第一章 合格
魔法が好きな少年レオ。憧れの学校から届いたのは、合格通知と、思いもしなかった難題でした。
「母さん、受かりました!王立魔法学園に、受かりました!」
レオは合格証を握りしめたまま、台所へ駆け込んだ。
洗い物をしていた母のリサンドロが振り向く。レオの手元を見ると、慌てて布巾で手を拭いた。
「本当に?ちょっと見せて」
差し出された紙を、母は両手で受け取った。
一行ずつ確かめるように目を通し、それからレオの顔を見る。
「合格……本当に合格したのね」
「はい!」
「すごいわ、レオ。あの、優秀な子しか入れない王立魔法学園に……」
母は合格証を持ったまま、レオを抱き寄せた。
「よく頑張ったわね。母さん、自慢だわ」
レオも母の背中に腕を回した。
勉強しているうちに、夜が明けてしまったこともあった。魔法の練習に夢中になり、夕飯に呼ばれたことに気づかず、叱られたこともある。
それでも続けてきてよかった。
これで、もっと魔法を学べる。
「入学の案内も来てます。いつまでに返事をすればいいのか、一緒に見てもらえますか?」
「ええ、もちろん」
母は嬉しそうにうなずき、同封されていた冊子を開いた。
ところが、何枚かめくったところで、その手が止まった。
「母さん?」
「……入学金と、授業料。それに寮費を合わせて、最初の一年で三十ゴールド……」
母の指先が、同じ行を何度もなぞった。
「三十ゴールドって……」
レオは母の顔を見た。
細かな家計までは知らない。それでも、三十ゴールドが簡単に出せる金額でないことはわかった。
母はしばらく冊子を見つめていたが、やがて顔を上げた。
「大丈夫。母さん、少し相談してみるから」
*
その日から、母は親戚や近所の家を訪ねて回った。
朝早く出ていき、夕方まで戻らない日もあった。帰ってくると、決まって「もう少し待ってね」と言った。
数日後、母に呼ばれた。
向かい合って座ったものの、母はなかなか話し始めなかった。膝の上で両手を握り、うつむいていた。
「レオ。ごめんなさい」
それだけで、何を言われるのかわかった。
「どうしても、お金が用意できないの。あちこちお願いしてみたけれど……家にある物を全部売っても、足りなくて」
「母さん……」
「あんなに頑張ったのに。せっかく、合格したのにね」
母の膝に、ぽつりと涙が落ちた。
レオは何も言えなかった。
ライオンハート家は貴族だった。
ただし、領地はない。財産と呼べるようなものもなく、住んでいる屋敷も、壊れたところを直せないまま暮らしている。
いわゆる没落貴族だった。
下級騎士である父は、冒険者の仕事をするために何か月も家を空ける。しかし、長く留守にしたからといって、十分な稼ぎを持ち帰れるわけではなかった。
母も、ほかの貴族の家から本の写本やドレスの仕立て直しを請け負い、暮らしを支えていた。
服を買ってほしいと頼んだことは、ほとんどない。
本も、買うより図書館で借りるものだった。
それなのに、学校のことだけは、頑張れば何とかなると思っていた。
試験にさえ受かれば、憧れの王立魔法学園に通えるのだと。
国王が自ら設立した、貴族の魔法使いを育てる学校。その立派な校舎や充実した授業に、いくらかかるのか。考えたこともなかった。
母が目元を拭った。
「もう一度、お父さんの知り合いにも……」
「母さん、大丈夫です」
レオは、できるだけ明るく言った。
「王立魔法学園じゃなくても、魔法を学べる学校はありますから」
「でも、あなたはずっと……」
「州立農業魔法学校なら、僕の成績で奨学金をもらえるそうです。前に、初級学校の先生が教えてくれました」
そのときは、王立魔法学園に行くつもりだったので、詳しく聞かなかった。
今度、改めて相談してみよう。
「農業魔法も、面白そうですし。そこで勉強します」
母は返事をせず、レオを抱きしめた。
肩に顔を押しつけられ、泣いているのがわかった。
レオは母の背中に手を置いた。
