12. 舞花の危機
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部屋の広さは10畳ほどの洋室。ベッドと机や椅子、小さなタンスしかないシンプルな部屋。
ガラス窓には水が流れており、遠くの空から光が走ったのが見えた。舞花の思った通り、一雨きたらしい。
室内に入った舞花は顔をしかめて鼻を押さえる。部屋中に立ち込めるたばこの臭いが鼻をついたのだ。部屋の壁が汚れているのも、埃が混ざったたばこのヤニに違いない。
「美琴さんの秘密ってなんですか?」
舞花の問いに、綿世は「そうあせるなよ」と黄ばんだ歯を見せてドアを閉めた。
そして「カチ」という音。
(なんで鍵を閉めるかな~……)
平静を装いながらも、舞花は気が気でならない。
いざという時にはと、なにか武器になりそうな物を目で探す。目に入ったのは机の上にある灰皿だった。ガラス製でそれなりの大きさがある。綿世を怯ませることくらいは出来そうだ。
舞花は護身用にと合気道を習っており、腕前もそれなりにはある。しかし、それは道場でのこと。実戦では礼に始まり礼で終わるということはなく、相手は感情剥き出しでいきなり襲いかかってくる。それに対応できるほど舞花の心は強くはなかった。美琴の部屋の前では、重康の振り上げた杖を目の前にして体が硬直してしまったように。
「突っ立ってないで、こっちに来て座ったらどうだ」
綿世がそう言ってポンポンと叩いたのは、自分が腰を下ろしたベッドの隣。
その顔はいやらしくニヤついている。
(誰が行くかっ!)
舞花はそう思いながら「私はこっちで大丈夫です」と、灰皿のある机まで行き椅子に腰かける。
右腕を机の上に置き、いつでも灰皿を握れる体制を整えた。
「まあそう警戒するな。別に取って食おうってんじゃないんだからよ」
言葉と表情が一致していない綿世に、舞花はもう一度「美琴さんの秘密ってなんですか?」と訊ねた。震える声を押し殺して。
「事件とは関係ないかもしれないぜ?」
意味深な笑みを見せる綿世。
「構いません。その秘密というのも気にはなりますが、どうして綿世さんがその秘密を知ったのかという過程にも興味がありますので」
「秘密を知った過程に?」
思いもしなかった言葉を耳にした綿世が眉をひそめる。
「美琴さんと綿世さんの関係が良好だったとは聞いていませんので、美琴さんが秘密をあなたに打ち明けたとは思えないのです。なのに綿世さんは美琴さんの秘密を知っていると言う……。その情報の信憑性を疑われても仕方ありませんよね?」
「チッ。誰から聞いたのかは知らないが、たしかにあの小娘は裏側で片を付ける俺を毛嫌いしてやがったよ。ったく、誰のおかげで良い暮らしが出来ていたと思ってたんだか」
含みを持たせた舞花の言い方に綿世が乗ってきた。しかも、自分は三栗谷家にとって表沙汰にはできなかった事をやってきたのだという自白つきで。
美琴と綿世の関係が良好だったとは聞いてないという言葉に嘘はない。なんせ、舞花は綿世という存在をさっき知ったばかりなのだから。
しかし後ろめたいことがある綿世は、「関係が良好ではなかった」という言葉に反応して、舞花はすでに美琴が自分を嫌っていたことを知っているのだと勘違いした。
舞花も、話で聞いている美琴が綿世のような男を信頼するはずはないと思っていた。ましてや、自分の秘密を打ち明けるには値しないはずだと。言葉に含みを持たせたのは賭けたわけではない。
これで美琴へと気が逸れた綿世。舞花に何かをしてくるのだとしても、それは話を全て終えた後であろう。ただでさえ話したがっていたのに、今はさらに美琴への苛立ちも積もっている。美琴の秘密がどんなものなのかはまだわからないが、綿世は決して嘘は言わないに違いない。
あとは、綿世の話を聞きながら、どうやって穏便にこの部屋を出るかを考えればいい。と、舞花はおバカそうな綿世に胸を撫で下ろした。
