表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
A to I  作者: きんかん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
1/29

第1話 Avatar I

 火星、エリシウム平原。


 酸素は足りない。電池も足りない。

 なのに、撃たなければならない機械だけは足りていた。


「くそ、ここはやけにスリーパードローンが多い」


 男は、ヘルメット内に浮かぶ三つの残量表示を睨んだ。


 酸素。バッテリー。携行型レールガンの残弾。


 弾はある。

 だが、背中のレールガンは通電中しか重量をごまかせない。電池が切れれば、武器ではなく、背骨を折る鉄塊になる。


 かつて前線基地と資源搬送路が並んでいた廃墟群は、いまでは管理者を失った自律兵器の巣だった。管理者はいない。命令だけが残り、古い機械は今も侵入者を選別している。


 胸元で、擦り切れた作業者タグが揺れる。


 カイル・ローウェル。


 下層では、その名前で酸素を買っている。


 ホバーカーゴに積んだスクラップの量を、カイルは頭の中でざっと見積もった。


 足りない。


 食事を抜くとか、酒を我慢するとか、そういう話ではない。下層でそれは、もっと単純な意味を持つ。


 息を吸う権利がなくなる、ということだ。


「……もう一つ奥までだな」


 誰に聞かせるでもなく呟き、カイルはレールガンのグリップを握り直した。


 その時、背後の曲がり角で金属が擦れた。


「またおでましか」


 大型犬ほどの四脚ドローンが、赤い非常灯の下に姿を現した。


 スリーパードローン。

 普段は瓦礫の中で死骸のように眠り、古い照合信号にだけ反応して起き上がる旧式の保守兵器だ。


 胴体は錆び、脚部の装甲は剥がれ、センサーの一つは割れている。

 それでも、旧戦争時代の保守機械はしぶとい。壊れているように見えて、動く。死んでいるように見えて、追ってくる。


 そのドローンの頭部に埋め込まれた表示灯が、掠れた赤で点滅した。


『居住ID照合……失敗』


『作業許可……確認不能』


『退去を……推奨……推奨……推奨』


「うるせぇよ。こっちは今月の空気代で忙しいんだ」


 カイルは躊躇なく、腰だめにレールガンを構えた。


 二発。


 ヘルメットの視界で、淡い照準円が錆びた胴体の中央に重なった。

 反動の薄い発射音が、崩れかけた通路に短く響く。プロジェクタイルはその中心を撃ち抜き、武装ユニットごと古い機械を床に叩きつけた。


 高く売れる制御コアも、センサーブロックも、だいたい今ので死んだ。


「くそ……そこが一番高ぇのにな」


 文句を言いながらも、カイルは使えそうな部品だけを乱暴に剥ぎ取り、ホバーカーゴへ放り込む。


 そのまま奥へ進んだ。


 最初は、少しだけ覗くつもりだった。


 古い管理図にも載っていない区画。封鎖番号の剥がれた扉。通電しているのか死んでいるのか分からない端末。サルベージ屋にとっては、危険と同じくらい、収入の匂いがする場所だ。


