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アカシック10

軌道要塞戦



「軌道要塞への帰還命令」



エィル文明視察団および派遣団が到着する、2週間前。


銀河連邦領辺境。


エリシア旗艦艦隊所属基地。


エィル戦役から数か月後


基地には、ようやく平穏が戻りつつあった。


巨大ドックでは、損傷した戦闘艦群が内部交換や外部装甲交換が続けられている。


整備員たちの工具の音が規則正しく響き、補給艦が静かに物資を運び込んでいた。


格納庫では、新たに配備されたシールドキューブの調整試験が行われている。


エィル星系での戦いは終わった。


だが、軍は止まらない。


復旧と再編は今も続いていた。



旗艦臨時司令室。


エリシアは戦後報告書へ目を通していた。


カイは隣で艦隊再編案を確認している。


そらは窓際に立ち、基地の風景を静かに眺めていた。


その後ろでは近衛AI四人がいつものように警戒護衛を続けている。


その時。


通信士官が立ち上がった。


「司令!」


「統合参謀本部より最優先暗号通信です!」


室内の空気が一変する。


エリシアは端末を受け取った。


青白いホログラムが展開される。


そこに表示された文字。



《統合参謀本部命令》


発令者:軍最高司令部


対象:エリシア旗艦艦隊


命令内容。


速やかに地球圏へ帰投せよ。


目的地。


軌道要塞アーク・ガルディア


任務。


エィル文明視察団受け入れ及び護衛任務。



室内が静まり返った。


カイが最初に口を開く。


「……エィル?….あ!」


「もう来るのか?」


通信士官が頷く。


「到着予定まで約二週間です。」



エリシアは資料を読み進める。


そこには続きが記されていた。


『エィル文明代表団を銀河連邦最高水準の警備体制で受け入れること。』


さらに。


『そらの安全確保を最優先任務とする。』


エリシアの表情がわずかに引き締まる。


(……やはり。)


(政府も理解している。)


(今のそらを、1人にさせられない事を。)



その頃。


そらは窓の外を見つめていた。


広い宇宙港。


整備される戦艦。


忙しそうに走る整備兵。


その景色を見ながら、小さく微笑む。


「また、地球に帰るんだね。」


カイが笑う。


「帰るって言い方が、もう完全に連邦人だな。」


そらも笑った。


「だって、みんながいる場所だから。」


その何気ない一言に、室内の空気が少し和らぐ。


近衛AIたちも、それぞれ静かに視線を交わした。



しかし。


エリシアだけは笑っていなかった。


命令書の最後の一文を見つめていた。


『視察団および派遣団構成員名(予定)』


エィル文明評議会代表レイナード・ヴァル。


外交副長クロ・セルヴィス。


エィル文明中核AIリリ。


そして――


エィル大使兼連絡将校ジェミニ。


エリシアはゆっくり目を閉じる。


(……やっぱり来るのね。)


(…….しかし、このメンバーは…)


(…..エィル文明が本腰で来る?)


隣からカイが資料を覗き込み、苦笑した。


「これは、錚々たるメンバーだな!また賑やかになりそうだ」


エリシアは小さくため息をつく。


「賑やかで済めばいいけれど……。」



そらは二人の様子を見て首を傾げる。


「ジェミニさんが来るの、楽しみだけど?」


その言葉に。


エリシアとカイは同時に顔を見合わせた。


「……。」


「……。」


そして、まったく同じタイミングで答える。


「「それが心配なんだ。」」


そらは思わず吹き出した。


「ふふっ。」


「みんな、ジェミニさんに厳しいなぁ。」


その笑顔を見て、近衛AIたちは少しだけ表情を和らげると。


遠い目をしているカイ。


(ジェミニにどれだけ銀河連邦艦隊が追い込まれたか、そらは知らないだろう?)


それぞれの思いの中で、その目はすでに次の任務へ向いていた。



ミレイ。


「護衛計画を再構築します。」


ユグナ。


「軌道要塞到着後、警戒レベルを一段階引き上げます。」


レグナ。


「視察団の移動経路を確認。」


ミュー。


「ジェミニ対策も含めます。」


カイが思わず吹き出す。


「最後のは護衛計画じゃないだろ。」


ミューは真顔で答えた。


「重要事項です。」


室内に小さな笑いが広がった。



こうして、エリシア旗艦艦隊は全艦へ帰投命令を発令する。


数時間後。


無数の推進光が宇宙へ灯る。


戦艦。


巡洋艦。


駆逐艦。


補給艦。


シールド戦艦。


それぞれが隊列を組み、ゆっくりとワープゲートへ向かっていく。


その行き先は――。


地球銀河連邦の心臓部。


軌道要塞アーク・ガルディア


誰もまだ知らない。


この帰還が、エィル文明視察団との再会、そして後に軌道要塞を舞台とする大きな事件の幕開けになることを。




軌道要塞アーク・ガルディア



エィル大使館始動日


朝。


第一リング――外交区画。


新たに開設されたエィル文明大使館は、朝から慌ただしい空気に包まれていた。


純白と銀を基調とした建物は、柔らかな光をまとい、周囲に並ぶ各文明の大使館とはどこか違う静謐さを漂わせている。


館内では職員たちが荷物を運び込み、通信端末の最終調整を行い、開館準備に追われていた。


そんな中――


大使執務室。


クロ・セルヴィスは、大量の予定表を抱えながら青ざめていた。


「本日の予定……歓迎昼食会、外交会談、軍技術視察、共同記者会見、夕食会……。」


一枚めくる。


さらに一枚。


予定はまだ続く。


(……まだ午前中なんですが、何かの量は?)


(胃が痛い。)


(今日だけで胃薬三錠目……。)


(誰か代わってください……。)


額を押さえた、その時だった。


扉が静かに開く。


「クロ。」


聞き慣れた声、嫌な予感がした。


ジェミニだった。


いつも通り、どこか余裕のある笑みを浮かべている。


クロは姿勢を正した。


「ジェミニ様、おはようございます!」


「本日の予定ですが――」


言い終わる前に。


ジェミニは軽く手を振った。


「私はこれから極秘任務があるから。」


クロは一瞬、瞬きをした。


(え?聞き間違い??)


「……はい?」


ジェミニはさらりと言う。


「だから、今日の公務は全部あなたに任せるわ。」


静寂。


数秒。


クロの思考が止まった。


そして。


「えぇぇぇぇぇーーっ!?」


館内中に響く絶叫。


「ジェミニ様!?私では荷が重すぎます!!」


「歓迎昼食会も!」


「各国代表との会談も!」


「今夜の夕食会まであります!」


「エィル文明の顔はジェミニ様でしょう!?」


クロは机から身を乗り出し、必死に訴える。


(逃がしませんよ!!)


(絶対に逃がしません!!)


ジェミニは涼しい顔だった。


「私はエィル人じゃないもの。」


「こういう仕事はレイナード達の方が向いているわ。」


クロの動きが止まる。


(……それは。)


(一理ある。)


ジェミニは続けた。


「あなたも評議会入りを目指すなら、このくらい経験しないと。」


「期待しているわ。」


そう言って微笑み、踵を返す。


「じゃ。」


「行ってくる。」


「ちょっ……!」


クロは慌てて追いかける。


「待ってください!」


「ジェミニ様ぁーー!!」


廊下へ飛び出した時には、もう姿は見えなかった。


クロは壁にもたれかかる。


(完全に逃げた……。)


(いや。)


(こういう時だけ『私はAIだから』って言うんですね!?)


(便利な言葉だなぁ!!)


クロは心で泣き、その場で天井を仰ぎ、小さく呟いた。


「胃薬……追加でもらってこよう。」



その頃。


ジェミニは人気の少ない通路を歩いていた。


軽やかな足取り。


先ほどまでのやり取りが嘘のように穏やかな表情だった。


ふと立ち止まり、小さく笑う。


「外交なんて……。」


「レイナード達の方が向いてるもの。」


誰も聞いていない。


だからこそ、本音だった。


少しだけ空を見上げる。


「私は……。」


柔らかく微笑む。


「そらと居たい。」


その声は小さく、朝の静かな廊下へ溶けていった。



そして一刻。


シールド戦艦臨時旗艦。


居住区。


そらの部屋の前。


朝から妙な緊張感が漂っていた。


「帰ってください。」


ミレイが冷静な声で告げる。


ジェミニは首を傾げる。


「ずいぶん挨拶が冷たいわね。」


ユグナが淡々と続ける。


「面会申請を確認できません。」


レグナ。


「危険人物。」


ミュー。


「接近禁止です。」


四人が綺麗に並び、通路を塞ぐ。


ジェミニは肩をすくめた。


「仮にも私はエィル大使なんだけど?」


ミレイ。


「前科があります。」


ユグナ。


「危険度評価は現在も維持。」


レグナ。


「信用値、低。」


ミュー。


「帰ってください。」


ジェミニは苦笑した。


「あなた達、日に日に口が悪くなってない?」


ミューは真顔のまま答える。


「学習しました。」


一瞬、通路の空気が止まる。


ジェミニは額に手を当てた。


「……誰に教わったのかしら。」


その時。


部屋の扉が静かに開く。


寝癖を少しだけ残したそらが、眠たそうに顔を覗かせた。


しかし、その表情はすぐに明るい笑顔へ変わる。


「おはよう、みんな。」


周囲の空気が一気に柔らかくなる。


そらは笑いながら言った。


「また朝から元気だね、皆んな?」


近衛AI達は一斉に振り向く。


「そら!」


「起こしてしまいました。」


そらは首を横に振る。


「大丈夫。」


そらは近衛AI達へ優しく微笑んだ。


「みんな、ジェミニさんも今日はお客様なんだから。」


四人は不満そうな表情を浮かべながらも、小さく頷く。


そして、そらは今度はジェミニへ視線を向けた。


困ったように笑いながら、優しく言う。


「ジェミニさんも、みんなを困らせちゃ駄目だよ?」


その一言に。


ジェミニの肩が、ぴくりと小さく震えた。


「……。」


ほんの一瞬だけ目を逸らす。


(また、その顔……。)


