第49話:村の品は、商人の目で宝に変わった
ゴブリン村から持ち帰った資材は、広場の端へ並べられた。
いや、正確には並べられたというより、ソータが《神速積載庫》から順番に出していった。
木材。
金具。
縄。
粗末な槍。
棍棒。
見張り台の支柱。
檻に使われていた太い木。
保存食らしき袋。
用途不明の骨片。
そして、証拠品として分けた布切れや金属片。
村人たちはそれを見て、何とも言えない顔をしていた。
恐ろしい。
気味が悪い。
けれど、役に立つかもしれない。
そんな感情が、広場の空気に混ざっている。
ソータは最後の木材を出し終えると、腰に手を当てて息を吐いた。
「とりあえず、こんな感じです。」
村長が杖をついたまま、山になった資材を見つめる。
「これだけのものを、あの短時間で……。」
「まあ、入れて運んだだけですけど。」
「その“だけ”が普通ではないのです。」
「最近よく言われます。」
ソータが苦笑すると、エルザが横で肩をすくめた。
「慣れなさい。あなたはもう普通ではないわ。」
「慣れたくないなあ。」
「無理よ。」
即答だった。
レオンも頷く。
「ソータさん、敵の村を持って帰ってきたようなものっすからね。」
「言い方。」
「でも、だいたい合ってません?」
「合ってるのが嫌なんだよ。」
バルクが豪快に笑った。
「いいじゃねえか。持って帰れる敵の村なんて、そうそうないぞ。」
「普通は持って帰らないからな。」
ソータはそう言いながら、並べた資材を見る。
檻に使われていた木材は、まだ嫌な感じがする。
人を閉じ込めていたものだ。
そのまま使うのは抵抗がある。
けれど、削り直し、洗い、村の外柵の補強に使えるなら、それはただの檻ではなくなる。
誰かを閉じ込めるための木から、誰かを守るための木になる。
(そう考えれば、少しはいいか。)
(いや、いいってことにしよう。)
ミレイユはすでにしゃがみ込み、木材と金具を確認していた。
表情は完全に商人の顔だ。
先ほどまでゴブリン村を見て複雑そうにしていたとは思えないほど、目が鋭い。
「この木材は、表面を削れば使えるわね。湿気はあるけれど、芯はまだ生きている。」
村の男たちが顔を見合わせる。
「使えるのか?」
「ええ。ただし、檻に使われていたものは、そのまま家や倉庫には使わない方がいいわ。気分の問題もあるでしょうし、臭いも残っている。」
「ああ、それは助かる。」
「でも、防柵の補強なら十分。外側に使えば、村人の生活空間へ持ち込まずに済む。」
ミレイユは木材を指で叩き、続けた。
「金具は錆を落とせば再利用できるものがあるわ。特にこの太いものは、門の補強に使える。」
村長が目を細める。
「門に、ですか。」
「はい。今の村の門は軽すぎます。魔猪程度ならともかく、力の強い魔物が押せば危ない。全部を作り替える必要はないけれど、補強はした方がいいです。」
村の男たちが、自然と真剣な顔になっていく。
さっきまで気味悪がっていた資材が、急に村を守るためのものに見え始めたのだ。
ソータはその変化を横で見ていた。
(すごいな。)
(同じものなのに、ミレイユが説明すると価値が変わる。)
ただの木材。
ただの金具。
ゴブリンが使っていた不気味な残骸。
それが、ミレイユの言葉で、村の防衛資材になる。
商人とは物を売る人間だと思っていた。
だが、それだけではない。
物の価値を見つけ、使い道を作り、人に納得させる。
それも商人の力なのだ。
「ソータ。」
「何?」
「ぼうっとしていないで、危険物の方を出して。」
「あ、はい。」
感心していたら普通に使われた。
(やっぱり仕事が早い。)
ソータは《神速積載庫》から、武器類を分けて出していく。
粗末な槍。
刃こぼれした短剣。
骨を括りつけた棍棒。
石を結びつけた縄。
村の子どもたちが近づこうとすると、マルタがすぐに声を飛ばした。
「こら、近づくんじゃないよ。危ないものだ。」
子どもたちは慌てて下がる。
その中の一人が小さな声で言った。
「でも、ソータ兄ちゃんが持ってきたんだろ?」
「だからって触っていいわけじゃない。」
