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第十二話 名前の音

〜前回のあらすじ〜


現在も貴子は、香織と一緒に作った歌詞を大切に歌い続けている。


合宿での初めての音合わせ。

それぞれが持つ個性はまだ噛み合わず、練習は途中で中断されてしまう。


その一方で、貴子と歌詞を考える中、香織は隆志への想いを少しずつ言葉にしていった。


仲間たちとの時間を通して、菫、啓一、そして隆志は、それぞれの『鳴らしたい音』を探し始めていた。


貴子の提案で訪れた海。


波や風、カモメたちが奏でる季節の音に包まれながら、菫は胸の内に溜め込んでいた想いを吐き出していく。


そして海へ向かって叫び、笑い合いながら、新たな一歩を踏み出したのだった。



 合宿は、思っていたよりもずっと穏やかに進んでいった。


 地下での音合わせは、相変わらず噛み合わない部分も多い。隙間も、ズレも、まだ目立つ。


 それでも——どこか、同じ方向を向き始めていた。


 

 誰かが引っ張るでもなく、誰かが合わせるでもなく。


 理由は、まだ誰も言葉にできないまま。


 

 昼間は、中庭や海で過ごす時間が増えた。


 六人で追いかけ合い、水をかけ合い、くだらないことで笑い転げる。


 その遊びの中心にいたのは、決まって啓一だった。


 地下で張り詰めていた空気が嘘のように、軽やかな時間が流れていた。


 

 貴子はそんな中でも、どこか一歩引いた優雅さを崩さない。


 けれど——ふとした瞬間に見せる無邪気な笑顔は、誰よりも年相応だった。


 みんなと笑っている。


 海ではしゃいでいる。


 それなのに時折、誰もいない方向へ視線を向けることがある。


 まるで何かを探しているように。


 ——いや。


 探しているんじゃない。


 忘れられない何かを見ているようだった。


 

 隆志は、そんな横顔が妙に気になっていた。


 

 食事の支度は、自然と香織、南、菫の三人が担うようになっていた。


 貴子の家族が買い込んでいた食材で、冷蔵庫も戸棚も満ちている。


 特に、澤森家特製らしい桃とメロンのジャムは絶品だった。


 焼き立てのトーストに塗れば、それだけで朝食が完成してしまう。


 香織と南はすっかり虜になっていた。


 

「これ本当に美味しい……」

「商品化できるレベルだよね〜」


 

 二人が盛り上がる横で、貴子は少しだけ懐かしそうに笑っていた。


 

「昔からあるのよ」


 

 それ以上は語らない。


 けれど、その表情だけが少しだけ遠かった。


 

 シンクの浄水器から注がれた水は、ひと口でわかるほど澄んでいた。


 

「……お水って、こんなに美味しかったっけ?」


 

 ぽつりと漏れた菫の言葉に、誰もが少しだけ苦笑する。


 

 そんな平和な時間の中で——


 


「隆志、何してんの?」


 


 ある日の昼。


 香織が覗き込むと、隆志は台所の引き出しを漁っていた。


 


「別に」


「絶対なんか企んでるでしょ」


「秘密」


 


 そう言って追い払うように手を振る。


 


「……怪しい」


 


 香織は呆れたように去っていった。


 その背中を見送りながら、隆志はこっそりとスマホの画面を閉じる。


 

 表示されていたのは——焼きうどんのレシピだった。


 

♫♫♫



 夜になると、再び地下に集まる。


 音はまだ粗く、形も曖昧だ。


 それでも——あの日よりも、確実に同じ方向を見ていた。


 

 隆志はずっと、貴子の様子を気にかけていた。


 この別荘には、触れてはいけない領域がある。


 南から聞いたのはそれだけだ。


 けれど、それがおそらく貴子の過去に関わるものだということくらいはわかる。


 

 打ち明けられた者としての責任を果たしたい。


 そう思っているのに、


 隣にいるのはいつだって啓一と南だった。


 

 啓一は人の懐へ飛び込むことに躊躇がない。

 彼女もその魅力に、ちゃんと惹かれている。


 誰が見ても、これ以上ないほどのお似合いのカップルだ。


 だからこそ——どこか悔しい。


 

 そんなことを考え込むたび、


 

「おーい」


 

 香織が現れる。


 

「また難しい顔してる」

「してねぇよ」

「してる」


 

 昔から変わらない。


 不器用で、お節介で。

 だけど妙に人のことを見ている。


 