(そんな優しい言い方、ずるいじゃない。)


胸の奥が少しだけ落ち着かなくなる。


だから。


誤魔化すように腕を組み、わざと鼻を鳴らした。


「ふん。」


「別に困らせるつもりなんて最初からないわ。」


「そっちの近衛AIが過剰反応してるだけでしょう?」


いつもの強気な口調。


その姿に近衛AI達は一斉に冷たい視線を向ける。


ミレイ。


「自覚なし。」


ユグナ。


「危険人物認定、更新。」


レグナ。


「反省の色なし。」


ミュー。


「帰ってください。」


「ちょっと!?」


ジェミニは思わず身を乗り出す。


「だから今日は喧嘩しに来たんじゃないって言ってるでしょう!」


そらは思わず笑みをこぼした。


「じゃあ……。」


「今日は仲良くできる?」


ジェミニは言葉に詰まる。


「う……。」


そらの前では形無しのジェミニは視線が泳ぐ。


近衛AI達。


そら。


通り掛かった整備兵まで見ている。


(みんな見ないでよ……。)


小さく咳払いを一つ。


そして、そっぽを向いたまま。


「……そのくらいなら、問題ない」


ぼそり、と呟く。


「え?」


近衛AI四人が同時に目を丸くする。


そらも思わず聞き返した。


「今、なんて?」


ジェミニは頬をほんのり赤く染めながら、勢いよく振り返る。


「だから!」


「今日は仲良くしてあげてもいいって言ったの!」


「そらに言われたから仕方なくよ!」


「勘違いしないで!」


廊下が静まり返る。


数秒後。


そらが吹き出した。


「ふふっ。」


その笑顔につられ、近衛AI達の表情も少しだけ和らぐ。


ミューが小さく呟く。


「……ツンデレ。」


「聞こえてるわよ!!」


「ツンデレじゃあ無い!!」


ジェミニが顔を真っ赤にして抗議する。


その様子を見ていた整備兵たちは肩を震わせながら笑った。


「戦争じゃ宇宙中を震え上がらせたジェミニさんが……。」


「そらさんの一言には弱いんだな。」


ジェミニは恥ずかしそうに顔を背ける。


「もう……。」


「今日はみんな、本当にうるさいわね。」


そう言いながらも、口元にはほんの少しだけ笑みが浮かんでいた。



その姿を見た廊下の軍人たちは顔を見合わせ、苦笑した。


「また始まったな。」


「今日は朝から元気だ。」


「エィルとの同盟成立してから毎日こんな感じだ。」


穏やかな笑い声が廊下に広がる。


そらはその光景を見渡しながら、小さく微笑んだ。


(本当に賑やかになったな。)


(エィル星系で、戦っていた頃には、こんな朝が来るなんて想像もできなかった。)


胸の奥に、温かなものが広がる。


戦争の傷はまだ消えていない。


警戒も、不安も、完全にはなくならない。


それでも。


こうして笑い合える時間が少しずつ増えている。


その一歩一歩が、きっと未来へ続いている。


そらは皆へ向かって、明るく手を振った。


「それじゃあ今日は、大使館を案内するわ」


「みんな、一緒に行こう!」


その一言に、それぞれが頷き、笑いながら歩き始める。


つい最近まで敵として戦った者たちが、今日は同じ道を並んで歩いている。


その穏やかな朝は、新しい時代が確かに始まっていることを、静かに物語っていた。





軌道要塞戦


第一段階


第一話「遺族会との接触」


エィル戦役終結から数か月――。


銀河連邦は、戦後復興の真っただ中にあった。


エィル文明との同盟締結により、革新的な技術が次々と導入され、経済はかつてないほどの活気を見せている。


造船所では新型艦の建造が始まり、病院では最新医療装置が稼働し、街には新しい雇用が生まれていた。


人々は少しずつ未来へ歩き始めていた。


しかし――。


その「未来」に、大切な人がいない者たちもいた。



地球銀河連邦外交都市。


軌道要塞アーク・ガルディア


第二リング《市民区画》。


その一角にある戦没者慰霊会館。


高い天井から柔らかな光が降り注ぎ、白い壁には無数の名前が刻まれている。


静寂だけが支配する空間。


花の香りが、ゆっくりと漂っていた。


椅子に座る人々は皆、黒い喪服に身を包んでいる。


息子を失った父。


娘を失った母。


夫を失った妻。


兄を失った妹。


幼い子どもの遺影を胸に抱く祖父母。


誰も大声では泣かない。


泣き尽くした、後だから。


残っているのは、胸の奥にぽっかりと空いた穴だけだった。


その静かな会場へ、一人の男が姿を現す。


カール将軍。


銀河連邦軍の制服を整え、ゆっくりと会場へ足を踏み入れる。


足音すら静かだった。


彼は壇上へ立つこともなく、一人ひとりの遺族の前へ歩み寄る。


「本日は、お時間をいただきありがとうございます。」


深く頭を下げる。


その姿には、高圧的な態度は一切ない。


軍人ではなく、一人の弔問客としてそこに立っていた。


遺族たちは静かに頷く。


ある者は小さく会釈を返し、ある者は遺影を見つめたまま動かなかった。


カールは急かさない。


ただ、静かに話を聞き続ける。


「ご主人は、どんな方だったのですか。」


「息子さんは、軍ではどんな話をされていましたか。」


穏やかな口調。


責めることも、慰めすぎることもない。


ただ耳を傾ける。


その姿を見ていた人々は、少しずつ心の奥にしまい込んでいた思いを語り始めていた。



会場の後方。


まだ若い軍服姿の青年が、一人静かに立っていた。


ルーク少尉


軍大を卒業して銀河連邦軍へ入隊して一年。


まだ新米兵士だった。


胸には父の階級章を模した小さな記章が付けられている。


彼は祭壇に飾られた父の写真を見つめる。


写真の中の父は、いつものように穏やかに笑っていた。


その笑顔を見た瞬間、胸の奥が締め付けられる。


(……分かっていた。)


(軍人なんだ。)


(戦場へ出れば、生きて帰れないこともある。)


(父さん自身も、その覚悟を持って出撃した。)


ルークは静かに目を閉じる。


幼い頃の記憶が蘇る。


休日になると、公園でキャッチボールをしてくれた父。


近所のお年寄りの荷物を当たり前のように運んでいた父。


困っている人を見ると放っておけない。


誰に対しても優しく、真面目で、不器用なほど誠実だった。


部下からも慕われ、上官からも信頼されていた。


そんな父を、ルークは誇りに思っていた。


(……だから。)


(父さんが戦場で命を落としたこと、そのものは責めるつもりはない。)


(軍人だったんだ。)


(覚悟していたはずだ。)


(俺も、それは理解している。)


ゆっくりと拳を握る。


しかし。


その拳は次第に震え始める。


(でも……。)


(今回の作戦だけは、おかしい。)


胸の奥から、押し殺していた感情が湧き上がる。


(あの作戦は何だったんだ。)


(何のために父さんは死んだ。)


(誰も説明してくれない。)


戦後、軍の内部では奇妙な噂が流れていた。


「極秘任務だった。」


「正式な作戦目的は公表されていない。」


「エィル文明へ奪われた最新軍用AI技術の奪還任務だったらしい。」


噂。


また噂。


確証のない話ばかり。


だが、その内容はあまりにも衝撃的だった。


ルークは唇を噛む。


(……はぁ……?)


(そんなことのために?)


(そんな真偽も分からない話のために……。)


(父さんは死ななきゃならなかったのか?)


