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A to I  作者: きんかん


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34/34

第34話 Epilogue

 放棄された地上貨物設備には、風を防ぐ壁が三枚だけ残っていた。


 屋根は半分崩れている。

 搬送レールは赤い砂に埋まり、錆びた貨物台が斜めに傾いていた。


 外から見れば、使われなくなって久しい設備だった。

 それでも、一番奥の保守小屋だけは扉が閉まった。


 カイルは壊れた手動錠へ鉄棒を差し込み、内側から固定する。


「これで、しばらくは入ってこねえ」


「固定強度が不足しています」


「分かってる。今すぐ蹴破られなきゃいい」


 壁際へ戻る。


 アトイは床へ座っていた。


 背中を古い工具棚へ預け、動かない両脚を前へ伸ばしている。

 腰部へ貼られた簡易封止材の縁には、透明な循環液が薄く滲んでいた。


 カイルの右胸にも、屋上で巻かれた固定帯が残っている。


 呼吸は浅い。

 だが、止まらない。


 アトイが見ているからだった。


「カイルの血中酸素は安定しています」


「お前の方は?」


「循環液量が不足しています。下肢制御は停止。腰部修復は中断しています」


「聞くたびに悪くなってんな」


「カイルの生命維持を継続しているためです」


「それを、今から止めるんだな?」


「はい」


 保守小屋の隙間から、細い赤い光が入る。

 外では風が貨物レールを鳴らしていた。


 空中戦術指揮車の音はもう聞こえない。

 ARGUSの照合枠もない。

 No.001の白い表示も出ない。


 それでも、カイルの体内にはNo.001由来のナノマシン網が残っている。


 アトイの停止とカイルの生命を結びつけた、最初の接続。


 距離を取れば苦しくなる。

 アトイの出力が落ちれば、カイルも死へ近づく。

 必要だから一緒にいるしかなかった接続。


 アトイはカイルの内部状態を照合した。


 No.001の上位経路は、すでに隔離している。

 ARGUSゲール外縁中継局との直接接続も切れた。


 だが、強制生命同期そのものは残っている。


「No.001の同期経路を廃棄します」


「切ったらどうなる?」


「距離が離れても、私が停止しても、カイルは生存します。移したナノマシンは自律医療モードへ移行し、回復に合わせて支援を縮小します」


「お前の指示なしで動くのか」


「はい。No.001にも、私にも再接続しません。移行後は私から一方的に操作できません」


「元には戻せるか?」


「できません」


「戻す必要は?」


「ありません」


「なら、やれ」


「はい」


 アトイは目を閉じなかった。


 青い瞳の奥で、観測レンズが細く動く。


 呼吸、循環、肋骨固定、炎症抑制。

 それらをカイル自身の状態だけで動く閉鎖処理へ移す。


 次に、アトイの出力、カイルの心拍、二人の距離、緊急停止を勝手に結びつけた同期線を隔離する。


 命令の届かない回路へ追い込み、切り離す。


 カイルの視界には、文字は出なかった。


 音もない。


 ただ、胸の奥で長く張っていた何かが、急に消えた。


「……切れたのか」


 アトイは答えなかった。


 彼女の内部表示から、カイルの生体情報が消えていた。


 心拍。

 酸素。

 呼吸数。

 損傷状態。


 常に視界の端にあり、見ようとしなくても分かった数値。

 すべてがなくなった。


 目の前にいるカイルの顔だけが残る。


 呼吸している。

 胸が上下している。

 苦しそうではある。


 だが、その状態を数字では確認できない。


「アトイ」


 カイルが呼ぶ。


「はい」


「俺は生きてるか?」


 アトイはカイルを見る。


 胸の動き。

 皮膚の色。

 目の焦点。

 呼気の音。


 外から観測できるものを確かめる。


「生存しています」


「お前は?」


 アトイは自分の内部を照合する。


 発電器。

 蓄電器。

 人工循環。

 腰部損傷。

 停止した下肢制御。


「稼働しています」


「俺の状態、見えるか?」


「外部観測のみ可能です」


「中身は?」


「見えません」


「俺が離れたら?」


「生存できます」


「お前が止まったら?」


「カイルは生存できます」


「……そうか」


 カイルは目を閉じた。


 深く吸おうとして、右胸の痛みに顔をしかめる。

 それでも、息は入った。


 アトイが操作したからではない。

 自律化されたナノマシンと、カイル自身の身体が動いている。


 アトイはそれを、数字ではなく目で見た。


 二人の間に、何も表示されていない。


 どちらかが離れれば死ぬ条件もない。

 命令もない。

 必要もない。


 カイルが目を開ける。


「で、お前はどうしたい?」


 アトイはすぐには答えなかった。


 強制生命同期はない。

 カイルを見続けなければならない任務もない。

