伝説の終わりへ
ノンフィクション部分があります。けなしなどで使用はしていません。
1999年7月28日水曜日。
試合もない移動日のこと、明治神宮球場にて、急遽会見が開かれた。
―――今年度を持ちまして、私、平戸誉はヤクルトスワローズを引退したいと思います。
選手として、野球をやるものとして精一杯やってきました。今日このようなことを言わなければならないのが悔しくてたまりません。ですが、自分自身は悔しさの中にも、安堵を感じています。これが何より悔しいです。―――
1999年9月17日金曜日。
首位ヤクルトとドラゴンズの一戦。
明治神宮野球場には大勢の観客が押し寄せている。
歴代最高峰右腕「平戸誉」の引退試合。通算423勝、通算奪三振数5419。
破られることはまったくないと言われた金田正一の400勝を抜き、完全試合を今まで5回達成。
どの世代のどんなにいい投手を対抗馬にしようとも、無残に負けるのがオチ。金田正一にですら、勝てる気がしないといわせた、不敗のエース。
そんな最高峰の投手のことを、誰もが早すぎる引退を不思議に思った。
プロとして投げた19年間でスランプらしいスランプもなく安定した投球を常に見せ、ファンを魅了し続けた。
今日の試合も変わらず6回まで完全ペースで投げ続けていた。神宮のナインはいつもより堅い守備で平戸を支え有終の美に花を添えようとしていた。
まるで、何かを惜しむかのように、一丸となって試合に臨んでいた。
ゆっくりと、ゆっくりと、確かな歩みの音を立て完全試合が近づいてくる。
打者を打ち取り、時には三振を取り試合が進んでいく。
8回のヤクルトの攻撃が終わり、このままならドラゴンズ最後の攻撃の回が始まった。
7番大野をセカンドゴロ、8番谷繁を三振に取った。
完璧過ぎる投球内容を見れば見るほど誰もが、まだ通じると感じた。なぜ、やめるのか誰にも分からなかった。
そんな中、9番野口に代打が送られた。
平戸の好敵手「平河」がコールされた。
同世代で打者の平河・投手の平戸と言われるくらいの強さを誇っていた。
長めのバットを爪が割れそうなほど、強く握りしめ静かに打席に入る。
最後の勝負が始まった。