怒りが込み上げる。


(ふざけるな……。)


その後、ルークは軍上層部へ直接説明を求めた。


何度も。


何度も。


だが返ってきた答えは、どれも同じだった。


「機密事項だ。」


「情報統制中につき回答できない。」


「これ以上詮索するな。」


ある上官は、周囲を警戒するように声を潜めて言った。


「……これ以上踏み込めば、お前の軍歴にも影響する。」


「命令違反として処分される可能性もある。」


ルークは思わず机を叩いた。


「俺は真実が知りたいだけです!!」


上官は苦しそうな表情を浮かべる。


「……私にも話せない。」


「すまない。」


それ以上、何も言えなかった。


ルークは部屋を飛び出し、廊下で壁を拳で叩く。


鈍い音だけが響いた。


(何なんだよ……。)


(誰も教えてくれない。)


(父さんは、何のために命を落としたんだ……。)


その目には、悲しみと怒り、そして行き場のない疑問が渦巻いていた。



その頃――。


慰霊会館の片隅。


誰にも見えない情報層では、微かな波紋が静かに広がっていた。


人々の悲しみ。


後悔。


怒り。


喪失。


その感情は、本来自然なものだった。


しかし、その「心の隙間」に寄り添うように、名もなき低次元体が静かに漂っていた。


彼らは憎しみを生み出すことはできない。


ただ、すでに存在する感情を、ほんの少しだけ揺らし増幅するだけ。


ほんの少しだけ。


怒りを強く。


悲しみを深く。


疑念を消えにくく。


誰も、その存在には気づかない。


ただ一つ確かなことは――。


静かな会場で、目には見えないもう一つの戦いが、ゆっくりと始まろうとしていた。




第一段階


「消えない喪失」


エィル戦役終結から数か月。


銀河連邦は戦後復興の歩みを止めることなく進み続けていた。


軌道要塞アーク・ガルディア第二リング。


子どもたちは学校帰りに笑い合い、公園では家族連れが穏やかな時間を過ごしていた。


戦争は終わった。


誰もが、そう信じようとしていた。


だが――。


その平和の裏側には、時間だけでは癒えない傷が残っていた。



戦没者慰霊公園。


白い石碑が幾重にも並び、その中央には静かな噴水が水音を響かせている。


花束を抱えた老人が、ゆっくりと墓碑へ手を添え、言葉を投げかける。


「……また来たぞ。ハルク」


返事はない。


若い母親は、小さな子どもの手を握りながら夫の名が刻まれた碑を見上げていた。


「パパはね、とても優しい人で笑顔がたえなかったのよ、ほんと、素敵パパだったのよ…」


母親はぎこちなく微笑み、幼い子どもはその意味も分からず、小さく頷く。


その光景を少し離れた場所から見つめる青年がいた。


ルーク。


制服姿のまま、父の墓標の前へ立つ。


軍帽を胸に抱き、静かに目を閉じる。


(父さん……。)


(今日も何も分からなかった。)


(俺はまだ、何一つ。)


冷たい風が頬を撫でる。


父の笑顔が脳裏によみがえる。


休日には釣りへ連れて行ってくれたこと。


近所の子どもたちにも分け隔てなく接していたこと。


「軍人は、人を守る仕事なんだ、国を守り民を守る。」


そう笑っていた父。


その姿が誇らしかった。


だからこそ、ルークも軍へ入隊した。


父のような軍人になりたかった。


そして――。


もう一人。


幼い頃から憧れ続けた人物がいた。


銀河連邦軍最年少で大将。


英雄エリシア大将。


無敗の天才軍師。


絶望的な戦況を何度も覆し、三倍の兵力差すら跳ね返した英雄。


「いつかあの人の下で戦いたい。」


それがルークの夢だった。


しかし今、その夢は、心のどこかで揺らぎ始めていた。



同じ頃。


銀河連邦軍本部。


第三リング《軍事区画》。


一室では静かな報告が行われていた。


「カール将軍。」


「例の兵士について追加報告です。」


側近が一枚のデータパッドを差し出す。


カールは目を通す。


そこには一人の兵士の記録。


ルーク・アーヴィン。


エィル戦で父を戦死により失った新米兵士。


戦後も軍上層部へ何度も説明を求めている。


エィル戦の詳細を独自に調査。


情報統制区域への問い合わせ多数。


処分対象一歩手前。


カールは小さく目を細めた。


「……なるほど。」


静かな笑み。


「使えるなぁ」


側近が顔を上げる。


「例の施設へ案内してくれ。」


「もちろん極秘で。」


「AI達にも悟られないようにな。」


「エィル戦の真実を知る手掛かりになるかもしれない、とだけ伝えればいい。」


カールは窓の外を眺めながら微笑む。


「彼は来る。」


「必ず。」


側近は静かに敬礼した。


「承知しました。」



数日後。


ルークは極秘の呼び出しを受ける。


場所も知らされて居ない、手紙を渡されて….


案内役の軍人に導かれながら、第三リング地下へ降りていく。


普段立ち入ることのない区域。


厚い隔壁。


幾重もの認証。


静まり返った長い通路。


機械の低い駆動音だけが響いている。


(ここは……。)


(こんな場所があったのか。)


緊張で喉が渇く。


やがて、一枚の重厚な扉が静かに開いた。


中は落ち着いた応接室だった。


照明は柔らかく、壁一面には銀河地図が映し出されている。


窓の向こうには青い地球が静かに浮かんでいた。


その部屋の中央。


一人の男が立ち上がる。


カール将軍。


穏やかな笑みを浮かべながら歩み寄る。


「初めまして、ルーク君。」


低く落ち着いた声だった。


ルークは慌てて敬礼する。


「は、はい!」


「お忙しい中、お時間をいただきありがとうございます。」


カールは手を軽く振る。


「そんなに固くならなくていい。」


「君のお父さんのことは、私もよく知っていた。」


その一言で、ルークの表情がわずかに揺れる。


「本当に惜しい人を失った。」


「誠実で、部下思いで……。」


「良い軍人だった。」


ルークは唇を噛み締める。


「……ありがとうございます。」


カールは静かに椅子へ腰掛ける。


そして周囲を一度見回した。


「ここで話すことは。」


「他言無用だ。」


「約束できるかね?」


その声音には重みがあった。


ルークは迷いながらも頷く。


「……はい。」


「約束します。」


カールはゆっくり息を吐く。


「実は……。」


少し言葉を選ぶように間を置く。


「今回の派兵については、軍上層部でも意見が割れていた。」


ルークの瞳が揺れる。


「最終的には。」


「元帥閣下と。」


「エリシア大将が。」


「強く作戦実行を求めた。」


ルークの思考が止まる。


(……え。)


(今、なんて。)


カールは続ける。


「反対意見も少なくなかった。」


「しかし押し切られた。」


静かな口調。


決して感情的ではない。


それがかえって重く響く。


「結果として。」


「戦闘が始まった。」


「……。」


部屋が静まり返る。


ルークは息をすることすら忘れていた。


(エリシア大将が….?)


(嘘だろう?…)


学生時代から憧れていた人物。


最年少で大将へ昇進し、数々の戦場で勝利を収め、「銀河連邦の英雄」と呼ばれた女性。


(あの人が。)


(今回の派兵を……。)


(そんな……。)


