第24話:王都の夜はきらびやかで、ちょっと危なかった
《夜間高速運送》を使った移動は、何度やっても不思議だった。
速い。
たしかに速い。
けれど、全力で走っている感じとは違う。
風を切るわけでもなく。
地面を蹴る感覚も薄い。
ただ、夜の道の中に、自分だけがすうっと溶けていくみたいだった。
次の瞬間、ソータの目の前には、巨大な城壁と無数の灯りが広がっていた。
「……おお。」
思わず声が漏れる。
王都だった。
グランデリアよりも、さらに大きい。
さらに明るい。
さらに賑やかだ。
もう真夜中が近いはずなのに、人通りが途切れない。
荷車を引く者。
酒場から出てきた客。
夜の商売をしている者。
通りのあちこちで、まだ灯りが生きていた。
「すごいな……。」
(王都って、こんなに夜でも人がいるのか。)
(村だったら、とっくにみんな寝てる時間だぞ。)
門では当然、止められた。
「こんな時間に何者だ。」
「ええと、クラウゼン商会の……。」
そこでソータは、ミレイユから渡されていた身分証を出した。
金属の縁がついた、しっかりした札だ。
門兵はそれを見ると、顔色を変えた。
「クラウゼン商会か。」
「はい。」
「王都支店宛てなら通っていい。
だが夜道で揉めるなよ。」
「揉めないです。」
「そう言う奴ほど揉める。」
「いや、俺は本当に揉めない方です。」
「どうだかな。」
半信半疑の顔をされたが、とにかく通してもらえた。
王都へ入ると、石畳の幅からして違った。
通りが広い。
建物が高い。
看板が多い。
匂いも多い。
肉を焼く匂い。
酒。
香水。
馬。
人。
「うわあ……。」
(田舎者丸出しだな、これ。)
(いや、実際そうなんだけど。)
ソータはとりあえず宿屋を探そうと、人の流れに逆らわず歩き始めた。
ミレイユには「おとなしく待っていなさい。」と言われている。
まずは宿を取る。
それが最優先だ。
大通りは明るいが、宿代も高そうだった。
少し安い宿がないかと思って横道へ入る。
すると。
「お兄さん。」
「泊まっていかない?」
「いい部屋あるよ。」
急に女の声が増えた。
路地の両側に、女たちが並んでいた。
派手な服。
濃い香り。
わざとらしく開いた胸元。
どこか気だるそうで、でも視線だけはしっかり獲物を見ている。
ソータは一瞬きょとんとした。
(何だここ。)
(宿屋街か?)
(でも、何か様子が……。)
その中の一人、赤い髪の色っぽい女が、ひらひらと手を振った。
「迷ってるの?」
「ええ、ちょっと宿を探してて。」
「ふうん。」
女はにっと笑った。
人懐っこい笑い方だった。
「うちもお泊りOKだよ?」
「そうなんですか。」
「うん。」
「じゃあ、お願いしてもいいですか。」
女は一瞬だけ目を丸くした。
それから、面白そうに笑う。
「いいよ。
ついておいで。」
ソータは何も疑わず、そのままついていった。
だが。
路地の奥へ進むにつれ、どうも様子がおかしい。
建物の入口に吊るされた赤い灯り。
妙に艶っぽい装飾。
中から聞こえる笑い声。
すれ違う男たちの顔。
「……。」
ソータの足が、ぴたりと止まった。
(いや。)
(これ、そういう店では?)
(宿屋じゃない。)
(完全にそういう店だろ!?)
先を歩いていた女が振り向く。
「どうしたの?」
「すみません!」
ソータは勢いよく頭を下げた。
「俺、普通の宿屋だと思ってました!」
「……は?」
「本当にすみません!
そういうつもりじゃなくて!」
女は数秒ぽかんとしたあと、腹を抱えて笑い出した。
「ちょっと何それ!
あんた、マジでわかってなかったの!?」
「わかってなかったです!」
「嘘でしょ!?」
「本当にすみません!」
ソータは耳まで真っ赤になりながら、店先から大急ぎで逃げ出した。
後ろから女たちの笑い声が飛んでくる。
「可愛い!」
「何あれ!」
「王都で初めて見たわ、ああいうの!」
「ごめんなさい!」
逃げながらまた謝ってしまう。
(何やってるんだ俺は!)
(ミレイユさんにもリーナさんにも、“変な女について行くな”って言われたばっかりだろうが!)
(しかも秒でついて行ったぞ!)
(駄目だろ!)