合格した日に抱きしめられたときとは、ずいぶん違っていた。
その夜、レオは王立魔法学園へ送る手紙を書いた。
『学費を用意することができず、残念ですが、入学を辞退いたします。』
*
「首席合格者が入学を辞退したというのは、本当なのかね?」
王立魔法学園の会議室で、校長のアスガルドが尋ねた。
居並ぶ教授たちは、互いに顔を見合わせた。
「はい。本人から、辞退の書状が届いております」
召喚魔法を担当するマチルダ教授が答えた。
「レオ・ライオンハート。没落した貴族の家の子だそうです。学費を用意できないことが、辞退の理由だと」
「学費……?」
アスガルドは眉を寄せた。
「首席だぞ。今年の試験は、決して易しくなかったはずだ。そんな学生を、入学する前に手放してどうする」
「そうおっしゃられましても」
防御魔法担当のアントニウス教授が、校長を見た。
「私は数年前から、貧しい家の学生のために奨学金を設けるべきだと申し上げてきました」
「うむ。それは覚えておる」
「その際、貴族の学校に、学費も払えないような者は必要ないとおっしゃったのは、校長でしたが」
アスガルドは口を開きかけ、閉じた。
会議室が静かになった。
「……まさか、学費を払えん学生が首席になるとは思わんだろう」
「試験では、家の財産まで調べませんので」
「わかっておる」
アスガルドは机の上の書類を引き寄せた。試験結果に目を通し、落ち着かない様子で顎を撫でる。
やがて、隣に座っていた副校長へ顔を向けた。
「クリスティーナ。君に会ってきてもらいたい」
それまで黙って話を聞いていたクリスティーナが、顔を上げた。
「その学生に、ですか?」
「うむ。君の目で確かめてきてくれ。奨学金の制度を新しく作ってでも、我が校に迎えるべき学生かどうかをな」
「そう判断した場合は?」
「私が直接、陛下に申し上げよう。まずは首席入学者の学費を支援する制度から、話を進める」
クリスティーナは校長をしばらく見つめていたが、やがて席を立った。
「わかりました。すぐに行ってまいります」
会議室を出ると、クリスティーナは箒を手に取った。
目的地は、コンサス州。
王立魔法学園に首席で合格しながら、入学を断った少年の暮らす場所だった。
*
コンサス州には、広い平原と農地が続いていた。
州立農業魔法学校を出た魔法使いたちが、天候や土壌を管理している。その豊かな収穫が、国中の食卓を支えているといわれる州だ。
上空からも、畑の間を流れる用水路や、手入れの行き届いた農地が見えた。
もっとも、これだけ広ければ、どこも同じように管理できるわけではない。乾いて白っぽくなった畑も、ところどころにあった。
数時間後、クリスティーナは一軒の屋敷の前に降り立った。
「……ここで間違いないわね」
手元の住所を確かめる。
屋敷は大きかった。かつては立派な家だったのだろう。
今は外壁の一部が崩れ、窓には板が打ちつけられていた。屋根にも修繕の跡がある。玄関までの道だけは、きれいに掃かれていた。
クリスティーナは扉を叩いた。
「ライオンハートさん、いらっしゃいますか。王立魔法学園から参りました」
中で物音がした。
しばらくして扉が開き、一人の女性が顔を出した。
「王立魔法学園……?」
「副校長のクリスティーナと申します。レオさんのお母様でしょうか」
「はい。リサンドロです。あの、息子のことで何か……」
「少し、お話を伺いたくて」
「そ、そうでしたか。どうぞ、お入りください。何もないところですが……」
通された部屋には、古いテーブルと椅子が置かれていた。
椅子の背には補修の跡があり、戸棚の取っ手も一つだけ形が違う。どれも捨てずに直しながら使っているらしかった。
リサンドロが茶を用意する間、クリスティーナは渡された椅子に腰を下ろした。
「今日は、レオ・ライオンハートさんにお会いしたいのですが」
「申し訳ありません。今、近所のお手伝いに出ていまして。そろそろ帰ると思うのですが」