 No.001へ提出する記録もない。

 一緒にいることを正当化する必要もない。


 カイルは、アトイがいなくても生きられる。

 アトイも、カイルから離れて稼働できる。


 それでも。


「あなたとの接続を、保持したいです」


「おい、さっき切ったばっかだぞ」


「必要だからではありません。なくても生きられます。私から操作できず、どちらからでも解除できます」


 カイルは少し考えた。


「今度は、切っても死なねえんだな?」


「はい」


「なら、俺は同意する。お前は?」


「私は、カイルとの接続を選びます」


 二人の間に、かつての強制同期より細い信号が生まれる。


 生命を縛るものではない。

 低い帯域で、存在だけを知らせる。


 アトイはカイルの心拍数を読めない。

 カイルもアトイの動力残量を感じない。


 ただ、近くにいることが分かる。

 接続されていることが分かる。


 それ以上を求める時は、互いの許可が必要になる。


「見えるか?」


 カイルが訊く。


「今は、カイルが近くにいることだけ確認できます」


「呼吸は?」


「分かりません」


「じゃあ、さっきより不便だな」


「はい」


「それでいいのか?」


「はい」


 アトイはカイルを見る。


「見れば分かります」


「言うようになったな」


「カイルから学習しました」


「ほんと、ろくなこと覚えねえ」


 外で、風が鉄板を鳴らした。

 追跡機の音はない。


 保守小屋の中に、二人の呼吸だけが残る。


 今度は、どちらか一方の呼吸が止まっても、もう一方まで止まることはない。


 それでも二人は、同じ場所にいた。




   *




 裏作業場で朝を迎えることにも慣れた頃、アトイは自分の両脚で錆びた扉を越えた。


 腰部には細い修復痕が残り、右脚の応答は左より〇・〇三秒遅い。それでも膝は折れない。

 カイルの右胸にも、薄くなった固定材が残っていた。


 作業台には、交換部品番号と固定材を外す目安だけを書いた紙片がある。余計な言葉はない。

 カイルはそれを工具箱へしまった。


 アトイは左右の髪留めに触れた。

 それから二つとも外し、作業台に残っていた細い結束帯で、長い青髪を背中へ一つにまとめた。その結び目へ、片方の琥珀色の髪留めを差す。

 残った一つを、カイルへ差し出した。


「保持してください」


「何で俺が……」


「現在の髪型には、一つで足ります」


「なら自分で持ってろ」


「歩行時に紛失する可能性があります」


「俺なら失くさねえってのかよ?」


「失くさないことを要求します」


「要求ばっかり増えやがる……」


 カイルは髪留めを受け取り、工具袋の内ポケットへ放り込んだ。

 アトイは後頭部へ触れ、ひとつに束ねた髪の位置を確かめる。


「それでいいのか?」


「はい。変更したいと判断しました」


「そうかよ」


 外の通りへ出る。

 朝の光が、ひとつに束ねられた青い髪と、結び目の琥珀を透かした。


 監視灯が二人を照らした。


 照合表示が一度点く。




 PEDESTRIAN : 2

 IDENTIFICATION : PROCESSING




 表示が止まる。


 時刻が三秒戻る。


 故障表示。


 隣の監視灯が、誰もいない路地へ照合枠を出す。


 少し先の案内板では、別の青い髪の人物が反対方向へ歩いたことになっていた。


 どれが正しいのか。


 中央へ送られる頃には、簡単には確定できない。


「壊れてるな」


 カイルが言う。


「複数の時刻同期にずれがあります」


「直すなよ?」


「権限がありません」


「そういう意味じゃねえ」


「理解しています」


 二人は歩く。


 上層へ続く輸送塔は、砂塵の向こうへ細く伸びている。


 配給所の開店を知らせる灯り。

 酸素販売機の料金表示。

 修理工のシャッターを叩く音。


 以前と変わらない下層の朝だった。


 変わったのは、歩く位置だけだった。


 サナの店では、アトイは命令どおりカイルの後ろを歩いた。

 今は命令がない。


 一歩だけ後ろへなりかけたアトイは、自分で歩幅を変え、横へ並んだ。

 カイルは何も言わず、速度も変えなかった。


 二人の間には、選び直した細い接続がある。


「どこへ行きますか」


 アトイが訊く。


「よし、まずは飯だ」


「カイルの栄養状態は確認できません」


「見りゃ分かるだろ?」


 アトイはカイルを見る。


「はい」


「その次は、そうだな……仕事探すぞ」


「私もですか」


「お前の修理代もある」


「私の所有物ですか」


「借金の話だ」


「契約内容がありません」


「今から作るか」


「選択権を要求します」


「面倒くせえ奴になったな」


「はい」


 カイルは少しだけ笑った。


 アトイはその変化を見た。


 提出しない。

 分類もしない。


 記憶する。


 二人は横に並び、そのまま街へ入った。

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