最終話:はじめての冷やし中華
ヴィジュが〈ブルート〉を駆除したあと、騒ぎを聞きつけて近所の住民が《上海亭》に集まってきていた。
そんな中、ヴィジュは少し離れたところで、膝を抱えてうずくまっていた。
「……空腹なんて感じるようになるなら、消化器系なんてつけるんじゃなかったです……」
ヴィジュは空腹の不平を鳴らす腹を抑えるように、さめざめと泣いていた。
「ひもじい……」
ヴィジュは顔を上げて《上海亭》の様子を窺う。
あのクソ害獣が突っこんだ店は、とても営業はできないだろう。地球の裏からやってきて、ようやく見つけた冷やし中華。日本の夏の湿気にも負けず、歩き回った結果がこれ。
少し笑えてきましたね、とヴィジュは自嘲気味に独り言ちた。
どこか様子のおかしいヴィジュに気づいて、《上海亭》の店主が心配そうに訊いてくる。
「おい嬢ちゃん、大丈夫か。どっか怪我でもしたのか」
「いいえ、無傷です。あんな雑魚相手に怪我をするほうが難しいです。こちらはお気になさらず。冷やし中華を食べられなかった哀れなわたしに、感傷に浸る時間をください」
かける言葉が見つからなかったのか、店主は頭を掻くと、その場を離れた。だが今のヴィジュにとっては、そのほうがよかった。
店主は集まった住民たちと何やら日本語で話し始めると、《上海亭》の瓦礫の撤去を始める。ヴィジュはその様子を眺めながら、いつか無事に営業再開できるといいですね、とぼんやり思った。
ほどなくして装甲車に乗った駐屯兵もやってきた。遅すぎる。しかし、面と向かって文句を言う気にもなれない。住民たちに何やら詰め寄られているが、まぁ正当な権利だろう。そのまま甘んじて受け入れるべきだ。
店主が〈ブルート〉の死体を指差して何か言うと、駐屯兵たちがこちらを見てくる。手でも振り返そうかと思ったが、そんな元気もなかった。
そのまま駐屯兵たちは、《上海亭》の瓦礫の撤去を手伝い始める。いい心がけだ。住民たちの手助けは駐屯兵としての義務であるべきだ。
崩れた店の瓦礫をどかしつつ、使えそうな道具を選別するのは大変そうだ。本当はサイボーグである自分も手伝うべきなのだろう。しかし、申し訳ないが手助けする気力が湧いてこない。
もう少し不貞腐れるのを許してください、とヴィジュは現実逃避をするように、再び頭を下げてうずくまった。
「嬢ちゃん」
しばらくそうしていると、誰かに声をかけられた。
顔を上げると、そこには店主が立っていた。
「すみません、お心遣いはありがたいのですが……」
ヴィジュが申し訳なさそうに言うと、店主は自分の背後を指差す。
「ありあわせで悪いが、助けてくれた礼だ」
そこには、住民たちが炊き出しを行う姿があった。
椅子やテーブルが並べられているが、《上海亭》にあったものだけではない。他にも家庭用のガスコンロや、鍋が湯気を上げている。不揃いな食器にどんどんと食材を盛りつけているのが見えた。
ヴィジュはふらふらと幽鬼のようにテーブルにつく。
店主が言う。
「冷やし中華、お待ち」
「これが……」
出された皿には、タレのかかった中華麺の上に、色とりどりの具材が乗せられていた。
具材は細長く切って大きさが揃えられている。キュウリにトマトに焼豚、黄色いものは卵の薄焼きだろうか。透明な皿に盛られ、見るからに涼を感じさせる麺料理だった。
ヴィジュは店主に向き直った。
「冷やしたラーメンでは?」
「違ぇよ! ラーメンとは別物だよ!」
「うわびっくりした」
「あとラーメンの場合は、冷やしラーメンってのがあるからな。こいつは冷やし中華だ」
「そ、そうなのですね。失礼しました」
