㊲
試験から一週間ほどが過ぎた頃、入学許可の通知が自宅に届いた。通知には入学証書と学生証が同封されており、入学式には忘れずに持参する必要がある。そして学生証は刻紋札と同様、身分証明書としても使用できる公的な発行物となっている。
その日、自主鍛錬を終えて帰宅したアルトは、母親から「届いていたわよ」と一通の封書を手渡された。
「アルトも、もう中等部生になるのねぇ」
入学許可の通知を見て、母親はどこか感慨深げに呟く。
「…うん」
改めてそう言われると、何だか落ち着かない。嬉しいような、照れくさいような気持ちになり、アルトは曖昧に小さく頷くと、逃げるように二階の自室へと上がっていった。
夕食の後、父と兄にも届いた通知と学生証を見せると、話題は自然と中等部での生活へと移っていく。
六歳年上の兄テオは、いわば中等部での先輩だ。アルトが授業の内容や学校の様子について尋ねると、テオは自分の経験を交えながら、いくつかの助言をしてくれた。
初めて聞く話も多く、アルトは新しい学校生活への期待を膨らませていく。
(カイルのところにも、もう届いてるよな)
眠る直前、ベッドの中でふと思った。
おそらく、カイルの家にも同じように通知が届いているはずだ。それなら明日はカイルを誘って、入学に必要なものを揃えに行こう。
アルトはそんな予定を頭の中で組み立てながら、春から始まる新しい学校生活に思いを馳せた。
翌日。
春休みに入ってから、アルトは朝食を済ませると決まって家の庭で体を動かすようにしていた。
木剣を手に何度も素振りを繰り返す。腕を振るたびに風を切る音が響き、額にはうっすらと汗が浮かんでいた。
まだ朝晩は冷え込むものの、日中の日差しは以前よりも暖かくなり、雪解けの進んだ地面からは緑色の草の芽が顔を覗かせ始めている。グレイスフィールドにも少しずつ春の気配が感じられるようになっていた。
「相変わらず熱心だなぁ」
不意に聞こえてきた声に、アルトは素振りを止めて振り返った。庭口にはこちらを眺めているカイルの姿があった。
「あ、カイル。おはよー」
「おはよー、アルト。朝から精が出るなぁ」
言いながら、アルトに歩み寄る。
「せっかくの春休みだからな」
「春休みくらい、もう少しゆっくり過ごしてもいいと思うけどな」
「ゆっくりしてると体が鈍るんだよ」
「そーゆうもんか?」
カイルは呆れたように肩をすくめた。
「あ、そうだ。アルト、入学許可の通知はもう届いた?」
「うん。昨日届いた」
「これでオレたち来月から中等部生だなっ」
「まだ実感わかないけどな」
入学式まではあと二週間以上ある。これからだんだんと実感していくのだろう。
「でさ、今日一緒に入学準備の買い物行こうと思って誘いに来たんだけど。行かない?」
おそらくこれが今日来た理由だろう。カイルがうきうきしながら誘ってきた。偶然とはいえ同じことを考えていたことにちょっと可笑しくなる。
「おれもちょうど誘いに行こうと思ってたんだ」
「お、気が合うじゃん」
「準備してくるからちょっと待ってて」
アルトは木剣をささっと片付けると、家の中へと戻っていった。軽く汗を拭いて着替えを済ませ、財布を持って再び庭へ出る。
「お待たせ。じゃ行こうぜ」
「おう」
二人は連れ立って商店街へと向かった。
商店街は昼前ということもあって、多くの人で賑わっていた。食料品を扱う店から衣服店、生活雑貨を並べた店など、通りの両側にはさまざまな店が軒を連ねている。その中に、文房具や書籍を扱う店が何件かあり、その中でも以前からよく利用している文房具店へと入っていった。
店内には、大小さまざまなノートをはじめ、羽根ペンやインク瓶、デザイン性に富んだペンケースなどが並んでいる。手頃な価格でありながら品質も悪くなく、学生を中心に人気のある店だった。
「まずはノートかな」
「授業が増えるんだし、何冊か余分に買っておいた方がよさそうだな」