大通りへ戻ってから、ソータはしばらく壁に手をついて息を整えた。
「……危なかった。」
(いや、何が危なかったって。)
(自分の判断力がだいぶ危なかった。)
(あれ、ミレイユさんに知られたら絶対怒られるな。)
(リーナさんには……言わないでおこう。)
今度こそ慎重に宿を探す。
派手な看板は避ける。
客引きがいる店も避ける。
なるべく普通そうな場所。
しばらく歩いて、ようやく一軒の小さな宿屋を見つけた。
看板は古いが、灯りはあたたかい。
窓辺には鉢植え。
入口も清潔で、妙な飾りはない。
「……ここなら。」
扉を開けると、鈴が小さく鳴った。
「いらっしゃい!」
奥から出てきたのは、猫耳のある女性だった。
三十代くらいだろうか。
丸顔で愛想がよく、尻尾まで機嫌よく揺れている。
「お泊りかい?」
「はい。」
「一人?」
「一人です。」
「よしよし、空いてるよ。」
宿の中には、同じく猫耳族らしい子どもが二人と、奥で鍋を見ている大柄な男もいた。
家族経営らしい。
その空気に、ソータは少しだけほっとする。
(ああ、普通の宿だ。)
(今度こそ普通の宿だ。)
「何泊するんだい?」
「二、三日くらいですかね。」
「じゃあ部屋は小さいのでいいかい?」
「十分です。」
そこでソータは、ミレイユから渡された金貨を一枚、ついと出した。
「これで二、三日泊めてもらえますか。」
女将の動きがぴたりと止まる。
「……え?」
「足りますか?」
「足りるどころじゃないよ!」
奥の旦那らしい猫耳族の男まで、鍋から顔を上げた。
「何だ何だ!?」
「このお客さん、金貨出してきたよ!」
「はあ!?」
子どもたちまで寄ってくる。
「金貨だ!」
「ほんもの?」
「触るなよ!」
宿じゅうがちょっとした騒ぎになった。
ソータはきょとんとする。
「え、そんなにですか。」
「そんなにだよ!」
女将が本気で困った顔をする。
「うちは朝と夜の食事つきで、一日銅貨二枚だよ!」
「銅貨二枚。」
「そう!」
「ええと。」
ソータは頭の中で、さっきミレイユに教わった価値を思い出した。
銅貨十枚で小さな食事。
銀貨一枚で普通の宿。
銀貨十枚で金貨一枚。
つまり。
(あれ。)
(金貨一枚って、思ってたよりだいぶ大きいな?)
女将は困った顔のまま続けた。
「そんな大金、うちは受け取れないよ。
申し訳ないけど、お釣りだって出せないし。」
「そうなんですか。」
「そうなんですかじゃないよ!」
女将は額へ手を当てた。
だがソータも、ここで引っ込めるのが面倒になっていた。
それに、今さら細かい銅貨も持っていない。
「じゃあ、この金貨一枚でいいです。」
「いいって、あんた。」
「二、三日泊まるんで。」
「二、三日どころじゃないよ!」
「じゃあ、少し長くいてもいいです。」
「そういう話じゃないんだけどねえ!」
女将が天井を見上げる。
旦那も腕を組んで唸る。
子どもたちは「すごーい。」と目を輝かせている。
押し問答の末、結局女将が折れた。
「……わかったよ。」
「ありがとうございます。」
「帰る頃には、お釣りを払えるようにしておくからね。」
「まぁ、じゃあそれで。」
ソータはあっさり言った。
女将はしばらくソータの顔を見て、それから大きくため息をついた。
「変な客だねえ。」
「よく言われます。」
「貴族の坊ちゃんって感じでもないし。」
「ただの旅人です。」
「ただの旅人が金貨一枚を“まぁ、じゃあそれで”で済ませるもんかい。」
その突っ込みはもっともだった。
だがソータ自身、金の価値にはまだ慣れていない。
女将はぶつぶつ言いながらも、ちゃんと部屋を用意してくれた。
小さな部屋。
清潔なベッド。
窓の外には王都の灯り。
「朝と夜は食堂へおいで。」
「はい。」
「変な女にはついていくんじゃないよ。」
「……。」
ソータはそこで固まった。
「何でそれを。」
「その顔見ればわかるよ。」
女将がにやっと笑う。
尻尾まで楽しそうに揺れていた。
ソータは観念して、小さく肩を落とした。
(顔に出てるのか……。)
(今日はもう、ほんとに気をつけよう。)
ベッドへ腰を下ろす。
ようやく一息ついた。
王都。
宿。
荷物は無事。
ミレイユには、おとなしく待てと言われている。
今夜は本当に、おとなしくしておこう。
そう思いながら、ソータは窓の外の灯りを見た。
王都の夜はまだきらびやかで。
にぎやかで。
そして、思ったよりちょっとだけ危なかった。