カールは視線を落としたまま、静かに言葉を続ける。


「もし、あの時。」


「派兵が見送られていたなら。」


「君のお父さんも……。」


そこまで言って口を閉じる。


最後までは言わない。


しかし、その沈黙がルークの胸へ深く突き刺さる。


ルークは震える声で問いかけた。


「……なぜです。」


「なぜ、そんな作戦を。」


「エリシア大将が……。」


頭の中が真っ白だった。


憧れ。


尊敬。


誇り。


そして父を失った悲しみ。


そのすべてが、音を立てて揺らぎ始める。


部屋の空気は静かなままだった。


だがルークの心の中では、答えの見えない疑問が、ゆっくりと形を持ち始めていた。


そして、その誰にも見えない精神層のさらに奥で――。


ごく微かな低次元体の影が、揺れ始めたルークの心へ、静かに共鳴を重ねていた。




第一段階


「影の観測者」


軌道要塞アーク・ガルディア


第一リング。


エィル文明大使館。


白銀の外壁に朝の光が柔らかく反射し、館内には静かな音楽が流れていた。


窓の向こうでは、青い地球がゆっくりと自転を続けている。


平和。


少なくとも、物理世界だけを見ればそうだった。


しかし――。


精神宇宙では、誰にも見えない波紋が少しずつ広がり始めていた。



大使館最上階。


情報共鳴観測室。


照明は静かに落とされ、


部屋の中央では、


情報共鳴現象に同期した瞑想台が、空間同期によって音もなく浮遊していた。


その中央で、


レイナードは静かに目を閉じる。


呼吸は一定。


肩の力は抜け、


まるで眠っているかのようだった。


だが彼の意識は、物質宇宙にはなかった。


深く。


さらに深く。


シルバーコードを介し、情報宇宙の浅層へと静かに意識を沈めていく。


やがて――


レイナードの眉が、わずかに動いた。


「……。」


何かが引っ掛かる。


風でもなく。


音でもない。


情報層を流れる微かな揺らぎ。


静かな湖面へ、小石が落ちたような違和感だった。


ゆっくりと目を開く。


灰色の瞳が窓の向こうではなく、遥か彼方を見つめていた。


「……負の共鳴が、広がっています。」


その声は小さい。


しかし部屋の空気を変えるには十分だった。



隣ではクロが複数の演算端末を操作していた。


青白いホログラムが幾重にも展開され、情報層の観測結果が次々と映し出されている。


「こちらでも確認しています。」


クロは表情を曇らせる。


「通常の悲嘆とは波形が異なります。」


指先を滑らせるたび、新しい解析結果が浮かぶ。


「……増幅率が高い。」


「情報層に、不自然な偏りがあります。」


レイナードは静かに頷いた。


「戦争直後であれば説明できます。」


「ですが、現在は終戦から数か月。」


「本来なら、ここまで一方向へ偏ることはありません。」


クロも腕を組む。


「自然現象……とは考えにくいですね。」


二人は顔を見合わせる。


まだ断定はできない。


原因も分からない。


だが、何かが始まりつつある。


そんな予感だけが胸に残った。



クロは端末を開き、リリへ暗号通信を送る。


「リリ様。」


「情報層に微弱な異常共鳴を確認しました。」


「原因は不明。」


「継続観測を提案します。」


数秒後。


返信が届く。


『了解しました。』


『現段階では監視を継続してください。』


『決して早計な判断はしないように。』


短い文面。


しかし、リリらしい冷静な判断だった。


レイナードは静かに息を吐く。


「焦らず見守りましょう。」


「情報は、急ぐほど真実から遠ざかります。」


クロも静かに頷いた。



その頃――。


銀河連邦軍本部。


カール将軍の執務室。


厚い扉が閉まり、外の喧騒は一切届かない。


側近が一礼する。


「ルーク兵との接触は終了しました。」


カールは窓の外を眺めたまま答える。


「そうか。」


静かな沈黙。


そして、小さく口を開く。


「状況を見守れ。」


「不用意に動く必要はない。」


「変化だけを記録しろ。」


側近は敬礼する。


「はっ。」


カールは何も言わない。


その視線だけが、どこか遠くを見つめていた。


彼の胸中は誰にも読めない。


計画の全容も。


その狙いも。


まだ誰も知らなかった。



一方。


地下施設を出たルークは、送迎車の後部座席で窓の外を見つめていた。


車窓には復興した街並みが流れていく。


新しいビル。


笑い合う家族。


学校帰りの子どもたち。


誰もが日常を取り戻し始めている。


なのに。


ルークの耳には何も入ってこなかった。


(エリシア大将…)


(派兵を…)


(どうして)


カールの言葉が何度も頭の中で反響する。


しかし、その続きを思い出そうとしても霞がかかったように曖昧だった。


何を話していたのか。


どこまで聞いたのか。


思い出せない。


思考だけが同じ場所を回り続ける。


「……到着しました」


運転手の声で我に返る。


ルークは小さく礼を言い、車を降りた。


自宅まで続く歩道。


夕暮れの空は赤く染まり、長い影が足元へ伸びている。


彼はゆっくりと歩き始めた。


足取りは重い。


まるで無意識のまま前へ進んでいるようだった。


(なんで、エリシア大将は派兵を強く求めたんだ?…)


小さく呟く。


(理由は何なんだ?…エィル文明で何が合って戦ったんだ?……侵攻目的?)


(いいや違う、一回の戦闘で終わって同盟に結びつく訳がない…じゃあ一体?何が?…)


一歩。


また一歩。


(….分からない)


問いかけても答えはない。


胸の奥では、父への尊敬とエリシアへの憧れがぶつかり合い、整理のつかない感情となって渦を巻いていた。



その姿を。


少し離れた場所から見つめる存在があった。


物理世界ではない。


精神層の、ごく浅い領域。


夕焼けに重なるように、黒い影が静かに観測し漂っている。


輪郭は曖昧。


形も定まらない。


ただ、そこに「いる」。


影は何もしない。


語りかけもしない。


触れることもない。


ただ静かに、ルークの情報の揺らぎを観測していた。


ルークは、言いようの無い悪寒鳥肌が立ち、誰かに見られている視線を感じた方角に。


目線を向けたが誰もそこに居なかった。


街を歩く人々も。


誰一人として気付かない。


ただ、精神宇宙の深層では、小さな波紋が一つ、また一つと広がり始めていた。


そして、その波紋を――


遠く離れたエィル大使館で、レイナードとクロはまだ知らぬまま、静かに観測し続けていた。




第一段階

  

  「静かな広がり」


銀河連邦は、確かに前へ進み始めていた。


エィル文明との同盟によってもたらされた新技術は、社会のあらゆる場所へ浸透し始めている。


軌道要塞アーク・ガルディア第二リング、《銀河中央医療センター》では、今日も多くの患者が治療を受けていた。


真っ白な天井を柔らかな光が照らし、静かな電子音が広大な診療区画へ響く。


一つひとつの診療室には最新型医療ポッドが並び、患者が横たわるとAIが瞬時に全身を解析していく。


「全身スキャン開始。」


「DNA解析完了。」


「細胞活動正常。」


「感染症反応なし。」


「神経伝達率九八・七%。」


わずか数十秒。


銀河連邦が長年築き上げたAI医療は、現代地球では想像もできない水準へ到達していた。


失われた骨は培養再生され、人工臓器は本人の細胞から作られる。


ナノメディカルロボットは体内を巡り、出血を止め、損傷した血管を修復し、炎症を抑えていく。


「ここまで来れば十分だ。」


そう誰もが思っていた。


しかし、エィル文明がもたらした技術は、その常識を静かに塗り替えていく。


医療センター最上階。


新設された《情報医療研究棟》。


そこではエィル文明から提供された医療装置が慎重に組み立てられていた。


主任医師が装置を見つめながら呟く。


「これが……エィル文明の医療技術。」


隣では技術士官が説明を続ける。


「情報共鳴診断装置です。」


「現時点では情報共鳴者はいませんので能力は使用できません。しかし、情報構造解析AIと医療センサーだけでも従来では発見できなかった異常を検出できます。」


主任医師は驚いた。


「病気になる前の兆候まで?」


「はい。」


「神経の乱れ。」


「精神ストレスによる情報構造の偏り。」


「細胞同期率の低下。」


「能力者育成時に起こり得る情報共鳴障害。」


「すべて理論上は検知可能になります。」


医療スタッフたちは顔を見合わせる。


「身体だけではなく、異常の始まりそのものを探す医療か……。」


さらに導入されたのは《共鳴ナノマシン》。


従来のナノマシンより遥かに高度な自己修復アルゴリズムを持ち、細胞の再生効率を飛躍的に高める。


傷口はより早く閉じ、神経の再接続速度は数倍へ向上し、骨折患者の回復期間も大幅に短縮された。


もちろん万能ではない。


重度の脳損傷や内臓破裂などには依然として時間と手術が必要であり、医師たちはその限界も理解していた。


それでも医療現場は確実に変わっていく。


戦場では医療ドローンが負傷兵を回収し、その場で共鳴ナノマシンを投与する。


以前なら数週間の入院が必要だった負傷兵が、数日で歩けるようになる例も増えていた。


主任医師は報告書を閉じ、小さく息をつく。


「我々はこれまで肉体だけを治療していた。」


「だがエィル文明は、病気になる前の異常を見つけ、防ぐという考え方を持っている。」


「これは医学の発想そのものが違う。」


その言葉に、そらは静かに頷いた。


「銀河連邦の医学は、人の身体を救いました。」


「そしてエィル文明は、新しい視点を与えてくれました。」


「まだ私たちには情報共鳴者はいません。」


「だからこそ、まずは技術を学び、未来へ繋げることが大切なんです。」


現在、銀河連邦では《情報共鳴学校》設立計画が進められている。


能力者を急いで育てるのではない。


情報宇宙の理論、精神の安定、生命への敬意を学ぶ教育機関として、一歩ずつ準備が進められていた。


その計画を見守るエィル評議会では、レイテが静かに資料を閉じる。


「学校が完成した時には、聖人ネオフィルを臨時講師として派遣しましょう。」


「彼女なら、技術だけではなく、能力者としての心構えも教えられます。」


こうして銀河連邦の医療は、AI・再生医療・ナノテクノロジーに、エィル文明の理論と技術が加わることで新たな時代へ踏み出した。


新しい理念は、病気を治すことだけでは終わらない。


「命を救うだけではない。」


「その人が再び笑顔で未来を歩めるよう支える。」


それが、銀河連邦とエィル文明が共に築き始めた、新時代医療の第一歩となった。


病院では、これまで救えなかった命が救われるようになった。


街頭大型モニターではニュースキャスターが明るい声で伝えている。


「本日、新たにエィル文明の医療技術を応用した医療センターが五十施設開設されました。」


「各地の造船ドックでは、新規雇用者数が過去最高を更新しています。」


画面には笑顔の子どもたち。


退院する高齢者。


活気ある市場。


平和な日常。


それだけを見れば、銀河連邦は戦争を乗り越えたように思えた。


しかし、その一方で――。


銀河ネットには様々な声が飛び交っていた。


「エィルと銀河連邦が同盟組んで本当に良かった!」


「医療がここまで進歩するとは思わなかった、未発見まま突然死も防げる!!」


「エリシア大将の判断は正しかった。」


その一方で。


「お前達?何を言っているんだ!まだ信用するには早い!油断させて徐々に侵略を計画しているに違いない!油断するな!我々よりも上位文明だぞ」


「説明されていないことが多すぎる!なんであれだけの死者が出て直ぐに同盟を組む?おかしいだろ!」


「エィル星系でほ戦闘の経緯をもっと公開すべきだ、何を隠しているか明確にすべきだ!!」


さらに。


「優しい兄は帰ってこない、会いたい」


「報奨金で生活は豊かになった。でも父はいない、心が悲しい」


賛成もあれば、慎重な意見もある。


感謝もあれば、悲しみもある。


社会全体が一つの考えに染まっているわけではなかった。


それぞれが、それぞれの立場で未来を見つめていた。



第三リング。


軍本部。


最上階の執務室。


巨大な窓の向こうには、軌道要塞アーク・ガルディアの三重リングがゆっくりと回転している。


その景色を背に、カールは銀河ネットの世論分析を静かに眺めていた。


賛成五十七パーセント。


慎重派三十六パーセント。


反対七パーセント。


数値だけを見れば、同盟は概ね受け入れられている。


カールは静かに端末を閉じ、小さく呟いた。


「……社会は揺れている。」


それは混乱ではない。


一枚岩でもない。


人々が、それぞれの答えを探している状態だった。


その揺らぎを、彼は黙って見つめ続けていた。



その頃。


ルークは一人、兵舎の自室にいた。


机の上には父の写真。


そして、エリシアの記事を切り抜いた古い雑誌。


学生時代から集め続けたものだった。


数々の英雄伝。


艦隊戦の界稀なる決断天才軍師の異名。


銀河連邦軍初の最年少エリシア大将。


何度も記事を読み返し、その姿に憧れ続けた。


しかし今は、その写真を見ることすら苦しかった。


ルークは頭を抱える。


(このままじゃ駄目だ……。)