綿世は自分を落ち着かせるようにたばこに火をつけ、ふぅっと煙を吐きながら舞花を見据える。
「これは重康様や久恵様は知らねえ事なんだがな――」
綿世はそう前置きすると、たばこをもう一飲みする。
「実はな……あのふたり、デキてたんだよ」
「あのふたり?」
「わからねえか?」
「予想はつきますけどね」
舞花の胸はトクンと鳴っていた。
美琴と誰かが恋仲にあったというのなら、舞花にはその『誰か』の見当はついている。綿世は重要視していないようだが、これは事件の核となる重要証言である。だからこそ、綿世の口から言ってもらう必要があった。
だが、綿世は簡単には教えてくれそうもない。それどころか――
「それを教えたら、あんたは俺に何をしてくれる?」
またしてもいやらしい笑みを浮かべた。そして、
「都会の女を……てのも悪くねえな。あんた美人だしよ……」
舐めるような視線を舞花に送る。
寒気のする気持ち悪さに襲われる舞花だが、ここで怯むわけにはいかない。
弱気になっていると知られては綿世の思う壺である。
「予想はついているって言いましたよね。美琴さんと恋仲だったのは晴夏さんでしょ?」
舞花は自信ありげな顔で嘘を吐いた。綿世の反応を見る為である。
「あの弁護士先生のことか?」
綿世に頷き、舞花は言葉を続ける。
「美琴さんと晴夏さんは幼なじみで、子供の頃から一緒にいる事が多かったそうです。子供の頃は友人だったとしても、やはり男と女。成長しながらお互いを意識し始めたとしてもおかしくはありませんよね。しかし二人が恋仲であるというのを周りに知られてはならなかった。それは――」
舞花は立ち上がり、ゆっくりと歩き出す。
「時雨さんはともかく、重康氏に知られては引き離されてしまうと考えたのでしょう。晴夏さんには弁護士としての肩書はありますが、あまりにも時雨さんと近すぎる。重康氏がなぜ時雨さんを三栗谷から追い出すのかはわかりませんが、時雨さんの影が見える晴夏さんを、重康氏が美琴さんの婿として認めるとは思えませんからね」
ドアの前で振り向いた舞花に、綿世は大きな声で笑い出した。
「残念だったな。それは大ハズレだ!」
「え? 私の推理、間違ってましたか?」
舞花はわざとらしくそう言うが、腹を抱えている綿世は気が付かない。
「おうよ、見当違いもいいとこだ。たしかに、あのヤサ男が相手ならそういうこともあるかもしれんが……教えてやるよ。あの男はな、木島とデキてるんだよ」
「そうなんですか!? 晴夏さんと木島さんが!?」
大げさに驚いて見せる舞花に綿世は鼻を鳴らす。
「時雨さんの紹介でな。木島から見れば玉の輿だぜ。なんたって相手は弁護士先生なんだからよ。いろいろと都合もいいだろうしな」
「知らなかった~。私の情報不足ですね~」
棒読みの舞花にも気づかず、綿世は「東京の探偵ってのも大したことねえな」とさらに笑った。
(この人だけは――絶対に犯人じゃない……)
綿世のバカさ加減に呆れる舞花は、後ろに回した手でそっとドアの鍵を開けた。これでいつでも逃げることが出来る。
ひとしきり笑った綿世は立ち上がり、机まで行くとたばこの火を押し潰した。そして舞花を見据える。
「まあ、あの男にしても結構なもうけものかもしれないがな。木島は着やせする方でかなりの器量よしだし、背中のほくろをいじってやると良い具合に乱れやがるからな……」
くくっと思い出し笑いをする綿世。
「そ、それって……」
綿世とは対照的に、舞花の顔が引きつった。
木島は綿世と男女の関係を持っているようだ。綿世の感じからして、以前というより最近もそうであったと窺い知れる。
しかし、なぜ木島が綿世と? という疑問が舞花の頭の中を巡る。
木島が綿世に情を持っているとは思えない。なにより、木島が晴夏に見せていた笑みは気持ちのこもっているものであった。少なくとも舞花にはそう見えた。それなのに――。
(この綿世って人……。木島さんの何を握っているというの?)
