第14話:手掛かりは、思ったより近くにあった
家の戸を開けると、マルタがすぐにこちらを見た。
鍋をかき回していた手を止め、腕まくりしたまま眉を上げる。
「どうだった?」
その一言に、リーナの肩が小さく揺れた。
ソータは靴の泥を軽く払ってから、まっすぐマルタを見た。
「ゴブリンの住処がありました。」
マルタの表情が、すっと消える。
「……やっぱりかい。」
「かなりの数です。
小屋もあって、集落みたいになってました。」
「ふん。」
マルタは短く息を吐いた。
驚きはあっても、完全に予想外ではなかったらしい。
「それで。」
その先を促されて、ソータは少しだけ言葉を選んだ。
「人間の持ち物らしいものが、いくつもありました。」
リーナがぎゅっと手を握る気配がする。
「靴。
ベルト。
それに、木杭にかかってた布が……。」
そこでソータは一瞬だけリーナを見た。
言っていいか確かめるように。
リーナは白い顔のまま、でもしっかりうなずいた。
「……お父さんの上着に似てました。」
部屋の空気が止まった。
鍋の中で煮立つ音だけが、やけに大きく聞こえる。
マルタは何も言わなかった。
ただ、鍋の柄を握る手に少しだけ力が入る。
それから、静かに口を開いた。
「似てた、かい。」
「はい。」
リーナが答える。
「でも、似てるだけかもしれない。
違うかもしれない。」
「……そうだね。」
マルタはうなずいた。
その声はいつもの豪快さとは違って、少し低かった。
「でも、何もないよりはずっといい。」
それは強がりではあった。
けれど同時に、本音でもあるのだろう。
何もわからないまま二年。
死んだとも生きているとも言えない時間。
そこへようやく落ちてきた、小さくても確かな手掛かり。
重い。
だが、それでも前へ進むための重さだった。
マルタは一度だけ大きく息を吐き、椅子へ腰を下ろした。
「詳しく聞かせな。」
ソータは見てきたことを順番に話した。
住処の位置。
見張りの数。
小屋の並び。
女や子どもらしき個体がいたこと。
人間のものらしい持ち物。
そして、あの布。
話しているうち、マルタの表情は何度か変わった。
険しくなり。
少し驚き。
最後には、考え込むように黙る。
「ただの盗賊の巣じゃない、か。」
「そう思います。」
「でも、人の物は持ってたんだね。」
「はい。」
「……厄介だねえ。」
その言い方が、この状況を一番よく表していた。
単純なら楽だった。
悪いゴブリンの集団。
見つけたら倒す。
それで終わる。
だが実際には、生活がある。
家族らしきものがいる。
それでも人間との接点もある。
白か黒かではない。
だから厄介なのだ。
しばらく黙っていたリーナが、小さな声で言った。
「お父さん、生きてると思いますか?」
その問いに、ソータはすぐ答えなかった。
無責任に「生きてる」とは言えない。
でも「無理だ」とも言いたくない。
「可能性はあります。」
結局、そう答えた。
「少なくとも、何かがそこに残ってる。
なら、確かめる価値はあると思います。」
リーナはその言葉を噛みしめるように、ゆっくりうなずいた。
マルタが腕を組む。
「確かめるって言っても、あの数だろう?」
「はい。
正面から行くのは危ないです。」
「村の男手を集めるかい?」
ソータは少し考えたあと、首を振った。
「今の段階では、まだ早いと思います。」
「理由は。」
「村総出で動いて、ただの誤解だった時の代償が大きいです。
逆に、向こうが本気で敵だった場合も、中途半端な人数で行くと危ない。」
マルタはじっとソータを見た。
その目には試すような光がある。
「……続けな。」
「だからまずは、もっと情報が要ります。」
ソータは自分の中で整理しながら話した。
「見張りの交代。
夜の動き。
住処の裏手。
人間が捕まっているのか、ただ物があるだけなのか。
そこを見たいです。」
「また偵察するのかい?」
「します。」
リーナが顔を上げる。
「私も行きます。」
「駄目です。」
ソータは即答した。
「え。」
「次はもっと危ないです。」
「でも。」
「今回は様子見でした。
次は、もっと近づくことになる。」
はっきり言うと、リーナは悔しそうに唇を引き結んだ。
「だからこそ行きたいんです。」
「だからこそ駄目です。」
「ソータさん。」
「リーナさん。」
二人で見つめ合う。
先に折れたのは、ほんの少しだけソータの方だった。