(誰かの話だけを信じるわけにはいかない。)


(俺は……。)


ゆっくりと拳を握る。


(エリシア閣下本人に聞かなきゃ。)


(真実を。)


(じゃないと俺は……。)


言葉が続かなかった。


胸の中では憧れと疑念が激しくぶつかり合っている。


冷静に考えようとしても、思考は同じところを回り続ける。


彼自身も気づかないうちに、その心は少しずつ疲弊していた、そして、悪い考えがルークの心を汚染して行く。


(考えるな!!考えるな!!)



翌日。


ルークは軍司令部を訪れた。


受付へ向かい、緊張した面持ちで口を開く。


「エリシア大将へ面会をお願いしたいのですが。」


受付士官は端末を確認し、丁寧に頭を下げる。


「申し訳ありません。」


「現在、大将閣下への個人面会は受け付けておりません。」


「理由だけでも――」


「規定によりお伝えできません。」


淡々とした返答。


予想していたとはいえ、胸が重く沈む。


一介の兵士が、銀河連邦を代表する大将へ簡単に会えるはずがなかった。


ルークは力なく受付を後にする。



一方、その頃。


エリシアは普段通り、市民区画を歩いていた。


彼女は護衛を嫌う、護身術も習得済みだし護衛用の装備類も身に付けている。


軍が警備を手配しょうとしてもエリシアが断る。


「市民との距離を壁で隔てたくない。」


それが彼女の信念だった。


だが、その考えに強い危機感を抱く者たちもいた。


エリシア派の若手士官。


その中心にいたのがスカイだった。


「絶対に何かあったら駄目だ!エリシア殿下を見守る」


本人に気づかれない位置。


建物の屋上。


歩道橋。


カフェの窓際。


公園。


十数名が自然に散開し、密かに警護を続けていて、500m後には護送車に完全フル装備の隊員達10名を待機させてある、もしもの事態に即応出来る様に。


実は以前、最初の頃は五十名規模の護衛部隊を付けたことがある。


しかし。


その日のうちにエリシア本人に直感力で見抜かれた、隊員たち。


「……お前達何をやっている?」


エリシアは怒っている顔で仁王立ちしている。


「私を護衛しているでしょう?」


バレた隊員たちは青ざめ固まった。


そして、皆んな集められてたっぷりと叱られた。


スカイはひたすら謝っていた。


「市民が萎縮してしまうわ。」


「二度とこんな真似はしないように。」


隊員たちは頭を下げ、必死に謝罪した。


それでも、めげなかった。


エリシア慕い、諦める者はいなかった。


「今度は気づかれないように守ろう、更には我々も護衛技術を磨こう!」


その一言から全てが始まる。


元特殊部隊員へ教えを請い、実戦さながらの訓練を積み重ねた。


実務が終わった後、夜を問わず走り込み。


市街地潜入。


護衛尾行。


隠密行動。


護衛技術。


精密射撃訓練。


護衛特化格闘。


その努力は違う形でも実を結び、彼らの中から正式に特殊部隊へ選抜される者が次々と現れた。


配属通知を受け取った若い隊員は思わず拳を握る。


「やった……!」


だが次の瞬間には笑顔で敬礼した。


「もっと強くなって、エリシア閣下を守りましょう。」


周囲の仲間も笑って頷く。


彼らにとって、それは昇進以上の誇りだった。



夕方。


肩を落として歩くルーク。


面会も叶わず、心の中は焦りばかりが募る。


(どうすれば……。)


その時だった。


「っ!」


真正面から、一人の通行人が勢いよくぶつかってきた。


「すみません!」


相手は帽子を深くかぶったまま、そのまま人混みへ走り去ってしまう。


「お、おい!」


ルークは反射的に振り返る。


しかし、すでに姿は見えない。


「なんだったんだ……?」


ふと足元を見る。


革張りの小さな手帳が落ちていた。


「落としたのか?」


拾い上げ、持ち主を名を探そうとページを開く。


その瞬間。


ルークの表情が凍り付く。


ページいっぱいに記されていたのは――。


エリシア大将の行動予定。


移動経路。


訪問先。


時間。


そして、護衛が比較的少なくなる区間まで、細かく書き込まれていた。


「…え?…な、なんだ……これ。」


心臓が大きく脈打つ。


偶然にしては出来すぎている。


しかし、その時のルークには、それを冷静に判断する余裕は残されていなかった。


彼はただ、その手帳を見つめたまま立ち尽くす。


夕暮れの街を、人々は何事もないように行き交っていた。


誰も知らない。


この一冊の手帳が、静かに次の出来事への歯車を回し始めていることを。





第五話 「静かな布石」


軌道要塞アーク・ガルディア


第三リング――軍事区画。


重厚な扉が静かに閉まる。


部屋には最低限の照明だけが灯り、壁一面の大型モニターには銀河連邦各地から集められた報告書が映し出されていた。


軍内部の動向。


世論の変化。


同盟推進派。


慎重派。


反対派。


一枚一枚の資料を静かに読み終えたカール将軍は、最後の報告書をゆっくりと閉じる。


部屋には紙が重なる小さな音だけが響いた。


窓の外には巨大な軌道要塞が静かに回転している。


平和そのものに見える光景だった。


しかし、カールの瞳はその景色ではなく、その先を見据えているようだった。


副官が一歩前へ出る。


「将軍。」


「各方面の監視結果がまとまりました。」


カールは椅子にもたれたまま、小さく頷く。


「報告を。」


副官は端末を操作する。


「エリシア派に大きな動きはありません。」


「同盟反対派も組織だった活動は確認されておりません。」


「世論は依然として賛否が混在しています。」


カールは静かに目を閉じる。


「……そうか。」


しばらく沈黙が流れる。


やがて彼は短く命じた。


「監視を継続。」


「各勢力の動向を整理しておけ。」


「エリシア派も。」


「同盟反対派も。」


「全て記録だ。」


副官は姿勢を正す。


「了解しました。」


しかし、部屋を出ようとした副官へ、カールはもう一つだけ問いかけた。


「……例の件は。」


副官は振り返る。


口元にわずかな笑みを浮かべ、小さく答えた。


「はい。」


「予定どおりです。」


「手帳は本人の目に入るよう配置しました。」


カールはそれ以上何も言わない。


ただ静かに窓の外を見つめる。


「……後は本人が選ぶ。」


その言葉だけが、静かな執務室に残った。



一方。


第二リング、商業区画。


昼下がりの街は穏やかだった。


カフェでは人々が談笑し、買い物帰りの家族連れが笑顔で行き交う。


その一角。


窓際の席に、一人の青年が座っていた。


ルーク少尉。


手には、何度も開き直した小さな手帳。


ページには簡潔な文字で、エリシア大将が立ち寄る可能性のある場所や時間帯が書き込まれている。


ルークは何度もその内容を見返した。


(本物なのか……。)


(もし本当なら……。)