マルタがぴしゃりと言う。
ソータは少し苦笑した。
(ソータ兄ちゃん。)
(前世四十歳だけどな。)
(いや、今は見た目若いから兄ちゃんでいいのか。)
ミレイユがその様子を見て、少しだけ口元を緩める。
「兄ちゃんですって。」
「笑うなよ。」
「いいじゃない。似合っているわ。」
「そうか?」
「ええ。少なくとも、おじさんよりは。」
ソータは一瞬固まった。
「ミレイユ。」
「何?」
「今、なんか鋭いところを刺した気がする。」
「そう?」
「そう。」
ミレイユは何も知らない顔をしている。
(この人、時々前世の俺に刺さる言葉を平気で言うよな。)
ソータが内心で少しへこんでいると、マルタが近づいてきた。
「それで、この武器はどうするんだい?」
ミレイユが答える。
「使える金属部分は外します。ただし、武器としてそのまま使うのはおすすめしません。品質が悪いし、何より気分がよくないでしょう。」
「まあね。」
「金属は鍛冶屋へ持って行けば、農具や補強材に回せる可能性があります。」
村人たちがざわつく。
「農具に?」
「こんなのが?」
「そのままではありません。溶かして、打ち直して、別の形にするのです。」
ミレイユは当然のように言った。
「奪うために使われた金属を、育てるための農具に変える。悪くない使い方だと思います。」
その言葉に、広場が静かになった。
ソータも、思わずミレイユを見た。
(かっこいいな。)
彼女はただ金になるかどうかを見ているだけではない。
村人が受け入れられる形を考えている。
嫌な記憶の残るものを、そのまま押しつけない。
別の意味を与えてから、使えるようにする。
マルタがにやりと笑った。
「嬢ちゃん、やっぱり口がうまいねえ。」
「商人ですから。」
「でも、嫌な口じゃない。」
「それは褒め言葉として受け取っておきます。」
「褒めてるよ。」
ミレイユは少しだけ胸を張った。
ソータはそれを見て、なんだか嬉しくなる。
村に来たばかりの頃、ミレイユは完全に外の人間だった。
商会の人間。
街の人間。
美しくて、有能で、少し怖い人。
けれど今、村人たちは彼女の言葉を聞いている。
信じ始めている。
それが、ソータには嬉しかった。
◇
資材の確認が一段落すると、今度は村の名産品候補が広場に集められた。
薬草。
乾燥薬草。
薬草軟膏。
干し肉。
燻製肉。
保存野菜。
木工品。
編み籠。
香草。
蜂蜜の小さな壺。
村人たちが、それぞれ家から持ち寄ったものだ。
広場の空気が、少し変わった。
ゴブリン村の資材を見ていた時の重さが薄れ、今度は期待と不安が混じる。
自分たちの作ったものが、街で売れるかもしれない。
それは、村人たちにとって大きな話だった。
「さて。」
ミレイユが立ち上がる。
このラインより上のエリアが無料で表示されます。
その瞬間、村人たちの視線が集まった。
完全に、場を持っている。
ソータは少し離れたところで見ていた。
(こういう時のミレイユ、本当に強いな。)
ミレイユはまず、薬草の束を手に取った。
「状態はいいわね。乾燥も悪くない。ただ、束の大きさがばらばらです。」
リーナが少し緊張した顔で頷く。
「家ごとに、やり方が違うので……。」
「それは問題ではないわ。むしろ、最初は当然よ。」
ミレイユは薬草を丁寧に置いた。
「ただ、街で売るなら規格を揃えた方がいい。重さ、束の太さ、乾燥具合。そこが揃えば、買う側は安心します。」
村人たちが真剣に聞いている。
「高く売ることだけを考えては駄目です。」
「え?」
誰かが驚いた声を出した。
ミレイユは続ける。
「一度だけ高く売るのは簡単です。でも、次も買ってもらう方が大事です。この村の品なら安心だと思わせる。それが続けば、値段は自然に上がります。」
村長が深く頷いた。
「信用ですな。」
「はい。商売で最も強いものの一つです。」
ミレイユは次に、リーナが持ってきた薬草軟膏の小瓶を手に取った。
リーナの表情が緊張で強張る。
ソータも少し背筋を伸ばした。
(リーナ、頑張れ。)
ミレイユは蓋を開け、香りを確認する。
指先に少し取り、伸びを見た。
