激重愛の前妻に転生した
よろしくお願いします
満開の薔薇が咲き乱れる庭園を見下ろし、バルコニーの手すりの冷たさを確かめるように、白魚の手がするりと撫でる。
真夜中の暗がりでは、美しい薔薇の姿は見えない。
それでも強い花の香りに酩酊し、脳裏に愛しい夫への変わらぬ思慕と、初夜に使用人もなく捨ておかれた自身への憐憫にふるりと背を震わせた。
────今夜ここで死ねば、わたくしは永遠になれるのかしら。
愛しい人の心に、たとえ傷や痛みという形だとしても、留まり続けられるのならば。
初夜のための薄い夜着姿をした儚げな麗人は、薔薇に包まれて夫の心に翳りを齎す生涯の咎となる。
────いやおっも。重すぎるでしょ。
コーデリアは、この『薔薇の茨を共に抱いて』という小説を知っている。
薔薇に包まれたら棘で傷だらけになってさぞや凄惨だろうなとか、微妙に引きずりそうな想像をしたこともある。
まあつまり、コーデリアには『前世の記憶』なるものがあった。
とはいっても、普通に仕事に邁進する社会人だったということと、小説の内容くらいのものだが。
しかも、熟読したわけでもないので、凡その大筋しか覚えていない。
なんて中途半端な。
どうせなら暗記するほど大好きだった小説とか、うっかり大人買いしたフルカラーの漫画とかに転生したかった。
コーデリアはつい昨日、朝起きた時には当たり前のように前世の記憶があった。
そして、ほぼ前世の人格が占めていると言ってもいい。
だというのに、以前のコーデリアとしての自認もあるためか、特に違和感なく溶け込んでしまった。
転生に気づいて驚き、普段と違う姿に戸惑い…という物語の構成上重要な流れもなく、あくまで自然に。大変遺憾である。
コーデリアの両親は政略結婚で家庭には興味が薄く、兄や弟との関わりも希薄で、使用人に育てられた。
両親と兄弟は領地の本邸で、コーデリアは一人王都のタウンハウスで暮らしている。
年に一定期間、社交シーズンのみ全員がタウンハウスに揃い、かといって社交に出る以外は各々好きに過ごす。
実に淡白で、肩書きしか存在しない〝家族〟である。
それもこれも、小説の中のコーデリアならば、もっと可愛げがあった。
孤独を嘆き悲しみ、家族の絆を得るために奔走しては疲弊し、次第に内にこもりがちな令嬢として育つ。
美しく所作にも教養にも長け、高い評判とは裏腹に誰をも信じられない令嬢に。
そして、十四歳の社交デビューで一目惚れした侯爵令息に片想いし続け、とにかく想い続け、やがて政略結婚の縁が結ばれる。
やっと愛する人と共に生きられると希望を持った直後、夫には他に想う人がいると知る。
そして、初夜に訪れなかった夫に絶望し、自ら命を絶つ。
────うーん……バイタリティに溢れるなあ。
年寄りじみたことを考えながら、前世持ちの『可愛げのない方』現在のコーデリアは見事な所作で食事を終えた。
内側の性格が多少変わったところで、悲しいかな、こんな家庭ではまったく影響がない。
年に一定期間ある社交シーズンはもう間もなく。
コーデリアは、今年で十七歳。あと一ヶ月後には婚姻だ。
そう、例の愛しの侯爵令息への一目惚れは遂行済みである。
せめて、出会いの『ハッ…』を体験したかった。あのピュアさが今のコーデリアに足りないものだ。
小説の中でコーデリアはあくまで脇役、時折りちらっと匂わされる程度の登場人物。
ヒーローは、親に決められた政略結婚の相手に初夜で自死され、花嫁を殺したと恐れられる侯爵。
朗らかでちょっぴりお花畑なヒロインは、実は幼馴染という超身近設定。
ヒーローの婚姻の少し前に偶然再会し、想い合いながらも幸せを願って身を引くが…!? という、割とドロドロした話だった。
今も婚約者はよその女と恋愛中なのかあ、などと言ってはいけないのだろう。小説なので。
粛々と家族たちに礼儀の挨拶をし、自室へと戻ったコーデリアは、鏡の前で首を傾げた。
まっすぐに背に流れる藍紫の髪と目、しかし肌は透き通るほど白い。
きついというほどではないがややつり目で、全体的に『可愛い』より『綺麗』という印象だ。
ふわんとした美少女もいいが、今の見た目は大変気に入っている。
しかし、こんな美女が片想いの末、自死するなんてもったいない。
もっと楽しんで生きていい気がする。だって自分の人生だ。
義務とか何とかに囚われない趣味探しでもしようか。
最近ちょっと疎遠気味な友人たちと会ったりするだけでも、今なら以前とは違う選択もできそうだ。
絶対に初夜で死んだりしない。
コーデリアだって、幸せになっていい。生きていい。
だいたい、初夜に使用人なしで放置など。命令する方も聞く方もいかれている。
たとえ侯爵令息が命じたとして、使用人の主は当主である。
当主は、この政略結婚を推し進めた当人であり、家門にとって最大限の益を齎すことを期待しているに違いない。
それを、初夜に放置して自死。もちろん社交界で恐怖されるに決まっている。
侯爵家は、貴族同士の契約を履行しない、と自ら公言したのと同じだ。
しかも、三大公爵家の一つを敵に回したことになる。
避けられ距離を取られ遠巻きにされ、となって当然だ。
────まあ、あれね。やってみないことには、憶測に過ぎないわけだしね。
まだ起きてもいないことを、どうこうすることはできないし、やるべきじゃない。
ひとまずはひと月後の初夜を生き延びようと、コーデリアは低めの目標設定を立てた。