 隆志は苦笑しながらギターを鳴らした。


 

 胸の奥に留まる言葉にならないものを、

 いつものように音へと変えていく。


 

♫♫♫



 三日目の夜。


 二階のバルコニーに、涼しい風が流れていた。


 遠くで海の音が揺れている。


 

 六人はバーベキューを囲んでいた。


 

 炭窯に置かれた鉄板の上で油が弾ける音。

 炊き立ての湯気が立ち上る気配。

 箸が当たる小さな音さえ、どこか心地いい。


 

 香織と菫が焼き、

 南と啓一がそれを奪う。


 

「ちょっと!二人とも食べてるだけじゃん!」

「美味しいんだからいいじゃん!」

「早く焼けよ〜」

 

 他愛もない会話が夜風に溶ける。


 

 貴子はハンモックで本を開きながら、その様子を穏やかに眺めていた。



 隆志は星空を見上げながらギターに触れている。


 

「お〜い隆志。お前の分も焼いといたぞ〜」

「焼いたの私だし!!」


 

 差し出された箸を受け取り、肉を口へ運ぶ。


 

「あっつ!!香織焼きすぎ!」

「文句言うな!!」


 

 顔を赤らめながら、トウモロコシを鉄板へ押し付ける。


 こんがりと色づき、香ばしい匂いが広がった。


 

 ひとしきり騒いだあと——


 

「そういや、俺たちバンド名決めてなかったよな」


 

 啓一の一言で、空気が少しだけ止まる。


 

「……言われてみりゃそうだな」

「今まで決めてなかったの逆にすごいよね!」



 軽い笑いが起きる。


 

「……確かに、決めておいた方がいいかもしれないわね」


 

 貴子がジュースを置き、ゆっくり立ち上がった。


 

「みんなで順番に出し合っていきましょう。じゃあ——香織ちゃんから」


「え?私から?」


 

 貴子は肩を叩くと、トングを受け取る。


 自分も焼きたくなったのだろうか。


 

 串に刺された鮎を豪快に鉄板へ乗せる。

 珍しい大胆さに、思わず全員から笑みが溢れた。



「ほら。香織早く」


 

 啓一が面白がって急かす。


 

 香織は口を噤ませていると、

 ごうごうと唸る炭窯が目に止まった。


 


 誰よりも強く、

 全てを焼き尽くす勢いの小さな炎。


 

 そうして香織が口にしたのは——




「“最強☆青春バンド”とかどう?」


 

 夜風が吹き抜ける。


 


「却下」

「クソだせぇな」


 

 即座に否定された。


 

「何よ!!」


 

 南と啓一は何事もなかったように箸を動かしている。


 誰も構ってくれないのが少し可哀想になり、


 


「最強の“きょう”は『凶』だろ」



 隆志が言う。


 

「ガミガミ言ってくる厄介な女って意味で」

「何よ!!そういう隆志はどうなのよ!?」



 香織は昔の表情のまま追いかけてくる。


 隆志は笑いながら逃げるように鉄板へ手を伸ばした。


 


「……焼きピーマンズ」


 

 沈黙。



 蚊を叩く菫の音だけが響く。


 


「却下。俺ピーマン嫌い」

「私は嫌いじゃないわ」

「……隆志だって人のこと言えないじゃん」


 香織はぼそぼそ呟きながら、

 焼きトウモロコシに齧り付く。


「じゃあ、ライスペッパーズ、とかどう?」


 南が米を取り分けながら冗談を交える。


 「食べ物から離れて」


 また笑いが起きた。


 

 いくつか名前は出たが、

 どれもしっくりこない。


 切り捨てられては笑いに変わるのみ。



 進んだのは六人分の箸だけ。

 何も決まらないまま時間が過ぎていく。



 その流れの中で——


「ここ来てからさ、音の感じ変わったよね」



 香織がふと海の方を見る。


 

「……わかる」



 南が頷く。



 少しだけ静けさが落ちる。


 


「……海は広いよな」



 啓一が呟く。



「……海ってさ、いろんな音が混ざってる感じがするんだよな」



「……揺らいでるけどね」



 菫が重ねた。


 

「波ってさ、全部同じに見えるけど——一つとして同じ周期じゃないんだよね」


 

 暗い海を見つめながら続ける。



「干渉して、ズレて、また重なって」


「それでも——海になる」


 

