ミーティング
大仲にスタッフ一同が集まると、エレノアはモンキー乗りを試みた意図について話し始めた。
壁に掛けられたボードの前にエレノアが立ち、講義をするかのような形となっている。
「馬具職人に頼んだのがやっと今日届いたのよ。おかげでうちの子も調子いいわ」
エレノアは明るい声音で言った。
「つーか、手回しがいいな。グラントさんの分も用意してたってことだろ」
エレノアの仕事ぶりに呆れつつも感心する恭介。
「リジャイナの分もあるわよ」
「え、マジ?」
リジャイナは苦い顔つきになった。
「馬に乗れる人はモンキー乗りを習得した方がいいわ。なるべく普段の調教でもやるべきよ」
「しかし、お嬢さま。キョースケみたいにレースに乗るならともかく、普段の調教でもモンキー乗りをする意味があるのですか?」
オリアナが申し立てる。
「モンキー乗りって、馬の負担を減らす乗り方なのよね」
と、エレノアは恭介に顔を向ける。
初めてやったモンキー乗りを爽快に感じたらしく、エレノアの表情に赤みが帯びていてまだ興奮が残っているようだ。
「ああ、鞍にケツを乗せると、馬の背中を痛めてしまうし、何よりも上から押さえつけてしまうから、走法を乱して脚の怪我につながるからな」
「だからよ」
とエレノアは恭介に顔を近づけて喜色を浮かべる。
その表情が可愛いと思い、恭介は一瞬胸が高鳴り、顔が熱くなった。
「だから、なんだよ」
腕を組んでいるグラントが憮然と言った。
モンキー乗りをやらされてペガサスから落とされたのだから文句の一つも言いたくなるだろう。
「負荷をかけるならともかく、余計な負担をかける乗り方はいけないって思ったの。普段の調教でもそうじゃないかしら」
「しかし、いきなりキョースケみたいに乗れって言うのは無茶じゃないですか。キョースケだっていきなりモンキー乗りができたわけじゃないだろうし」
ラモンが反論した。
「まあ、その点は慣れっすね。コツを掴めばすぐにできますよ」
「ほんとぉ?」
リジャイナが疑わしい声をあげる。
「だが、お嬢さまの言うことは一理ある。レースの結果は調教で決まると言っても過言ではない。普段から余計な負担のかからない調教をする上では、モンキー乗りの習得は効果的かもしれん。いっそのことキョースケの練習にグラントやリジャイナも連れて行ってモンキー乗りを習得してもらえばいいだろう」
と賛同の声をあげたのは、馬場管理者のミノルである。
ベテランらしく、堂々とした口調だった。
「そうだな。ミノルさんの言う通りかもしれん」
同じく賛成するロディ。
「となると、あたしやロディさんもモンキー乗りをしなきゃいけないのかぁ」
オリアナも意見を傾けそうになる。
「けどさぁ、飛翔はどうするのよ。キョースケでさえ苦労しているんだし、調教でも苦労するわよ」
リジャイナは不満げな声を上げた。
「まったくだ。平地でも全然バランスが取れないし、どう乗っていいかわからないんだよ」
落とされたグラントは当然のように愚痴る。
「グラントさん、エレノアから乗り方教わりました?」
恭介が訊いた。
「いいや、いきなりキョースケみたいに乗れって言うもんだから仕方なくやったんだよ」
「……エレノア、ちゃんと教えてやれよ」
スタッフが怪我したらどうするのか考えなかったのか不思議に思った。
「だって、キョースケを見てたらどう乗ったらいいかわかるでしょ」
エレノアは困惑気な表情を浮かべる。
「お嬢さまは天才肌ですからね。騎手としてはそれでいいですが、指導する立場ではさすがにダメですよ」
オリアナが注意を促す。
「うーん、たしかにそうかもね」
と、エレノアは流石にまずいと思ったらしく、苦笑いを浮かべる。
「で、どうするんだ? 俺は別に教えてもかまわないけど」
恭介は後ろ頭に手を組んだ。
「なら、早速明日から始めましょう。調教でも極力モンキー乗りをすること、あと余裕が合ったら練習場に行きましょう」
「りょーかい。キョースケ、ちゃんとコーチしてね」
リジャイナが言った。
「しょうがねえな。頼むよ、キョースケ」
グラントも渋々了承する。
「けど、調教でやるのはどうなんだ? ある程度練習場で慣れてからじゃないと」
ラモンが質問する。
彼はペガサスに跨らないが、グラントが落馬したのを見ているので、心配になったようだ。
「大丈夫ですよ。レースに乗るってんならともかく、調教で乗るぐらいならすぐにできるようになりますから」
「なんか心配だねぇ。上手くいくかな」
オリアナが不安そうにため息を吐く。
「まあ、グラントやリジャイナはともかく、姐さんは無理かもなぁ」
「あん?」
オリアナの眉根に皺が刻まれた。
