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歴史における通説と私見  作者: 鹿島三塁手
第一章 越後上杉、長尾家の暗闘
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上杉謙信の養子たちと御館の乱

 上杉謙信には4人の男子の養子がいたと伝わってます、景勝、景虎以外の2人は、その後どうなったのでしょう。

 上杉謙信は生涯妻帯しなかった武将と言われていますが、その分養子をとることが多かった武将です。今回はその中でも男性の養子の4人について簡単に述べていきます。


 上杉景勝(1556-1624)は父親が上田長尾家当主の長尾政景、母は謙信の異母姉(晴景の同母妹)の仙桃院の子として生まれます。幼名は喜平次、後に長尾顕景(あきかげ)謙信の養子になり景勝と名乗ります。仙桃院は母は上条上杉家の娘で、父親である長尾政景も祖母が上条上杉家の娘であったため、上条上杉家の血を父母の両方から引いていることとなります。そして謙信の死後「御館の乱」によって義理の兄弟である上杉景虎を討ち上杉家の家督を継ぎ、関ヶ原の戦いでは西軍に与したとされ、米沢への転封となります。


 上杉景虎(1554-1579)北条氏康の7男として生まれ、甲相駿三国同盟の破綻の後、上杉と北条の同盟締結時に人質として上杉家に来るが、謙信に認められ、その姪を妻とし、謙信の養子となる。謙信の死後の「御館の乱」にて死去します。


山浦景国(やまうらかげくに)(1546-1592)父村上義清と共に信濃から落ち延びてきた後、謙信の養女(朝倉義景の娘)を妻とし、断絶していた山浦上杉氏を継ぎ山浦国清となります。その後「御館の乱」の時には景勝側につき、乱の後景勝より景の字を許され山浦景国となります。その後一時的に海津城主として信濃に返り咲きますが、その後謀反の嫌疑をかけられ、越後へ召還され、村上氏の頃からの家臣団も解体され、1592年に亡くなります。


畠山義春(1563-1643)苗字からもわかるように元々は能登畠山義続の息子です。1577年に謙信によって能登七尾城は落城し、その時にとらわれた後、謙信の養子となり、その後上条上杉政繁(1553-1643)の養子となります。その後、「御館の乱」では景勝側に付き、山浦景国の召還後の海津城に入りますが、1586年養父政繁が上杉家を出奔、本人も1588年に出奔します。その後、豊臣家、徳川家と主君を変え1643年徳川家の旗本として生涯を終えます。


景勝と景虎以外は別家に入ったため、後継者とは見なされず、後継者は2人のどちらかであろうと言われていました。そのため「御館の乱」では後継者としてではなく、上条、山浦両家は景勝側についています。そのほかでは、景勝側は上田長尾氏と、越後の豪族中心で、景虎側は古志長尾家や上杉憲政、伊達や北条、武田などの他の大名家が後押しをしています。


 上杉謙信が三条長尾家出身で、古志長尾家とも友好関係にあり、上杉憲政の養子となっていること、上田長尾家との長年の確執を見ると、自分の名を継がせた景虎側が正統な後継者とみるのが正しかったかもしれません。しかし、謙信の死の直後に春日山城を抑えた景勝側が武田勝頼を味方につけることによって、景勝側が勝利します。


 景勝の母である仙桃院は、娘婿の景虎側につきますが、戦後なぜか許されています。義理ではありますが祖父にあたる上杉憲政は講和を結ぶべく動くが殺害されていることからも、上条上杉家と上田長尾家と古志長尾家と山内上杉家の対立の結果とみるのが正しいのかもしれません。


 実際のところ古志長尾家の家系は徹底的になかったことにされ、上杉景信の子は全く歴史から抹消され、その郎党も景勝派だった河田長親(かわだながちか)(1543-1581)に与えられ、長親が古志長尾家を継がなかったため、その後に分断され、古志長尾家は断絶になります。

 

 


 

 明らかに景勝以外の3人は粛清されるか出奔せざるをえない状況になっています。景勝が党首になった時点で、その後様々な人たちが、不自然に消えていきます。実に惨い状況です。

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