 誰に言うでもない言葉。



 けれど隆志には、その響きが妙に残った。



 地下で何度も噛み合わなかった音。


 啓一のベース。

 菫のドラム。

 南のピアノ。

 貴子と香織の歌。


 

 全部違う。


 

 だからこそ面白いのかもしれない。


 

「全部まとめて綺麗って思わせるの……ずるいよね」


 


 波の音が少し強くなる。


 

 月明かりが水面をなぞり、

 風が抜けていく。


 

「……波の揺らぎ、ってこと?」


 

 南が優しく笑う。


 

 そのあと——ほんの一瞬の沈黙。


 


 音だけが残る。


 


 隆志は海を見た。



 波の音。

 潮の匂い。




 この合宿が始まってから、

 ずっと耳の奥に残っている音だった。


 


 うまく言葉にはできない。


 


 けれど、


 なぜか忘れたくないと思った。


 


「……いいじゃん、それ」


 


 香織が言う。


 


「波じゃなくて——」


 


 隆志は海から視線を戻した。


 


「渚はどうだ?」


 全員の視線が向く。


「いろんな波が集まる場所じゃん」


 

「揃ってなくても。

 ぶつかってても。

 最後は一つの景色になるっていうか」



 言いながら、自分でも上手く説明できていない気がした。



 それでも。


 今の自分たちには、

 そっちの方が似合う気がした。



「だから、渚」


「渚の、揺らぎ」



「カタカナにしたら、バンドっぽいかも」


 南がすぐにスマホへ打ち込む。


 

「ナギサノユラギ」



 画面の文字を見せながら笑った。


 

「悪くないんじゃないかしら」


 

 貴子は頷きながら、


 出来上がったばかりの鮎の塩焼きに上品に息を吹きかけた。


 

「……あら、美味しい」


 

 はっきり決めたわけでもない。


 

 それなのに、


 その名前だけがそこに残る。


 

 波の音がまた一つ重なった。


 

 まだ形になりきらない何かが、

 少しだけ輪郭を持った気がした。




 しばらく駄弁ったあと——


 

「水、なくなった」


 

 南が立ち上がる。


 

「あ! 私も水筒に汲んでもいい?

 寝る前に飲む用として」


 

 それに続くように、菫と貴子も席を離れる。

 啓一も笑いながら、その流れに乗った。


 

 さっきまでの賑やかさが、少しずつ遠ざかっていく。


 

 啓一の笑い声。

 南の軽い相槌。

 貴子の穏やかな声。


 

 それらが室内の方へ消えていくのを聞きながら、隆志は何となく空になった紙皿を重ねた。



 ——静かだな。


 

 そう思った瞬間、

 視界の端に香織が映る。


 

 なぜか少しだけ落ち着かない。


 

 ——残されたのは、香織と隆志。


 

 潮風が、ゆっくりと吹き抜ける。


 さっきまでの笑い声が、嘘みたいに消えていた。


 

 夜と、海と、二人だけの空気。


 新しい音が、静かに鳴り始めようとしていた。



♫♫♫



 香織と隆志は、しばらく何も話さなかった。


 

 遠くで揺れる波の音。

 皿に残された野菜や肉。


 

 室内の方からは、誰かの笑い声だけが微かに聞こえてくる。


 

 その静かな時間の中で——


 

 隆志がふらりと鉄板へ近づき、鍋に麺を落とした。


 

 ぼちゃん、とお湯が跳ねる。


 

「隆志、何してんの?」

「何って、焼きうどん作ろうかな〜って」


 

 香織は慌てて駆け寄り、その手を止めた。


 

「ダメ! 隆志、料理できないでしょ!!」



 気づけば身体が先に動いていた。


 自分でも驚くほど自然に——遠かったはずの距離へ、手を伸ばしていた。


 

「は? 焼きうどんくらい作れるし」


 隆志は不服そうに言いながら、麺をほぐしていく。


 

「……いつだっけ。

 ガキの頃、お前が大風邪引いたときあっただろ?」



 湯気の向こうで、少しだけ懐かしそうに笑った。


 

「そのとき、美羽と二人で焼きうどん作ったの思い出してさ」

「あったね、そんなの」


 

 香織も小さく笑う。


 