「お手伝い、ですか?」
「ええ。このところ雨が少ないでしょう。近所の畑を回って、雨を降らせているんです」
クリスティーナは、出された茶に伸ばしかけた手を止めた。
「雨を?」
「はい」
「レオさんは、初級学校を卒業したばかりでしたね。確か、十二歳の」
「そうです。本人は大したことではないと。畑をいくつか潤すくらいだと申していました」
リサンドロは、何かおかしなことを言っただろうかという顔をしていた。
クリスティーナは茶を一口飲み、カップを戻した。
雲を集め、雨を降らせる。
それは中級に分類される魔法だった。四年制の王立魔法学園でも、通常は二年生になってから学ぶ。
さらに、周りを濡らさず、必要な農地だけに降らせるとなれば、細かな制御が必要になる。
*
「ただいま戻りました」
しばらくすると、玄関から少年の声が聞こえた。
「レオ、こちらへいらっしゃい。学校の先生がお見えよ」
「学校の?」
部屋に入ってきたレオは、クリスティーナを見ると足を止めた。
ズボンの裾に土がつき、袖もまくったままだった。慌てて袖を下ろし、頭を下げる。
「こんにちは。レオ・ライオンハートです」
「王立魔法学園で副校長を務めている、クリスティーナよ」
「副校長先生……?」
レオの視線が母へ動いた。母も困ったように首を振った。
「あなたの辞退の手紙を読んだわ。それで、今日は確かめたいことがあって来たの」
「手紙に、何か不備がありましたか?」
「いいえ。きちんと書けていたわ」
クリスティーナは、向かいの椅子を示した。
「座って。これから、いくつか質問と実技の試験を受けてもらいたいの」
「試験、ですか」
「結果によっては、あなたの学費を免除できるかもしれない」
レオは椅子に座りかけた姿勢のまま止まった。
「学費を……?」
「まだ決まった話ではないわ。私に、ここで約束することもできない。ただ、あなたを迎えられるよう、学校に働きかけるつもりよ」
「それじゃ、僕も王立魔法学園に通えるかもしれないんですか?」
「ええ。そのために、あなたの力を見せてほしいの」
レオは母を見た。
母は両手を胸の前で重ね、何度もうなずいた。
「受けます。何でも聞いてください」
今度はきちんと座り直して、レオは答えた。
「では、まず風の魔法から。先月の筆記試験に、風を起こす術式の問題があったでしょう。覚えている?」
「はい。山頂から谷へ風を吹かせる術式と、その逆向きの風を起こす術式でした」
「そうね。では、それに火の魔法を組み合わせて、谷に炎の竜巻を起こすとしたら。あなたなら、どういう術式にする?」
隣で聞いていたリサンドロが、落ち着かない様子でレオを見た。
これは入学前の子供に尋ねる問題ではない。
王立魔法学園の二年生でも、すぐに答えられる学生は限られるだろう。クリスティーナは、まず難しい問題を出し、どこまで考えられるかを見るつもりだった。
「ええと……」
レオは少し視線を落とした。
「山頂から谷へ風を吹かせるときは、山頂側の気圧を高く、谷側を低くしますよね」
「ええ」
「その風に火炎魔法を組み合わせます。さらに威力を上げるため、谷の一か所に枯れ葉や小枝を集めておきます。それから、燃やす場所に酸素を集め、火をつけます」
「それだけで、竜巻になるかしら?」
「いえ。熱くなった空気は上へ昇りますけど、それだけだと、ただ燃えるだけになると思います。だから、周りの風が同じ向きに回り込むように調整します」
レオはテーブルの上で指を動かし、円を描いた。
「真ん中は火の熱で上へ。周りからは、少しずつ向きをずらして風を入れます。そうすれば、炎を巻き上げられると思います」
クリスティーナはレオの指先を見た。
暗記した呪文を答えているのではない。
何を起こせば目的の魔法になるか、その仕組みから考えている。
「……では、風を強めすぎたら?」
「火が散ってしまいます。先に小さく回して、炎が安定してから強くします。酸素も、一度に集めすぎない方がいいと思います」