ラモンが何を言うかすでに予測がついているようだ。
「その歳だと学習能力が落ちているでしょ。ほら、人間って歳をとればとるほど新しい技術を習得しづらいって言うし、姐さんそろそろ――」
ラモンは言い切るまえに後ろに吹っ飛んでしまった。
オリアナがテーブルに手をつき、人間離れした素早い動きでテーブルを飛び越えて、ラモンの胸元に飛び蹴りを放ったからだ。
ラモンはしたたかに背中を打ち付けると、オリアナを見上げた。
「ラーモーン、あんたほんっと懲りないねぇ」
オリアナは腕を組んでラモンを見下ろしている。
恭介からは後ろ姿しか見えないが、殺気じみたオーラが醸し出されているように感じた。
「ごめんごめん。ついほんとのことを――」
「あたしはまだ二十代だっつうの!」
オリアナは片足を上げてラモンを踏みつけようとした。
「うわあー、ちょっと待ってオリアナさん」
グラントは慌てて駆け出しオリアナの後ろに近寄って彼女を羽交い絞めにした。
「離しな、グラント。今日こそその減らず口、叩き直してやる」
羽交い絞めを解こうと暴れ出すオリアナ。
「……ほんとに元警官かよ」
ぼそっと呟く恭介。
ツッコミにしても暴力的過ぎる気がした。
「ほっときましょ。それよりもキョースケ、次の騎乗予定なんだけど」
エレノアは平然とした面持ちで恭介に資料を渡す。
「一週間後のミラーパーク競馬場、か」
恭介はざっと資料に目を通した。
平地で二十鞍、飛翔で十五鞍の予定が組まれていた。
平地では数多くの有力馬に騎乗できそうで、飛翔の方でも少しばかり馬質が良くなっている感がある。
「ん?」
あるペガサスの資料を目にして手が止まった。
「エレノア、ビクトリーフラッグを出すのか?」
「うん。急遽だけど、仕上げるためにレースに出すことにしたの」
「それも飛翔競走か」
スピレッタ調教場のペガサスで飛翔競走へ挑むのはまだ先だと思っていた。
さっきまでコースでのり込んでいたのは、モンキー乗りの練習の他にビクトリーフラッグの調教量を増やし、仕上げる意図があるらしかった。
ところが、思ったように仕上がらずやむなくレースを使って仕上げる方向に転換したようだ。
ビクトリーフラッグは開催最終日の条件戦に出走登録をしてある。
負担重量は六十三キロで出走馬の中では平均的である。
「でも、ここは勝たなくても良いし、気楽に乗って良いわ。一通りレースを経験させて次に備えればいいから」
「けど、また遠征するんだろ。ちょっと費用がかさむんじゃないか?」
「そればかりは仕方ないわね。近くの競馬場で開催はないし、損をするかもしれないけど、将来的にはプラスになりそうだから」
ミラーパーク競馬場はマルスク王国の西部に位置し、スピレッタ調教場からそう遠くないものの、日帰りで通うのは無理そうだった。
エレノアが用意してくれた資料にはご丁寧にミラーパーク競馬場の位置まで記してあった。
近くにはヴィデットという地方都市があり、それなりに栄えているようだ。
「あとね、うー、どうしようかしら」
なぜか悩む素振りを見せるエレノア。
「なにか問題でもあるのか?」
「うん。キョースケが言った通り費用がかさむから、わたしとキョースケだけで遠征しようかなって」
「しかしお嬢さま、今回はビクトリーフラッグのみの遠征です。転厩馬もそろそろ入厩しますし、お嬢さまが不在だと他のペガサスの調教も滞る可能性があります。それにリンウェルダウンズとは違い、直前の輸送も考慮しなければ」
ロディが意見を出す。
オリアナとラモンがなにやら騒いでいるが気にしている暇はない。
「でもさぁ、ミラーパークっていえば結構いい競馬場よ。大きいレースがない日でも有力な馬主さんが来場するかもしれないし、エレノアが営業活動すれば、ペガサスを預けてもらうチャンスもあるんじゃないかな」
リジャイナは調教師志望らしく経営的な視点から意見を出す。
ラモンの悲鳴が耳に届くが、それも無視して話を進める。
「そこが悩みどころなのよ。ビクトリーフラッグは輸送に強いし、直接うちから競馬場に行けばいいんだけど、挨拶回りをするとなると恭介と一緒に行った方がいいかもしれないし……」
様々な点を考慮しなければならず、エレノアは中々考えがまとまらないようだった。
ビクトリーフラッグを出走させ、馬主に挨拶回りをして、少しでも預託馬を増やしたいところだ。
だが、レースに出走しないペガサスたちの管理もしなければならず、自分がどう動けばいいか迷っているのだった。
「お嬢さま、キョースケと行ってください」
不意にオリアナが言った。
息を切らしており、傍らにはダウンしたラモンが物言わずに転がっている。
