大馬鹿野郎
――時間は少し遡る。
「ふー追っかけては来ないみたいだな」
後続を振り返り誰もいないことを確認して一息ついた。
この結果を招いた原因は単に運がなかっただけだと思う。実際、あれだけ広い敷地で誰とも出会わずに外に出られたのは運が良かった、逆にあそこで建物の持ち主であろう人物が帰ってきたのはタイミングが悪かっただけだ。
どちらしにしても、もう一度あの建物に客として出向くのは無理だろう。
「追いかけられなかったけど、残された言葉があれじゃなぁ。どう考えても不審人物そのもの……よりも悪いな」
本気ではないと思うけど、殺す気満々だった。
「それにしてもでっかい城だな」
念には念を入れて結構な距離を走って逃げてきたというのに、さっきの建物は堂々と森の木々の高さを遥かに超えて見えている。月ほどにも手が届きそうなくらい。
あんな城に暮らしているぐらいだから、さっきの男の人が大金持ちの主人なのだろう。何人もの付き人を引き連れていたのだから間違いない。
「いいなぁ」
バイトバイトの毎日で、生きていくのがやっとの僕とは大違いだ。
「羨ましい……」
近くの大木に背中を任せ座り込む。
「別にしんみりとした気分になったわけじゃない、決してない!」
ただ当初の計画とズレにズレた所為で、どうしたらいいのか考えなくちゃいけなくなった……だけ。
「だいたい城があったんだから城下町のような場所に暮らす住民はもっといるはずだ。それはそれは僕に近い(城とはかけ離れた建物に住む人間)存在が大勢、わんさか」
……でも、逃げている最中にそんな雰囲気は微塵もなかった。
「……まぁ、あれだな寒いってわけじゃないしね。あははは、一泊ぐらい野宿したって慣れているよ」
途中、もたれていた木に抱きついた。
「僕の味方は君だけだよー」
風に煽られてなのか、まるで返事をするように森がざわつく。
「しくしくしく」
……悲しくなった。木にすがるほど追い込まれている。
「本気でどうするかな」
とまぁ、弱気になっていても真剣に考えなければいけない。時計が無いから正確な時間は分からないけど、腹の状態から言ってまだ昼ぐらい、最後に時計を見た時とさほど進んではいない。辺りは空が夜を表していけど、たぶん間違っていないはずだ。時差ぐらいに考えて相違ない。
「今が夜だとして、こっちの人達が行動を起こすのはもう少し先。寝て時間を合わせるしかないか。明
るくなってからの方が、人が居そうな場所も見つけやすいはず。さっきみたいな対面はもう二度と御免だ」
そうと決まれば体をずらしながら根の幹を枕代わりに横になる。森の音だけの森林浴は心地がいい。
……心地はいいのだが、体は全く眠くない。
「寝れても数時間が限界だな、これは」
毎日バイトをしているだけあって体力はまだまだある。
「建物だけでも探しに行こうかな……、それとも城にもう一度行ってみるか、いやいやそれは最終手段だな。もう少しほとぼりが冷めるぐらいの方がいい。なにせ今出向いても――っ!?」
自分の行動に迷いが出始めた直後――突然、ガサゴソと森が鳴った。
反射的に上体を起こし警戒を強めた。
当たりの音に集中する。
息、心音、風、森、聴こえてくるのはそれだけだった。慣れない土地に来てから、落ち着くなんてできていないから神経が高ぶっているのかもしれない。
一度大きく息を吸い吐き出す。いつまでもこんな状態は保っていられないし、仮に保ってもこの先体が持たない。
だから、
「――さすがに大丈夫か、追いかけては来ていなかったはずだもんな。実は反対側から『侵入者を見つけた!』なんて、別働隊が追いかけたりしていないかぎりはね。あははは」
そんな冗談を一つ交えた。
だが、
「侵入者を見つけたっ!」
「冗談ですからぁあああああああああああああ!」
もはや冗談にも歯止めがきかないじゃないか。
黒服の男性やらメイド服らしき恰好の女性まで、城の反対側から目的を僕に設定して追いかけて来る。
飛び起き、声がした方と城とは別の方へと走り出す。
「一人はパーバス様に報告しろ!」
後ろからそんな声が聴こえたがそんな話をしていていいのかな? 僕の逃げ足を見くびってもらっては困る。
腕を大きく振り上げ、太ももを上げる。
ギュン!!