そして、目を細める。
「これは、いいわね。」
リーナの顔がぱっと明るくなる。
「本当ですか?」
「ええ。香りが強すぎない。伸びもいい。薬草の嫌な青臭さも抑えられているわ。誰が作ったの?」
「私と、母が……。でも、教えてくれたのは村の薬師さんです。」
「そう。」
ミレイユは小瓶を光にかざした。
「これは定期的に売れる可能性が高いわ。」
広場がざわつく。
リーナは信じられないという顔をしている。
「でも、ただ売るには惜しい。」
「惜しい?」
ソータが思わず聞いた。
ミレイユは頷いた。
「ええ。これは単なる薬草軟膏として売るのではなく、この村の薬草を使った品として出すべきよ。村の名前をつける。入れ物を揃える。使い方を書いた紙を添える。そうすれば、ただの軟膏ではなくなる。」
「えっと……ブランド化?」
ソータがぽろっと言った。
ミレイユが反応する。
「ぶらんど?」
「あ、いや。前の世界の言い方で、品物に名前とか信用をつけて売る感じ。」
ミレイユの目が輝いた。
「それよ。」
「え?」
「それは良い言葉ね。品に名前と信用をつける。まさに必要な考え方だわ。」
「いや、俺が考えたわけじゃないけど。」
「でも、あなたが今言った。」
「そうだけど。」
ミレイユはもう完全に商人の顔だった。
「村の薬草軟膏を、ただの軟膏として売るのではなく、村名と品質を結びつける。初回は試験販売。評判を見て、数量を増やす。容器は商会で揃えた方がいいわね。」
話が一気に進んでいく。
リーナはぽかんとしている。
村人たちも半分ついていけていない。
ソータも少し置いていかれている。
(すごい。)
(でも早い。)
(商人のギアが入った。)
マルタが横から笑う。
「嬢ちゃん、うちのリーナの軟膏、そんなにいいのかい?」
「はい。」
ミレイユは即答した。
「もちろん、改良点はあります。量の安定、容器の衛生、保存期間の確認。けれど、品そのものは良いです。」
リーナは両手を胸の前で握った。
「私の作ったものが、街で……。」
「売れるわ。」
ミレイユははっきり言った。
「ただし、焦って大量に作らないこと。品質が落ちれば信用を失います。最初は少量でいい。良いものを、確実に。」
「はい!」
リーナの声が明るくなる。
その顔を見て、ソータも嬉しくなった。
リーナは父のことで不安を抱えている。
けれど、彼女には彼女の力がある。
薬草を扱う力。
誰かを癒す力。
それが、村の未来につながるかもしれない。
(よかったな、リーナ。)
そう思った瞬間、ミレイユの視線がソータへ飛んできた。
少しだけ鋭い。
(あ。)
(顔に出てたか。)
ミレイユは何も言わなかった。
けれど、目が言っていた。
(嬉しそうね。)
ソータは少しだけ姿勢を正した。
(いや、今のは普通に仲間としてというか、村の人としてというか。)
もちろん声には出さない。
出したら余計にややこしくなる。
◇
次に見られたのは、干し肉だった。
村の男たちが自信ありげに持ってきた品だ。
魔猪の肉を干したものも混じっている。
ミレイユはそれを手に取り、香りを確認し、薄く切って焼かせた。
広場に香ばしい匂いが広がる。
バルクの腹が鳴った。
全員がそちらを見る。
「すまん。」
バルクはまったく悪びれていない。
「いや、分かる。」
ソータも頷いた。
「この匂いは反則だ。」
レオンも真剣な顔で言う。
「食べて確認する必要があるっすよね。」
エルザが呆れる。
「あなたたち、仕事中よ。」
「味見も仕事だろ?」
バルクが堂々と言った。
ミレイユが少し考え、頷く。
「味見は必要ね。」
「ほら。」
バルクが勝ち誇った顔をする。
エルザは肩をすくめた。
焼いた干し肉が小さく切り分けられ、ミレイユ、ソータ、護衛たち、村長、マルタに配られる。
ソータは口に入れた。
噛んだ瞬間、強い旨味が出る。
少し硬い。
けれど香りがいい。
塩気もある。
長旅の携帯食としてはかなり優秀だ。
「うまい。」
ソータが素直に言うと、村の男たちが嬉しそうに顔をほころばせた。
バルクも頷く。
「いいな。酒が欲しくなる。」
「朝から言うことじゃないわ。」
