同じ活動をしている人がいるのだと感心したいが、さっきの注意事項を無視してしまった罪悪感に苛まれた。



「すみません!先程ご説明があったばかりなのに」


「ああいったことは仕方ありません。

 身内感覚で話しかけにいくのを控えてください、ということです」


「緊張を解すためなのか、初対面でもガツガツ話しに行かれる方もいらっしゃいますからね。

 過去に、それで出演者通しが揉めたこともあったので、我々も敏感になってしまってます」

「…そうでしたか」

「…では改めて、こちらへ」




 今度こそ、スタジオへ連れられた。


 ステージは思っていたより、高かった。



 黒い床。客席。

 たくさんの照明とカメラ。

 今は空席のMCの席。

 審査員の席。



 その全てが、見たことのない世界だった。


 

 

 マイクを取り、サウンドチェックが始まる。



 照明が当たる。




 喉の調子は絶好調。


 音源とのバランスを確かめる。



 マイクを上げて。オケを下げて。


 そんなやり取りが交わされた。



 普段、使用人たちに腐るほど要望しているのに、こういうオーダーの仕方は、どこか新鮮だった。




♫♫♫



 サウンドチェックは滞りなく、終わった。



 控え室へ戻ると、机の上には極上の焼肉弁当が置かれていた。


 どうやら、母からの差し入れだったらしい。



 本番まではまだ時間がある。


 緊張ですっかり空腹だった私は、手を洗ってから弁当に手をつけた。


 開けた瞬間、猛々しくも上品なタレの香りが、大きく宙を舞った。


 口に含むと、確かな肉の深みと滑らかな油が、ゆっくりと溶け合う。


 柔らかいのに、厚みがある。


 その全てが米と絡み合い、壮大な合奏が展開されていく。



 このときの私は、数十分前に覚えたあの寒気さえ、すっかり忘れていた。




♫♫♫



 お弁当を平らげると、気づけば部屋の中で意味もなくターンしていた。


 私は今、最高に気分がいい。

 きっと優勝は、このりさこわも様に違いない。


 子どもの頃、海外で見たミュージカルのマネをして、部屋内を駆け回った。



 優雅に舞っていると、鞄のスマホが鳴った。

 



 ——深呼吸を忘れずに。楽しんでね



 いつもの気遣い。

 

 ありがとう、とだけ返信すると、もう一通。




 ——少し話があります。

 邪魔したくないから、終わってからで


 

 珍しく、必死な内容だった。


 母らしくない。

 それが、ほんの少しだけ気になった。



 少し前、顔を顰めていたことを思い出す。


 ……けれど。


 今は、それどころではない。




 スマホを鞄にしまい、

 入れ替わりでタブレットを取り出した。


 歌う曲の歌詞と音程の一つ一つを精密に分析した、自慢のファイル。


 とはいえ、音程の八割は南がまとめてくれたものだが。



 スタッフが呼びに来るまで、その画面を見ながら曲を再生しては口づさみ、何度もそれを繰り返した。




♫♫♫



 ノックが響いてから出番までの時間は、ほんの一瞬に感じられた。



 ステージ裏の暗幕が開く音。

 

 MCと審査員のコメントが続いていた。




 いよいよ私の出番。


 今日の参加者で最後の歌唱だった。


 MCの合図で、照明が光る。


 場当たりのときより、少しだけ眩しい。




 だが、マイクを構えてからは、そんなことはどうでもよかった。




 前奏が流れ、身体が勝手に歌い始める。


 全身の細胞が、呼吸していた。


 

 両親。

 啓一。

 叔父。



 そして——南と、好恵。




 明確に、対象を定めて。



 優しく、強く、ただそれだけを願って。




 気づけば、揺れるほどの拍手が巻き起こっていた。


 全身から汗が垂れる。




 歓声と絶賛のコメントで、溢れていた。


 今でも、あの光景は忘れない。




 結果発表の時間なんて必要ない。



 この瞬間こそが、

 私にとって初めて掴んだ——



 栄光の音だった。




♫♫♫



「やっぱりここのシュークリーム格別〜」

「はしゃぎすぎだぞ貴子」

「いいじゃない!優勝よ!優勝!!

 もっと貴子様を褒め称えよ!」



 啓一とスタジオを出ると、すっかり日が暮れていた。



 好恵と三人で、用意してくれたシュークリームを食べようと話していたが、どうにも待ちきれず、近くの公園で開けて食べることにした。




 最低限の甘さのまろやかなクリームを、弾力のある生地が包んでいる。


 子どもの頃からの、お気に入りの一品。



「好恵の分も残しとけよ」

「もちろんよ」



 少しずつ、距離が縮まる。


「それにしても、貴子はすごいな」

「…あなたとゆうかと好恵がいてくれたからよ」


「私一人じゃ、絶対ここまでできなかったわ。

 …ありがとう」



 彼は顔を赤らめたまま、固まっていた。

 柔らかい夏の夜風が、そっと吹き抜ける。


 私は一つを食べ終え、彼に近づいた。


 口元についたクリームを、人差し指で優しくさらう。



「…子どもの頃のままじゃない」



 呆れながら、それを舐める。



 ただ、それだけの仕草なのに、


 彼の表情が変わった。



「…貴子」



 名前を呼ばれた瞬間、

 肩を引き寄せられ、そっと体温が伝わった。


 優しく触れるだけの、短いキス。


 けれどその一瞬で、世界の色が変わった。



「…クリームの味」

「そりゃそうだろ」



 私は笑って、もう一度重ねる。



 彼の呼吸は、あまりにも大人びていた。

 まだお互い中三なのが、信じられない。



 優勝して。


 好きな人が隣にいて。


 初めてキスをして。


 未来は、どこまでも明るいものだと信じていた。




 ——母が伝えようとしていた事実も。


 その先に待つ運命も。



 この幸福が、一瞬で崩れ去ることなど——



 まだ、何も知らずに。

ご覧くださりありがとうございます。


かなりボリューム満点でしたが、いかがでしたでしょうか?

まさかの二重回想笑


いつもより長めでしたが、

ここまでは一気に載せたかった!


情報量も多すぎてすみません!


りさこわも編は

貴子・南・啓一はもちろん、現在のナギサノユラギのドラムスである好恵も重要な役割を果たします!


次回もスペシャルです!お楽しみに


夜留タクト

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