第三話:戦争の残滓
閖上漁港の市場から歩くこと数分、少し汗ばんできた辺りで、ヴィジュは目的地に辿り着いた。
「おお。あれが例の『冷やし中華はじめました』ののぼりですか。本当に実在したんですね。何とも間抜けな感じがします」
ヴィジュは市場の案内役にもらったメモと、のぼりの文字を見比べる。日本語は読めないが、夏の蒸し暑い空気ではためく旗に書かれた文字の形は一致していた。
何と読むのかはわからないが、店の看板には《上海亭》と書かれている。
ヴィジュには、住宅地の道路沿いにぽつねんとある不思議な店に見えたが、敷地内に駐車場があるところを見るに、車で移動している客がターゲットらしい。
《上海亭》の店構えは、お世辞にも綺麗とは言えなかった。
住宅地にあるため、〈ブルート〉の被害を免れなかったのだろう。侵略者の兵士は、文明を嗅ぎつけて殺すように造られている生物だ。電磁波や赤外線を感じ取り、より強い発生源を優先して襲撃する本能を与えられている。
以前は家屋が密集していたのだろう住宅地も、ところどころに隙間があり、まばらになっているのが見える。
《上海亭》も、元々は平屋の店舗だったのだろうが、戦災の被害で崩れた部分が、急拵えに修繕されている。雑な板張りのつぎはぎが印象的だった。
少しひびの入った曇りガラスの引き戸を開け、ヴィジュは店内に入る。
入るとすぐに、正面にあるカウンター席が目に入った。その奥に使いこまれた道具の置かれた厨房が見える。店の左奥には、外から見えた板張りの壁があり、店の内観が不自然に途切れていた。種類がばらばらの椅子と机がセットで置かれているのは、おそらくテーブル席だろう。
まだ開店直後のピーク前なのか、店内にはヴィジュ以外の客はいなかった。
厨房にいた店主は最初、日本語で何かを言いかけたが、こちらの姿を見ると、途中で国際共通語に切り替えた。
「いらっしゃい……珍しいお客さんだね、注文は?」
「こちらで冷やし中華が食べられると聞いたのですが……」
「おお、あるよ。それでいいかい?」
「はいっ、是非」
「あいよ」
そう言って、店主は調理を始めた。
最初に、沸いた湯で麺を茹で始めた。どうやら、冷やし中華は麺料理らしい。その後、冷蔵庫からバットを取り出したが、あれは具材だろうか。このまま調理工程を見ていたい気持ちもあるが、観察を続けていると楽しみがなくなるかも知れない。
ファーストコンタクトを大切にするか、想像を膨らませるのを楽しむか、悩ましい。
そこに一斉放送で警報が流れ始め、小さく頭を抱えていたヴィジュの思索は打ち切られた。
店主が火を止めながら驚いたように言う。
「うお、〈ブルート〉警報か。嬢ちゃん、いったん避難――」
言いかけたところで、店主は不思議そうに地面に視線を移した。
ヴィジュにもその理由はすぐにわかった。小さな地響きのような揺れが足下から伝わってきている。
「……なんだこりゃ、地震じゃねぇな」
店主は怪訝そうに言うが、ヴィジュはこの揺れの正体を知っていた。
戦場で何度も感じたことのある、独特の揺れだ。
次の瞬間にはヴィジュはカウンターを越えて厨房に乗りこんでいた。
「失礼」
「うおお!? 嬢ちゃんなんだ?!」
ヴィジュは問答無用で店主の胸ぐらを掴むと、そのまま乱暴に店の外へ引きずり出す。そして、揺れがしてきたと思しき方向をヴィジュが視認するのと、《上海亭》が半壊したのはほぼ同時だった。
乗用車ぐらいの何かが店に突っこみ、つぎはぎの壁を越えて店内をめちゃくちゃにしたのだ。
まとわりついた瓦礫を落とすように、身震いしながら粉塵から現れたのは、虎のような獅子のような、六脚の異形の怪物だった。
店主が怯えたような声を出す。
「ぶ、〈ブルート〉……」
ヴィジュは獣に冷たい目を向ける。
「……あぁ、あのラジオで言っていた子個体ですね」
獣は興奮した様子で、ずいぶんと息が荒い。〈ブルート〉特有のエネルギー生成で血管が藍色に発光し、臨戦態勢に入っているのがわかる。脇腹の辺りから黒い血が流れ出ているのが見えた。自然に負ったものではなく銃創だ。国連軍の駐屯兵にやられた傷だろう。