「だな。あとインクも少し多めに買っておこうかな」
二人は棚に並んだ商品を眺めながら、気になる物を一つずつ見て行く。必要そうな文房具を手に取っては、使い勝手や値段を確かめていた。
「アルトはノートどれにする?」
「うーん…特にこだわりとかないし、普通のでいいかな。使いやすければ十分だし」
「オレはこれにしようかな」
カイルが手に取ったのは、落ち着いた青色の表紙をしたノートだった。中の罫線も大きすぎず小さすぎず、丁度よい間隔で引かれており書きやすそうだ。
「あ、それいいな。おれもそれにしようかな」
「え、同じのにすんの?」
「うん。使いやすそうだし」
「いえーい、お揃いだ。アルトのマネっ子~」
「うっせ」
軽くふざけ合いながら必要なノートや筆記具を選んでいく。買い物を済ませて店を出る頃には、二人の手にはそれぞれ紙袋が提げられていた。
アルトが紙袋の中身を確かめるように、ちらりと視線を落とす。真新しい文房具。どれも特別なものではないが、これから始まる中等部での生活を思うと自然と気持ちが弾んでくる。知らず口元が緩んできた。
「じゃ、この後どうする? 帰る?」
「せっかくだし、もう少し商店街見て行こうぜ」
「おっけー」
グレイスフィールドの商店街には店舗のみならずたくさんの屋台が並んでいて、漂ってくる甘い焼き菓子の香りが興味をそそる。
「ちょっと腹減ってきたな…」
「何か買う?」
「もうすぐお昼だし、食べすぎると母さんに怒られるからな…。ちょっとつまめるくらいのお菓子あったらほしいかも」
「んじゃ、あれ。うまそうじゃない?」
商店街の一角に、赤い苺を串に刺した菓子を売る屋台が出ていた。透明な飴に包まれた苺は、春の日差しを受けてきらきらと輝いている。
「苺飴か。祭りのときにも売ってたな」
「せっかくだし、買ってこうぜ」
「あれ? アルトにカイルくん?」
苺飴を買おうと店先に並んだところで、不意に背後から名前を呼ばれた。
振り返ると、そこには両手で肉まんが入った紙袋を抱えたエリシアが立っていた。
「あ、エリシア」
「こんにちは、エリシアさん」
「こんにちは。二人で買い物?」
「うん。中等部で使うものを新しく買いに来たんだ」
「あ、そっか。二人とも進学するんだもんね」
エリシアは二人の顔を交互に見つめ、少し感慨深そうに微笑んだ。
「いまさらだけど、初等部卒業おめでとう」
「ありがとう!」
「ありがとうございます」
二人が礼を言うと、エリシアは嬉しそうに目を細めた。
エリシアが二人と知り合ったのはここ数か月のことだ。それほど長い付き合いというわけではないが、それなりに仲良くさせてもらっているため、気持ち的には年下の親戚の子を見守っているような気分になってくる。
ああ、中等部進学か、大人になったな、とか心の片隅で考えてしまった。
もっとも、実際には出会ってからまだ数か月しかたっていないし、身長だって目に見えて伸びたわけではない。たぶん伸びていたとしても数ミリ程度。もちろん二人の雰囲気や様子もそれほど変わったところはない。
要するに、なんとなくそういう気分になっただけの話だ。雰囲気というか何というか、そんな感じの空気に流されたと言ってもいい。
「中等部に入ったら、勉強も今までより大変になると思うけど、二人とも頑張ってね」
「うん。いっぱい訓練して、そのうちエリシアよりも強くなって見せるからな!」
「いや、エリシアさんに勝つのは相当先の話だろ…」
アルトの力強い宣言に、カイルが冷静なツッコミを入れた。そんな二人のやり取りに、エリシアはケタケタと笑う。
「それじゃあ、あたしはそろそろ行くね。これからギルド行くんだ」
「あ、うん。またね、エリシア」
「エリシアさん、またね」
二人が手を振ると、エリシアも笑顔で応え、人混みの中へと歩いていった。
アルトたちと別れたエリシアは、そのまま冒険者ギルドへと向かった。
