第1話 Avatar I
火星、エリシウム平原。
酸素は足りない。電池も足りない。
なのに、撃たなければならない機械だけは足りていた。
「くそ、ここはやけにスリーパードローンが多い」
男は、ヘルメット内に浮かぶ三つの残量表示を睨んだ。
酸素。バッテリー。携行型レールガンの残弾。
弾はある。
だが、背中のレールガンは通電中しか重量をごまかせない。電池が切れれば、武器ではなく、背骨を折る鉄塊になる。
かつて前線基地と資源搬送路が並んでいた廃墟群は、いまでは管理者を失った自律兵器の巣だった。管理者はいない。命令だけが残り、古い機械は今も侵入者を選別している。
胸元で、擦り切れた作業者タグが揺れる。
カイル・ローウェル。
下層では、その名前で酸素を買っている。
ホバーカーゴに積んだスクラップの量を、カイルは頭の中でざっと見積もった。
足りない。
食事を抜くとか、酒を我慢するとか、そういう話ではない。下層でそれは、もっと単純な意味を持つ。
息を吸う権利がなくなる、ということだ。
「……もう一つ奥までだな」
誰に聞かせるでもなく呟き、カイルはレールガンのグリップを握り直した。
その時、背後の曲がり角で金属が擦れた。
「またおでましか」
大型犬ほどの四脚ドローンが、赤い非常灯の下に姿を現した。
スリーパードローン。
普段は瓦礫の中で死骸のように眠り、古い照合信号にだけ反応して起き上がる旧式の保守兵器だ。
胴体は錆び、脚部の装甲は剥がれ、センサーの一つは割れている。
それでも、旧戦争時代の保守機械はしぶとい。壊れているように見えて、動く。死んでいるように見えて、追ってくる。
そのドローンの頭部に埋め込まれた表示灯が、掠れた赤で点滅した。
『居住ID照合……失敗』
『作業許可……確認不能』
『退去を……推奨……推奨……推奨』
「うるせぇよ。こっちは今月の空気代で忙しいんだ」
カイルは躊躇なく、腰だめにレールガンを構えた。
二発。
ヘルメットの視界で、淡い照準円が錆びた胴体の中央に重なった。
反動の薄い発射音が、崩れかけた通路に短く響く。プロジェクタイルはその中心を撃ち抜き、武装ユニットごと古い機械を床に叩きつけた。
高く売れる制御コアも、センサーブロックも、だいたい今ので死んだ。
「くそ……そこが一番高ぇのにな」
文句を言いながらも、カイルは使えそうな部品だけを乱暴に剥ぎ取り、ホバーカーゴへ放り込む。
そのまま奥へ進んだ。
最初は、少しだけ覗くつもりだった。
古い管理図にも載っていない区画。封鎖番号の剥がれた扉。通電しているのか死んでいるのか分からない端末。サルベージ屋にとっては、危険と同じくらい、収入の匂いがする場所だ。
だが、ドローンに追われるうちに、カイルは予定よりもずっと深いところまで入り込んでいた。
通信は弱い。
気密は怪しく、生命維持ラインも死んでいる。
ここで使える空気は、カイルが持ち込んだ分だけだった。
壁の配管はところどころ破裂し、赤い非常灯だけが、埃っぽい空気の中で明滅している。
その赤い光の間に、一瞬だけ別の色が混じった。
青。
カイルは足を止めた。
「……?」
振り返ると、壊れた監視カメラがあった。レンズは割れ、首振り機構は錆びついている。
動くはずのないカメラが、ほんの一度だけ角度を変えた。
カイルではなく、その背後にある青い光へ。
次に見た時には、もう止まっていた。
それでも、何かに見られた感覚だけが残った。
カイルは鼻で笑った。
「気のせいか。こんな死にかけの遺構に、こっちを見る余裕なんざあるかよ」
そう自分に言い聞かせてから歩き出す。
その直後、スーツの生体表示に、ほんの一瞬だけノイズが走った。
カイルが目を向けた時には、表示はもう元に戻っていた。
同じようにドローンを何度か追い払いながら進んだ先で、カイルは巨大な機械が鎮座する部屋へ辿り着いた。
行き止まりだった。
部屋は広い。天井は高く、壁の奥まで黒い筐体が連なっている。
古い冷却装置。切れたケーブル。床に散った透明なパネル。そのどれもが旧戦争時代のものだ。
だが、下層の廃墟にありがちな生活臭がない。
ここだけは、墓のように静かだった。
「これは……戦中のコンピューターか? しかし、こんなサイズのものは見たことがないな」
カイルが普段サルベージで目にするコンピューターは、せいぜい端末か小型制御箱だ。
だが、目の前の機械は部屋の天井まで届いている。
インジケーター類は、まだ生きていた。
淡く、規則正しく、呼吸のように光っている。
入力装置はない。
あるのは、筐体の表面を這う光だけだった。
警告でも、歓迎でもない。
部屋そのものが息を潜め、カイルが何を恐れ、何を欲しがるのか測っている。
「……気味悪いな」
カイルはレールガンを構えたまま、ゆっくりと周囲を見渡した。
部屋の隅に、大きなタンクがあった。
タンクにはパイプやコードが生えていて、それらは巨大なコンピューターへと伸びている。
保管容器にも見えるし、医療カプセルのようにも見える。
棺にも見える。
カイルがこの戦争遺構に来た目的は、表向きには調査だった。
本当の目的は、俗にミスリルと呼ばれる希少金属の回収だ。
火星で見つかったその金属は、通電している間だけ重さをごまかせる。軍も企業もこぞって食いついた。
そんな歴史の話はどうでもいい。カイルにとって重要なのは、今でも高く売れるという一点だけだ。
この巨大な戦中コンピューターも、無傷で運べるなら相当な値がつく。
売れれば来月の酸素代どころか、借金も、区画使用料も、まとめて片付くかもしれない。
「……欲をかく前に、まず来月の空気だな」
カイルは苦笑した。
どうやってここから外に出すか。バラすか。無傷で運ぶ方法はあるか。ホバーカーゴを何往復させればいいか。
その皮算用の隙を、狙っていたのかもしれない。
いつの間にか、室内に一体のスリーパードローンが入り込んでいた。
「っ――」
気づいた時には、もう遅かった。
飛び掛かってきたドローンは、その四本の脚部でカイルへと組み付く。
そして胴体から伸びた金属製のノズルで、カイルのヘルメット側面にある補助吸気ポートへと噛みついた。
警告音が鳴る。
『外部からの強制注入。気体構成異常』
白い煙が、バイザーの内側へ薄く流れ込んだ。
「……っ!? ガス、だ……と……」
スリーパードローンがそんな装備をしているなど、聞いたことも見たこともなかった。
呼吸が詰まる。
膝が揺れる。
視界が暗くなる。
その暗闇の底で、何かが彼の奥へ触れた。
見たくないものを、無理やり引き上げられるような感覚だった。
青い光。
古い部屋。
誰かの顔。
知っている顔だと思った。
だが、誰の顔なのか分からなかった。
その思考ごと、誰かに見られているような気がした。
BIO-SIGNAL DETECTED
LOCAL SCAN : PARTIAL
BIOLOGICAL SOURCE : ACCEPTED
VISUAL RESPONSE MODEL : SEARCHING
COMPANION RETENTION : REQUIRED
文字が浮かんだ気がした。
それが端末に表示されたものなのか、意識の内側に流れ込んできたものなのか、カイルには分からなかった。
次の瞬間、意識が途切れた。




