25 夜闇の足音
彼女との添い寝も習慣になってきた頃、ジャックはずっと考えていた疑問を口にした。
「なんでアンタは俺にここまでしてくれるんですか。」
「気まぐれよ。」
彼女は無防備な薄着で頬杖をつき、ベッドに寝転ぶ。
「普通付き合ってもない男と添い寝なんてしないでしょう。それとも、アンタも誰とでも寝る女?」
「…そうだって言ったら?」
「つくづく俺は女運ねぇなと思いますね。」
彼女に告白した後も、今まで通りの関係が続いていた。
夕方公園で待ち合わせし、少しの会話を楽しむ。
そして時々彼女は添い寝をしにジャックの自宅を訪れる。
それだけの関係。
フラれたのだろうか。
それとも、まだ可能性はあるのだろうか。
自分に愛の言葉を言わせたくせに。
女心はよくわからない。
当の本人はいつもと変わらず。
ジャックを試すように意地悪な言葉で弄ぶ。
「ずっと気になってたんだけど…。貴方、ちゃんと仕事してるの?毎日毎日私に会いに来るなんて、よっぽど時間を持て余してるのね。」
「俺だって、たまーにちゃんと働いてますよ。」
「たまーに、って。」
彼女と逢瀬を重ねるうちに、荒んでいた心は随分と穏やかになった。
暗い部屋に籠もりきりだった時とは違い、それなりに外に出て以前のようにやる気がないながらも仕事をこなすようになっていた。
アダムの死、ノエルとの決別、アンジェラとの別れ。
その全てに心の折り合いはついていないけれども、なんとか元の生活を取り戻しつつあった。
「俺あんま好きじゃないんですよ。戦うとか、勝つとか負けるとか、奪うとか奪われるとか、殺すとか殺されるとか、そういうの。テキトーにそれなりに楽しく暮らしたいだけ。」
「もったいないわね。貴方ほどの力があれば王になってなれるでしょうに。」
「興味ないっすね。権力とか名声とか。そんなもんどうだっていいんです。」
「ふーん。変わってるのね。男はみんな好きじゃない、そういうの。」
「俺は争いは好まない主義なんで。」
「どうして?過去に何か嫌なことでもあった?」
「…どうでしょうね。」
「聞きたいわね。貴方の昔話。」
興味津々というように、彼女の瞳がジャックを見上げる。
「別に面白い話なんてなんもねぇですよ。」
「どんな子供だったの?」
「んー、そうですね…。簡単に言うと、いじめられっ子でしたね。俺、こんなだし。」
「へえ。意外ね。」
「無視されたり、悪口言われたり、物を隠されるとかはしょっちゅうでした。殴られたり蹴られたりしたこともありましたね。まあ、やられっぱなしは性に合わないので、腕力で勝てなかった俺はその頃から魔術の勉強を始めました。幸いすぐに才能開花してそれなりの力を手に入れちゃいましたね。」
「それでいじめっ子達を撃退したの?」
「そうですね。ちょっと脅かして、しばらくはそういうのは無くなりましたね。」
「よかったじゃない。それで?めでたしめでたしってわけじゃないんでしょう?続きは?」
畳み掛けるような彼女の勢いに、ジャックは戸惑う。
「…俺の子供の頃の話なんて、本当に興味あります?」
「興味あるわよ。貴方の人生。今までどんな経験をしてきたか。どんな人に出会ったか。全部知りたいわ。」
「…熱烈な口説き文句ですね。」
「ふふ、でしょ?」
彼女は長い睫毛を揺らし目を細める。
そんなさりげない仕草ですら美しく見えた。
ジャックはたいして面白くないはずの自分の人生を思い返してみる。
「俺が10歳の時だったかな、両親が離婚して母親に引き取られて、母親は俺達を養うために水商売を始めました。そのこともあってイジメはひどくなったんですが…まぁ、それはいいや。しばらくは3人でそれなりに楽しい生活が続きました。でも、ある日突然母親は消えました。多分、毎週末家に来ていた男のとこへ行ったんでしょうね。…俺達は捨てられました。妹はまだ3歳になったばかりの頃で…。まあ途方に暮れましたね。俺も12歳とかでしたから。親戚とかもいないし…俺達は孤児院に送られました。」
「それは…大変だったわね。」
「いえ、ここからが面白いんですけどね。そこはちょっと特殊な教会の孤児院だったんです。あろうことか、そこの牧師は悪魔と契約していたんです。その悪魔と結婚もしてて、いつも二人は仲良さそうに寄り添って笑ってました。知ってます?悪魔と契約すると、その人が死んだらその魂は契約した悪魔が食べちゃうんですって。それ聞いて俺、なんかいいな、って思って。死んでも相手の一部になれるって…なんかゾクゾクしません?」
「へえ。ジャックは悪魔に会ったことがあるのね。」
「ええ。綺麗な人でした。」