エルザが言う。
ミレイユは少し真面目な顔で噛んでいた。
そして、飲み込んでから言う。
「味はいいです。」
村の男たちがほっとする。
「ただ、街でそのまま売るなら少し硬すぎます。」
「ああ、やっぱりか。」
「でも、旅人や冒険者向けなら強みになります。硬いということは、噛んで食べる必要がある。つまり長持ちする印象にもなる。」
「なるほど。」
「問題は大きさと包装です。今のままだとばらつきが大きい。携帯食として売るなら、一本ごとの重さを揃えたいわ。」
村の男たちは真剣に頷いた。
ミレイユは続ける。
「味付けも二種類あるといい。普通の塩味と、香草を使ったもの。村の香草と組み合わせれば、こちらも特色になります。」
「香草か。」
村の女が声を上げる。
「うちで乾かしてるやつが使えるかね。」
「見せていただけますか?」
「もちろんだよ。」
話がまた広がっていく。
ソータは横でそれを見ながら、完全に感心していた。
(すごいな。)
(薬草も、干し肉も、香草も、全部つながっていく。)
村では当たり前にあるもの。
自分たちでは大したことがないと思っていたもの。
それが、街へ運ぶ品になる。
価値が生まれる。
そして、それを運ぶのがソータの役目になる。
(物流って、こういうことなんだよな。)
前世でも、山ほど荷物を運んだ。
誰かが作ったものを、誰かのところへ届ける。
ただそれだけのように見えて、本当はその間に生活があった。
作る人がいて。
使う人がいて。
欲しい人がいて。
届ける人がいる。
この世界へ来て、ようやくその重さが見えてきた気がする。
「ソータ。」
ミレイユが呼んだ。
「何?」
「今、いい顔をしていたわ。」
「え?」
「荷物の流れを考えていたのでしょう。」
「なんで分かるんだよ。」
「分かるわよ。あなた、荷物のことを考えている時だけ、妙に真面目で楽しそうな顔をするもの。」
「だけ?」
「他の時は、だいたい困っているか、鈍い顔をしているわ。」
「ひどい。」
ミレイユは少しだけ笑った。
「でも、その顔は嫌いではないわ。」
「それ、褒めてる?」
「褒めているわ。」
「なら、ありがとう。」
「よろしい。」
ミレイユが満足そうに頷く。
そのやり取りを、マルタがにやにや見ていた。
「ほんとに仲がいいねえ。」
ミレイユの耳が赤くなる。
「仕事の話です。」
「はいはい。」
「本当に仕事の話です。」
「誰も疑ってないよ。」
「疑っている顔です。」
「そりゃ、あんたが赤くなるからさ。」
「……。」
ミレイユは黙った。
ソータは少し笑いそうになる。
だが、笑ったら後で叱られる。
かなり叱られる。
だから真顔を保った。
(俺、今かなり偉い。)
そう思った瞬間、ミレイユがちらりと見てきた。
「今、何か考えたでしょう。」
「何も。」
「本当に?」
「本当に。」
「怪しいわね。」
(読まれてる。)
◇
品物の選別は昼過ぎまで続いた。
薬草は束の規格を揃える。
乾燥薬草は湿気を避けて保管する。
薬草軟膏は少量を試験販売する。
干し肉は旅人向けと冒険者向けで分ける。
香草は肉と組み合わせる。
蜂蜜は量が少ないので、まずは高級品として少量だけ持っていく。
木工品と編み籠は、実用品として売れる可能性がある。
ただし、見た目を揃える必要がある。
ミレイユは一つ一つに判断を下した。
買い叩くのではない。
ただ褒めるだけでもない。
売るために何が足りないかを言う。
村人たちは最初こそ緊張していたが、だんだん前のめりになっていった。
「じゃあ、この籠は大きさを揃えりゃいいのか?」
「ええ。三種類くらいに分けると分かりやすいわ。」
「この香草はどうだい?」
「香りはいいです。ただ、乾燥の仕方を揃えましょう。」
「軟膏の入れ物はどうすれば?」
「初回は商会で用意します。その代わり、中身の量を一定にしてください。」
質問が増える。
ミレイユはそれに答える。
村長はその光景を見て、感慨深げに目を細めていた。
「村が、変わりますな。」
ソータは隣に立つ村長を見る。
「そうですね。」