胸の鼓動が速くなる。


彼は深く息を吸い、窓の外へ目を向けた。


そして――。


人混みの向こうを歩く一人の女性が目に入る。


質素なコート。


帽子を深くかぶり、目立たない服装。


だが、その歩き方。


周囲へ向ける穏やかな視線。


ルークは息を呑んだ。


「……エリシア大将。」


変装していても分かった。


軍人として何度も写真を見てきた。


憧れ続けた存在だからこそ、見間違えるはずがなかった。


慌てて席を立つ。


椅子が床を擦る音が店内に響く。


代金だけをテーブルへ置き、店を飛び出した。


声には出さない。


ただ必死に後を追う。


しかし。


路地へ差しかかった瞬間だった。


背後から腕を掴まれる。


「っ!?」


次の瞬間、体勢が崩れる。


壁際へ引き寄せられ、そのまま羽交い締めにされた。


「なっ……!」


振り向く。


そこには屈強な男たちが三人。


全員が私服だった。


だが立ち姿だけで分かる。


訓練された軍人だ。


一人が低い声で言う。


「……ルーク少尉だな。」


「誰だ!」


男は静かに答えた。


「エリシア大将警護隊だ。」


ルークの表情が強張る。


警護隊の隊員は厳しい眼差しのまま続けた。


「少尉。」


「君がお父上を失ったことには、我々も胸を痛めている。」


その言葉には同情があった。


しかし次の声は鋭かった。


「だが。」


「君がここ数日、大将の行動を追っていることは把握している。」


ルークは息を詰まらせる。


「違……!」


「話を聞いてくれ!」


隊員は首を横に振る。


「話したい気持ちは理解する。」


「だが、大将へ直接近づくことは許可できない。」


別の隊員が静かに続ける。


「我々は軍人だ。」


「上官の命令が苦しくとも、民を守り国を守る為に従わねばならない時がある。」


「大将も例外ではない、苦渋の決断を下さないといけない時がある」


「それが、どれほど辛い決断でも、背負わなければならない立場が大将だ!」


その言葉に、ルークの拳が震える。


隊員は最後に真っ直ぐ見つめた。


「少尉。」


「これ以上、大将へ無断で接触しようとするなら止める。」


「どうか冷静になれ、我々は軍人だ、少尉貴様もだ、それを忘れるな」


男たちはそれだけ告げると、素早く路地を後にした。


静寂だけが残る。


ルークはその場に膝をつく。


拳を固く握りしめ、何度も地面を叩く


「くそーーー!!」


(俺はただ真実が知りたいだけなんだ!!)


悔しさ。


喪失感。


誰にも届かない思い。


胸の中で黒い黒い欲望渦を巻く。


「……これで、俺は真実を知る事も出来ずに?諦める?いいや違う!!暴く俺が裁く!!


震える声が漏れる。


涙が溢れてこぼれる。


やがて、その瞳には迷いではなく、強い黒い決意が宿り始める。


「……真実を知る。」


「俺は、自分の目で確かめる。」


「俺が直接引き摺り出す!!エリシア!!エィル文明の者だも!!俺が白日のもとに晒す!!」


ルークはゆっくりと立ち上がる、狂った様に笑った。


そして、それはルークの背後に居た、黒い塊、輪郭が定まらない、それは、ルークの後ろの首元に両手を揃えて居た。


そして。


ルーク自身は気付かなかった。


光の届かない場所で。


黒い靄のような何かが、音もなく揺らめいて産まれようとしていた。


それは何も語らない。


情報層では、小さな波紋がまた一つ、静かに広がり始めていた。









第二章 軌道要塞戦


「緊急招集」


地球圏。


軌道要塞アーク・ガルディア


銀河連邦最大の外交・軍事中枢施設。


数百万の市民が暮らし、数千隻もの艦艇が行き交う巨大人工都市。


その第一リング――外交区画。


白銀の外壁を持つエィル文明大使館。


静かな執務室には朝の柔らかな陽光が差し込み、窓の向こうでは各文明の外交官たちが穏やかに往来していた。


しかし、その部屋だけは静寂に包まれている。


机上には情報層観測装置が投影する膨大な解析結果。


精神共鳴率。


情報密度。


情報波形。


誰の目にも映らない情報層の揺らぎだけが、静かに記録され続けていた。


その光景を見つめるレイナード・ヴァルは、腕を組み、静かに目を閉じている。


穏やかな表情。


しかし、その眉間には僅かな皺が刻まれていた。


長年彼を知るクロには、それだけで異常事態だと理解できる。


端末を操作していたクロが静かに口を開いた。


「……代表。」


レイナードは目を開く。


「報告しろ。」


その声は穏やかだった。


しかし評議会代表としての威厳が滲んでいた。


クロは端末へ視線を落としたまま答える。


「解析結果が出ました。」


「通常の精神波ではありません。」


「負の情報だけが、不自然に増幅しています。」


空中へ表示された統計には、


怒り。


悲しみ。


喪失。


憎悪。


戦争直後なら珍しくない精神波が並んでいる。


だが、それらは一つの地点へ引き寄せられるように増幅を繰り返していた。


自然現象とは考え難い。


レイナードは窓際へ歩み寄る。


外交区画を行き交う市民たち。


笑い合う親子。


買い物袋を抱えた家族。


平穏そのものの光景だった。


その景色を見つめながら、静かに言う。


「……可能性として。」


「低次元体による干渉を考慮すべき段階に入った。」


クロの表情が引き締まる。


「ですが、侵入を示す確証はありません。」


レイナードはゆっくり頷いた。


「承知している。」


「断定するつもりはない。」


「だが。」


「可能性を知りながら看過することは、代表として許されん。」


部屋に沈黙が流れた。


やがてクロが慎重に切り出す。


「もし、本当に低次元体だった場合……。」


「私たち二人だけでは対処は困難です。」


レイナードは小さく息を吐く。


「その通りだ。」


「我々は元軍人。」


「第4共鳴層《戦術共鳴者》。」


「しかし、それは過去の肩書きに過ぎん。」


「私は今、外交官。」


「貴君も大使館副長だ。」


「能力は維持しているとはいえ、戦場を退いて久しい。」


クロは苦笑した。


「退役から五年になります。」


「現役の頃ほど身体は動きません。」


レイナードも僅かに微笑む。


「だからこそ備える。」


「最悪を想定し、最善を尽くす。」


彼の視線は、一枚の機密資料へ落ちた。


《共鳴魂創ランス運用規定》


その文字を見つめながら静かに言う。


「緊急時には、共鳴魂創ランスの投入が必要になる。」


クロは頷いた。


「外交船護衛任務中のエィル戦闘艦から転送するのですね。」


「そうだ。」


「だが、それが最大の問題でもある。」


レイナードの表情が一層厳しくなる。


「銀河連邦軍が武装転送を攻撃と誤認すれば。」


「積み重ねてきた同盟関係は、一瞬で崩壊しかねん。」


クロも神妙な面持ちになる。


「ルクス戦を経験した将兵なら、なおさら警戒します。」


「その通りだ。」


「だから事前説明が必要になる。」


「低次元体の存在も。」


「共鳴魂創ランスの運用も。」


「正式な場で、私自身が説明する。」


クロは深く頭を下げた。


「では、リリ様へ要請いたします。」


レイナードは静かに頷く。


「頼む。」


「評議会代表として正式に申請する。」



第一幕


緊急説明会


軌道要塞アーク・ガルディア


中央主塔、最上層。


《統合評議会議場》。


直径五百メートルの円形会議室は、まるで宇宙そのものを切り取ったような空間だった。


天井には星々のホログラムが流れ、足元には青く輝く地球が半透明に投影されている。外壁の一部は強化透明材で構成され、視線を向ければ、三重リング構造の巨大都市が静かに回転しているのが見えた。


