難民船
世界暦3039年10月13日、時刻は1000時
波頭をかきわけ西進する、駆逐艦と水雷艇が四隻いる。
先頭を進む駆逐艦の露天艦橋の右端。
司令座に腰かけ、踏み台にちょこんと足を乗せるのは、ちっちゃな少女である。
いや厳密に言えば、少女のような海軍士官で、濃紺のコートに、金糸二重線の袖章。これでもかと長い白銀の長剣を腰に差している。
くせ悪い栗毛に濃紺の略帽をかぶり、色白の童顔には大きな琥珀色の瞳。
それが彼女、エセルフレッド・ベリックこと、エリー。
この戦隊を隷下にもつ、ウェストリア連立王国の海軍士官。
王立海軍代将、分遣艦隊司令官である。
「情報量が多い娘」
とは同行者兼副官の感想である。
副官ルイ・マルブールことルイは、珈琲色の瞳と髪のグリュッセン人で背丈は中肉中背、グリュッセン王国海軍の少尉だが、エリーの護衛係兼副官を務めている。
「小学生みたいだ。これで十八歳。しかも下っ端の見習い士官。それがなんといきなり戦時特例代将に祭り上げられ、時代錯誤も良いロングソードを帯剣して、お付きの副官に言わせると聖剣使いとくる。そうして何よりちっちゃい」
「余計なことは言わない」
エリーは副官に苛立つ。
今はふざけている場合じゃない。
「はやく合流しないと味方艦隊が危険だって言うのに」
エリーたちの前方に味方艦隊がいる。
さらにその前方には強大な敵軍が待ち構えている。
その情報を味方艦隊は知らない。
「無線封鎖を解除したいです」
エリーはダメ元でつぶやく。
「それはダメだ」
ルイは否定する。
「危険すぎる」
「坊やの意見は正しい。それは後々面倒だから、得策ではないな」
階級も敬意もすっ飛ばして、カーキ色の野戦服を着た大男が注意する。
情報担当官兼司令部参謀、王立陸軍のウォリス・バーカイト中佐は嗜める。
「俺たちが暗号解読していることを知らせてどうする?敵はすぐに暗号を変えるだろうさ」
「同感だ。今度はあたしらが敵に襲われちまう」
大男に賛同するのは屈強にして豊満な海賊紛いの女性士官。
エリーたちが座乗する嚮導駆逐艦〈ヴァンダ〉の艦長。
自由フサリスカ戦隊司令ヤトヴィカ・ザモイスキー少佐である。
いろんな国の士官から一様に反対され、エリーは押し黙る。
見かねた海賊女は吐息する。
「気持ちは分かるけれど、艦や部下どもを無駄死にさせるわけにはいかない。戦隊司令官として断固反対だよ」
「ヤトヴィカさん、艦隊への合流をお願いします」
前方を見据えたまま微動だにしないエリーに女海賊は項垂れる。
「ったく、正直、無茶すぎるんだよ。姫だってわかるんだろ?どうあがいても、間に合わない。合流前にやつらは襲ってくる」
「それでも、知ってるのに、見捨てる訳にはいかないんです」
これだけはエリーも譲れない。
「あぁもう、姫も律儀だねぇ」
「ヤトヴィカさん、お願いします」
女海賊は不承不承従うしかない。
「わかったよ。追いかけりゃぁ、良いんだろ?」
駆逐艦〈ヴァンダ〉〈ワシリーサ〉、水雷艇〈スクプ〉〈ドラテフカ〉の4隻は30ノットで航行している。
味方のグリュッセン王国艦隊、及び、難民を乗せた脱出船団は30海里も先を進んでいる。
発見から合流には1時間と30分は掛かるだろう。
女海賊が指摘する通り、間に合いそうにない。
しかも情報を知らせることができないとは。
もどかしくて、じれったい。
エリーは始終、落ち着けない。
1100時。
「前方に船影多数、方位250から280、距離22000、数10ないし11」
電探観測員の報告に露天艦橋は緊張する。