「ソータ殿が来る前は、村の物は村の中で使うか、たまに街へ持っていく程度でした。」
「はい。」
「しかし、こうして見ると、村には売れるものがあったのですな。」
「たぶん、ずっとあったんでしょうね。」
ソータは広場を見た。
忙しく動く村人たち。
真剣に品物を見ているミレイユ。
薬草軟膏を抱えて、嬉しそうにしているリーナ。
肉の味見をもう一切れもらえないか狙っているバルク。
それを見張るエルザ。
なぜか木工品の大きさを測る手伝いをしているレオン。
無言で資材を運んでいるガルド。
そこには、昨日までの恐怖だけではない空気があった。
前へ進もうとする力があった。
「運ぶ相手がいなかっただけで。」
ソータがそう言うと、村長はゆっくり頷いた。
「道がなかったのですな。」
「はい。」
道。
それは土の上にできるものだけではない。
物が流れる道。
人が行き来する道。
信用が積み重なる道。
ソータはその道を作り始めている。
自分でも知らないうちに。
(俺、本当に異世界でも運送屋なんだな。)
少し笑ってしまう。
でも、嫌ではない。
むしろ、前世よりずっと、この仕事の意味が分かる気がした。
◇
夕方近くになって、ようやく試験的に街へ持っていく品が決まった。
薬草軟膏が十個。
乾燥薬草が規格を揃えた束で二十。
干し肉が三種類。
香草が数束。
蜂蜜が小壺で三つ。
木工品と編み籠がいくつか。
それに、魔猪素材の一部。
すべてソータの《神速積載庫》に入れる。
村人たちは、品物が次々に消えていくのを見て、まだ慣れない顔をしていた。
「本当に便利だねえ。」
マルタが呟く。
「便利すぎて、時々怖いけどな。」
ソータが言うと、ミレイユが隣で頷いた。
「使い方を間違えなければ、これ以上ない力よ。」
「間違えたら?」
「私が叱るわ。」
「そこは止めるじゃないのか。」
「叱って止めるわ。」
「強い。」
マルタがまた笑った。
「いいお目付け役がいるじゃないか。」
「お目付け役ではありません。」
ミレイユが言う。
少し間が空いた。
「恋人です。」
広場が静かになった。
そして次の瞬間、女衆から小さな歓声が上がった。
「あらまあ。」
「言ったねえ。」
「若いねえ。」
ミレイユの顔が一気に赤くなる。
「い、今のは、事実確認として。」
「事実確認で赤くなるのかい。」
マルタが笑う。
「マルタさん。」
「はいはい。分かってるよ。」
ソータも顔が熱い。
(慣れない。)
(恋人って言われるの、全然慣れない。)
けれど、嫌ではない。
むしろ胸の奥がむずがゆくなる。
隣を見ると、ミレイユも赤い顔のまま、少しだけこちらを見ていた。
目が合う。
彼女はすぐに逸らした。
(可愛い。)
そう思った。
たぶん顔に出た。
ミレイユが小声で言う。
「後で叱るわ。」
「まだ何も言ってない。」
「顔が言っていたわ。」
「顔って便利だな。」
「便利すぎるわね。」
ソータは黙った。
たぶん、今は何を言っても墓穴を掘る。
◇
その日の夕食は、広場に近い酒場でとることになった。
トムと年配の男は、まだ奥で休んでいる。
ただ、トムの顔色は朝より少し良くなっていた。
リーナとマルタが世話をし、村の薬師も薬を飲ませている。
ソータは食事の前に、トムの様子を見に行った。
ミレイユも一緒だった。
「トムさん。」
声をかけると、トムは薄く目を開けた。
「ソータさんか。」
「具合はどうです?」
「昨日よりはましだ。飯も少し食えた。」
「よかった。」
トムはゆっくり視線を動かし、ミレイユを見る。
「会頭代理さんも。」
「無理に話さなくていいわ。」
「いや、大事な話だろ。」
トムは少し笑った。
「ゴブリンの村、行ったんだってな。」
「はい。」
ソータは頷く。
「残ってたゴブリンは、ほとんど移動したみたいです。村として使えないようにしてきました。」
「そうか……。」
トムは深く息を吐いた。
その顔には、安堵と疲れが混じっていた。
「あそこが残ってると思うと、眠れなかった。」
「もう、すぐには使えません。」
「ありがてえ。」
トムは目を閉じた。
しばらくして、また開ける。
「青い石、見つけたんだって?」