探偵として思い込みが良くないことは理解している。しかし、舞花は綿世が木島の弱みにつけ込んでいるとしか思えない。
「さて――」
綿世が舞花を見た。
その卑下た笑みに寒気を感じた舞花はドアノブに手をかけた。
「そ、それじゃ私はこの辺で失礼しますね」
口早にそう言ってドアを開こうとしたのだが、素早く動いた綿世の足がそれを止めた。
僅かに開いたドアが大きな音を立てて閉まる。
「おいおい、人から情報もらっておいてタダはないだろ……」
綿世が舞花の肩を鷲掴みする。その力は非常に強い。動きの速さも舞花の予想をはるかに上回っていた。頭は悪そうだが、用心棒や裏側の仕事もしているだけのことはあるらしい。
しかし感心ばかりもしていられない。これで舞花は貞操の危機となってしまったのだ。
「情報っていっても、美琴さんの相手を聞いたわけではないですし」
舞花は愛想笑いをしながらもドアを引いてみるのだが、足で押えられたドアはビクともしない。
「弁護士先生は木島とデキているんだって教えてやっただろ? 安心しな、美琴お嬢さんの相手もちゃんと教えてやるよ。だが、それには前払いをもらわないとな」
「うっ……」
顔を近づけてくる綿世に舞花は腰を反りながら顔をそむけた。
気持ち悪いのもあるが、口からのたばこの臭いがきつかったのだ。
しかし無防備になってしまった舞花の首筋。そのつやのあるきれいな肌に綿世は高揚する。
「俺が情報を渡す代わりに、あんたは体を差し出す。良い交換条件だろ?」
「いやッ! やめてッ!」
耳元でささやかれ、臭い息がかかった舞花は綿世を突き飛ばそうとしたがビクともしない。
それどころか、後ろに回り込んだ綿世に抱きしめられてしまう。もがく舞花だが力の差は歴然で解けない。
「そんなに暴れるなよ、生娘ってわけでもないんだろ? それにしても、男の格好してても美人は美人だよな。時雨さんと帰ってきたあんたを見て、一度お相手をしてもらいたいと思ってたんだ」
「ひッ!?」
綿世の吐息が首にかかり、寒気が走った舞花の背筋が伸びた。
怖くて自分の意思で体を動かすことが出来ない。しかし貞操の危機に体が反応したのか、背筋が伸びるのと同時に舞花の足は綿世の足を踏みつけていた。
「ぐがッ!」
足の親指を踏まれた綿世が短く叫ぶ。
それは不意を突かれた一撃で、舞花を締める腕の力も弛んだ。
綿世から逃れる好機が出来たものの、舞花の思考は混乱している。だが、条件反射とでもいうべきか、合気道を習っている舞花の体が反応して綿世の腕を捻り上げていた。
「イテテテテッ!」
思わずくの字になる綿世。ここで舞花の思考が戻る。
「はあああああ……えいッ!」
自分を支点に円を描くように綿世を振り、関節を決めながら自分よりも大きな相手を投げ飛ばした。
受け身も取れず床板に背中を叩きつけられた綿世が苦痛の息を吐く。
この隙に部屋を出ようとする舞花がドアノブを握る。しかしドアを開く前に、綿世は両足で舞花の脚を挟んでいた。
「女のくせに生意気なんだよッ!」
背中を床に付けたまま、綿世はその身を捻った。
「うわっ!? わわわわッ!」
両脚の膝関節を挟まれている舞花はそのまま後ろへと倒れる。そして受け身も不十分なために後頭部を床板に打ち付けてしまった。
(これは……まずい……)
柔道や柔術でいう蟹挟をくらい、ブラックアウトしかける意識。舞花はそんな意識をなんとか保つが、体が動いてくれない。
一方、綿世は痛めた腕を押さえながら舞花へと馬乗りになる。
「お互い油断大敵ってやつだな。あんたのは合気道か? 見かけによらずいい動きだったぜ……だが、それもこれまでだ」
綿世は少し乱れている舞花の着物を掴み、乱暴に胸元を開いた。
「うう……」
舞花は抵抗しようと試みるのだが、体は金縛りにあっているかのように動かず、呻き声を出すのがやっとであった。
「はッ、さらしを巻いているとはな。窮屈だろ? 今解放してやるからな」
不純な高揚で目を見開いている綿世が、舞花の膨らみを隠しきれていないさらしに手をかける。
指を伝ってくる柔らかな感触、鼻腔をくすぐる若い女の匂いに、その目が血走りだした。
(こんな……こんなやつに……)
舞花は自分の浅はかな行動を悔やむ。
美琴の秘密――という口車に乗せられてしまった。晴夏からは近づかない方がいいと言われていたのに、自分でも警戒しなければならない相手だと理解していたのにである。
綿世からも話を訊こうと思ってはいたのだが、それは別の誰かも立ち会っている時にするべきだった。それを、屋敷には他の人もいるのだから強引なことはしてこないだろうという思い込み、何かされそうになっても切り抜けられるはずという慢心から、舞花は判断を誤ってしまった。
脳震盪を起こしている身体では大きな声で助けを呼ぶことも出来ない。諦めているわけではないが、今の舞花に抵抗する力はなかった。
「さて、あんたはどんな声で乱れてくれるのかな?」
綿世が舞花のさらしを引き剥がそうと力を込めた――その時である。激しくドアが開かれ、室内に飛び込んできた人物がいた。
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