「はやっ、逃げ足はやっ!」
そんな凡人の声が聴こえた気がした。
二度、三度と追跡者に見つかることがあったものの、一度となく捕まりそうになることはなかった。
「ほ、ほっ、ほっと」
不思議と走りやすい森の中を軽快に逃げ切り、余裕が出る。まるで幼少期の鬼ごっこのようだ。
「このままだと楽でいいんだけどな。ついでに森から抜けられれば何かあるかもしれないけど」
森を抜ければ、他に何かある可能性だってある。だけど、すぐにその考えに至らなかった理由もあった。城の中で見た森の敷地面積は遥かにでかい、それは森で地平線が見えてしまうほど。最悪アマゾン並みかそれ以上、とてもじゃないが人の足では抜けれそうにない。
「ま、無理だな」
現実的に森を抜けるにしても乗り物が必要、それを使うにしても結局人の手を借りるしかないのだ。
「さーて、逃げる経路でも探しておこうかな」
「ほぉ、余裕だな侵入者」
「いっ!?」
全くと言っていいほど気付かなかった。声を掛けられて初めてその存在がすぐ傍まで来ている事に驚く。
そして、同時に思う。今までと格が違う。
「顔つきが変わったな。我が名『オルガロ・パーバス』と知ってか知らずか、私の力を感じ取れる程度の者。だが、所詮はその程度だろう。そろそろ諦めろ」
徐々に後退する僕を追い詰めるように、月明かりの元に現れるその少年は初めから僕を見下しきっている。人を馬鹿にする態度、人の心を煽り焦らせるかのような口調。
「ふふ」
そう感じ取った僕は笑ってみた。
「なにがおかしい?」
不思議そうな表情で僕を見る少年。
僕の笑みの意味は分からなかったようだ。
それなら教えてやってもいい。
見る限り、僕と年齢はそんなに変わらない少年が自信に満ち溢れ、ただ口調が威圧的なだけ。身長も大して変わらないだけの少年なんて、ごつい兄ちゃん的に囲まれた時の事を思い出せばなんてことはない。
だから、僕は言ってやる、僕の秘密を!
「これだけは言っておくぞ!」
じり、と少年が警戒したのが見て取れる。
その時僕は放った、最大で最高の屈辱だった出来事の話しを。
「僕は一度小学生にカツアゲにあいそうになったことがある!」
当然、その時だって逃げ切った。それから僕にはある自信ができた。どんな年齢の、どんな性別だって僕は逃げ切れる! と。
「頭がおかしいのか」
「失礼っ、それって失礼だ!」
この話を聞いて全く動じないとは、なんて心が冷めきった少年なんだ。
「くだらん、話は終わりだ」
「ひぃいいいいいいいいいいいいいっ!」
冷めきったとは思ったけど殴りかかって来るとは思わなかった。僕は無様に頭を抱えてしゃがむことで避けられたけど、今までの人生で初のグーパンチを食らう所だ。平手はつい最近喰らったばかりだけど、パーよりもグーの痛みは遥かに重い。
少年が言った通り話は終わりだ、今すぐこの場から逃げる!
「さようならっ」
別れの言葉を残し全力でその場から離れる。
「いっ!?」
ところがあれ程逃げやすかった森で足を取られる。さっきまで気付かなかっただけなのか、木の根が僕の足に絡みついていた。暗闇で見逃したか。
「うっそっ!」
地べたに倒れ込んでしまった僕に告げられる言葉、
「間抜けめ」
少年の腕が人を殴る形を作る。
「わわっ」
顔面だけは、せめて体にしてほしくて腕で顔を塞ぐ。
ガサっ!