恭介たちが話し合っている間に、シバキ倒したようだ。
「オリアナ、そう言ってくれるのはありがたいけど……」
「お嬢さま!」
いきなり声を張り上げるオリアナ。
するとオリアナはエレノアに近づいて手を肩に置いた。
「あたしたちは素人じゃないんですよ、少しは信用してください」
「オリアナ……」
「大丈夫。あのバカを扱うほど難しくはありません。一通り調教メニューを指示してくだされば、あたしたちで何とかします。もしなにか問題があればちゃんと連絡しますので」
オリアナはふっと微笑をもらした。
「そうか、信頼だな」
ロディがそっと呟いたのが、恭介の耳に届いた。
その言葉に呼応して恭介も口を開く。
「決まりだな。俺とエレノアでミラーパークに遠征。それまでの間、みんなにモンキー乗りを教える、と」
「ええ。それと、ビクトリーフラッグは当日の朝調教場から輸送するわ」
大方のスケジュールが告げられると、スピレッタ調教場のスタッフたちはそれに同意した。
◇
解散したあと、恭介大仲に残ってレース映像を見たり、資料を読んだりして研究に励んだ。
特に飛翔競走での欠点を洗い出し、次の開催に備える。
今度はわずかに馬質が上昇しており、乗り方一つで勝ち筋を見出せそうな感じがある。
――にしても……。
資料を読んでいると、恭介は気がかりな点を見つけた。
自分の乗るペガサスではなく、相手関係に対してである。
「あー、疲れたぁ」
研究に没頭していたとき、エレノアの声がした。
彼女は冷蔵庫からボトルを出すと恭介の向かいの椅子にどかっと座り、栓を開けると顎を上げてぐいぐい飲み始めた。
ロディやオリアナがいないのですっかりオフモードに突入したようだ。
「おつかれ」
恭介は軽く言葉をかけると、また資料に目を落とす。
「あ、そうだ」
とエレノアは急に背筋を伸ばした。
「なんかあったのか?」
「ううん、大したことじゃないわ。キョースケに取材の依頼が来ているのよ」
「取材?」
「そう。『ベイヤードスポーツ』って知ってる?」
「ああ、リンウェルダウンズの控室で読んだよ。ゴシップっぽい新聞じゃなかったっけ」
勇者の末裔が宇宙人を捕まえたといううさん臭い記事が載っていたのを思い出した。
「娯楽面では飛ばし記事を書くけど、ペガサス競馬や闘技場に関してはまともなのよ」
「……日付も正確だよな」
「そうよ。よくわかったわね」
「似たスポーツ紙がこっちの世界にもあるんだよ。で、どんな取材?」
「ペガサス競馬に関する簡単なインタビューよ。キョースケのプライベートまであまり聞かれないと思うわ」
「大丈夫か? 異世界から来たって言っちゃうかもしんないぞ」
「こういう取材も受けないとかえって怪しまれるわ。上手く煙に巻きながら時には正直に、時にはユーモアを交えるのがコツよ」
言うは易く行うは難しを地で行くようなアドバイスである。
「とりあえず、普通のことを言うよ」
としか言いようがなかった。
「わたしも付き添うから安心して。いざとなったらうちの調教について話すから」
「なら大丈夫か」
いざとなったらエレノアに話題を振ればいいと都合の良い計算を立てた。
「なにか気になることでもある?」
エレノアは恭介の懸念に気づいたらしいが、オフモードから抜けきらず、ボトルを持ちながら両腕をテーブルの上に置いて上体を曲げて恭介を見上げた。
「いや、またジュスタンさんの馬が多いなって思っただけ」
「仕方ないわ。あそこ、頭数だけは多いんだから手あたり次第出走させているのよ。けど……」
「ジュスタンさん、また何か仕掛けてくるかもな」
「そうね。あと、もう一つ懸念があるのよ」
「え?」
恭介はまた資料に目を落とす。
「ジュスタンと懇意にしている人たちも参戦するの。それもあまり評判の良くない馬主さんたち。中途半端に有力馬を抱えているからタチが悪いわ」
「ちょっと難しくなりそうだな」
「ええ。あと、バジルのことね。油断はできないわ」
エレノアは急に真面目な口調になった。
「腕利きのトレーナーが本気を出したなら、今までのタドカスター調教場とは違うかもな」
「ジュスタンの陰謀に、バジルの手腕。手強くなるわね」
エレノアは腹を括ったかのようにはっきり言った。
リンウェルダウンズでは様々な策略を巡らせながらも、逃げ切ったジュスタンのことだ。
今回も悪知恵を働かせて恭介たちを罠に陥れるかもしれない。
それにかつてエレノアの父、キプロン伯爵の元で辣腕を発揮したバジルが本領発揮するとなると、次回の遠征、一筋縄ではいかない雰囲気が滲み出てくる気がした。
飛翔競走の初勝利には越えなくてはいけないハードルがいくつも存在する。
難しい開催になりそうだった。