「食った瞬間、お前急に飛び起きたよな」


「……あれ死ぬほど不味かったんだけど」

「うわ、まだ言ってるし」



 他愛もない言い合いを続けるうちに、麺はすっかり茹で上がっていた。



 ざるで手早く湯を切ると、隆志は残っていた玉ねぎとピーマン、肉をまとめて鉄板へ放り込む。



 そのまま豪快に、ぐるぐると混ぜ始めた。


「……ちょっと、雑すぎ」


 見ていられなくなった香織が、呆れたように箸とスパチュラを奪い取る。


 慣れた手つきで具材を返していく。



 隆志はその横顔を眺めた。


 

 昔から変わらない。


 調理実習のときなんか妙に細かくて、

 人の世話ばかり焼きたがる。


 

 ついさっきだって、

 貴子のことを考え込んでいた自分に真っ先に声を掛けてきた。


 怒っているようで、

 本当は放っておけないだけなのだ。


 

 だから——


 香織の前では、考え事が長続きしない。


 

「……あの日も、美羽に同じことされたっけな」

「……やりそう」



 香織が小さく笑う。


 

「そう。だから、ほとんどはアイツの仕業だ」

「……だからなんだし」


 

 わざと美羽の口調を真似すると、隆志が吹き出した。


 

 鉄板の上で、油がぱちぱちと弾ける。


 その音に合いの手を入れるみたいに、隆志はざるを小刻みに振った。


 

 麺を戻すと、今度は隆志がもう一度スパチュラを握る。


 

「……今度こそ、リベンジ」


 

 あの日の続きを、やり直すみたいに。


 

 昔からそうだった。


 

 どんなにくだらないことでも、

 この人は妙に本気になる。


 納得いくまで、何度でも。

 面倒くさいくらいに、拘って。


 そのしつこさが、

 あの何通りもの音を生み出しているのかもしれない。


 

 ……軽すぎるけど。


 思わず口元が緩んだ。



 この気持ちが芽生えたのは、

 いつからだっただろう。


 

 振りかけた胡椒が潮風にさらわれ、ふわりと隆志の顔へ戻っていく。


 何度かくしゃみを繰り返して、ようやく焼きうどんは完成した。



 思ったよりもずっと早い出来上がりに、香織は小さく息を呑む。



 本人はきっと照れ隠しで言わない。


 けれど——

 こういう日のために、少し練習していたのだろう。


 それだけで十分わかった。


 

 ……よほど悔しかったのだろうか。


 

 負けず嫌いで、意地っ張りで。


 

 やっぱり——

 私たちはどこか似ている。


 

 皿に盛りつけると、隆志は得意げな顔でそれを差し出した。


 塩と胡椒だけのシンプルな味付け。


 

 けれど——

 いつかと変わらない、その素朴な匂いが鼻をくすぐる。


 

 香織は皿を受け取ると、少しだけ躊躇ってから箸をつけた。


 

 その間も、

 目の前の幼馴染みは何も言わず、ただじっと反応を待っている。


 

 ひと口。


 

 そして——


 

「……うっす!!」


 思わず顔をしかめて皿を戻した。


 


「は?」

「塩ちゃんとかかってないよこれ」

「暑さで味覚イカれたんじゃねぇの?」


 

 隆志は眉を寄せると、香織の箸をひょいと奪った。



 そのまま"同じ場所へ"口をつける。


 

「……あ」


 

 香織の声にならない声。


 けれど当の本人は気づく様子もない。


 

「……おかしいな」


 

 首を傾げながら、さらにもうひと口。


 その真剣な顔が妙におかしくて、香織は思わず笑ってしまった。


 

 ——が。


 

 次の瞬間、自分の頬が熱を持っていく。


 

 同じ箸。

 同じ場所。



 ——間接キスじゃん。


 

 気づいた途端、心臓がうるさくなる。


 なのに。


 

「……別に普通だけど」


 

 当の本人はまるで気づいていない。


 その無自覚さが余計に腹立たしかった。


 


「……ほんっと、ムカつく」

「は? なんで?」

「なんでもない!」


 

 香織は背を向けて立ち上がり、バルコニーの柵へ顔を伏せた。


 

 波の音が、大きくゆっくりと揺れている。


 

「……同じ反応だな」


 

 隆志は一つ隣の席へ座り直しながら言った。


 

「あのときも、味薄いってギャーギャー文句言いながら食べてたよなお前」

「……隆志がおかしいだけでしょ」

「でも、なんだかんだちゃんと食ってくれたよな」

「別にアンタのためじゃないし!」


 

 返事をしながらも、香織の胸は落ち着かない。


 何かを語りかけてくるように、水面の三日月が怖いくらいはっきり浮かんでいた。


 