扉を開けて中に入ると、受付で手続きをする冒険者や、掲示板の依頼書を眺める者たちの姿が目に入った。昼前のギルドは比較的落ち着いており、併設された食堂では何人かの冒険者が早めの昼食を取りながら談笑している。
「お、エリシア。今日はゆっくりだな」
聞き慣れた声に目を向けると、ホールのテーブルに座っていたゴルドが片手を上げてこちらを見ていた。その周りには顔なじみの冒険者たちが集まっている。
「ちょっと商店街に寄ってきたんだ」
エリシアは軽く挨拶を交わすと、仲間たちのいるテーブルへと近づいた。手にしていた紙袋をテーブルの端に置き、空いている椅子に腰を下ろす。
「なになに―? 肉まん? エリシアこれ好きだよねー」
「あたしの昼食! あげないからね?」
早速袋の中身を覗き込んできたミーナに、エリシアが慌てて釘をさす。
「だいじょーぶ。エリシアからは搾取しないから」
「…搾取してる自覚あったんだ」
ミーナの横でリックが小さく呟いた。リックの脇腹にミーナの拳がめり込む。
「そういえば、さっきアルトたちに会ったよ」
「アルト? ああ、今春休みか」
エリシアは先ほどの出来事を思い出しながら、楽しそうに話を続けた。
「うん。春から中等部に進学するんだって。それで、必要なものを買いに来てたみたい」
「中等部か…。そういえば、あそこの生徒は冒険者登録をする奴も多いんだったな」
「そうだね~。実戦経験を積めるし、依頼をこなせばちょっとした小遣いにもなるからね」
ゴルドの言葉にリックが補足するように同意する。
中等部の生徒が冒険者登録をすること自体は、グレイスフィールドではそれほど珍しいことではない。授業で学んだ知識や魔法を実際の場面で試す機会にもなるし、簡単な採集依頼などをこなせば、報酬を小遣いに充てることもできる。
もちろん、受けられる依頼には年齢や実力に応じた制限がある。危険度の高い討伐依頼などは認められず、基本的には安全性の高い仕事が中心だ。
「アルトくんも、そのうち登録するかもね~?」
リックが何気なく口にすると、その場にいた仲間たちがとたんに興味を示しだした。
「あいつならたぶん早い段階でそうするだろうな」
「わあ、そうなったら一緒に組んで依頼受けられるかも!」
ミーナが声を弾ませる。
「そうなったら楽しいだろうね、エリシア!」
「楽しいって…まあ、楽しそうだけど」
エリシアは少し考えるように首を傾げた。
「その時は、ちゃんと指導してあげなきゃね」
「もー、エリシアはまじめなんだからぁ~」
「いや、そこはちゃんと教えてあげないとだめだろ」
ミーナの言葉に、ゴルドが呆れたように口を挟む。
冒険者たるもの、後輩の手本となるべきだ。指導を怠たれば思わぬ事故につながってしまうことだってある。学生の間だけかもしれないが、冒険者として活動する以上そうした心構えを教えることも先輩の役目だ。
「そうだよ、ミーナ。まあ、最初は先輩冒険者の背中を見て学ぶことも多いだろうけど」
リックはもっともらしく頷くと、ふぁさっ…と前髪をかき上げた。
「そこは先輩として、しっかり指導してあげないとね~?」
かっこいい自分を演出しているリックを冷めた目で見つめながら、ミーナが真顔で言う。
「リックに指導されたらアルトがかわいそう」
「そーゆうところだよ、ミーナ!」
リックが大げさに抗議するが、ミーナはどこ吹く風だ。
その様子を見ていたエリシアは、こらえきれずに吹き出した。
先ほど別れ際に、アルトはいつか自分より強くなると宣言していた。あの真っ直ぐな目を思い出すと、これからどんなふうに成長していくのか、自然と楽しみになってくる。
春から始まる新しい生活。アルトたちにとっても、きっとさまざまな出会いや経験が待っているのだろう。
エリシアは紙袋から肉まんを取り出すと、冷めないうちにと一口頬張った。