「気持ちはわかります。」
「なら。」
「わかるのと、連れていくのは別です。」
静かに言う。
怒っているわけではない。
けれど引く気もない。
「俺は、帰るって約束してます。」
その一言に、リーナの表情が揺れた。
「……はい。」
「リーナさんまで危ない目に遭わせたら、その約束の意味が半分なくなる。」
そこまで言うと、リーナはようやく言い返せなくなった。
目を伏せ、小さく息を吐く。
「……ずるいです。」
「何がですか。」
「そういう言い方をされると、反対しにくいです。」
ソータは少しだけ苦笑した。
「反対はしてもいいですよ。」
「でも、たぶん私もそれが正しいって思ってます。」
マルタがそのやり取りを聞いて、ふっと口元を緩めた。
「うちの娘をちゃんと止める男か。」
「止めますよ。」
「そうかい。」
その「そうかい」には、少しだけ信頼が混じっている気がした。
夕食の間も、話題はそのことが中心になった。
村長も呼び、ソータはもう一度状況を説明した。
村長は難しい顔で何度も頷き、最後に言った。
「焦らぬ方がいいな。」
「はい。」
「ただし、何か動くならすぐ知らせてくれ。
もうこの村だけの問題ではない。」
その言葉は重かった。
リーナの父だけではない。
他の行方不明者。
ゴブリンの動き。
森の奥にある危険。
村の生活へ直結する話だ。
食後、外はもう暗くなっていた。
家の前に出ると、空には細い月が出ている。
ソータは一人、縁側のような木の段へ腰かけた。
「……情報収集、か。」
(ただ偵察するだけじゃ足りないな。)
(罠を張る場所。
退路。
見つかった時の動き。)
(できれば、捕まってる人間がいるかどうかも確認したい。)
頭の中で段取りを組んでいると、隣に人の気配がした。
リーナだった。
少しだけ間を空けて座る。
今日の彼女は、いつもより静かだった。
「怒ってます?」
「怒ってません。」
「今日二回目ですね、その返し。」
「本当に怒ってないです。」
それから、少し間を置いて続けた。
「ただ、悔しいだけです。」
ソータは黙って聞いた。
「お父さんのことなのに、私にはできることが少なくて。」
「少なくないですよ。」
「少ないです。」
「案内してくれました。」
「それだけです。」
「十分です。」
リーナは首を横に振った。
「ソータさんばっかり危ないことしてるのが、嫌なんです。」
まっすぐな本音だった。
それを聞いて、ソータは少しだけ空を見上げた。
夜の空気は涼しい。
虫の声が、昼よりずっと近く聞こえる。
「俺、前はこういうの得意じゃなかったんです。」
「こういうの?」
「誰かのために前へ出るとか。
危ないことに首を突っ込むとか。」
リーナが不思議そうに見る。
ソータは自分でも少し変なことを言っていると思った。
けれど、何となく今は話しておきたかった。
「人付き合いも苦手でしたし。
できれば面倒は避けたい方だったと思います。」
「今は違うんですか?」
「違いますね。」
「どうして。」
ソータは笑った。
自分でもわかりやすい理由だと思う。
「帰りたい場所ができたからです。」
リーナが息を呑む気配がした。
ソータは続ける。
「ここへ帰れば、ご飯があって。
マルタさんがいて。
リーナさんがいて。」
言っていて少し照れる。
だが、もう止めなかった。
「そういうのができると、少しくらい危ないことでも頑張ろうって思うもんなんですね。」
リーナはしばらく何も言わなかった。
それから、小さく笑う。
「……ずるいです。」
「またですか。」
「またです。」
「そんなにずるいこと言いました?」
「言いました。」
月明かりの下で、リーナの横顔が少し赤く見えた。
「そんなこと言われたら、余計に待ってないといけなくなるじゃないですか。」
「待っててください。」
「待ちますけど。」
「じゃあ大丈夫です。」
「大丈夫じゃないです。」
そこまで言って、リーナはようやく少し笑った。
いつもの、やわらかい笑い方だった。
その顔を見て、ソータも少し肩の力を抜く。
次の偵察は、明日ではない。
もっと準備する。
罠も道具も、ちゃんと整える。
焦らない。
でも止まらない。
それが今の一番いい進み方だと、ソータは思っていた。
そしてたぶん。
この村での毎日は、もうただの滞在ではなく。
自分の足で立つ、新しい人生の土台になり始めていた。