リーナから聞いたのだろう。
ソータは少し迷ってから頷いた。
「欠片です。腕輪のものかどうかは、まだ分かりません。」
「見せてくれ。」
ソータは布に包んだ欠片を取り出した。
トムはそれをじっと見た。
目を細める。
苦しそうに眉を寄せる。
「……似てる。」
リーナが息を呑んだ。
いつの間にか、彼女も入口近くに立っていた。
「トムさん。」
「断言はできねえ。でも、おじさんの腕輪についてた石に、色は似てる。」
リーナの目が潤む。
マルタがその肩に手を置いた。
ミレイユは静かにトムを見る。
「北の森について、明日詳しく聞かせてもらえますか。」
「明日でいいのか?」
「今は回復が先です。」
ミレイユはきっぱり言った。
「曖昧な記憶を無理に引き出すより、少し休んでから整理した方がいいわ。場所、地形、見たもの、逃げた方向。全部必要になります。」
「商人さんは細けえな。」
「命がかかっていますから。」
トムは少し驚いた顔をした。
それから、弱く笑う。
「そうだな。」
ソータも頷いた。
「明日、ちゃんと聞かせてください。北の森へ行くなら、準備してからにします。」
リーナが小さく震えた。
だが、口は挟まなかった。
ソータはそれに気づき、少しだけ胸が痛くなる。
「リーナ。」
「はい。」
「ちゃんと聞く。無茶には行かない。」
「……はい。」
「それで、街に戻って護衛の準備も整える。必要なものを揃えて、一度探索に行く。」
リーナの目がソータを見た。
「私も……。」
そこまで言って、リーナは言葉を止めた。
自分でも分かっているのだ。
今の自分が一緒に行けば、足手まといになるかもしれない。
父の手掛かりを前に、冷静でいられないかもしれない。
マルタが黙って娘の背を撫でる。
ソータはゆっくり言った。
「まずは俺たちが見に行く。」
「……はい。」
「危険を確認して、手掛かりを持って帰る。」
「はい。」
「その後のことは、ちゃんと相談しよう。」
リーナは何度も頷いた。
「待っています。」
その声は小さかった。
でも、前より少し強かった。
ミレイユはその横顔を見て、何かを考えていた。
そして、静かに言う。
「リーナ。あなたには、あなたにしかできない準備があるわ。」
「私にしか?」
「薬よ。」
リーナが顔を上げる。
「北の森へ行くなら、傷薬も疲労回復の薬草も必要になる。あなたの薬は役に立つわ。」
「……。」
「待つだけではないの。送り出す準備をするのも、大事な役割よ。」
リーナの目が大きく揺れた。
それから、ぎゅっと手を握る。
「はい。」
ソータはミレイユを見た。
ミレイユはそちらを見ない。
ただ少しだけ、耳が赤くなっている。
(優しいな。)
そう思った。
言えばまた読まれそうなので、言わなかった。
◇
夜。
村は昨日より静かだった。
恐怖の静けさではない。
疲れと、安堵と、明日への準備が混じった静けさだ。
ソータは酒場の外に出て、空を見上げた。
星が出ていた。
異世界の星空は、前世で見たものよりずっと濃い。
街の明かりが少ないからだろうか。
黒い布に、細かい光を撒いたみたいだった。
(ゴブリン村は片づいた。)
(名産品も決まった。)
(明日はトムさんから北の森の話を聞く。)
(それから街へ戻る準備。)
やることは山ほどある。
だが、不思議と頭は整理されていた。
荷物を積む順番を決める時と似ている。
先に降ろすもの。
後で使うもの。
壊れやすいもの。
急ぎのもの。
人の気持ちも、もしかすると似ているのかもしれない。
雑に積めば崩れる。
ちゃんと場所を作らないと、壊れてしまう。
「また難しい顔をしているわ。」
振り向くと、ミレイユが立っていた。
手には小さな湯呑みを二つ持っている。
「マルタさんが、飲めと言っていたわ。」
「ありがとう。」
ソータは一つ受け取る。
温かい薬草茶だった。
少し苦い。
でも、体に染みる。
「今日はお疲れ様。」
ミレイユが言う。
「ミレイユこそ。すごかったな。」
「何が?」
「資材の使い道も、名産品の話も。村の人たち、かなり安心してた。」
「商人として当然のことをしただけよ。」