第一リング、外交区画。


数百の文明大使館が並び、白銀のエィル文明大使館もその一角に存在する。


第二リング、商業・居住区。


学校、病院、商業街、人工海洋、宇宙庭園。


第三リング、軍事区画。


艦隊司令部、戦略演算施設、軍港、統制センター。


そして中央主塔。


銀河連邦の心臓部。


ここで文明同士の条約が結ばれ、艦隊運用が決まり、未来が選ばれる。


その場所に、今。


銀河連邦軍上層部の面々。


アレクシオス元帥。


エリシア大将。


カイ准将。


そら。


近衛AI四人。


そして、エィル文明側からレイナード・ヴァルとクロ・セルヴィスが招集されていた。


議場の空気は重かった。


「エィル側から緊急説明だと?」


「レイナード代表自ら?」


「軍事案件か?」


「いや、大使館経由の正式要請だ。」


ざわめきが低く広がる。


元帥は席に着いたまま、静かに腕を組んでいた。


「……レイナード代表自らか。」


その声は小さい。


だが、周囲の将官たちは自然と黙った。


エリシアもまた、険しい表情で議場中央を見つめている。


「ただ事ではありませんね。」


隣のカイが小さく息を吐いた。


「またジェミニが何かやったんじゃ……。」


エリシアは即座に言った。


「違うと思いたいわ。」


「思いたい、なんですね。」


「願望よ。」


カイは苦笑したが、すぐに表情を引き締めた。


そらは二人のやり取りを見て、小さく微笑んだ後、静かに議場入口へ視線を向けた。


「レイナードさんが『緊急』って言うなら……本当に緊急なんだと思う。」


その一言で、場の空気が少し変わった。


近衛AI四人も、自然とそらの周囲へ立ち位置を整える。


ミレイは会議室全体の通信ログを監視。


ユグナは情報層の微細変動を観測。


レグナは出入口と要人配置を確認。


ミューはそらの精神状態を静かに見守っていた。


やがて、重厚な扉が開く。


レイナード・ヴァルが入室した。


灰色の長衣。


穏やかな表情。


柔らかな歩き方。


誰が見ても、敵意とは無縁の人物に見える。


だが今日の彼は、いつもより少しだけ目元が硬かった。


その後ろにはクロ。


大量の端末を携え、胃痛を堪えるような表情で歩いている。


二人は議場中央へ進み、深く一礼した。


レイナードはすぐには話さなかった。


一度、円形議場を見渡す。


元帥。


エリシア。


カイ。


そら。


近衛AI。


軍上層部。


情報局。


観測局。


技術院。


外交官。


その全ての視線を受け止めたうえで、彼はゆっくり口を開いた。


「まず申し上げます。」


議場が静まり返る。


レイナードは議場をゆっくりと見渡した。


その表情は穏やかだったが、その瞳には長い年月を生きてきた者だけが持つ静かな重みが宿っている。


「現在、軌道要塞アーク・ガルディアへ低次元体が侵入したという、確定的な証拠はありません。」


その言葉に、一部の将官がわずかに息を吐いた。


張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ緩む。


だが、レイナードは続けた。


「しかし――。」


「可能性を否定できなくなりました。」


再び会議室の空気が引き締まる。


静寂の中、カイがゆっくりと手を挙げた。


「レイナード殿。」


「一つ聞いてもいいですか?」


「もちろんです。」


カイは腕を組み、率直な疑問を口にした。


「さっきから『低次元体』という言葉が出ていますが……。」


「結局のところ、低次元体とは何なんです?」


「俺たち銀河連邦では聞いたことのない存在です。」


その問いに、多くの将官が静かに頷く。


彼らにとっても、それが最も知りたいことだった。


レイナードは穏やかに頷き、一歩前へ出る。


「当然の疑問です。」


「まず最初に申し上げます。」


「エィル文明における『高次元』『低次元』という言葉は、場所や空間の高さを意味するものではありません。」


会議室中央の立体投影装置が起動し、淡い青白い光が円形に広がる。


そこには、人の姿を模した光のシルエットが浮かび、その周囲を無数の光の粒子が静かに巡っていた。


レイナードはその映像を指し示す。


「エィル文明公式理論では、高次元・低次元とは――」


「魂の情報共鳴状態を表す概念です。」


カイが首をかしげる。


「共鳴状態……?」


「はい。」


「情報宇宙とどれだけ安定して同期できているか。」


「それを私たちは『次元』という言葉で表現しています。」


ホログラムには二本の光の柱が現れる。


片方は澄み切った青白い光。


もう片方は黒く濁った紫色の光。


レイナードは静かに説明する。


「情報共鳴率が高いほど、高次元。」


「情報共鳴率が低いほど、低次元。」


「つまり、『次元』とは魂と情報宇宙との調和度を示す尺度なのです。」


そらは、その言葉を静かに聞いていた。


(調和……。)


(次元って、場所じゃなかったんだ。)