「おい、嬢ちゃん、危険だ、今すぐここから――」
「申し訳ありませんが、下がっていてください。こう見えてブチ切れていますので」
店主の言葉を遮り、ヴィジュは背負っていた匣を地面に下ろして、〈ブルート〉に向き直る。
「……どうやら、駐屯兵に追われて偶然ここまで逃げてきた、というところですか」
はぁ、と嘆息する。
「まったく、市街地に逃がすなんて、練度不足にも程があります」
〈ジエルド〉の送りこんだ生体兵器〈ブルート〉は、強固な肉体と俊敏で膂力のある機動力で、人類を蹂躙した。
しかも、飛翔体を検知する特異な感覚器と、機械化された体から展開される電磁防御で、人類の兵器による長距離攻撃を一切歯牙にかけなかったのだ。
「まだ電磁防御も獲得していない幼体の雑魚じゃないですか」
だがそれは戦争初期の話だ。
人類は、宇宙からの脅威を打倒するために、倫理観を捨てた。
〈ジエルド〉の生体機械化技術を研究し、それを人間に転用したのだ。
「よくもわたしの冷やし中華を台無しに……」
ヴィジュは歯ぎしりしながら匣の側面にあったつまみを回した。匣が開き、中身が露わになる。
それは、獣の下顎に似たシルエットをしていた。
ヴィジュはそれを右手で持ちあげる。ちょうど、片腕を覆う鎧のように見えるが、明らかな用途を示す特徴があった。把手があり、引き金があり、銃身があり、そして先端には、小さな剣がついている――つまり、銃剣銃だ。
それの名は、軍のサイボーグ用兵装、通称〈牙〉。
〈牙〉には、かすれているが、《L-HOUND》と印字されている。
その名は、この世界の人類ならば、誰もが一度は耳にしたことがあるものだ。
ヴィジュの背後で腰を抜かしていた店主が呟く。
「りょ、猟犬部隊……」
「そうですよ、猟犬です。わんわん」
〈ブルート〉には長距離攻撃が通用しない。そして既存兵器では相手の機動力に対応できない。高度に発展させてきた暴力が無力化された結果、人類は原始的な狩りの形に戻らざるを得なかった。
肉薄し、殺す。
そのシンプルな戦法を怪物相手に成立させるために、敵の技術で人類は兵士を機械化した。
ゆえに、彼らは最新の猟犬――〈エルハウンド〉の名で呼ばれている。
ヴィジュは慣れた手つきで〈牙〉からケーブルを抜き出すと、自分のうなじに挿しこんだ。そのまま平然と〈ブルート〉に近づいていく。無造作に距離を詰めてくる相手に、獣は咆哮を上げて威嚇してきた。
しかし、ヴィジュは一切動じない。どころか、機械的な動きで、〈牙〉の先端から銃剣を射出した。隙だらけだった〈ブルート〉の喉元に銃剣が突き刺さり、相手は痛みで呻く。
その姿にヴィジュは侮蔑の目を向ける。
「トロいですね。よそ見して吼えているから避けられないんですよ」
銃剣にはワイヤーが張られており、ちょうど、銃口と〈ブルート〉を結んでいた。
そして、ヴィジュの全身の血管が藍色に発光し始める。
敵から奪ったこの技術は、生体に大量のエネルギーを貯蔵し、それを自由に取り出せるというものだ。〈エルハウンド〉の循環器系にはエネルギーを蓄えた液体とナノマシンが流れており、必要なタイミングで大規模なエネルギーを抽出し、それをサイボーグ体の運動能力などに転用できる。
銃剣のワイヤーは、〈ブルート〉を捕らえるためのものではない。ワイヤー表面には金属皮膜があり、そこに一気に大電流を流す。すると、瞬間的に彼我を繋ぐプラズマ路が形成される。
その路こそが、敵を殺す射線だ。
〈エルハウンド〉が生成したエネルギーを注ぎこまれ、〈牙〉が撃つのは、加速した粒子――そう、〈牙〉とは超至近距離からの攻撃を前提とした、携行型荷電粒子砲なのだ。
「お前には〈牙〉が刺さりました。死ね」
バヂン、と音が鳴る。
一瞬の煌めきとともに、閃光の剣が奔った。
そのあとには、ぶすぶすと音を立てて焦げついている、首を失った獣の死体が残っていた。
「戦争の残り滓が……」
ヴィジュは、吐き捨てるように言った。