「その当然がすごいんだよ。」
ミレイユは少しだけ黙った。
それから、湯呑みに視線を落とす。
「あなたにそう言われると、少し困るわ。」
「困る?」
「嬉しいから。」
ソータは返事に詰まった。
ミレイユは夜空を見上げたまま続ける。
「私は商人として、村に価値を見た。利益も見ている。そこは綺麗ごとではないわ。」
「うん。」
「でも、今日の村人たちの顔を見ていたら……利益だけではないと思った。」
ミレイユの声は静かだった。
「この村が変わる。その流れに、自分が関われる。それが少し、嬉しかったの。」
「そっか。」
「ええ。」
ソータは湯呑みを両手で包む。
「俺も嬉しかった。」
「何が?」
「ミレイユが村の人たちに認められていくのが。」
ミレイユがこちらを見る。
少し驚いた顔だった。
「あなた、そういうことを急に言うわね。」
「そうか?」
「そうよ。」
「嫌だった?」
「嫌ではないわ。」
ミレイユは視線を逸らす。
「むしろ、困るくらい嬉しいわ。」
ソータの胸が少し熱くなる。
夜風が吹いた。
ミレイユの金髪が揺れる。
昨日の夜は、血と叫びと恐怖があった。
今日の夜は、まだ不安はあるけれど、隣に彼女がいる。
それだけで、だいぶ違った。
「ソータ。」
「うん?」
「明日、トムから北の森の話を聞いたら、街へ戻る準備をするわ。」
「うん。」
「村の品も持っていく。商会で確認して、売り出しの準備をする。」
「うん。」
「そして、北の森へ行く準備もする。」
「うん。」
「あなたはまた、危ない場所へ行く。」
ミレイユの声が少し低くなった。
ソータは彼女を見る。
ミレイユは湯呑みを握っていた。
「怖い?」
「怖いわよ。」
ミレイユは即答した。
「今日も言ったけれど、怖いものは怖いの。」
「そっか。」
「でも、止めないわ。」
「え?」
「あなたが行かなければならないことも分かっているから。リーナのためだけではなく、村のためにも、今後の道のためにも。」
ミレイユは少しだけソータへ近づいた。
「でも、約束しなさい。」
「何を?」
「必ず帰ること。」
「うん。」
「軽いわ。」
「必ず帰る。」
「それから、無茶をする前に相談すること。」
「それは状況によるような。」
ミレイユの目が細くなる。
「ソータ。」
「相談します。」
「よろしい。」
ソータは苦笑する。
ミレイユは少しだけ表情を緩めた。
そして、人目が少ないことを確認してから、そっとソータの手に触れた。
指先だけ。
でも、温かかった。
「あなたが運ぶものは、荷物だけではなくなっているわ。」
「……うん。」
「だから、あなた自身を雑に扱わないで。」
ソータはゆっくり頷いた。
「分かった。」
「本当に?」
「本当に。」
ミレイユはしばらくソータを見つめていた。
それから、小さく笑う。
「なら、今日は信じてあげる。」
「今日は?」
「明日は分からないわ。」
「信用が短期契約すぎる。」
「更新制よ。」
「厳しい。」
ミレイユがくすっと笑った。
その笑顔を見て、ソータも笑った。
夜の村は静かだった。
けれど、その静けさの中で、確かに次の流れが生まれていた。
村の品を街へ運ぶ。
北の森への道を探る。
そして、ソータ自身もまた、村と街の間に立つ存在へ変わっていく。
明日になれば、また忙しくなる。
でも今だけは、薬草茶の温かさと、隣にいるミレイユの気配を感じていたかった。
「ソータ。」
「何?」
「さっき、リーナの軟膏が褒められた時、ずいぶん嬉しそうだったわね。」
ソータは湯呑みを落としかけた。
「今それ言う?」
「言うわ。」
「いや、あれは普通に、村の品が評価されてよかったなって。」
「そう。」
「本当に。」
「そう。」
「信じてないだろ。」
「少しは信じているわ。」
「少し。」
ミレイユはにっこり笑った。
「でも、浮気は許さないわよ。」
「してない。」
「今後もよ。」
「はい。」
「返事が早いのはいいことね。」
(最後にちゃんと釘を刺してくる。)
(やっぱりミレイユだ。)
ソータはそう思いながら、薬草茶を飲んだ。
少し苦い。
けれど、なぜか甘く感じた。