エリーは双眼鏡をのぞくも、見えるのは霞みがかった薄灰色。
天候悪く空と海の境界はあやふや。
視界は10000も無いだろう。
しばらくして前方に、ぽつりぽつりと黒い点が見えてくると
「あぁ、貨物船だなぁ」
まっ先に気付いたのは副官兼護衛係。
「ったく、隊列もなにもあったもんじゃない。こいつら単独航行してるぞ」
エリーは聞いて絶句する。
前方にいるのは、艦隊から落伍した、哀れな貨物船の群れだった。
どの船も難民で溢れかえっている。
鈍足で9ノットあればましなほう。
これでは敵潜水艦の餌も同様。
エリーは堪らず命令を発せずにいられない。
「作戦中止です。落伍した船は速やかにノールハーゲンに引き返してください。魚雷艇が誘導します。全船引き返してください」
手旗に発光に短距離無線電話に使えるものは何でも使った。
合わせて12隻の商船たちに反転を指示する。
が、返答に応じない船もいて
「難民代表者が反対していると言ってます」
「死にたいんですか?単独で航行するなんて、敵潜水艦に襲ってくださいって言ってるようなものです。ウェス艦隊司令官権限を行使します。今すぐ即刻、全速力で引き返しなさい」
強気のエリーに引き返していく貨物船から罵声や怒号が返ってくる。
「約束が違うじゃないか」
「なんで引き返さんといけんのだ?」
「この裏切り者、偽善者、大嘘つき」
聞いてて胸に刺さる悔しさや憤りをエリーは覚える。
身勝手極まりない誹謗に泣きたくなる。
たまらずメガホンに怒りをぶつけたのはルイだ。
「黙れこの利敵行為野郎」
エリーは心を鬼にして無視し続ける。
「エリー、気にしなくていい。俺たちの判断は間違いないんだ。30海里先は敵潜水艦の巣窟なんだ。君の判断は正しい」
真剣に弁護するルイがせめてもの救い。
副官はそっと微笑んで
「はやく艦隊を連れ戻さないといけないな」
「…うん」
どうにか頷いてみせる。
けれども、もどかしい悔しさが滲む。
艦隊と船団がノールハーゲンを出撃したのは早朝0500であったから、そろそろ艦隊に追いついても良さそうな頃合いではある。
進むにつれ、落伍した貨物船や貨客船が次々見えてくる。
大方10ノットから11ノットの鈍足船が目立つ。
みな一様に難民を満載して必死に煙を焚いている。
もはや船団の体すら為していない。
当然だ。
船足の違う貨物船と貨客船、それに客船を加えた船団が足並み揃うには、どう頑張っても8ノットの航行が精いっぱい。
それを低速船のカタログスペック限界の15ノットで挑もうとしたのが全ての間違いだ。
「民間人を貨物船に乗せるのは常識的に間違いなんだよ」
無論、航行距離が短く厳重に護衛艦艇を配しているなら話は別。
とは言え、旅客設備のない船に押し込んでしまうなんて、やはり人道的ではない。
「人を物みたいに運ぼうとするのは軍人の怠慢だと思う」
エリーは恩師の受け入れを口にする。
奇しくも士官学校の教官は船団護衛の専門家。
こんな形で基礎を復習するなんて思いもしなかった。
嘆いても、沖に出てしまっていてはどうしようもない。
1200時
「対空電探に反応!極めて大!」
〈ヴァンダ〉の貧弱な対空電探が、航空機の大編隊を捉える。
前方、針路090、30海里先で戦闘はすでに開始されていた。
戦いの状況は接近するにつれ明らかになってくる。
曇天の空に高角砲弾の弾幕が散り散りに咲いて、洋上のいたるところ黒煙が幾重にも噴上げている。
戦闘開始20分。
もはや無線封鎖は意味を為さない。
グリュッセン艦隊も遅まきに
『敵ノ大編隊ト交戦中、損害艦艇多数』
状況は最悪に近かった。