「……そういえばさ」


 

 沈黙を埋めるように隆志が呟く。


 

「お前、お祭りのときも文句言ってたよな」


「……何の話?」


「焼きそば食って文句言ってた」

「……あれはソースが濃すぎたの」

「で、綿あめ食って機嫌直してた」


「……よく覚えてるわね」


 

 隆志が少しだけ笑った。


 

「そりゃ覚えてるだろ。

 金魚すくいで取れなくて美羽に泣きつくわ、

 かき氷は半分以上俺に押しつけるわ、

 人混みで迷子になりかけるわ——」

「ちょ、ちょっと! それ以上言わないで!」



 慌てて遮る。


 隆志は楽しそうに肩を揺らした。


 

 その笑い方に、また胸がざわつく。


 

 潮風が吹き抜ける。


 二人の間を、静かに。


 


「……今年も、あるのかな」


 

 気づけば香織はそう呟いていた。



「祭り?」

「……うん」


 

 少しだけ間が空く。


 

 ——今なら。


 言えるかもしれない。


 

 香織はゆっくり息を吸う。


 

「……ねぇ。時間あったらさ」


 

 思ったより声が小さかった。


 

「……久しぶりに、一緒に行かない?」


 

 心臓が跳ねる。


 

「……二人で」


 

 自分で言って恥ずかしくなる。


 

 けれど——


 隆志は一瞬だけ目を瞬かせた。


 

 祭り。


 それはみんなで行くものだと思っていた。



 なのに香織は、

 わざわざ"二人で"と、そう言った。


 

 その意味までは、

 まだよく分からない。


 

 けれど——


 なぜか断る気にはならなかった。


 

「……どうしよっかな〜」


 

 わざとらしく視線を逸らす。



 その態度に腹が立って、香織が身を乗り出した瞬間——


 

 大きな風が吹いた。


 

 ぐらり、と椅子が揺れる。


 

「——っ」


 

 倒れる。


 そう思った次の瞬間。


 気づけば香織は隆志の腕の中にいた。


 

「……大丈夫か?」


「……あり、がと」


 

 腰に回された腕。


 肩越しに伝わる体温。


 呼吸の音。


 汗ばんだTシャツ越しの距離。


 

 近すぎる。


 

 見慣れたはずの顔が、

 今はまるで別人みたいだった。


 よく見ると意外と逞しい腕。


 

 このまま。


 もう少しだけ。


 

 そう思ってしまう自分がいる。


 


 波の音が大きく響く。


 


 やがて——


 

 ゆっくりと身体が離れた。


 

 香織は慌てたように視線を逸らす。


 

 その横顔が、

 月明かりの中で少しだけ大人びて見えた。


 

 ——あれ?


 

 隆志は一瞬だけ違和感を覚える。



 昔から知っている顔のはずなのに。


 

 なぜか今だけ、少し違って見えた。


 


「……で?」


 

 いつもの気の抜けた声。


 

「祭り」


 

 香織はまだ赤い顔のまま視線を逸らす。


 

「……来るの?」


 

 少しの沈黙。


 

 それから隆志は、ふっと笑って——


 

「……行ってやってもいいよ」

「なにそれ!」

「誘ったのお前だろ」

「もっと言い方あるでしょ!」


 

 さっきまでの緊張が嘘みたいに、

 いつもの言い合いが戻ってくる。


 

 その様子を少し離れた窓の陰から——


 

「……よかったね」

「……うん」


 

 南と菫が静かに見守っていた。


 

 二人の手には、水をたっぷり入れたピッチャーと、切り分けられたスイカの入った木箱。


 

「そろそろ乱入する?」

「……今なら、ちょうどいいかも」


 

 顔を見合わせ、小さく笑う。


 そして——


 

「おまたせ〜!って、なにその空気?」

「スイカ切ったよ」


 

 わざとらしく現れた二人に、香織は慌てて距離を取った。


 

「べ、別になんでもない!」

「はいはい」


 

 その声に混ざるように、また一つ波の音が重なった。


 

 それと同時に——


 

 何かが一つ、

 静かに色褪せていく音がした気がした。

ご覧くださりありがとうございます。


香織のキャラクターも、少しずつ描いていきます!


六人の結末とは?現在のバンドとの関係は?

気になると思いますが、それは後々ということで。


次回は一変、

啓一と貴子の過去に少し触れます!!

お楽しみに。


夜留タクト

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