今日から始まる新生活。
社長は、御曹司の恭一が借り手の付かない、普通の人なら敬遠する貧乏臭い物件を嬉々として契約を申し込んだ事に驚きを隠せなかった――
「お金持ちのおぼっちゃまの気まぐれだな。直ぐに嫌になって解約するに決まっている。大体、経済力を考えれば、一戸建てかタワマンだぁ、賃貸なんて有り得ない……貧乏人ごっこなら、余所でやって貰いたいねぇ」
事務員は、重要事項などを説明すると、契約書の署名捺印を済ませ、敷金礼金と前家賃を預かり、社長に確認をした――
「ハイハイ、確かに。決断が早いのが一流の証しってかぁ? 今、領収書を書くからねぇ」
「それでは、現地まで御案内します。大家さんにも立ち会って頂きますので」
「えぇ。宜しくお願いします」
「えっと? ご一緒されますよね?」
「いえいえ、私はまだ仕事が有りますので、これで失礼します」
「あぁ、めぐみさん。お忙しい中、有難う御座いました。散々、歩いても決まらなかったのに……良い不動産屋を紹介して頂いたお陰で、とても良い物件に巡り合えましたよ。やはり地元の人の紹介と言うのは違いますね」
「良かったです。これで、一応、お役御免ですかね? では、さようなら」
めぐみは、喜多美神社へ戻り、恭一は、事務員と共に新しい生活拠点に車で向かった――
〝 ブゥ―――――ン、キイ――ッ。バタンッ! バタンッ! ″
「到着しました。此方で御座います。足元にお気を付け下さいませ」
「あぁ、ありがとう」
鍵を開けて中に入ると、部屋の説明を受けた――
「広いし、日当たりも良いじゃないですか。しかも、脇道から入った奥なので、生活音も無くて、とても静かですね。これは、想像以上ですよ」
「まぁ。気に入って貰えて良かったですぅ」
「お風呂も、異常は見当たりませんが?」
「間も無く、大家さんが来ますから、その時に説明をして貰って下さい」
部屋の窓を開けて空気を入れ替えると、カビ臭さが際立ったが、恭一はそんな事を一切気にしていなかったので、事務員は安堵した。そして、大家がやって来た――
「あぁ、どーもどーも。今、仕事から手が離せなくて。お待たせしてすみませんね」
「大家さん。此方が契約して頂いた稲村恭一様です」
「えぇ?」
「そして、こちらが大家の滝沢さんです」
「初めまして。稲村と申します。これからお世話になりますので、宜しくお願い致します」
「あっ、いやぁ、日本光学の社長の……稲村さんですよね?」
「いいえ、元社長です。僕はもう社長では有りません。無職です」
「はぁ……」
「あ、無職とは言え、家賃は何十年分払える貯えが有りますので御安心を」
「えぇ……はい」
「とても良い物件で、気に入りました。お風呂に問題が有ると云う事ですが、外見上は問題が無さそうですが?」
「あぁ、浴室の床がモザイク・タイルでしょう? 小さなひび割れが有って、床下に水が漏れてしまっているのです。それで、湿気がたまって、この建物中がカビ臭いのです」
「あぁ、なるほど」
「それで、業者に頼んで見て貰ったら、水道が特定出来ないし、リフォームするしても、かなりの費用が掛かると云う事で、借り手が付かないと無駄になってしまうと言われまして、結局、そのままにしていたんです」
「そう云う事ですか」
「しかし、借りて頂いた以上、此方で修繕致しますので。只、職人さんが捕まらないと、二週間か……下手をすると、一ヶ月くらいは使えないのですが?」
「あぁ、大丈夫ですよ。お風呂位、何とでもなりますから。あはは」
「そうですか……いやぁ、突然の契約で……もし、お嫌でなければですが、家の風呂を使って頂いても構いませんから。その時は声を掛けて下さい」
「有難う御座います。でも、ご迷惑じゃ有りませんか?」
「いやぁ、何年も借り手が見つからなくて放置していたので、それ位の事は……」
「そんなにお気遣い頂かなくても……大家さんが良い人で良かったです」
「いやぁ、こちらこそ、良い人を紹介して頂いて、感謝しか有りませんよ」
暫く世間話しをした後、大家と不動産屋は帰って行き、恭一は、部屋に一人残された――
「電気ガス水道の契約が完了するまでは、キャンプだと思えば良いさ……さて、生活の基盤を整えるために、買い物に行かなければならないな……」
恭一は、自分の部屋に鍵を掛けて出掛ける事に小さな喜びと興奮を覚えた。そして、通りに出るとバイク屋の前で足を止めた――
「あぁ、バイクかぁ……」
並べられたバイクをぼんやりと眺めていると、店の主が声を掛けて来た――
「いらっしゃい。何か気になる奴が有りますか?」
「いや、この裏に引っ越して来たので、バイクが有れば便利かなぁ……って」
「そうですねぇ。通勤や買い物だけならね。昔みたいに気軽に停められないからねぇ……出先に停める所が有れば便利な事この上ないですよ。この辺は、道が狭いし、入り組んでいますから」
「そうですよね。お奨めのバイクって有りますか?」
「まぁ、用途にもよりますがねぇ……生活用だったら原付二種ね。リッター60km以上走れますから」
「60㎞!? それは、凄い性能じゃないですか?」
「まぁ、カブ系のエンジンですからね」
「種類が沢山有りますけど、どれが良いのでしょう」
「一番人気はCT125ハンター・カブ。これならデカい箱を付けてキャンプ・ツーリングも出来ますし、ロータリー・ミッションですからクラッチ操作も要りませんし、ピリオン・シートを付ければ二人乗りも可能です。隣のモンキーはクラッチ付きの5速で、小さいけれど侮れない本格的バイクですが、一人乗り。そこのDAXはスチール・モノコック・フレームでバナナ・シートね。二人乗りが楽しいバイクですから、彼女を乗せるならこれが一番ですよ。で、それは泣く子も黙るカブ。スマート・キイにチューブレスで利便性が一番です」
「一長一短有ると云うより、個性が磨かれていて、どれを選んでも間違いは無さそうですが……それ故に、目移りしますよ」
「まぁ、跨ってみて下さいよ。ポジションが良さそうな奴を選べば、間違いは有りませんよ」
恭一は、ハンター・カブとDAXが気に入ったが、キャンプをする計画も無ければ、二人乗りをする相手も居ない事を思い出して、モンキーにする事にした――
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