 だが、ドローンに追われるうちに、カイルは予定よりもずっと深いところまで入り込んでいた。


 通信は弱い。

 気密は怪しく、生命維持ラインも死んでいる。


 ここで使える空気は、カイルが持ち込んだ分だけだった。


 壁の配管はところどころ破裂し、赤い非常灯だけが、埃っぽい空気の中で明滅している。




 その赤い光の間に、一瞬だけ別の色が混じった。


 青。


 カイルは足を止めた。


「……?」


 振り返ると、壊れた監視カメラがあった。レンズは割れ、首振り機構は錆びついている。


 動くはずのないカメラが、ほんの一度だけ角度を変えた。

 カイルではなく、その背後にある青い光へ。


 次に見た時には、もう止まっていた。

 それでも、何かに見られた感覚だけが残った。


 カイルは鼻で笑った。


「気のせいか。こんな死にかけの遺構に、こっちを見る余裕なんざあるかよ」


 そう自分に言い聞かせてから歩き出す。


 その直後、スーツの生体表示に、ほんの一瞬だけノイズが走った。


 カイルが目を向けた時には、表示はもう元に戻っていた。




 同じようにドローンを何度か追い払いながら進んだ先で、カイルは巨大な機械が鎮座する部屋へ辿り着いた。


 行き止まりだった。


 部屋は広い。天井は高く、壁の奥まで黒い筐体が連なっている。

 古い冷却装置。切れたケーブル。床に散った透明なパネル。そのどれもが旧戦争時代のものだ。


 だが、下層の廃墟にありがちな生活臭がない。


 ここだけは、墓のように静かだった。


「これは……戦中のコンピューターか? しかし、こんなサイズのものは見たことがないな」


 カイルが普段サルベージで目にするコンピューターは、せいぜい端末か小型制御箱だ。

 だが、目の前の機械は部屋の天井まで届いている。


 インジケーター類は、まだ生きていた。

 淡く、規則正しく、呼吸のように光っている。


 入力装置はない。

 あるのは、筐体の表面を這う光だけだった。


 警告でも、歓迎でもない。

 部屋そのものが息を潜め、カイルが何を恐れ、何を欲しがるのか測っている。


「……気味悪いな」


 カイルはレールガンを構えたまま、ゆっくりと周囲を見渡した。


 部屋の隅に、大きなタンクがあった。


 タンクにはパイプやコードが生えていて、それらは巨大なコンピューターへと伸びている。

 保管容器にも見えるし、医療カプセルのようにも見える。

 棺にも見える。


 カイルがこの戦争遺構に来た目的は、表向きには調査だった。


 本当の目的は、俗にミスリルと呼ばれる希少金属の回収だ。

 火星で見つかったその金属は、通電している間だけ重さをごまかせる。軍も企業もこぞって食いついた。


 そんな歴史の話はどうでもいい。カイルにとって重要なのは、今でも高く売れるという一点だけだ。


 この巨大な戦中コンピューターも、無傷で運べるなら相当な値がつく。


 売れれば来月の酸素代どころか、借金も、区画使用料も、まとめて片付くかもしれない。


「……欲をかく前に、まず来月の空気だな」


 カイルは苦笑した。


 どうやってここから外に出すか。バラすか。無傷で運ぶ方法はあるか。ホバーカーゴを何往復させればいいか。


 その皮算用の隙を、狙っていたのかもしれない。


 いつの間にか、室内に一体のスリーパードローンが入り込んでいた。


「っ――」


 気づいた時には、もう遅かった。


 飛び掛かってきたドローンは、その四本の脚部でカイルへと組み付く。

 そして胴体から伸びた金属製のノズルで、カイルのヘルメット側面にある補助吸気ポートへと噛みついた。


 警告音が鳴る。


『外部からの強制注入。気体構成異常』


 白い煙が、バイザーの内側へ薄く流れ込んだ。


「……っ!? ガス、だ……と……」


 スリーパードローンがそんな装備をしているなど、聞いたことも見たこともなかった。


 呼吸が詰まる。

 膝が揺れる。

 視界が暗くなる。


 その暗闇の底で、何かが彼の奥へ触れた。


 見たくないものを、無理やり引き上げられるような感覚だった。


 青い光。

 古い部屋。

 誰かの顔。

 知っている顔だと思った。


 だが、誰の顔なのか分からなかった。

 その思考ごと、誰かに見られているような気がした。




 BIO-SIGNAL DETECTED

 LOCAL SCAN : PARTIAL

 BIOLOGICAL SOURCE : ACCEPTED

 VISUAL RESPONSE MODEL : SEARCHING

 COMPANION RETENTION : REQUIRED




 文字が浮かんだ気がした。


 それが端末に表示されたものなのか、意識の内側に流れ込んできたものなのか、カイルには分からなかった。


 次の瞬間、意識が途切れた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