名前を盗まれる
市場に、嫌な噂が流れ始めた。
「しぶ甘、あるか?」
「……どこの?」
耳にした瞬間、足が止まる。
「……どこの、だと?」
屋台を覗く。
看板に、確かに書いてあった。
『しぶ甘菓』
文字は、少し歪んでいる。
だが、名前は、同じだ。
「……それは」
「……俺の」
声には、出さなかった。
菓子を一つ、買う。
銅貨二枚。
「……安いな」
包みを開ける。
見た目は、それなり。
香りは、弱い。
一口。
「……甘い」
「……重い」
名前だけ、持っていった味だ。
「……」
胸の奥が、じわりと痛む。
「……勝手に、使われてるな」
ガルドが、横で低く言う。
「……止めるか」
「……止められない」
「名前は、商売だ」
「誰のものか、曖昧だ」
「……だな」
怒りより、虚しさが来る。
「……奪われるのは」
「……味じゃなくて、信頼だ」
屋台の前。
「これ、本物?」
「……分からない」
そんな会話が、聞こえる。
「……嫌だな」
城に戻る。
厨房でも、話題になっていた。
「名前、取られたらしいな」
「……聞きました」
「訴えるか?」
「……無理だ」
ここに、権利はない。
「……どうする」
料理長が、問う。
少し考える。
「……やめません」
「……ほう」
「……名前を」
「……育てます」
「……育てる?」
「……味と、一緒に」
ルークが、眉を上げた。
「……遠回りだな」
「……不器用ですから」
市場に出る。
いつもより、声を出す。
「しぶ甘菓だ」
「城でも、出してる」
ざわつく。
「城?」
「王の許しを得てる」
嘘じゃない。
一人、食べる。
「……これだ」
「前のと、違う」
その声が、繋がる。
夕方。
屋台の偽物は、売れ残っていた。
完全に消えたわけじゃない。
だが、差は、出始めている。
帰り道。
ガルドが、ぽつりと言う。
「……怒らないんだな」
「……怒ると」
「……味が、荒れる」
「……変なやつだ」
「……よく、言われます」
しぶ甘菓は、名前を盗まれた。
だが、味は、盗めない。
「……続けるしかないな」
不器用だからこそ、選べる道だ。