「なにっ!?」
「ら、ラッキー!」
殴られる直前上から草が付いた木が落ちてきた。そのおかげで少年の拳は落ちてきた枝を払うことに使われる。
「ありがとうっ、唯一の僕の味方!」
状況が変わったことに思考するよりも僕の身体は逃げることに反応できる。傍の木を手で押し、体を起こすとともに反動を付ける。そのまま蛇行しながら次々に木々をすり抜けていた――のだが、やっぱり今までと違う。
「ふん、逃げられると思うことが不思議で仕方ないな」
「そんなアホな!?」
思わず呆れてしまう少年の姿。
少年は浮いていたのだ。
正確には言えば一定時間浮いていた。置き去りにしたと思い、前を向いた時には一陣の風が僕の経路とは別に通り過ぎる。何が起きたのか後ろを振り向いて見れば、地面に少年の足跡と思われる凹んだ地面がくっきりと残されていた。
「跳躍っ!?」
それにしたって十数メートルを遥かに超えて、まだ足は地面に降り立っていない。しかも、空中で反転したと思えば僕の姿を視覚で捕らえる。
「使用人達と一緒にするなよ」
少年が余った速度を地面に足を延ばすことでブレーキを掛ける。
「あ、ちょっと!」
「訊く耳持た――んっが!」
危ない! そう言おうと思った時には遅かった。反転して後ろが見えなくなってしまったせいで大木に気が付かなかったようだ。ぶつけた頭を押さえ、苦しんでいる様子を横目で見ながら通り過ぎる。そのついで、大木を見るといい感じで突起物が幹からでていた。
「確かに黒服とメイドの女の人達はぶつかったりはしてなかったよぉおお!」
少年が言う違いを思い起こしながら、
「でも、あんなとこに木なんてあったかな?」
一気に僕は速度を加速させ逃げ切った。
何度か後ろを振り向いて安全を確保してから小休憩を挟みたい。体感で数時間にも感じる中での走りはさすがに辛いからだ。
「はぁ…………はぁ………………はぁ」
呼吸が乱れ、肺が悲鳴を上げ始めていた。この先も続くなら本格的な休憩を取らないと持たない。それに体力的にここまで削られている他、いつまで続くのかという精神的な物が無くなっていないほうがもっとマズイ。
森の端から端を走ったつもりでいるのだけど、一向に森から出られないうえに追跡者には見つかる。直線に逃げているつもりでも、グルグルと大きく同じ場所を回っている可能性があった。
「はぁ……休憩……はぁはぁ、できそうな……場所」
大木を支えに進んでいくと明るく照らされている開けた場所がある。さすがにその中で休むわけにはいかないけど、逆にこの近くで休憩しているとも追跡している人達は思わないだろう。
本当ならもっと安全な木の上とかで休んだ方がいいのだろうが、登る力はもう残っていない。適当な草むらをベッド代わりに倒れ込み、一つ大きな深呼吸をした。
思った以上に僕は疲れていたようだ。
そのまま、意識が途絶えた。
どれくらいの時間がたった頃か、緊張状態での体は熟睡とはいかないようで近くで聴こえてくる複数の声で次第に瞼が持ち上がる。
「マル、…………見……る………………う?」
「……情…………ない、………」
「…………、王……………………、…………不規則」
「…………、隠れている」
「……。……………………」
「…………。気配…………」
「……、……お城…………」
まだ覚醒とは言えない眠気が残り、言葉の断片しか頭に入ってこない。それでも近くに誰かいるとなると逃げる事は忘れてはいけないわけで、仰向けからうつ伏せになり、肘をたて第四匍匐前進で様子を窺いに行く。
「(ふわぁー、……………? あれ、草むらってこんな身を隠すほどだったかな……?)」
頭は重いは、疲れでだるいはで、もうわけが分からなくなっている。そんな雑な匍匐前進で草むらがガサッっと音をたてた。
音が消える。
「(……ん? 誰もいなくなったのかな……?)」
そろそろ寝る前の記憶も徐々に思い出され、月明かりの広場があることを思い出す。そのまま明かりを求めるけど、草が邪魔で見えにくい。もう少し前へ出ることを試みようと、そこで草むらが途切れていた。
首から上が草むらから飛び出た。
そして、完全に目が覚めた。
しまった、と思うよりも早く僕の目に少女は映る。
風で木の葉が舞い降りるその下で、月明かりの元という幻想的な風景に溶け込むその姿は神秘的で目を奪われるなという方が無理だった。
少女は髪を掬い風に乗せ、僕の動きは完全に止まる。
「綺麗だ」
それでも口にできたその言葉を最後に、とうとう僕と少女の視線が絡むことはなかった。
「うげっ、いたたたたたたたっ」
誰かに両腕を捻られ僕は地面に押さえつけられていた。
僕は馬鹿野郎だ、こんな大事な時に女の子に目を奪われるなんて。
「お嬢様どうなさいますか?」
「…………殺す?」
――でも、それは大間違いだった。
声の質で女性が二人、一人は不吉な発言する。
しかし、そんなことよりも仄かないい香りが漂うことに神経が研ぎ澄まされる。さらに! 全身を使って僕を押さえつけているもんだから、筋肉質の男と違って柔らかい感触、その中の一つはポヨンと表現できる柔軟さがあるのだ!
「えっへへへ」
そう僕は―――大馬鹿野郎だった。