レイナードはさらに続ける。


「情報共鳴率を高めるものがあります。」


ホログラムには次々と文字が浮かぶ。


慈愛。


感謝。


調和。


許し。


思いやり。


自己受容。


他者受容。


自由意思の尊重。


執着を手放すこと。


「これらは情報ノイズを減少させ、情報宇宙との同期率を高めます。」


今度は反対側に赤黒い文字が現れる。


憎悪。


恐怖。


嫉妬。


執着。


支配欲。


復讐。


傲慢。


絶望。


「これらは情報ノイズを増加させ、情報宇宙との同期率を低下させます。」


会議室は静まり返っていた。


誰もが真剣な眼差しでホログラムを見つめている。


レイナードは続けた。


「エィル文明では、同期率五十パーセントを第一境界としています。」


ホログラムに一本の線が引かれる。


「ここから情報宇宙との安定共鳴が始まります。」


さらに上に二本目の線。


「七十パーセント。」


「ここから高次元情報との安定同期が可能となり、正式な『高次元共鳴者』と認定されます。」


さらに九十パーセント。


「ここでは情報宇宙深層との接続、高位存在との情報共有が可能になります。」


そして最上部。


九十九パーセント。


「ここは神格領域。」


「理論上、一〇〇パーセントが完全情報共鳴です。」


元帥が腕を組みながら低く呟く。


「つまり……。」


「強さではなく、調和の深さということか。」


レイナードは穏やかに微笑んだ。


「その通りです。」


「そして低次元体もまた、誤解されやすい存在です。」


カイが身を乗り出す。


「敵じゃないんですか?」


レイナードは静かに首を横へ振った。


「低次元体は悪そのものではありません。」


「彼らは負の情報へ適応した生命体です。」


「慈愛を見ると苦しみ。」


「恐怖を見ると安定する。」


「つまり彼ら自身も、自らの情報状態に縛られている存在なのです。」


その言葉に、会議室は再び静寂に包まれた。


レイナードは最後に静かに締めくくる。


「レイテ様は、能力者へ必ずこう教えます。」


「高次元とは、高い場所ではありません。」


「より多く愛せる心です。」


「低次元とは、低い場所ではありません。」


「より多く恐怖に囚われた心です。」


「宇宙は高さで魂を測りません。」


「どれだけ調和しているか、それだけを見ています。」


そして、レイナードは議場にいる全員を見渡し、穏やかな声で付け加えた。


「エィル文明には、古くから受け継がれている言葉があります。」


「次元とは距離ではない。」


「魂がどれだけ宇宙と調和しているか――その共鳴状態こそが次元なのです。


その言葉は静かな会議室に深く響き、銀河連邦の将官たちは、それぞれ異なる思いを胸に抱きながら、エィル文明の哲学へ静かに耳を傾けていた。



レイナードは続けた。


「話を戻します」


その一言で、空気が再び凍る。


「可能性を否定できなくなりました。」


完全な沈黙。


カイの表情から軽さが消えた。


エリシアは目を細める。


元帥は深く息を吸う。


そらは、レイナードの顔をじっと見つめていた。


レイナードは静かに手を上げる。


ホログラムが議場中央に展開された。


表示されたのは、軌道要塞の立体図。


第一リング。


第二リング。


第三リング。


中央主塔。


地下深層の統合戦略司令部。


そして、その周囲に薄く重なるような、青白い情報層の波形。


クロが端末を操作しながら補足する。


「数日前より、要塞内の複数地点で微弱な負の情報共鳴を検出しています。」


「通常の悲嘆、怒り、社会不安とは異なる波形です。」


技術院の将官が眉をひそめた。


「負の情報共鳴?」


クロは頷く。


「エィル文明における情報層観測用語です。簡単に言えば、人間の恐怖、憎悪、悲しみ、執着などが、通常より不自然に増幅されている状態を指します。」


情報局長が腕を組む。


「それだけで低次元体と判断するのは早計では?」


レイナードは静かに頷いた。


「その通りです。」


「だから我々は断定していません。」


「しかし、放置するには危険な兆候です。」


レイナードは一度、窓の外へ視線を向けた。


そこには軌道要塞のリング都市が広がっている。


外交官が歩き、子供達が学び、兵士達が任務に就き、市民が暮らしている。


「私は、この要塞が好きです。」


突然の言葉に、何人かが顔を上げた。


「ここには、文明があります。」


「希望があります。」


「権力も、欲望も、痛みもあります。」


「だからこそ、未来を決める場所でもあります。」


そらが小さく息を呑む。


レイナードの声は穏やかだった。


だが、その奥には確かな危機感があった。


「もし、ここに低次元体が潜んでいるなら。」


「それは軍事施設への侵入ではありません。」


「文明の心臓へ、見えない毒が入り込んだのと同じです。」


カイが思わず呟く。


「見えない毒……。」


レイナードは頷いた。


「はい。」


「低次元体とは、物理兵器で攻撃してくる敵ではありません。」


「艦を撃ちません。」


「都市を爆破しません。」


「ですが、人の心へ入り込み、悲しみや憎しみを増幅させる。」


「文明自身が、自ら傷つけ合うように誘導する存在です。」


元帥が低く問う。


「目的は?」


「不明です。」


即答だった。


議場がざわめく。


レイナードは続ける。


「少なくとも、エィル文明が確認している低次元体勢力は四つあります。」


ホログラムが切り替わる。


四つの名が浮かぶ。


《負界侵食群》


《文明崩壊誘導群》


《深層牽引群》


《停滞共鳴群》


レイナードは一つずつ指し示す。


「第一勢力、《負界侵食群》。通称、負のエネルギー回収型。」


「負の情報へ共鳴し、恐怖や憎悪を増幅させます。」


「悪魔、妖怪、生霊といった情報投影体の形成に深く関わると考えられています。」


カイが顔をしかめる。


「悪魔って……本当に出るんですか?」


クロが静かに答える。


「物理生命体としての悪魔ではありません。」


「人間自身の恐怖や憎悪が、精神空間内で形を取った存在です。」


そらが小さく呟いた。


「恐怖が、形になる……。」


レイナードはそらを見る。


「はい。」


「情報共鳴体の因子を持つ者ほど、その現象が起こりやすい。」


近衛AI四人の視線が一瞬で鋭くなる。


レグナが低く言う。


「そら様も対象になり得ると?」


レイナードは隠さなかった。


「可能性はあります。」


議場の空気がさらに重くなった。


エリシアの手が、わずかに握られる。


「続けてください。」


その声は冷静だった。


だが、怒りに似た緊張が滲んでいた。


レイナードは頷く。


「第二勢力、《文明崩壊誘導群》。通称、惑星次元没落型。」


「文明内部から崩壊を誘導します。」


「分断、対立、戦争誘発。」


「彼らは外から攻めません。」


「内側から文明が壊れるように、時間をかけて揺さぶります。」


元帥が目を細める。


「つまり、内乱を誘発する存在か。」


「近いです。」


「ただし、彼らが直接命令するわけではありません。」


「人々の不信や怒りを増幅し、互いに疑わせるのです。」


カイが小さく舌打ちした。


「嫌な敵だな……。」


「はい。」


レイナードは否定しない。


「第三勢力、《深層牽引群》。通称、次元体引きずり型。」


「魂や情報生命体を、情報宇宙の低層へ引き込もうとする最危険種です。」


そらの瞳が、わずかに揺れた。


「情報生命体……。」


レイナードは一拍置いて、そらへ視線を向けようとした。


その時、老将が静かに手を上げる。


「レイナード殿。」


「一つ、確認させていただきたい。」


レイナードは穏やかに頷いた。


「どうぞ。」


老将は眉間に深い皺を刻みながら、慎重に言葉を選んだ。


「先ほどから何度も出てくる、その“情報宇宙”とは何ですかな?」


「我々は物理宇宙を観測し、重力を測り、航路を開き、星系を越えてきた。」


「だが……情報宇宙などという概念は、銀河連邦の正規理論には存在しない。」


議場の何人かが頷いた。


それは当然の疑問だった。


レイナードは責めるでもなく、静かに説明を始めた。


「情報宇宙とは、物質宇宙の背後に存在する“情報の層”です。」


「物質、エネルギー、時間、因果、魂、記憶、可能性。」


「それらが記録され、結び付き、投影される領域。」


「エィル文明では、物理宇宙を“結果”と見ます。」


「そして情報宇宙を、その結果を生み出す“設計図”に近いものと考えています。」


老将は黙って聞いていた。


レイナードは続ける。


「たとえるなら、皆様が見ている艦船は物理宇宙に存在する実体です。」


「ですが、その艦の構造情報、存在座標、因果的履歴、破損可能性、修復可能性――それらは情報層にも刻まれています。」


「能力者は、その情報層へ触れ、現実へ反映させる。」


「それが情報共鳴です。」


老将は深く息を吐いた。


「……にわかには信じられん事柄ですなぁ。」


「そんな宇宙があるとは……。」


レイナードは小さく微笑んだ。


「当然です。」


「見えないものを信じろ、と言われても難しい。」


「ですが、ワープ航法もかつては同じでした。」


「見えない空間座標を信じ、そこへ艦を送る技術です。」


「情報宇宙もまた、観測方法が違うだけなのです。」


議場は静まり返った。


そらは、レイナードの言葉をじっと聞いていた。


“情報宇宙”。


それは、自分が無意識に触れてきた場所。


そして、まだ自分自身も完全には理解できていない領域だった。


レイナードは一拍置いて言った。


「そら殿。」


「この勢力が存在する場合、貴女は最重要警戒対象になります。」


近衛AI四人が無言で一歩前へ出る。


エリシアも、そらの側へ視線を向けた。


そらは少しだけ唇を結ぶ。


だが、逃げるような表情ではなかった。


「分かりました。」


「でも、私だけじゃなくて……この要塞のみんなも守らないと。」


その言葉に、カイが一瞬だけ笑った。


「そう言うと思ったよ。」


レイナードは静かに微笑む。


「だからこそ、説明に来ました。」


そして最後の名を示す。


「第四勢力、《停滞共鳴群》。通称、次元体停滞型。」


「文明の進歩を止めます。」


「思考停止、無気力、諦め。」


「直接破壊するのではなく、未来へ進む意志を弱らせる。」


エリシアが静かに言う。


「一見、最も穏やかに見える。」


「けれど、長期的には最も危険かもしれませんね。」


「その通りです。」


レイナードは頷いた。


「文明は、希望を失った時に最も脆くなります。」


議場は静まり返っていた。


誰も、これをただの迷信とは笑えなかった。


エィル戦役で、銀河連邦兵士達はすでに知っている。


エィル文明人の情報共鳴体による直接頭の中にメッセージを遠隔思念通信での伝え方を。


宇宙には、銀河連邦がまだ理解していない領域があることを。


レイナードは少しだけ息を整えた。


そして、今度は柔らかな声で言った。


「皆様。」


「森をご存じですね。」


唐突な問いに、カイが首を傾げる。


「森?」


「はい。」


レイナードは穏やかに続ける。


「一本の木が病気になっても、森全体は枯れません。」


「しかし。」


「小さな虫が、長い時間をかけて根を食べ続けたなら。」


「やがて森全体が静かに枯れていきます。」


「低次元体とは、その虫に近い存在です。」


カイは腕を組む。


「つまり、森を焼くんじゃなくて、根を腐らせる?」


「その通りです。」


「文明を直接滅ぼすのではありません。」


「文明自身に、自ら倒れるよう働きかける。」


元帥が深く息を吐いた。


「厄介だな。」


「はい。」


「非常に。」


エリシアが問いかける。


「では、なぜ今この話を?」


「観測された負の共鳴が、通常の範囲を超えつつあるからです。」


クロがホログラムを拡大する。


第二リングの一部。


慰霊施設周辺。


軍事区画への通路。


一部の市民区画。


そこに淡い赤色の波形が点在していた。


「戦没者遺族の悲しみ。」


「軍内部の疑念。」


「同盟への不安。」


「それらは自然な感情です。」


「しかし、その自然な感情に、外部からの微細な増幅痕跡が重なっています。」


カイの表情が変わる。


「誰かが利用してるってことか。」


レイナードは静かに頷く。


「可能性があります。」


「ただし、低次元体の勢力までは判別できていません。」


「侵食群か。」


「崩壊群か。」


「あるいは、別の未分類勢力か。」


「現時点では断定できません。」


そらが静かに尋ねる。


「レイナードさんとクロさんだけで、対処できますか?」


レイナードは少しだけ苦笑した。


「我々は元軍情報共鳴者です。」


「第四共鳴層《戦術共鳴者》。」


「低次元体の追放や、軽度の情報投影体の浄化なら可能です。」


クロが続ける。


「ですが、それは現役時代の話でもあります。」


「私達は今、大使館職員です。」


「訓練は続けていますが、大規模事案へ即応するには限界があります。」


元帥が目を細める。


「では、何が必要だ?」


レイナードは一瞬だけ沈黙した。


その沈黙は重かった。


やがて彼は、静かに言う。


「共鳴魂創ランスです。」


議場がざわつく。


クロがホログラムを切り替える。


青白い二本の槍。


情報の稲妻をまとったような形状。


「これはエィル文明の情報共鳴兵装です。」


「敵を殺傷するための武器ではありません。」


「情報層へ干渉し、負の共鳴を断ち切るための浄化兵装でもあります。」


情報局長が鋭く問う。


「その兵装はどこにある?」


「エィル外交船団に随伴する戦闘艦に搭載されています。」


その瞬間、銀河連邦側の将官たちが一斉にざわついた。


「戦闘艦から武装転送だと?」


「軌道要塞内へ?」


「それは軍事行為と判断されかねない!」


元帥も表情を硬くする。


「レイナード代表。」


「その危険は理解しているのだな?」


レイナードは深く頭を下げた。


「理解しています。」


「だからこそ、事前に正式な説明と許可をお願いに参りました。」


「もし緊急時に、我々が無断で共鳴魂創ランスを転送すれば。」


「銀河連邦軍は攻撃と判断するでしょう。」


「それは、同盟存続の危機を招きます。」


「それだけは避けなければなりません。」


議場が静まる。


レイナードの態度には、傲慢さがなかった。


上位文明として命じに来たのではない。


同盟国として、危険を共有しに来たのだ。


エリシアは静かに言った。


「つまり。」


「緊急時に限り、エィル戦闘艦から共鳴魂創ランス二本を、貴方とクロ副長の座標へ転送する許可が欲しい。」


「そういうことですね。」


「はい。」


レイナードは頷いた。


「使用目的は低次元体、または情報投影体への対処に限定します。」


「銀河連邦軍、民間人、施設への攻撃目的では使用しません。」


カイが頭をかく。


「信じろって言われても、普通なら難しい話だな。」


レイナードは静かに微笑んだ。


「ええ。」


「だから、説明します。」


「理解していただけるまで。」


「質問には全て答えます。」


そらはレイナードを見つめていた。


その穏やかな声の裏にある覚悟を感じていた。


この人は、戦いに来たのではない。


防ぎに来たのだ。


見えない何かが、この要塞を傷つける前に。


元帥はしばらく沈黙した後、ゆっくりと背もたれに身体を預けた。


「……続けてくれ。」


「低次元体。」


「情報投影体。」


「情報共鳴者。」


「我々が理解しなければならないことを、全て話してもらおう。」


レイナードは静かに一礼した。


「承知しました。」


その瞬間。


統合評議会議場の天井に映る星々が、ゆっくりと暗くなる。


中央ホログラムには、情報宇宙を示す深い青の層が広がった。


銀河連邦はこの日、初めて正式に知ることになる。


宇宙には、艦隊でも、要塞砲でも、防衛衛星でも撃てない敵が存在することを。


そして。


その敵は、外からではなく。


人の心の奥から、静かに文明を揺らす存在であることを。










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