「ふぅん。」
「それで俺、魔術の勉強と一緒に悪魔学の勉強を始めたんです。牧師様みたいに悪魔の手を取ってみたくなっちゃって。色々召喚術を試しました。それで………あれ。」
流暢に動いていた口が突然止まる。
「どうしたの?」
「いや、…俺、たまに思い出せなくなるんです。とこらどころ記憶が一部欠けてるというか…。俺は悪魔を召喚しようとしたんです。したんですけど…。」
そのシーンを思い出す。
薄暗い屋根裏部屋。子供達が寝静まった午前二時。
月明かりが差し込む小さな窓。
紋章の描かれた床。灯された蝋燭。
未成熟な細い腕で分厚い本を捲る。
声変わり前の幼い声で呪文を唱える。
呼び出そうとした悪魔の名前はー。
「…すんません、ちょっと思い出せません。失敗したんだったかな…。」
何度そのシーンを思い返しても思い出せなかった。
記憶の欠落。思い出せなくてもいいと思っていたが、まさかこんなところで弊害があるなんて。
彼女はただ黙ってジャックを見つめていた。
「そうだ、悪魔を召喚するにはシジルっていう紋章が必要になるんですが、シジルは悪魔によって違っていて…。」
言いかけて、ジャックはあることを思い出す。
「なぁ、アンタ。もっかいタトゥー見せてくれません?」
「嫌よ。えっち。」
「いや、アンタの肩に入っていたのって何かのシジルに似てたような…。」
以前見た彼女の右肩のタトゥー。
ジャックはそれに見覚えがあった。
それが何かと問われれば言葉に詰まるが、今ならわかる。
あれは、何かのシジルに酷似していた。
それが何の悪魔のシジルかと問われれば、また言葉に詰まるのだけれど。
「…見たら、思い出すの?」
「…わかりません。」
「私、安売りはしない主義なのよ。それでも見たいって言うなら…覚悟することね。」
ずい、と彼女の身体が近づく。
「ねえ、どうする?本当に見たい?ここから先は引き返せないわよ?」
「それってどういう…。」
返事を待たず、彼女はシャツのボタンに手をかける。
ひとつ、ふたつ、みっつ。
ゆっくりとあらわになっていく肌。
最後のボタンを外した彼女は、以前と同じくジャックに背を向ける。
そしてゆっくりとシャツを下ろした。
「ねえ。何か思い出した?」
彼女の右肩に刻まれたタトゥー。
自分はこれを見たことがある。
確かに見たことがあるのに、思い出せない。
「えっと…。」
必死に思考を巡らせるが、その答えに辿り着けない。
「私、まどろっこしいのは好きじゃないの。貴方が全部思い出すまでは黙っていようと思ったけど…。もう待てない。」
振り返った彼女はジャックを押し倒すように覆いかぶさる。
月明かりに反射する銀の髪。長い睫毛の奥でギラギラと光る銀の瞳。露わになった彼女の白い肌。
「貴方はその記憶を思い出したいと思う?私にはできるわよ。貴女の記憶、返してあげようか。」
妖しく笑った彼女の背にはカラスのような翼が生えていた。
「アンタ…何者だ。人間じゃねぇ、ですよね…。悪魔…?」
自分が恋をした相手は、どうやら人間じゃなかったらしい。
月の光を背に照らされた彼女は目眩がするほど美しく見えた。
その姿。その翼。なんだかひどく懐かしく思える。
この美しき悪魔に、自分は確かに見覚えがある。
「選んで、ジャック。貴方は過去の記憶を取り戻したい?辛い思い出もあるわ。でも、貴方は大切なことを忘れてる。忘れたままじゃダメなのよ。」
「…俺は…。」
ーーーーー
太陽も眠った午前二時。
蝋燭だけが照らす薄暗い室内でビクスドールのような耽美な顔をした男は首を傾げる。
手には部下が持ってきた書類と写真が握られていた。
「サヴァリアか…。田舎の辺鄙な小さな島国じゃないか。こんなところに本当に彼女はいるのかい?」
男は深紅の瞳で部下の女を見据える。
「アンジェラの記事が書かれた本を交易船を通じて様々な国にばら撒きました。その中で本に興味を示した国は7つ。全ての国に密偵を派遣して調査したところ、サヴァリアでカグツチの姿を確認しました。」
「でも、アンジェラの姿は確認できなかったんだろう?」
「カグツチはアンジェラの傀儡ですよ。ここ40年程はカグツチとアンジェラはセットで目撃されています。彼がいるなら彼女もそこにいるはず。」
「ふむ。なるほどね。」
作り物のように美しい造形の顔をした男は不敵に微笑む。
「じゃあ彼女を迎えに行こうか、サヴァリアへ。決行は1ヶ月後だ。」
「仰せのままに。ブラッドリー様。」
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