「なるほど」
クリスティーナは姿勢を正した。
「次の質問よ」
そこから、いくつもの問いを重ねた。
風向きが変わった場合の修正。
火の勢いを落とす方法。
複数の魔法を同時に使うとき、どこに気をつけるか。
レオは時折考え込んだが、長く黙ることはなかった。わからない部分はわからないと言い、そのうえで自分なりの方法を説明した。
クリスティーナも、いつの間にか用意していた質問だけでは済まなくなっていた。
「……では、質問はここまでにしましょう」
ひと区切りつけたときには、茶はすっかり冷めていた。
「次は外へ出て、実際に魔法を見せてもらうわ」
*
屋敷の裏には、周りに建物のない空き地があった。
クリスティーナはその一角を指した。
「あそこに雨を降らせられる?お母様から、近所の畑で使っていると聞いたの」
「はい。あの草が生えているところまでで、いいですか?」
「ええ。それでお願い」
レオは少し空を見上げた。
やがて、空き地の上に薄い雲が集まり始めた。
白かった雲が厚みを増し、その下から雨が落ちてくる。初めはまばらだった雨粒が、ほどなく地面をむらなく濡らした。
クリスティーナは雨の降る場所へ近づいた。
一歩先の土には、雨粒が次々と落ちている。
しかし、自分の靴には一滴もかからなかった。
「範囲を、もう少し狭くできる?」
「はい」
雨の降る場所が小さくなる。
「そのまま、奥へ移してみて」
雲がゆっくりと動き、雨もそれについていった。
クリスティーナは、しばらく黙ってその様子を見た。
「……もういいわ。ありがとう」
レオが手を下ろすと雨はやみ、雲も薄く散っていった。
続いて風と火の魔法を試した。
レオは指示された強さに風を変え、小さな炎を保ったまま形を整えた。威力だけに頼るところがなく、止めるときにも乱れが少ない。
どれも、すでに中級の水準に達していた。
「これを、初級学校で習ったの?」
クリスティーナが尋ねると、レオは首を横に振った。
「学校で教わったこともありますけど、ほとんどは州立図書館の本です」
「図書館?」
「魔法の本を借りて、家で練習しました。わからないところがあったら、別の本を探したりして」
「教えてくれる先生は、いなかったのね?」
「はい。だから、間違って覚えているところがあるかもしれません」
レオは少し不安そうになった。
「あの、さっきの魔法も、どこかおかしかったですか?」
「いいえ」
クリスティーナは、思ったより強い声で答えてしまった。
レオが目を丸くする。
彼女は一度咳払いをして、言い直した。
「よくできていたわ。とても」
「よかった……」
レオはようやく肩の力を抜いた。
その顔には、試験を終えた十二歳の少年らしい安堵があった。
*
試験が終わる頃には、日が暮れかけていた。
リサンドロに勧められ、クリスティーナは一晩泊まることにした。
用意された部屋の窓は、木枠が少し歪んでいた。それでも寝具は清潔で、机の上には明かりも置かれていた。
クリスティーナは机に向かい、便箋を広げた。
何から書くべきか、少し考える。
筆記試験の成績。
今日の受け答え。
雨を降らせたときの、あの正確な制御。
詳しい報告は、帰ってからでもできる。
まずは校長に、結論を伝えるべきだった。
『レオ・ライオンハートは、魔法の天才です。
独学で中級魔法を習得し、その仕組みまで理解しています。ぜひ、当校に迎えてください。
この先の学び次第では、魔法の歴史に名を残すほどの魔法使いになるかもしれません』
読み返しても、大げさだとは思わなかった。
クリスティーナは手紙を折ると、机の上に小さな魔法陣を描いた。
淡い光が集まり、一羽の鳩の形になる。
手紙をくわえさせ、窓を開けた。
「校長先生のところへ。急いでね」
鳩は一度羽ばたくと、暗くなり始めた空へ飛んでいった。
レオの実力を知ったクリスティーナ。あとは校長が、学費の問題を解決できるかどうかです。