そうは言うが違いがまったくわからない。中華麺を使っているのだから、どちらもラーメンなのでは? しかし話がこじれる気配を察したので、ヴィジュは沈黙を貫いた。
「いいから早く食いな、温くなるぞ。フォークのほうがいいか?」
「いえ、箸は使えます。それでは、ありがたくいただきます」
確か、日本では食事の前に手を合わせる作法だったか。よくわからないが、隊長がよくやっていたのを見よう見まねで、ヴィジュは冷やし中華を食べ始めた。
ちぢれ麺を茹でたあと、冷たい水で締めたのだろう。コシがあって、タレがよく絡まり、つるりと食べられる。タレは甘酸っぱく、あとに残らないさっぱりとした味わいだ。これは隊長たち日本出身の隊員が、やたらと好きだった醤油がベースだろうか。
具材と一緒に麺を食べるとまた味が変わって面白い。冷たいキュウリはしゃきしゃきとした食感が楽しめるし、焼豚の肉で満足感もある。具材を一つずつではなく、卵の細切りと組みあわせたりして、味わいを色々と変えられるのも楽しい。
なるほど、確かにこれは夏の暑い日に合う。
そう、これは何というか――
「味は思ったより普通ですね」
店主は少し、きょとんとした顔をすると、笑った。
「馬鹿言え、ありあわせだからだよ。本当はもっと美味いんだよ」
「なるほど、次は是非とも完全版を」
そうしてヴィジュが食事をしていると、怖ず怖ずとした様子で、駐屯兵の指揮官らしき人物がやってきた。
「あの、お食事中すみません……」
「はい、すまないと思うなら、またあとで」
それだけ言って、ヴィジュはそのまま食事の手を止めない。
「いえ、そうはいかず……あなたの所属など……」
はぁ、と思い切り嘆息して、ヴィジュはいったん箸を置いた。
「……〈エルハウンド〉即応予備役のエドヴィジュです。照会すればすぐにわかります。ここにわたしは休暇で来ました。いいですね? わたしは、休暇で、来ました。階級まで言わせないでくださいね」
「は、はいっ」
あまりにも畏まる相手に、ヴィジュは不承不承に言う。
「心配しなくても、あとで報告はしますので。今は冷やし中華を食べさせてください」
「ごちそうさまでした」
冷やし中華を平らげたヴィジュの言葉に、店主は応える。
「あいよ、おそまつさん」
「はて、別に粗末ではありませんでしたよ?」
「いやいい、気にすんな。日本語の慣用表現だ」
そうですか、とヴィジュは首を傾げる。
「そう言えば、一つ頼み事があるのですが……」
「おう。恩人の頼みだ、言ってみな」
「ありがとうございます」
ヴィジュは着ていたジャケットの内側から、一つのドッグタグを取り出して、テーブルに置いた。
「これは……」
「わたしの部隊の隊長のものです。この辺りが故郷らしいと聞いていたのですが、わたしには土地勘がなく……できれば、郷土の人の手で埋葬なり慰霊なりしていただければと……」
店主は、ドッグタグに伸ばしかけていた手を引っ込めた。
「……それは、嬢ちゃんの手でやらなくていいのかい」
「部隊では長年一緒でしたが、結局は赤の他人ですので。故郷に運ぶまでが、わたしの役目です」
ヴィジュは、テーブルの上に置いたドッグタグを店主のほうへ押しやる。そして、少し名残惜しそうに指を離した。
「……そうか。あんたの隊長さんは、さぞかし立派な人だったんだろうな」
「いえ、いい人でしたが、立派ではなかったです。むしろだらしなかったですね。サイボーグとはいえ、パンイチで歩き回るのは女性陣の不評を買っていました」
ヴィジュは言いながら、席を立つ。
「ですが、まぁ」
ジャケットの内側に提げていた、八一五部隊の仲間たちのドッグタグが揺れて、音を鳴らした。
「故郷を訪れるに足る人でした」




